イアーズ・ストーリー 作:水代
このエノテラの地に住んでいるならば、闇哭樹海の主が何者かなんてこと子供だって知っている。
梟歌衰月『オーデグラウ』
樹海に響く歌は死の旋律だ。
聞く者全てを樹海の奥地へと導き、そして帰って来る者は居ない。
とは言え滅多に聞こえるような物では無い。
何せ『オーデグラウ』は樹海の各地を定期的に移動しており、常に同じ場所にいるわけではない上、基本的に森の奥地に住み着いており、浅いところに出てくることは稀と言っても過言ではない。
はっきり言って、普通に森の周辺で過ごしているだけならば道端を歩いていて暴走馬車に跳ねられる確率よりその遭遇率は低い。
故に油断していた、と言うわけではないが。
「……歌? こ、これって、もも、もしかして」
それでも、だ。
「まさか……こんな浅域で、しかも初日からだと?!」
とはいえだ、そんなことを言ってもしかたない。
今まさに歌は響いてきているのだから。
対処は手早く、呆然としていては手遅れになる。
一歩、ハイゼリーラを守るように前に出る、と同時に。
―――
撒き散らすは燃えない物を燃やす矛盾の炎。
その性質によって魔力を燃やすその半透明な白い炎は、旋律に乗せられて届けられる魔力を焼き尽くす。
と、同時に。
轟、と炎が激しく燃え上がる。
当たり前だ、魔力を糧に燃え盛る炎なのだ。
ここをどこだと思っている……大陸一魔力濃度の高い場所だ。
故に炎は燃え盛る。
激しく燃え盛り、音すら焼き尽くして歌声をかき消す。
―――実のところオーデグラウの歌が人の精神に干渉するのはそれがオーデグラウの『魔法』だからだ。
魔法である以上、魔力という燃料がそこには必須となる。
だからこそ、この歌は魔力を焼けばただの音でしか無くなる。
とはいえだ。
できるならばやりたくなかった手ではある。
何せこれは半ば自爆のようなものだ。
「行くぞ」
「なな、何?!」
動揺するハイゼリーラの体を抱えながら木々の間を飛び移っていく。
跳躍の際にかなり揺れているのか、ハイゼリーラがあわあわとしているが、残念ながら優しくしてやれる余裕が無い。
魔力が無ければ生きていけない『魔物』という存在は必然的に魔力を察知する力に長ける。
そんな魔物だらけのこの樹海の中で『魔力喰いの炎』を放ったのだ。
鳴り響く鐘楼よりも明確に、この場所の異変をアピールしているようなものだ。
故に急がねばならない。急いで逃げださなければ『手遅れ』になってしまう。
だが焦る気とは反対に、足場となる木の枝は暗くほとんど見えないためどうしても速度が落ちる。
腕の中に抱えた少女の重みもまた気を使わざるを得ない。
早く、速く、疾く!
二つ、三つと木から木へと飛び移り、燃え盛る半透明の炎が遠くに見えるほどに小さくなった……その時。
どん、と派手な音を立てながら炎が大きく揺らめいた。
それが
―――全長五メートルはありそうな巨大な梟が降り立ち、その翼の一薙ぎで炎を消し飛ばした。
「っ!!?」
「なっむぐ……!?」
咄嗟に声が飛び出そうだったハイゼリーラの口を一早く封じ、木の葉の多い茂った木の内側へと隠れる。
幸いにも濃度の高い森の魔力に浸蝕されながら太く頑丈に育った木々は大きく、少し場所を選べば人ひとりくらいならば枝葉ですっぽりと隠してしまえる。
故に視覚的に気付かれることは無いだろう。
そもそもこの森の中で視覚的に物を見える存在がいるのかどうかは知らないが。
だがこれは困ったことになったと、歯噛みする。
この樹海の主があの場所を陣取ったということは、他の魔物たちはこちらに来ないだろう。
むしろ樹海の主に見つからないように逃げていくかもしれない。
そういう意味では助かった、と言える。
だが同時にすぐ近くに樹海の主が陣取った。
それはある種の死刑宣告に近い。
確かに危険性はあった。樹海に入ることを何故禁じられているのか……こうなる可能性があったからだ。
こうなることを考慮はしていたし、そのための対策も考えてはいた。
だがこんなにも早くに、ということだけが予想外だった。
見間違い……であればどんなに良かっただろうか。
だが俺はアレを見たことがある、かつて一度だけ見たことがある。
たった一度、けれど鮮烈なほどに刻み付けられたその印象は決して色褪せることは無く、だからこそ見間違いなどであるはずが無かった。
オーデグラウが出没するのは基本的に樹海の奥だ。
樹海に入って半日足らずのこんな浅い場所で出会うなど滅多にないことなのだ。
何故よりにもよってこんな時に、そう思わざるを得ないが、今はとにかく息を殺して見つからないことを願うばかりだった。
くるっ……くるっ……
炎がかき消されたせいで樹海は再びの暗黒に包まれている。
視界が完全に閉ざされてしまった状態で、聞こえてくるのはオーデグラウの物であろう鳴き声。
その声だけがまだそこにオーデグラウが居ることを示している。
故にその声が止むと、森がシンと静まり返る。
静寂、音一つ無いそれは生命の気配が感じられないほど。
少しずつ、少しずつ、神経が研ぎ澄まされていくのを自覚する。
ほんの僅かな衣擦れの音、爆ぜる自らの心臓の鼓動ですらうるさく感じてしまうほどに聴覚が鋭敏になり、どんな些細な音すらも聞き逃さないとばかりに意識を尖らせていく。
そうして。
どん、と何かを叩くような……そんな音が響いて。
それが何の音か思考を巡らせて。
直後。
がさぁ、と木の葉を揺らして。
「きづっ……」
そうして驚愕の一瞬。こちらが反応するよりも早く。
―――ォォォォォォォ
目の前で『歌』が弾ける。
先ほどまでの遠くから聞こえたそれとはまるで
―――視界が暗転した。
* * *
ごぽっ、ごぽっ、と沸騰したかのように泡立つビーカーの中身に数滴ほど試験管から試験薬を落としてやれば途端にぼふん、と煙を立ててビーカーを揺らす。
しばらくもうもうと煙が昇っていたが、やがてそれが収まると残っていたのは先ほどまでの液状の中身とは一転した固形化した黒い塊だった。
恐らく作っている当人以外にはこれを見て、一体何なのか分かる存在は居ないのだろうと思われる濁った黒色の不可思議な物体に、さらに別のビーカーに入った赤い液体と、別の試験官の中身の黄色い液体を加えてガラス製の棒でかき混ぜていく。
途端に黒かった固形物が液の中に溶けて行き、赤と黄色でオレンジ色に染まっていたはずの液体が何故か白く染まっていく。
そうして出来上がった液体にさらにチューブを差し込み、チューブを繋いだ先の両手で抱えるほどの大きさの機器に取り付けられたダイヤルを回すとごぼごぼとチューブから気体が吐き出されていく。
気体がごぼごぼと泡立ち、白い液体に溶けていくごとに液体がまたその色を青へと変化させていくのを確認しながらゆっくりとかき混ぜる。そうしてすっかり淡い青へと染まってしまった液体を見つめ、チューブを外すとビーカーを持ってさらに移動。
金属製の受け皿の上にビーカーを置くと、胸元のポケットから無地のメモ帳を一冊取り出し、『燃焼』と書かれたページを一枚破ってビーカーの下に敷く。
―――『
ぽつり、と呟かれた言葉に反応するかのように、破られたメモ帳のページが突如猛々しく燃え始める。
燃え盛る炎がビーカーを包み……同時にビーカーの中身の液体が薄っすらを光を放つ。
見る間に炎がビーカーへ、正確に言えばその中身の青い液体へと吸い取られるかのように消えていき。
「うむ、上出来だね」
再び固体化し、青い宝石と化したソレを手に取りながら少女は再度メモ帳を取り出し、何も書かれていない空白のページを開くと。
「これも
ぽとり、とメモ帳の上に宝石を落とす。
落下した宝石はそのままメモ帳の上で跳ねる……ことは無く、どういう原理かそのまま空白のページの中に吸い込まれていった。
そうして空白だったメモ帳のページに宝石のような絵と共に『試験作Aー32』という文字が表示される。
そうして作業が一段落するとちらり、と部屋の窓から外を見やる。
「……ふむ?」
いつも通りの真っ黒な景色。
そこには何ら常との違いなんて無くて、だというのにどうしてだろうか、そこに何かあるような気がするのは。
なんとなしに木製の扉を開けば広がるのは黒闇の景色。
室内から洩れた光が僅かに照らしはしているが、とてもでは無いがそれだけで晴れるような濃度の低い闇ではない。
何せこの場所では深まり過ぎた闇が魔力と結合し、質量を持っている。言わば黒一色に染まった霧のようなものだ。少々光を照らしたところで見通せるのは目の前くらいだ。
「『夜』は十全に機能している、か。ならこれはどういうことだろうね」
こうして室外に出てみれば、そこに異常が無いことは分かった。
だが同時に違和感の正体にも気づく。
僅か……そうほんの僅か、気のせいとも言えるレベルの微量さで空間内に満ちた『魔力』が震えている。
まるで遠くで起きた地震の余波で震えるかのように。
まるで海を裂いて飛来した何かの余波で遠く離れた波打ち際で揺れを感じるかのように。
遠く、遠くで何かあった。
それだけならばいつも通りのことだろうが……。
この魔力の揺れは気になる。
「この闇を震わせるほどの揺れ……となると」
先ほども言ったがこの空間において、闇は魔力と結びついて『質量』を持つ。
その濃度を考えれば多少の『余波』程度が伝わってくること自体がおかしいのだ。
何せここは『闇哭樹海』……その深層なのだから。
「いや……むしろそういうことなのかな?」
逆に言えばここは深層なのだから、ここにまで届くような『余波』を生み出せる存在というのは限られてくる。
そしてその筆頭のような存在につい先日出会ったばかりだからこそすぐに気付くことができた。
「ふむ『彼女』が何かやっているのかな?」
寧ろここに来ようとしているのかもしれない。
先ほどから少しずつ増している空間の震えがその証左となり得た。
だとするならばその要件は何だろう。
「もしや封が破られたか? いや、それならもっと異常があってしかるべきだろうしそれは無いか……となると」
考えてみたが、どう考えても先日の一件だろうと当たりをつける。
「もしやもう来たのかい? 一年内に来れば良いほうだろうと思っていたんだがね。これは運が良いのか悪いのか」
少女にとっては間違いなく運が良いことだろう。
何せ最悪数年は待たされると思っていた要件なのだ。それがたった数日の間で為されたというのならば間違いなく運が良い。
ただし相手にとっては最悪かもしれない。
この樹海の内において、そのヒエラルキーの頂点に立つ存在に樹海に入って早々に追い掛け回されることになったのだから。
ご愁傷様と言ってやりたいところではあるが、まあ相手にとっても良い経験になっただろう、と勝手に考えて勝手に納得する。
とは言えこれから来るモノが少女の想像通りならばいくらか準備が必要だろう。
何せ最低でも数か月はかかると思っていたせいでまだろくな準備も終わっていないのだ。
最低でも一週間程度の時間はかかるし、その間この『部屋』に泊めておくわけにもいかない。
この樹海にいると時間感覚が確実に狂うため少女にとっては一週間など瞬く間に過ぎる程度のものでしかないかもしれないが、他人にとってはきっとそうではない。
「やれやれ……久方の客だ。相手が相手だからまあそこまで張り切る必要も無いだろうがね」
呟きながら少女が『室内』に戻ろうと扉に手をかけた、瞬間。
―――くるぅぅぅ
すぅ、と音も無く飛来した巨大な梟が片足で着地し、少女の真横でぴたりと止まる。
そうして少女を見やり、首を回しながらその顔をじっと見つめ。
ひょい、ともう片方の足に掴んでいたものを地面に置く。
「おやおや、本当に早かったね。ありがとう……『ネル』」
『ネル』と呼ばれた巨大な梟が鳴き声を上げ、再び飛び去って行く。
そうして後に残されたのは少女と……。
「さてさてそれじゃあ……っと……?」
梟が置いて行ったソレを見つめ、少女が目を丸くする。
一人は少女の予想通りの少年。
そうそれは良いのだ、そこまでは良い。
何せ梟に少年をここに連れてくるように頼んだのは紛れも無い少女なのだから。
だから問題はそこに『もう一人』いること。
そしてそのもう一人が。
「この子は……」
否だ。
正確に言えばその姿に余り見覚えは無い。
何せ見たのは二十年近くも前の話。
しかも生まれたばかりの赤子の時だ。
だから少女は目の前の少女の姿を知らない。
知っているのはその内に秘めた物。
間違えるはずも無い。
何せ。
梟さんが二章ボスだと思った???
実はこの子味方なんだよね(
正確に言えば『少女』の味方であって別にルー君の味方ではないんだが。
そして実を言うと『オーデグラウ』というのは種族名であって個体名では無いんだよ。まあ個体名つけられた災害種なんて他にほとんどいないからあんま意味のある情報では無いけど。
【概要】
名 前:オーデグラウ/ネル■■
種 族:魔物
レベル:250
魔法名:『月歌』『梟月歌』『梟歌衰月』
全 長:5メートル
総重量:670kg
危険度:A
(伝説級。基本的に単体の性能が人類の敵うレベルじゃない上に数で叩こうにも音を聴くだけでアウトという性質上、人がどうこうできるレベルの存在じゃない)
脅威度:C
(基本的に樹海から出てこない上に滅多に出会うことは無い出会うこと自体が『事故』のような存在だが、その危険度故に脅威度は高くなっている)
【行動】
移動:木々の上から翼を広げての無音移動。羽ばたきの音が一切しない。この特徴のせいで着地の音以外で気づかれ辛い。
月歌:第一階梯魔法。声に魔力を乗せることで声を聴いた対象を半洗脳状態に陥らせる。要するに頭がぼーとして何も考えられない状態になる。
梟月歌:第二階梯魔法。声に魔力を乗せることで『音の出ない声』を生み出す。『月歌』によって対象を半洗脳状態にした後、この魔法で指示を出すことで半洗脳状態の対象に対して指向性を与える。
梟歌衰月:第三階梯魔法。なんかすごいことになるらしい。