イアーズ・ストーリー   作:水代

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十一話

「ふう」

 

 鼻から抜けていく紅茶の香気を感じながら息を吐く。

 やはり昨夜自分で淹れたものと同じ茶葉で同じ容器、設備を使っているのに自分の物よりも数段質が良い。

 何が違うのだろうと首を傾げながらもトワ・オクレールは隣に立つ自らのメイドに感謝を述べつつ、視線を上げた。

 

「一晩考えてみたんだけどね……アイちゃんも一緒に行ってもらうことにするよ」

「それは昨日の話のことか?」

「そう、最初に探索のこと。ルーくんだけでも大丈夫だとは思うけど、錬金術師に万一のことが無いように保険が欲しい」

 

 領主として考えるならばあんな危険な森に近づくなど論外と言えるのだが、ミカゲに関してそれは『仕方のない』話でもある。実際ミカゲはあの森に何度となく入っては戻ってきている以上、あの森の中で生存する力があると判断せざるを得ない。

 

 だが錬金術師は現状この領にやってきた『客人』だ。

 

 しかも錬金術師とは本来戦うことが領分の人間ではない。となれば『護衛』は必要だろう。

 もっともそんなもの当の本人が連れてくるだろう……とは思っているが、それでも万一の時を考えてこちらでも保険を用意しておくに越したことはない。

 

 そしてこのエノテラ領で『最も強い人間』となれば目の前のオルランドの後継者たるミカゲ……。

 

 ()()()()

 

 トワの隣でお茶のお代わりを注いでいるメイド……アイリス・オルランドに他ならない。

 

 

 アイリス・オルランドはオクレール家の使用人だ。

 

 少しややこしい話なのだが、アイリスはトワの雇った使用人だ。

 ミカゲはトワの親友として動いているが正確には雇っているわけではない、何せオルランドの後継者だ。立ち位置としては善意の協力者となる。

 サクラは後継者ではないが、血族としてトワが扶養すべき相手だ。

 全員オクレールの屋敷に居を移しているが、全員オクレール家との関係性が異なっていたりする。

 

 問題は。

 

 アイリス・オルランドはオルランド姓を名乗ってはいるが、オルランドの血縁ではない。

 先代のルー・オルランドがアイリスが幼い頃に迎えた養女であり、オルランド家との血縁に無い。

 故にミカゲ・ルー・オルランド及びサクラ・オルランドの両者とアイリス・オルランドの間に血縁関係は無い。

 だからこそアイリス・オルランドはオルランド姓を持っていてもオクレール家の使用人となれる。

 

 アイリスの素性は誰も知らない。

 

 或いはアイリス本人ならば知っている、かもしれないがそれを誰にも……主人であるトワにすら語ろうとしないためアイリスが何者なのかは屋敷の誰も知らない。

 そもそもアイリスという名前自体、トワが幼少に着けた名前であり、本来の名前すら誰も知らないのだ。

 

 ただ一つ分かっていることは。

 

 アイリス・オルランドは『完璧』だった。

 

 一を聞いて十を知る、どころではない。

 一を聞いて全を知るとでも言うかのように、一つ学ぶだけでその先にある全てをアイリスは完璧に熟した。

 メイドとしての作法もかつてのオクレール家にいた使用人たちに学び、すぐに身に付けた。

 素性すら知られていない幼子は屋敷で一番のメイドとなり、やがてオクレール家の没落によって屋敷の使用人たちが一斉に居なくなった後もたった一人で広い屋敷を完璧に管理し続けた。

 

 その華奢な体躯と人目を惹きつけすぎる容貌から手弱女のような印象を受けてしまいがちになるが、その実ミカゲ・ルー・オルランドと同郷の友人であるノルベルト・ティーガを同時に相手にして鎧袖一触に蹴散らしてしまえるほどの実力者だった。

 

 或いは。

 

 この女こそ世界で最も強いのではないかと冗談抜きでミカゲはそう思っている。

 

 レベル100。

 

 人類の限界とされる99を超えた先の世界に到達した人類の極点。

 

極点無欠(ジ・アルティメット)』の第三法則を生み出した怪物。

 

 それがアイリス・オルランドと言う……ミカゲの義姉だった。

 

 

 * * *

 

 

 レベルとは存在の格だ。

 

 格を上げることは簡単ではない。だが決して難しいことでも無い。

 自らを鍛えること、磨き上げること、それこそが格を上げるための手段であり、最も手っ取り早いのは『格上』と戦うことだ。

 

 レベル50の壁というものがある。

 

 現存するダンジョン内で上げることのできる大よその『到達上限(レベルキャップ)』であるレベル50を超えるためには大雑把に三つの方法がある。

 

 一つはダンジョン深層の『ボス』を倒す方法。

 

 正直言って、『ボス』を倒すことの旨味を知る冒険者たちで溢れかえっているせいで大規模なクランでも無ければこの方法は難しいと言わざるを得ないが『最も』現実的な方法ではある。

 

 一つは『闇哭樹海』へと入る方法。

 

 はっきり言おう。この樹海で一日生き延びることができればレベル50から一つ先へと進める。

 だが『最も』現実的じゃない方法だ。リスクが高すぎる上にそもそも生き延びることのできる可能性は極小と言っても過言ではない。

 

 だからレベル50を超えた人間は大抵最後の方法でレベルを上げる。

 

 レベル50以上の相手と戦うことだ。

 

 何を当たり前のことをと言っているようにも思えるが、『最も』手っ取り早い方法でもある。

 先の例のように、人類はレベル50の壁を超える方法をその難易度は別として持っているのだ。

 ならばすでに壁を越えた者と戦ってその強さを身に刻めば同様に壁を超えることができる。

 

 ダンジョンボスを幾度となく倒し、壁を越えたノルベルト・ティーガのように。

 

 闇哭樹海へ幾度となく潜り、生還したミカゲ・ルー・オルランドのように。

 

 一度壁を越えた人間は壁を前に立ち止まっている人間の手を引くことができる。

 

 そして。

 

 極々少数の例外として、誰の手も借りずに独自にその壁を越えてしまう人間もいる。

 

 

 ―――アイリス・オルランドは間違いなくその例外中の例外だった。

 

 

「しっかりと握ってなさい……剣士が剣を落とすなんて恥よ」

「ふざけんなよ、この馬鹿力!」

 振り下ろされたのはどこの街でも売っているよう短剣(ショートソード)

 握りの部分である柄とほぼ同じサイズしかないような短い刀身だが、馬鹿正直に長剣で防げば()()()圧し折られるのが目に見えている。

 だからこそ払うしかない。払って、受け流して、それを繰り返す。

 

 そこには反撃の隙が無い。

 

 元より長剣と短剣振るえばどちらが早いかは明白で、そして剣を戻す、剣を構える、剣を振る、どの動作を取っても軽くそして長さの無い短剣のほうが圧倒的に上だった。

 故に払う動作も最小限で行わなければならない。動作を大きくすればするほど余計な間が生まれる。

 そしてその間が積み重なって相手の速度に追いつけなくなる。

 

 それがミカゲがアイリスに負けるいつものパターンだから。

 

 笑えることにここまで一方的に攻撃され続けていて、これが全く本気でも無いのだ。

 レベル60……或いはもう少し高くなっているだろうミカゲのレベルは人類でも壁を越えた一流と呼べる領域にある。

 レベル70……第三階梯魔法へと手をかければそこからさらに世界は変わると言われているが、ミカゲはすでにそこに手をかけかけているし、何だったら第三階梯魔法の使い手だったフィーアと比較しても対人戦闘能力以外の部分では引けを取っていないと自負できる。

 

 だが、それでも。

 

 目の前の女からすれば自分との戦闘など児戯……戯れに等しいのだろう。

 

 真っすぐ歩きながら片手で剣を振るうだけで圧倒される。

 手も足も出ない。前に出ようにも振るわれる剣が早すぎて防御が間に合わない、後退しようとすればその一瞬の虚を突かれて剣が突き出される。

 結局じりじりと下がりながら剣で防ぐ以外にどうにもならない。

 

 まともに受け止めれば剣ごと斬られる。

 避けようにも相手のほうが素早いのだ、避けてる間に二撃目が飛んでくる。

 必死に受け流してもそれはジリ貧の展開に持ち込まれていつもの負けパターン。

 

 なら。

 

燃焼(バーン)

 

 燃やせば、と思っても。

 

「『極点無欠(ジ・アルティメット)』」

「ぐぅっ!?」

 

 ぶん、と振り払われた短剣。その剣先に生まれた圧が『極限』と化して突風となる。

 人間一人の体を吹き飛ばすのに十分な威力を持った風圧が自分の体を軽々と持ち上げ、数メートル後退させる。

 魔法によって魔力が浸透した一撃によって剣に宿っていた俺の魔法も掻き消させれている。

 

 そうして。

 

「これで、お終いね」

 

 ―――震脚。

 

 どん、と一歩足を踏み出せば大地を踏み抜いた衝撃が地鳴りとなり俺の足元を崩す。

 そうして蹴り上げられた勢いのままに、アイリスが一気に間を詰めて。

 

 その短剣が俺の喉元に突きつけられた。

 

 

 * * *

 

 

「相変わらずね」

「……さいですか」

 

 荒い息を吐きだしながらその場に座り込む。

 俺以上に高速で動いていたはずの姉はけれど息一つ荒げることも無く、汗の一つすらかいていない涼しい顔でこちらを睥睨していた。

 

「中途半端なのよ、ミカゲは。対人方面に鍛えたいのか、それとも対魔物方面に鍛えたいのか。方向性が全く違うのに両方取ろうとしたって今のミカゲで上手くいくはず無いでしょ」

 

 何度となく言われた言葉ではある。

 

「人を相手にしたいならその長剣止めなさい。大振りなだけで防御くらいにしか使えないわ。魔物を相手にするなら小技を捨てなさいな。化け物を相手にするなら力も速度も全然足りない」

 

 中途半端なのよ、ともう一度言われる。

 とは言え今のスタイルが一番慣れてしまっている。

 これを崩してもう一度別の戦い方を覚える、というのは中々に難しい。

 

「そこまで行けばもう悪癖ね」

 

 それを告げてもばっさりと切り捨てられるだけだったが。

 けれどそれから少し考え込むような仕草。

 そうして。

 

「なら今のままのスタイルをベースにして組み上げていくしかないわね」

「今のスタイルをベースに?」

「中途半端とは言ったけど、結局それはミカゲの身体能力が追い付いてないから。対人用の小技をいくつかと、対魔物用の大技をいくつか覚えて使い分けなさい。元よりそういうセンスはあるんだから、後はひたすらにレベルを上げることね」

 

 本当なら、とアイリスが嘆息しながら続ける。

 

「一から型を覚え直したほうが早いのだけれど……まあそのスタイルを貫くなら仕方ないわ。お嬢様からもなるべくミカゲの意に沿う形で、と言われているし」

 

 感謝しなさいよ、と半眼でこちらを見ながら。

 

「こうして時間を割いた分、お嬢様が穴埋めしてくださってるのよ」

 

 忙しい方なのだから、ともう一度嘆息。

 

「分かってる。感謝してるよ」

 

 トワにも、姉にも。

 そのためにも時間を無駄にできない、と剣を杖代わりに立ち上がる。

 そんな俺を見やり、アイ姉がよし、と一つ頷いて。

 

「樹海探索はいつ頃の予定?」

「来週だよ。あっちもこっちも予定合わせるなら来週の頭から浅いところを半日ほどかけて探索の予定」

「そう、なら対魔物用の技から仕込んでいきましょうか。それとあの辺に出てくる魔物の知識も仕込んであげるから」

 

 ―――帰ってきなさいよ?

 

 暗に告げられたそんな言葉が少しばかりくすぐったくて。

 分かっている、とばかりに剣を構える。

 

 当たり前の話だ。

 

 ―――俺もう二度とトワを独りにしないと決めたのだから。

 

 

 * * *

 

 

「ふむ」

 

 生い茂る木々を見上げながら、困ったと言わんばかりに少女が嘆息する。

 

「どこに行ったのやら……」

 

 凛、と手持ちの鐘を鳴らしみるが、けれど反応は無い。

 となるとこの辺りには居ないのだろうと予想する。

 すでに探し始めて三日ほどが経つがアレも気まぐれに樹海の中を移動するせいで、一度見失うと中々見つからない。

 

 それでも近くにいるならばこの鐘の音に反応してくれるのだが。

 

 凛、と再度鳴らす。

 

 澄んだ音色が森へと響く。

 

 それに対する反応は沈黙、そして静寂。

 

「ふーむ」

 

 仕方ない、と言わんばかりに少女が懐に鐘を終い込む。

 別の場所を探すしかないかと嘆息し、踵を返そう……として。

 

 ひゅん、とほんの一瞬、風を切る音が聞こえた。

 

「むっ?」

 

 立ち止まり、振り返るその先にけれど変化は無い。

 静寂が場を包み込む。

 じっ、とそのまま少女がその場で佇んでいると。

 

 ひゅん、と再び風を切る音と共に。

 

 ―――クルゥゥゥゥゥゥ

 

 突如として目の前に巨大な鳥が降り注いだ。

 全長五メートルほどだろうか。

 広げた両の翼を大きく、そのせいでとても大きく見える。

 やがて翼を閉じ、佇むその姿は『梟』だった。

 

 それは人が『災害』と呼ぶ存在だった。

 

 災害種と呼ばれる存在。

 

 そんな怪物を前に、少女は笑みを浮かべ。

 

「やあ、久しぶりだな」

 

 まるで街中で偶然出会った友人に接するような気軽さを怪物へと声をかけた。

 

 

 




魔法名:極点無欠(ジ・アルティメット)
階梯:第三階梯/第三法則
使用者:アイリス・オルランド/■■■■・■■■■・■■■■

それは『究極』を意味する魔法だ。
魔法の優秀さを決める際に『対象範囲』というものがある。例えばミカゲ・ルー・オルランドの燃焼の魔法ならばそれは『有機物』もしくは『無機物』に限定されるように。
『極点』の魔法は『上下する全ての物』に作用する。
その対象に対して『プラス』と『マイナス』が存在するならばその全てがこの魔法の対象と成り得るのだ。実質この世の大半の物に対して作用する魔法と称して良い。
『極点』の魔法はあらゆる物を『極限化』する。プラスならプラス方面に、マイナスならばマイナス方面に作用し、プラスならプラスを、マイナスならマイナスをただひたすらに『極端』にしていく。
ある意味それは『上昇(アップ)』と『下降(ダウン)』の魔法と言っても良いが、その上昇幅、下降幅が『極端』なのだ。故に剣を振った際の風圧で人を吹き飛ばす突風とすることも、地面に足をついただけの衝撃で大地を揺るがすような衝撃を発生させることもできる。
この魔法が第三法則たる由縁は『消耗魔力量』と『発生効果』がまるで釣り合わないからだ。
極々少数の消耗で極限まで増大した効果を得られる。まさしく『第三法則』である。

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