イアーズ・ストーリー   作:水代

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四話

 きちきちと牙を鳴らす怪物蜘蛛に対して、短剣を突きつける。

 果たしてその行為にどれだけの意味があるのか、空周りする思考では分からない。

 ただ『何もしない』なんてことはできなかった。

 

 ただ座して死を待つ、というのは自身にとって何よりもあり得ない選択肢だから。

 

 こちらを見つめた蜘蛛は動かない。

 ぎちぎちと不快な音を鳴らしながら品定めするように蜘蛛がその水晶球を詰め込んだような複眼で自分を見つめて。

 

「おい……マジかよ」

 

 誰かの呟いた声が洞窟内に響いた。

 直後、カァァァァン、と硬い物どうしがぶつかりあったような音と共に。

 

 ぎちっきちっ

 

 蜘蛛が揺らいだ。

 

 

 * * *

 

 

「ふざけんなよ!」

 

 振り下ろした刃から跳ね返ってくる反動に、思わず手から剣が落ちそうになるのを辛うじて拾い上げる。

 頭上から一閃、振り下ろした一撃は蜘蛛の頭部を強く打ったが、僅かに怯んだ程度であり大したダメージにはなってないのが分かる

 だがその一瞬の隙に蜘蛛を蹴って後方に着地する。

 見やれば襲われていた冒険者をフィーアが救出する姿が見えた。

 

「……ふざけんなよ」

 

 再度同じことを呟きながら水晶の蜘蛛を見やる。

 水晶魔洞の生物は大なり小なり全身のいたるところを水晶で覆われている。

 このダンジョンの影響でそういう風に『変異』してしまっているのだ。

 だがこの蜘蛛は違う。最初から違う。前提からして間違っている。

 『変異』しているのではない、覆われているわけでも無い。

 

 体の全てが水晶で構成されていた。

 

 刃を通す隙間すら無い。

 

 魔水晶は硬度自体は普通の水晶並だ。鉱物である以上、鉄鋼の刃で叩けば砕ける。

 

 通常ならば。

 

 この蜘蛛の頭を叩いた感触からして、このまま殴り続けても間違いなく先にこちらの刃が折れる。

 何せ余りにも密度が違い過ぎる。材質は間違いなく水晶なのに、それを圧縮し続けたかのような圧倒的硬度が目の前の蜘蛛にはあった。

 

 あと三度、いや二度か?

 

 それだけ殴れば折れる。未だ痺れの残る手の中の感触でそう直感する。

 

 すでに蜘蛛は一撃入れたこちらを標的としている。

 フィーアたちは無事脱出できそうで何よりである。

 

「後は、こいつから逃げるだけ、か」

 

 とにもかくにも逃げることが先決だ。

 こちらの武器は全て通用しないと考えて良いだろう。

 サイズの差を考えれば逆に相手の攻撃は何を食らっても致命傷になるだろうことは分かりきっていて。

 

 つまり戦うのは愚策中の愚策。

 

「やれやれ、命賭けの鬼ごっこだな」

 

 呟き、足元に転がる砕けた洞窟の壁だったものらしき水晶の欠片を蹴り飛ばす。

 かこん、と欠片が蜘蛛に命中すると同時に。

 

 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち

 

 蜘蛛が八本の足を動かし、こちらへと向かってくる。

 

「う、おおおおおおおおおお」

 

 サイズ10メートル前後。それだけの巨体が猛烈なスピードで迫って来るというだけで脅威であり、その全身が超硬化した水晶で出来ているということを考えると衝突の衝撃だけで死ねるだろうことは簡単に予想できた。

 

 水晶魔洞の通路はそれほど広いわけでは無い。

 横幅自体は三、四メートルほどあるのだが、壁が出っ張っていたり、天井がやけに低かったり、足元がデコボコだったり。体感その半分程度と言ったところか。

 

 当然走りにくい。非常に。

 

 まして10メートルサイズの蜘蛛の怪物などまず間違いなく通路に引っかかるのがオチなのだが。

 

「ふざけんなよおおおおお!!!」

 

 本日三度目の絶叫。

 だが叫びたくもなる。こちらがどうにかこうにか通路をすり抜けているというのに、全部無視で通路を『破壊』しながら猛進してくる怪物との差は徐々に縮まっている。

 それでも縮まりきらないのはひとえに洞窟内の通路が直線ではないから、だろう。

 蛇行したり、時には大きく弧を描いたり。

 

 直線距離を走るたびに徐々に差は縮まるのだがカーブを曲がるたびに少しずつ差がまた開く。

 

 それを繰り返しながら、五階層の階段目指して走る。

 道のり自体は事前にフィーアから確かめている。

 そのせいで助けに入るのが少し遅れたが、どのみち残った一人以外はあの場にたどり着いた時点で死んでいたのでどうにもならなかった話だ。

 

「あと、少し!」

 

 あと二か所ほど分岐を戻れば、四階層への階段のある広場にたどり着く。

 そう思うと同時に気づく。

 

 ()()()()()()()

 

 背後を追ってきていたはずの蜘蛛の足音が消えた。

 

「……は?」

 

 思わず足を止める。

 バクバクと鼓動の激しい心臓を落ち着かせながら、耳へと神経を研ぎ澄ませる。

 

 がり、がりがり……がりがりがりがりがりがり……

 

 ()()()()()()()

 

「…………」

 

 ごくり、と嚥下した唾が喉を鳴らす。

 気配を殺し、音を殺し、呼吸を殺し、洞窟の壁に背を向け。

 

 がりがりがりがりがりがりがりがりがりがり

 

 音が近づく。近づく。近づく。間近まで迫る。

 

 そして。

 

 

 ズドォォォォォォォォォォォン

 

 

 本日二度目の轟音と共に、視界の遠く先。

 ちょうど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で。

 ダンジョンの壁が吹き飛び、水晶の蜘蛛が飛び出してくる。

 

「っ?!」

 

 思わず漏らしそうになった悲鳴を押し殺す。

 両手を口に当て、無理矢理に声を殺し。

 

 ぎちぎちぎち……きち、ぎちぎち

 

 蜘蛛が何かを探すように周囲を見渡す。

 間違いなく自身を探している。

 

 ―――嘘だろ?!

 

 そんな内心の動揺を鎮めようとしてけれど全身の震えが止まらない。

 まさかそんな、である。

 ダンジョンの壁をぶち破ったのも驚きであるし、それ以上にモンスターがショートカットして先回りしようとしてくる、など予想外にもほどがある。

 

 不味いことになったと内心で舌打ちする。

 

 色々と問題は多いが、今何よりも問題になっているのは先回りされた、という一点である。

 

 四階層へと戻るためにはこの先を進んで広場に出る必要があるが、よりにもよってそのための道に立ち塞がられている。

 

 六階層へと向かうか?

 

 だが下に向かったところで自体が好転するわけでも無い。

 

 どうする?

 

 そんな思考をしている間に、蜘蛛がぎちぎちと牙を鳴らし。

 

 ()()()

 

「…………」

 

 呆気にとられる。完全に予想外なその光景に声を出すことすら忘れて、呆然とした。

 全身が水晶で出来た重量級の蜘蛛がその場で跳ねて天井に着地した。

 そうしてそのまま通路の先へ……つまり階段へと向かう広場のほうへと歩いて行く。

 

「……うっそだろ、お前」

 

 見つからなかった、振り切った、助かった。

 いくつも考えることはあったが、それ以上にその余りのあり得なさにただ呆然として。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 背後から聞こえた声にはっとなった。

 咄嗟、振り返り……剣に手をかけたところでそこにいたのは白のローブを被った少女。

 隙間から見える髪から、その色が水色であることが分かる。

 

「……フィーア、か」

 

 先ほどまで一緒にいた頼もしいポーターの姿に、緊張がほぐれていく。

 

「無事のようですね、お疲れ様です」

 

 全身から力が抜けそうになるのをなんとか堪える。

 通路の先、すでに影すら見えなくなった怪物に安堵しつつ壁に背を預けて何度も深呼吸する。

 

「冗談じゃねえぞ……化け物過ぎる」

 

 あの巨体で跳ぶとか嘘だろ、と思うし。天井に張り付いて移動するのかよ、と言いたくなる。

 壁ぶち破るとか反則だろ、と言いたいし、そもそも移動速度早すぎだろ、とも言いたい。

 そんな思いを全てたった一言に込めれば、そんな言葉が出た。

 

「恐らく……『アルカサル』の血族ですから」

 

 同意するように頷きながら呟くフィーアの一言に顔をしかめる。

 考えたくの無い可能性ではあったが『鉱物で作られた蜘蛛』なんてピンポイントな存在が偶然生まれたと考えるよりかはその『最悪の可能性』のほうがずっとあり得る話だった。

 

「災害種、か」

 

 この世界に七体存在する文字通りの『災害』存在だ。

 

 『集虫砲禍(アルカサル)』はその内の一体であり。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 いつから存在していたのか、最初からそんな存在だったのか、誰も知らない話ではあるが。

 少なくとも百年近く以前から人類の生存権を脅かし続けていたのは間違いない。

 金属や鉱物、火薬を主食としており、炭鉱や鉱山などに出現する。

 時折人里に出てきては『都市』を丸ごと()()()()しまうこともあり、積極的に人を襲うことは無いが、攻撃を仕掛ければその背に負った城塞で反撃をしかけてくることもある。

 

 ただでさえ問題だらけのその『歩く災害』はさらに厄介なことに数年に一度ほど『卵』を作る。

 

 作られた卵はダンジョンに植え付けられ、一週間ほどで孵るという。

 そして生まれた『子供(ケツゾク)』はダンジョン内部の鉱物や金属を食らい親と同系統の性質を身に着ける。

 問題は『親』と違い『子供』のほうは人間を積極的に襲ってくることだ。

 先ほどの蜘蛛を見れば分かる通り、人間を……正確にはその骨を食らうこともある。

 

「このダンジョンだって解放されてもう数年だぞ……なんで今さら出てくるんだ」

 

 少なくとも、ここ数年の間に『アルカサル』がこの周辺に出没したという話は聞かない。

 出没すれば間違いなく大惨事になっているため気づかなかったということも無いだろう。

 そしてこのダンジョンが発見されてからすぐにギルドの管理下に置かれ、連日冒険者がやってきていることを考えると、卵が植え付けられたのはダンジョンが発見されるより以前だということになる。

 そう考えれば今まであんな怪物が発見されていなかったのが奇跡のように思えてならない。

 

「多分最初はもっと下層のほうにいたんじゃないでしょうか」

 

 それがきっと冒険者たちが出入りする気配に気づいて徐々に上にやってきた、と。

 

「もしかするとこれまでにも遭遇した人間はいたのかもしれませんが……」

 

 きっと出会っても逃げきれずに……食われた。

 少なくとも討伐隊を組んで専用の装備を身につけなければ勝負にすらならない。

 そしてダンジョンに潜った冒険者が戻ってこない、なんてことはよくある話であり、ギルドからしても冒険者がヘマをしたと思われるだけでまさかあんな化け物が中に住み着いていたなんて気づけなかったのだろう。

 

「あれ……放っておいたら外にまで出るのか?」

「可能性はあるかと」

 

 ほとんど無意識的に呟いた言葉に、フィーアが返す。

 もしあんなものが外に放たれたなら、八匹目の災害種に成長していくこと間違いないだろう。

 それは不味い……これ以上『災害』を増やすの何としてめ止めなければならない。

 

 とは言っても。

 

「現状の装備じゃどうにもならねえな」

「殴った感触は?」

「レベル70以上ってところか……とは言っても装甲が飛びぬけて硬い。生半可な武器じゃ逆にこっちが折られるだけだろうな」

 

 因みに嘘か本当か知らないが『アルカサル』のレベルが300オーバーらしい。

 過去に何度か討伐隊が組まれたことがあるらしいが、圧倒的な存在としての格の違いに傷一つ付けることもできずに全滅したそうだ。

 そう考えれば『子供』はまだ倒せるだろう範疇だ。

 とは言え、それでも対策を組んでそのための装備を整える必要がある。

 

 大半の武器ではあの圧縮された水晶の体を貫けないし、砕けない。

 

 つまり。

 

「逃げる一択なんだが……」

 

 ちらりと、蜘蛛が駆けて行った先を見やる。

 その先に上へと戻る階段がある。フロアごとに上下の階段は一つずつしかないのでこの先に進まなければ四階層へは戻れない。

 

 だが同じ方向に歩いて行った蜘蛛のことが気にかかる。

 

 行くべきか、行かざるべきか、少し迷い。

 

「……そう言えば、さっき助けたやつは?」

 

 少年が一人いたはずだ。

 フィーアが連れていたはずだが。

 

「少し後ろにいますよ。あの蜘蛛がいた場合、即座に連れて逃げる必要がありますし」

 

 ちらり、とフィーアが視線を後方に向ける。

 キラキラと光が乱反射して見えづらいが、岩場の影で少年がこちらを見ていることに気づいた。

 合流はしていたようだ、と同時にこれで全員で動くことができると安堵する。

 

「どうするべきだと思う? この先に進むか、否か。否ならどうやって帰るか」

 

 手札が少なすぎてこの状況で取れる選択肢は非常に限られている。

 一つ間違えればまた蜘蛛と追いかけっこ……今度は逃げれる気がしない。

 

「問題はあの蜘蛛をどうするか、ですね。接触を避けるのか、それともどうにかして動けなくしてしまうか」

「動けなくって……そんなことできるのか?」

「まあ、手は無くも無いですよ」

 

 告げるフィーアの言葉に目を丸くする。

 

「まあ……ちょっとした裏技ですよ」

 

 ニィ、と口の端を吊り上げたフィーアに、本当に頼もしいことだと嘆息した。

 

 

 




災害種①

集虫砲禍『アルカサル』 危険度:A 脅威度:B

金属や火薬を好んで食らう全長300メートルの鋼鉄の蜘蛛。背中に城壁らしきものや、大砲などがついた要塞を背負っている。金属製の糸を吐き出すが、この糸は蜘蛛が去った後にも残っているので人間側が回収し様々な用途で利用される。
時々都市に乗り込んできて根こそぎ都市を食らうこともあるが、基本的に人間には敵対的ではない。まあ眼中に無いだけかもしれないが。
全災害種の中で唯一『生殖』を行う存在であり、数年に一度ダンジョン内部に『卵』を植え付ける。
植え付けられた卵は一週間ほどで孵り、ダンジョン内部の鉱物や金属を食らい親と同系統の性質を身に着ける。また親とは違い、ダンジョンへとやってくる冒険者を積極的に襲う。これは極論サイズの違いであり、親と比べれば随分と小さい子供たちにとって生物の骨は餌と認識されているからだと言われている。


危険度:戦う時の強さ
脅威度:人類への被害度合い

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