春。西行寺家の庭園には、今年も相変わらず、美しい桜が咲き誇っていた。
「着替えは済んだかしら?優」
「ええ、義姉様。でも、まだやる事が一つ残っているの」
ここは、屋敷のとある一室。綺麗に整頓された部屋で、屏風を隔てて二人の高貴な女性が言葉を交わしていた。優は、立派な着物の袖に腕を通すのに長い髪のせいで悪戦苦闘しているようだった。
「わかったわ。では、終わり次第隣の部屋に来て頂戴。私は先にいって待っているわね」
「わかりましたわ。」
義姉の足音が遠ざかっていくのを聴きながら、優は不安と緊張が増すのを感じていた。
今日は、彼女が大人になる日。
即ち、正式に西行寺家の新たな当主が誕生する日なのである。
彼女はその身に着けた、母の形見である豪勢な衣装を眺め、長く伸ばした自慢の髪を見つめて、少しでも重い気分を抑えようとしたが、どうにも上手くいかなかった。
「寂しいわ……父様、母様」
そう呟いて、彼女はまだ煙が上がっているお線香の上にある、父母と彼女の兄の遺影を見つめ、手を合わせた。彼女の兄は当時15歳で、部屋に1日こもりっきりだったかと思えば、次の日は殆ど家にいない事があったりなど、自由気ままな人間だった為に、当時2歳だった彼女と会うことは滅多に無かった。幼児だったことも相まって、彼女は殆ど、自分の兄の事を覚えていなかった。
「私が兄様達、皆の分まできっちり生きますから。まだまだ未熟者ですが、見守っていて下さい」
「ユウ様。私のご主人様が貴方のことをお呼びです。」
部屋の外から、彼女を呼ぶ声がした。優は、自分が思っていたより考えにふけっていたので、義姉が待ちくたびれたであろう事を悟った。
「今行くって返事して頂戴」
そう言って、彼女は
「さようなら…」
優が隣の部屋に来ると、義姉は彼女に、縁側に座るよう促した。彼女が縁側に座ると、義姉は清潔な紙に包んだ小刀を取り出して、一筋、二筋と彼女の髪を切り始めた。
「…………」
ぱさり、ぱさりと髪の毛が離れていく音が聞こえても、優は泣かなかった。彼女は十五なりに、それは退治屋として生きていく為に必要な事だと理解していたのだ。
髪を切り終わってショートヘアーになった彼女は、見違える程に別人になった。以前のおしとやかな少女はもういない。いるのは、新しい「退治屋」だった。
義姉は優の正面に向き直った。
「よし。今日から貴女を、帝の名において、その代理として退治屋の任を命ずる」
優は跪いた。ちらりと、庭にそびえる一本桜を見る。父はあの下で戦って、そして埋められた。私も父のように、強くなる事ができるだろうか。
「謹んでお受けいたします」
僅かな間のあと、義姉はため息をついて彼女に立つよう促した。
「ふぅ……さあて、儀式はこれで終わりよ。まず、貴女に渡さなきゃいけないものがいくつかあるわ。」
彼女はそう言って、3枚ほどの御札とひとふりの薙刀を持ってきた。
「この御札は、一時的に妖怪の力を完全に無力化する代物よ。ただし、弱らせないと効果は薄いわ。」
そこで、と一息ついて、薙刀を彼女に渡す。
「これが必要になるわ。刀でも良かったけれど……なんというか、貴方には薙刀が似合うような気がするから」
そう言って義姉はちょっと笑ってみせた。
「ありがとうございます、義姉様」
「もう貴女は大人よ。私を呼ぶときに様は要らない。名前にして頂戴」
優は頷いて、そっと笑った。
「わかったわ、
その日の夜。早速優は、初仕事をするために都の外れにある小さな原っぱに向かっていた。初の依頼は紫からであり、夜な夜な通りかかった人を驚かせる化け猫を封じて連れてきてほしいというものだった。
「そうそう、御札が足りなくなったら、調達して来てあげるから私に言いなさい」
彼女はそう言って、さっさと奥の部屋に寝にいってしまったのだ。ちょっぴり無責任だと感じた優であったが、紫の「化け猫は決して強い妖怪ではなく、むしろ低級の部類に入るから、妖怪退治初心者の貴女でも十分倒せる」という言葉を信頼していたので、自分一人で行くことに異義は無かった。
野原が見渡せる大木の裏で、しばらく待機していると、音もなく小さな猫が歩いてくるのが見えた。優はその猫こそが件の化け猫であると確信し、大木の裏から出ていった。
「止まりなさい」
猫は歩き続けた。
「そこの猫!」
流石に名指しすると、猫は彼女の方を振り向いた。そして、にゃあにゃあと鳴いた。
「振り向いた時点で誤魔化せてないわ、化け猫さん」
そう言うと、その猫の表情(?)が驚きに変わる。不思議そうな顔をして、自分の体を眺め回した。
「何故わかったのか知りたいの?」
じっと優を見つめた。
「その尻尾、二つに割れてるわよ」
猫は、しまった、という顔になると、突然めりめりと骨格が変化し、2倍の大きさに化けた。口にも、鋭い対になった牙が現れた。
「ふぅぅぅ…………あんた、いいどきょうしてるわねー」
そして、その化け猫は人の言葉を操った。
「ふうん、人の言葉を話す猫なんて、初めて見たわ」
そいつはそれを聞いて、うんうんと首を振って喜んだ。褒めると図に乗るタイプの様だった。
「にゃはは、あたしぐらいつよいようかいなら、ひとごなんてらくしょーよ!」
「あら、紫さんからは低級の妖怪だって聞いてたけど」
何気なく言ったその言葉に、化け猫は両耳をピンとたてて、ギロリと優を睨んだ。
「いま、ゆかりっていったよな?おまえ、もしかしなくともゆかりのてさきだな?そうにちがいない!」
「へ?」
「ちょうどいい!くやしかったところだから、こてんぱんにつぶしてやるよっ!」
そう言って、その猫は構えて飛びかかってきた。
あまりに突然な攻撃にだったので、優は真正面からもろに攻撃を受けふっ飛ばされた。地面に倒れこんだが、草が生えていたのでそれがクッションとなって怪我はしなかった。
「ゆかり……あいつはゆるさない!」
どうやら化け猫は、何故か紫の事を知っているようだった。優は慌てて、紫から貰った薙刀を拾い構えた。尚、彼女が得物を握るのは、これが初めてである。
「そんなぼうきれで、あたいのつめにかなうとおもってんのか〜?」
化け猫は馬鹿にしたようにその「薙刀」を見て、再度直線的に飛びかかってきた。
優も取り敢えず力を込めて薙刀を突き出した。思ったより速度がついた一撃は、完全に猫の腕を捉えた……はずだった。
「だからいってんだろ、そんな『ぼうきれ』じゃむだだって」
その猫は、鈍く光る刃を両手で受け止めた。
「そんな!?」
何故刺さらないのか、と刃をよく見るが、この道素人の優にはよくわからない。化け猫はふっ、とため息をついた。
「それ……にせものだよ」
そう言われて、確かに優も気づいた。薙刀の刃が、全く砥がれていないのだ。優はとても驚いた。
「紫さん…………なんてものを渡してくれてるのよ!模造品で妖怪と戦うなんて、聞いたこともないわッ!」
猫は一瞬憐れむような目になってから、最後の止めとばかりに両腕を広げ、爪を剥き出しにした。
「ちょっぴりかわいそうだが、ゆかりにはようしゃしない!くらえッ!!」
「こ、殺される!こんなところでッ!イヤだ!なんとか受け止めなくては!」
優は薙刀を掴み、水平に前方に突き出した。がちりと爪と木が噛み合う音がして、恐ろしい腕の動きが止まる。
「このっ、このきごとへしおってやる!」
低級と云えども流石は妖怪、人間離れしたパワーでじりじりと力をかけた。優には何もできず、ただずるずると力負けするだけだった。今にも薙刀が折れそうにたわみ、絶対絶命、と優が目を瞑ったその瞬間、それにかかっていた力がぱたりと消えた。
「え?」
猫の方を見ると、もう優には興味がないといった様子で、一匹の「蝶」に見惚れていた。
「あ、きれい……つかまえたい!」
その蝶はついぞ見たことの無いような美しさで、平原を優雅に舞っていた。その様子は、決して宿り木や止まれる花を探している訳ではなさそうだった。ただ、まるで
優にはなんだかわからなかったが、チャンスを与えてくれた神仏に感謝し、すかさず思いっきり猫の頭に薙刀を打ち下ろした。猫はふにゃあという悲鳴をあげて気絶し、元の大きさに戻った。優は安堵のため息をついて、ぺたりと封の御札を貼った。ぼやりと細い何本もの鎖が一瞬見えて、消えた。
美しい蝶はふらふらと旋回したあと、ゆっくり近づいてきてなんと消えてしまった。
優は、取り敢えず小さくなった化け猫を袋に入れ、屋敷に帰ることにした。
邸に戻ってくると、紫は袋の中身を見て、にっと笑った。
「これで貴女も立派な退治屋ね」
優は、初めて妖怪を退治したという喜びより、色々な疑問で頭の中が一杯だった。
「紫さん、いくつか質問いいかしら?」
紫がどうぞ何なりと、という顔をすると、優はマシンガンのように質問を連発した。
「何故この猫は紫さんの事を恨んでいたのですか?それと!なんで紫さんは私にあんななまくらを渡したのですか!?後、あの蝶はなんなのですか?」
紫はありゃ、バレたかという顔をした。
「実はね、先日、貴女の一番初めの仕事に相応しい妖怪はいないかなーって考えてた時に、丁度この猫に出会って。試しに戦ってみたら、ちょっとのしちゃったから、それで恨まれたんだと思う……」
「そんな事でしたか……」
化け猫に心底同情していると、紫は驚くべき事を口に出した。
「実はね、私の得物も模造刀なのよ。妖怪はできるだけ傷つけたくないのよね」
優は、この人は模造刀で化け猫をこてんぱんにしたのかと思い、紫の強さに絶句した。
「紫さんって強いんですね……」
「私、文武両道ですから。それでも、貴女には敵わないと思うわ」
優は、まさか冗談を言っているのだろうと思い、紫を見たが、彼女の眼は本気のようだった。
「そうだ。もう一つ、蝶が何とかとか言ってたわね。そいつの特徴を詳しく教えてくれるかしら?」
「ええ。余り詳しくは見ていないのですが、とても綺麗な蝶でした。それこそ見たことが無いような感じです。化け猫は、その蝶に気を取られていました。」
紫はふむと頷いた。
「うーむ、新手の妖怪かもしれないわね。貴女も見かけたら、十分気をつけてね。」
優がわかったわと頷くと、紫はぱんと手を叩いた。
「まあ、何にせよ初仕事お疲れ様。次からは恐らく私も出向くから、安心していいわよ。取り敢えず、今日はこれにてお開きにしましょうか。化け猫は私が預かっとくわ」
こうして、優の退治屋生活が幕を開けたのであった。
〈続く〉