イアーズ・ストーリー 作:水代
ダンジョンは恐ろしい場所だ。
時には命の危険すらある、文字通り命懸けの冒険を強いられる場所である。
反面、実入りは大きい。何せ地上では希少とされる物が無限に収集できるのだ。
だからこそ冒険者たちはダンジョンへと潜る。
一攫千金を夢見て、或いは名誉を、或いは名声を、或いは自ら求めるべき何かを。
だが考えてみて欲しい。
どうしてダンジョンは地上においては希少と呼ばれるような物質が無限と称されるほどに大量に死蔵されているのか。
その答えは簡単だ。
ダンジョンに人が集まっているのではない。
* * *
―――ダンジョンには意思がある。
そう言った学者がいた。
彼曰く、ダンジョンには明確な意思があり、ダンジョンはダンジョン外から生きた生命を集めているのだと。
そして過去数百年遡っても地上で最も栄え、繁栄したのは人であり、だからこそ最も効率良く生命を集めるためにダンジョンは人にとって有用な物を『産みだす』ことで人を集めているのだ、と。
何のために? そう問うた誰かに対して、彼は言った。
まるで生物か何かのように、ダンジョンは人を集め、ダンジョン内部で死亡した人間は
まるで煙のようにふっと消えて、最初からそこには誰もいなかったと言わんばかりに痕跡すら残さず完全に消失する。
それはダンジョンが人間を食ったのだ、と言われている。
何故ダンジョンが人を食うのか、それは分かっていないが。
希少な資源、そして宝箱という不自然な宝物やモンスターのドロップ。
その全てが人を集め、ダンジョン内へ導くために存在しているとされ。
内部へと入った人を確実に仕留めるためにダンジョンにはモンスターが徘徊し、そして。
「トラップが設定されている場合があります」
手元の地図を広げながらフィーアが告げる。
ダンジョンには多くの危険な罠が仕掛けられている。
それは自然を利用した簡単なものから、完全に人工物なものまで様々ではあるが、こういう洞窟などのダンジョンには自然を利用したものが多い。
そしてその最もポピュラーな物が。
「なるほど……アレを使うのか」
「ええ、ちょうど五階層にはそういうものがありますので」
「おあつらえ向きだな、とは言えサイズ大丈夫か?」
ダンジョンの罠は『人間』を殺すための物のため、そこに住み着いているモンスターには効果が無い。というかそもそもそういう場所にはモンスターが寄り付かないし、それ以前に人間よりも遥かに頑丈なモンスターに対しては大半の罠が効果が無い。
ましてあの化け物蜘蛛である、全長十メートル前後の全身が水晶で出来た硬質の肌を持つあの化け物蜘蛛に対して一体どんな罠なら効果があるのか。
「パーティ全体を巻き込むほど大きなものらしいので問題ないでしょう」
心配する自身に水色の髪の少女はあっさりとしたものである。
だが言ってること自体は最もだ。
さらに言うなら物理的な物か否かというのも気になるが、まさか感応式ならフィーアも提案しないだろう。
「なら……やるか」
「全員で行きますか?」
問うたフィーアの言葉に首を振る。もし自分とフィーアだけならばその提案もありだったかもしれないが、今は守らなければならない対象がいる。
視線の先、洞窟の壁に寄りかかって荒く息を吐く少年を見やり、フィーアに目配せする。
こくり、と了承の意を示したフィーアを見て。
「なら、行ってくるか」
呟きながら立ち上がり。
「フィーア、荷物の中から長物取ってくれ」
「分かりました」
ダンジョンに入る前にフィーアに預けた荷物を要求すれば、フィーアが背負っていた鞄に手を突っ込んで、がさごそと漁る。
そうしてすっと抜いた手に持っていた120cmほどの木製の剣をこちらに渡してくる。
「気になってたんですが、これ何に使うんですか?」
言いつつフィーアの視線は俺の腰に刺したもう一本の剣に向けられる。
まあ鉄剣があるのに、わざわざ木剣を要求したのは不自然かもしれないが。
「ま、奥の手、ってやつだよ」
そう呟き、薄っすら笑みを浮かべながら木剣を腰に刺す。
さあ、これで準備は整った。
「じゃ、行ってくるわ」
「はい……どうか御無事で」
祈るようなフィーアの言葉に頷き、走り出した。
* * *
『モンスター』と『魔物』の違いを知っている人間は実はそう多くない。
というか大半の人間にとってそんなことは『どうでもいい』話である。
だがそれでも、モンスターと魔物は別の存在なのだ。
ダンジョンには魔力が満ちている。
ダンジョンコアが地の底から魔力をかき集めて、それを充満させているからだと言われるが、とにかくダンジョンの中では地上よりも強い力が発揮できる。
モンスターとはそんなダンジョンの中で生み出された魔力が『物質化し生命を
モンスターとは厳密には生物ではない。魔力の塊であり、だからこそ倒せば物質化した魔力がドロップ品となる。
では魔物とは、一体何か。
魔物とは『魔力が無ければ存在できない生命』である。
魔力とは『矛盾』だ。
物理的な理に矛盾した力。
魔力自体に肉体を強化する力は無いが、魔力で満ちた体は物理に矛盾しやすくなる。
例えばどう見ても外見的には子供なのに人間離れした剛力を得たり。
足腰が弱ったような老人が自分の身の丈を優に超えるほどの大きな跳躍を見せたり。
吹けば飛ぶような線の細い少女が馬車と衝突して平然としていたり。
そんな物理的に『あり得ない』ようなことを『あり得る』よう矛盾を起こすのが魔力というエネルギーの持つ性質である。
無機物で構成させた蜘蛛が動くなんてあり得ない事態だし、ましてそれが生きているなどもっと異常だ。
つまりそれは魔力によって矛盾を起こした生物だからであり。
『魔力が無ければ存在しえないような生命』を総称して『魔物』と呼ぶ。
と、なればあるはずだ。
あの化け物蜘蛛にも、自分と同じように。
先ほどまでの逃走劇で見ることのできなかった……奥の手が。
―――魔法が。
* * *
実のところ、逃げ切るならともかく、発見されるだけならそう難しい話ではないと思っている。
先ほどまでの逃走劇で気づくが、あの蜘蛛は視覚的か、或いは聴覚的にこちらを知覚している。
かぁん、と鉄製の剣をダンジョンの一角、五階層の広場の壁に叩きつける。
二度、三度とそれを繰り返す。
シンと静まり返った洞窟内ではその音は良く響く。
「さて……これで出てきてくれると良いんだがな」
嗅覚は恐らく無い。あるなら先ほど見つかっているはずだ。
隠れてじっとしていただけでこちらを見失ったとするなら視覚か或いは聴覚か、或いはその両方か。
かぁん、かぁん、かぁん、とさらに何度となくこちらの位置を教えるように壁を打って音を鳴らし。
―――きちっ
歯軋りが聞こえた。
即座に黙し、耳を澄ませる。
そうして。
―――きちきちきちきちきちきちきち
「なっ……」
天井からぶら下がる怪物蜘蛛を見て、絶句する。
一瞬の硬直、けれどもそんな自身の隙を見逃すことなく蜘蛛が降って来る。
「っらぁ!」
キンッ、と咄嗟に抜いた剣で弾きながら後退する。刹那とは言え超硬度の水晶塊とぶつかったことで鉄の剣が歪む。
真っ当に斬るどころか、切り払うことすらそう何度もできない、そんな確信が脳裏を過って。
「来い!」
挑発するように叫びながら走りだす。
後ろから聞こえるガチャガチャと鉱石がぶつかり合うような音から、どうやら蜘蛛が追ってきているらしい。
予定通りだ。
この図式に持ってこれた時点で目的の半分は達成できている。
わざわざ広場で待っていたのは通路で先回りされないためだ。
そして
広場を抜けてすぐさま脇の通路に入る。
枝分かれした道を右に左に曲がりながら走るその後ろをダンジョンの壁を破壊しながら蜘蛛が追う。
そして事前にフィーアから聞いていた地点へとやって来ると同時に足を止めて。
「せえ―――のっ!」
跳躍。
全身に魔力を駆け巡らせ
6,7メートルの距離を跳躍し、着地する。着地の衝撃もまた魔力で減衰させつつ、振り返ったその先に。
迫りくる化け物蜘蛛が床を踏み抜いて体が半分落ちかけていた。
ダンジョントラップで最もポピュラーな物の一つ。
『落とし罠』である。
ただしここまで巨大な物は珍しい。
フィーアによれば六階層のモンスターハウス*1に落とされる類の罠らしい。
五階層から六階層まで15メートル以上の高さがあるのであの化け物蜘蛛でも落ちれば簡単には上がってこれない。
「よしっ!」
やった、と思わず拳を握りしめて。
がちん、と鉱石がぶつかる音。
まさか、そんな内心を押し殺して視線をやれば。
「て……めえ」
蜘蛛の水晶でできた前足が落とし罠の
自重で落ちそうになりながら、それでもその足の先の鋭い鉤爪で縁をしっかりと掴む。
「落ちろぉぉぉ!」
鉄剣を振り上げ、縁を掴む脚に向けて叩きつけるようにして振り下ろし。
がきぃぃぃぃぃん
目を見開き、さらにもう一本の足がゆっくりと縁へと伸びるを見て。
「マジで……持ってこなかったら、詰んでたな」
折れた鉄剣をぽい、と捨てて腰からもう一本の……木剣を抜く。
―――きち、きちきち、きち、ぎち
蜘蛛が歯を鳴らす。
まるでそれはどうにかこうにか踏ん張っているようでもあって。
「うるせえ、落ちろ」
振り上げた木刀を。
『
振り抜いた。
* * *
この世界は魔力に満ちている。
ダンジョン内は特にそれが濃いが、地上でもまた魔力は存在する。
それは大気中に、石や木々などの自然の中にも、流れる川の水にも、広がる海にも、そこに生きる生命にもだ。
魔力は『物理を矛盾させる力』だ。
魔力が濃ければ濃いほどに物理的法則から逸脱する傾向にある。
物理的に『あり得ない』ような現象を可能にするのが魔力であるが。
それは魔力自体の性質であって『使い道』ではない。
魔力は加工することで『もう一つの世界法則』へと変化する。
物理的法則を総称した『第一法則』と並べて。
非物理的法則の総称『第二法則』。
または『魔導法則』。
略して『魔法』である。
上に投げた物は下に落ちる。
この世界に重力というものがある以上、それは当然の話だ。
だが魔力に満たされた物質というのは上に投げても中々落ちてこない。
重力という物理の枷に魔力が矛盾を起こすが故に上に投げた物が下に落ちるという当然が当然でなくなるのだ。
とは言え、当然ながら世界一つを司る法則と世界を構成する要素の一つ程度が釣り合うはずも無いため最終的にどれだけ魔力を込めようと上に投げた物は下に落ちてくる。
だが魔法は違う。
魔導法則の名の通り、それは文字通り『法則』なのだ。
魔法は一つの理であり、第一法則は第二法則の上に来る。
つまりあらゆる物理的現象を非物理的現象で塗り替えるのが魔法の本質である。
とは言えどんな法則でも好きにできるわけでは無い。
魔法は先も言ったように『法則』である。
故に融通は利かない。使える人間は文字通り『呼吸するように』使えるし、使えない人間はどれだけ頑張っても使えない。
とは言え、誰しも何がしかの魔法には適応しているものだ。
それは魔法がこの世界を形作るれっきとした法則であり、自分たちはこの世界に適応して生きるれっきとした生命だからだ。
何の魔法にも適応しないというのはあり得ない、だってそんなものはこの世界の住人ではないと言っているようなものだから。
それこそ
* * *
蜘蛛が落ちると同時に再び塞がって行く穴を見やりながら、嘆息する。
これでどうにか生き延びることができそうだ、と考えながら歩いて広場まで戻る。
「フィーア、終わったぞ」
広場で叫べば音は反響し、少年を連れてどこかに隠れてしまったフィーアに届く。
少し待つとこつこつと足音、そちらへ視線をやればフィーアととぼとぼとそれについてくる少年の姿。
「首尾は?」
「問題無い。確かに落ちたし、穴も塞がった」
「そうですか」
まあ第六階層に誰かいたら……ご愁傷様ではあるが。
だからと言ってあれに追われながら逃げるなんて不可能だし、隠れきれるとも思っていない。
「……ルー、剣は?」
行くときは持っていた鉄と木の剣の
「使った……もう無い」
詳しくは言うつもりも無いのでそれだけ答えると、そうですかとあっさりとした返事が返って来た。
そうして少し耳を澄ませるが、シンと静まり返った洞窟内はもうこれ以上は何も無さそうだと思わせる。
広場の先、四階層へと続く階段を見やり。
「帰るか、警戒はしながら、だけどな」
「了解です」
フィーアが頷き、少年がこくりと首を振った。
嘆息一つ。
「腹減ったな」
安全を確保した途端、そんなことを思い出した。