イアーズ・ストーリー 作:水代
ゆっくりと覚醒していく意識の中、薄っすらと目を開く。
ぼんやりとした視界が段々と焦点があって明瞭な物へと変わっていき、見えてきたのは見知らぬ木製の天井。
「―――だいたいこの程度であっさりとだね……」
「―――いやいや、無茶言ってくれるなよ、あんなの人間にどうにかなる代物じゃ……」
どこからか聞こえてくる会話に視線を向ければ、古びた木造の扉が僅かに開いていた。
ここがどこなのか、ぼんやりとした頭で周囲を見渡しながらゆっくり体を起こすと上からかけられていたブランケットが滑り床に落ちた。
未だに呆とした頭をふらふらと揺らしながらゆっくり、ゆっくり扉へと近づいて。
「つうか結局何で俺たちはここにいるのかが分からないんだが」
「ああ、それに関しては手間を省いてくれてありがとうと言っておくよ」
「何についてだよ、もうちょっと会話してくれよ
ぎぃ、と古びた扉が軋みを上げながら開く。
軋みを上げた音が嫌に良く響いた。すぐに二人がこちらに気づいて。
「良かった……気づいたか。どこか痛いところか、体調の悪いとことかあるか?」
「え、えっと。いや……ない、です」
その片方、
そのままこちらへやってきて、無造作に自身の額に手を当てる。
他人に……それも異性に触れられるという状況に頭が沸騰しそうになるが、純粋に心配してくれているのは分かるので明確に拒絶も出せないまま硬直していると。
「馬鹿弟子、女性にそんな風に無造作に触れるものじゃない。デリカシーという言葉を覚えたまえ」
そんな少年の後頭部を叩く一人の少女の姿……。
「えっ」
その姿を見た瞬間、驚愕の余り目を見開く。
思わず声が漏れだし……次が出てこない。
だってそうだろう。外見だけ見れば十五にも満たない、下手すれば自身と同じくらいの年頃の少女に見える。
だぼだぼのローブに学者帽を被った橙色の髪の少女は一見すればとてもでは無いがそんな風に見えないだろう。
だがそれでも、
だってハイデリーラは直接彼女を見たことがある。
たった一度だけ、ハイデリーラの
「―――母さん?」
ぽつり、と呟いたその一言に少女がにぃ、と笑みを浮かべ。
「やあ、やはり生き残ったね、さすが私の娘だ」
企みが成功したと言わんばかりに喜色のあらわにし、確かにそう告げた。
* * *
それが目の前の少女の姿をした彼女の名前らしい。
そしてそんな彼女の娘こそがハイデリーラという名前の少女らしい。
「なんでそんなややこしいことに……」
「か、母さんの名前を表に出せば……母さんが見つけてくれるかもしれない、って。思った、から」
もしくはその名を知る者が
そもそも何故
墟廃の街キルタンサス。
このイアーズ大陸で最も治安の悪い街である。
否、正確に言えばすでにあの場所は『街』として認識されていない。
あそこにあるのは『街だった』だけのただの廃墟であり、そこに住まう者たちは正確には『不法滞在者』であって『住人』ではないのだ。
大戦を通して生まれた人類の掃き溜め、吹き溜まり、負の遺産。
何故あれがまだ残されているのか色々理由はあるのだが、それは別の話として少なくとも子供……しかも生まれたばかりの赤子を置いていくなどほとんど見殺しにするようなものだ。
「良く生きてたな」
過去一度だけあの廃墟に行ったことがあるが、その時のことを思えば正気の行動とは思えないし、そこで生き残ったことも嘘みたいな話だった。
何せ街に一歩でも足を踏み入れれば……どころか踏み入れる前ですでに三度襲撃を受けた。
街に足を踏み入れてからは十歩歩くたびに誰がしか襲い掛かって来る始末だ。
大よそ考え得る限りの最悪を具現したかのような場所ではあったが、それでもその墟廃の街の深く深く奥底には文字通り『深淵』のような連中が居るから始末が悪い。
目的を果たして治安という言葉の存在する領域に戻って来るまでに受けた襲撃は都合百を超えるし、その分だけ『殺し』もやった。
正直言ってあそこの住人を俺は『人』だとは思わない。
正気どころか理性すら喪失し、本能のままに『人の肉』を食らおうと襲いかかってくる連中を『人間』であると認めることは俺の理性が削れてしまいそうだ。
あんな場所で生まれたばかりの赤子が十年生き延びたというのはどうにも信じがたい話ではあるが、けれど事実なのだろう。
まあ多少同情はあれど、だからどうという話でも無いのだが。
「……良いの?」
少しばかり驚いたようにハイゼ……ハイデリーラが俺を見るが、何が悪いのだろう。
あの街に居たというだけで社会において致命的なまでのレッテルが貼られてしまうのは事実ではあるが、それはあの街の住人がどいつもこいつも正気を失くしたような連中だからだ。
このイアーズ大陸における犯罪行為……その中でも国家機構が調査に乗り出すほどの大規模犯罪の半数以上がキルサンタスの住人によって引き起こされているものであるという事実を知れば誰だってあの街の『住人』という一括りで見てしまうのは仕方のないことだと思う。
だがハイデリーラという少女は顔も性格も知らない誰かではないのだ。
少なくとも出会って一週間近くはあったし、錬金術師という社会的信用もあり、何よりこの森に入って来てからずっと一緒だった。
その間にハイデリーラが見せた言動は俺がハイデリーラという少女を信用するに十分な物であると言えた。
「うん……そっか。えっと、えっと、その……えへへ、あ、ありがとうございます」
そうして少女はどことなく言葉に困ったように何度も同じ言葉を繰り返しながら、最後は笑って誤魔化しながらそれでも感謝を告げた。
* * *
ハイゼリーラ。
それが目の前の少女の姿をした彼女の名前らしい。
それが俺の
「さ、さっきから気になってた、けど……し、師匠って、何?」
ハイデリーラに問われ、少しだけ考える。
俺は
何せ俺が師匠から教わったことは余りにも多い。
だがまあその中で一番を言うならば。
「魔法……かな」
「そうだね、馬鹿弟子に仕込んだ物は多岐に渡るが……まあその中で一番を言うならば魔法だろうさ」
「そ……そうなん、だ」
まあ敢えて選ぶなら、という言葉をつけるがね。
と口元に弧を描きながら告げる師匠に、ハイデリーラが納得したようなしていないような微妙な表情で応えた。
実際問題、師匠と出会えなかったら今の俺は無かったと言えるほどに目の前の少女の姿をした彼女から受けた影響は大きい。師匠と出会わなければ全く別の人生を歩んでいたかもしれないと思えるほどに。
師匠と出会ったのは数年ほど前のこと。
そう、ちょうど。
トワの両親が亡くなった時の話で。
その頃の俺はまだただの『ミカゲ・オルランド』だった。
『ルー』の名は俺の父の物で、オルランドの当主は父である『ラディスラウス・ルー・オルランド』だった。
父ラディスラウス……親しい人間からラディと呼ばれていた男はトワの両親、特に父親とは親しい友人だった。
俺とトワが生まれた頃から一緒で、幼馴染で親友で、今となっては家族同然で居られるのもそうした二人の関係性が一因となっている。
だからこそ、俺には分らなかった。
否、理解はできても、したくなかった。
トワの両親が亡くなった時、たった一人残されたトワがそれを継いだ時。
俺はトワを助けたかった。何よりも大切な親友を、幼馴染を、助けたかった。
けれど父は線引きをした。『オルランド』と『オクレール』の関係を、その平等性を守るために安易な手助けを良しとしなかった。
結果的に『ルー・オルランド』の意こそが『オルランド』の総意となった。
俺はそれに従えなかった。従うことを良しとしなかった。けれど俺では父に届かなかった。届かないことを知っていた。
だから強さが欲しかった。求めて、そのために『命』を対価に置いた。
『闇哭樹海』。
このエノテラ領において……否、イアーズ大陸において禁忌とされる領域に足を踏み入れた。
当然ながら死にかけた。当たり前のように、至極当然の結末として俺は死にかけた。
そうして。
偶然にも浅層にやってきた師匠と出会った。
* * *
「さておき、だ」
森に入ってからの急展開で流されてしまっているのも事実だが、それでもこうして会話をしていれば少しずつ整理もついてくる。
全員が冷静になってきたタイミングで師匠……ハイゼリーラが話を切り出した。
「馬鹿弟子、キミに来てもらったのは本来キミにそこの私の娘を探し出してここまで連れてきてもらうためだったんだが、何の偶然かこうしてハイデリーラも一緒についてきたのは好都合だ。実を言うとハイデリーラにやってもらいたいことがあってね」
「ぼ、ボク……に?」
まさか自分が名指しされるとは思わなかったのかびくり、と体を震わせながらおどおどとした態度で師匠へと視線を送る。
「あの墟廃の街の地下にあった私の研究室は見つけたかい? 錬金術は学べたかい?」
「え……あ、う、うん。見つけた、よ。母さん」
母さん、と呼ばれる師匠の表情は柔らかい。
正直本当に親子なのかというのも疑わしければ、先程まで何考えてんだろうと正気すら疑うような言動をしていたが子を思う気持ちというものはあるのかもしれない……いや、やっぱあったら生まれたばかりの赤子を置き去りにするような真似しないと思うのだが。
「良し、良し良いぞ。可能性は低いとは思っていたがそれでも錬金術師になっていない可能性もあったからね。これで一つ問題はクリアされた……なら次はその腕前を見せてもらおうか」
胸ポケットから一冊のメモ帳を取り出し、ぱらぱらとページを捲ってその中から一枚を破る。
部屋の壁へと向かって歩き、壁に破ったページをぺたりと貼りつけて……。
『
貼りつけたページが一瞬光ったと思った直後にそこに『扉』が出来ていた。
ドアノブに手をかけ、開けば奥に見えたのは並ぶ棚の数々。
そしてそこに置かれているのは一体何に使うのか良く分からない品の数々で。
「えっ……えっ、えっ?!」
何だこれ、と思う俺の横でそれを見て目を白黒させているハイデリーラ。
一体どうしたと思って見ていれば……。
「―――ネキレウスの角? 嘘、だってあれってもう現存しないはずじゃ。それにあっちはモルガニの触手。一角一眼の剛毛に白杭鮫の歯と鱗。それにあれってまさか神の雫じゃ……」
どうやら何かの素材らしい。遠目で見ただけでそれが分かるのか、呟くごとに少しずつその声音が高くなっていく。段々と興奮したかのような口調で声も大きくなっていき。
「あ、あの、あのあの、か、母さんこれって」
「私の研究素材を集めた倉庫だよ……まあそこは問題じゃないさ。この先は研究室になっている。そこでちょっと作ってもらうからおいで」
言われて師匠のほうへと向かうハイデリーラだったが、視線は完全にその奥の棚へと固定されていた。
まさに心ここにあらずと言った様子だったが、それでも扉の中へと入り。
「馬鹿弟子、キミにも後でやってもらうことがあるから、その辺で適当に寛いで待っていてくれ」
「了解」
そう告げて師匠を扉を閉める、と今の今まで扉があった場所が壁へと戻る。
思わず近づいて壁に触れるが……ただの木製の壁だ。何の変哲も無い。
それに軽く叩いてみるが軽い音が返ってくるだけだった。
しかも少し横には窓がついている。覗いてみれば真っ暗闇で見えないが外へと繋がっているようで。
「空間接合? それとも転移? 何にしてもとんでもないな」
師匠には色々と教えてもらったし、それなりに長い付き合いではあったが、まだまだ知らないことばかりだと改めて思う。
「しかしやっぱ知ってて来てたんだな、ハイデリーラ」
先週、初めてハイゼリーラと名乗った小柄の少女とハイデリーラと名乗った長身の女に出会った時。
帰り際に言われた台詞から薄々そうなんじゃないかとは思っていたのだ。
―――貴方、あの樹海で『誰か』に出会ったことはあるかしら?
あの台詞は樹海の奥に『誰か』居ることを知っていなければ出てこない台詞だろう。
―――俺の知る限り、俺たち以外であの樹海に立ち入って帰ってきたやつなんていねえよ。
咄嗟に返した言葉に嘘は無い。
少なくとも俺や義姉以外でこの樹海に入って戻ってきたやつは知らない。
師匠は俺が樹海に入るよりも以前からこの森に『居た』し、森から『出て』くることは無いのであの時の言葉には決して嘘は無いのだ。誤魔化しはあったことは認めるが。
ただ予想外の問いかけからの咄嗟の言葉だったので、返答に違和感を持たれても仕方ないだろう。
普通に考えれば騙されるかもしれないが、樹海の奥に『誰か』いることを前提に考えればどうやっても違和感はある返答だ。
師匠のことを隠したのは別に師匠がそう言ったからではない。
そもそも師匠は別に他人との関わりを排除しているわけじゃない。
実際偶然出会っただけの俺だって助けてもらったし、多くのことを教えてもらった。
師匠と呼ぶのは彼女が俺を馬鹿弟子と呼ぶからだけではない。
『森の魔女』と『オルランド』に語られた彼女のことに敬意を表しているからだ。
だからただそれだけならば師匠のことを隠す必要なんて無い。
ただたった一つ。
彼女が最早存在しないと思われた『魔族』であるという事実だけがひたすらに致命的なのだ。
というわけでお師匠様正式に登場。
次回は多分設定大公開回だ。
災害種って何だよ、というあたりの設定がいっぱい出てくるよ。