清霜の戦艦代理日記   作:すたりむ

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番外:優しい雨

「…………」

 今朝の天気予報の通りの曇り空。

 いまにも雨が降りそうなそれを、暁は、公園のベンチに座りながら、ぼんやりと眺めていた。

(もう。……最悪だわ)

 ぽつん、と雨が顔に当たる。

 きっかけはささいなことだった。

 いつものこと、と言ってもいい。

 相手からすれば、ささいなからかいだったってことは、わかってる。

 わかってるつもりだ。

 だけど、暁には許せなかった。

 気がつけば、雨の勢いはだいぶ強くなってきている。

 このままだと風邪ひくかな、と他人ごとみたいに考えたとき、上から影が差した。

「そこにいると濡れるよ?」

「……べつに、濡れてもいいもん」

「風邪ひいちゃうよ」

「ひいてもいいもん」

「よくないよ。ほら、立って」

 言って、そのひとは――暁に向けて差しかけていた傘をいったん肩で固定して、暁の腕を引っ張り上げた。

「ダメだよ。親御さんが心配するよ、こんなことしてたら」

「……心配なんて、してるに決まってるじゃない」

 暁は言った。

「だってわたしは、艦娘なんだから」

 言うと、相手は首をかしげた。

「艦娘?」

「そうよ」

 艦娘。

 近年現れた深海棲艦に対抗すべく作られた、人類の切り札。

 なんでもイタコがどうとかヴァルキリーがなんだとか、小難しい理屈があるらしかったが、暁はよく知らない。

 わかっているのは、暁自身がその、当の艦娘であるということ。

 そして……

「驚いた……」

 と、そのひとは言った。

 珍しいリアクションだったので、暁は首をかしげた。

「驚いた? なにが?」

「いや。……いくらここが横須賀だと言っても、そう簡単に会えるものじゃないでしょ。艦娘は」

「どうせ、こんなちびっこが艦娘なんて、とか思ったんじゃないの?」

 いじけた声で暁は言ったが、

「まさか。そんなわけがないじゃないか」

 即座に、そのひとは否定した。

「なんで?」

「だって、艦娘ってことは、最低でも中学二年か三年生なんじゃないの?」

「…………」

 その通り。

 艦娘になるための訓練は艦種ごとに違うが、最低限度である駆逐艦でも、予備訓練を二年、正式訓練を一年は積まないといけない。

 そして正式訓練を受けられる場所である艦娘学校は法令上中学扱いなので、小学校を卒業しないと入学できない。だから、艦娘と言える最低限度は、学年で言うなら、中学二年生だ。

 暁は正式に艦娘になってほぼ一年になる。つまり、もうそろそろ中学三年生なのだ。

 ……たとえ、三年生どころか、中学生にすら見られたことがないほど外見が幼くても。

「なんで信じるの?」

「え?」

「わたしが艦娘だって。一度も信じてもらえたこと、ないのに」

 言うと、そのひとは照れくさそうに笑って、

「ああ、そっか。嘘かもしれなかったんだ」

「…………」

 その発想はなかった、とばかりに言い切ったそのひとに、暁は絶句した。

 いまどき、いるんだ。こんな素直なひと。

「そ、それにしても、艦娘の年齢制限なんてよく知ってるわね。その手のマニアのひとなのかしら?」

 とりあえず話題を変えようとそう言った暁だったが、返ってきた答えは意外なもの。

「いや。僕も艦娘だからね」

 きょとん、と暁は相手を見返した。

 そのひとは。

 よくよく見れば、とても端正な顔をしていた――思わず見とれてしまうくらい、りりしい顔。

 背も暁よりは高い。全体的に雰囲気が落ち着いていて、大人の雰囲気を感じさせる。ぴんと背筋が立っていて、ストレートに長いきれいな黒髪で、ボーイッシュな私服がとても様になって――

 いやいやいや、本題はそこじゃなくて。

「艦娘?」

「うん」

「え、でも、男のひと……」

「あはは。……やっぱ、そう見えちゃうんだ」

 彼は――じゃない、彼女は、苦笑した。

「スカート履いてるときはそれでも、めったに誤解されないんだけどね。やっぱり私服もパンツ系はやめたほうがいいのかな?」

「あ、い、いや。それはそれで似合ってると思う、わ……」

 声が消え入ってしまう。

 あまりに予想外すぎて、目を白黒させている暁に、彼――じゃなかった、彼女はにっこり笑いかけ、

「とりあえず、場所を移動しない?

 いい店を知ってるんだ。案内するよ」

 と、言った。

 

 

「まずは自己紹介をしようか。僕は駆逐艦の時雨。よろしくね」

「暁よ」

 お互いに自分の名を明かす。

 この名前は、本名である。というか、本名になる。

 艦娘学校で艤装適性から艦が選ばれた時点で、戸籍上まで含めて名前が変えられてしまうのだ。それは、退役するまで変わらない。

 またこれもイタコだの呪術適応だのというよくわからない解説を聞いた覚えがあるのだが、暁はよく覚えていない。べつにどうでもいいと思っている。

 自分の艦の名前が気に入らないわけでもないのだし。

「よく来た。ゆっくりして行くといいわ」

 ことん、と水が置かれる。

 食事処「鳳翔」という店のその名前に似合わず、メニューには喫茶店的なお菓子や飲み物がけっこうあった。

「どういう店なのかしら、ここ」

「艦娘の研究所がやってる店らしいよ。

 普通のひとも来るけど、基本は艦娘が使うし艦娘が運営するんだって」

「へえ……ってことは、いまのウェイトレスさんも艦娘なの?」

 暁が言うと、ウェイトレス自身が答えた。

「いえ。まだ艦娘学校にも上がってないわ。いちおう適性試験は受けたので、なる艦は決まってるけれど」

「そうなんだー。どの艦?」

「早霜……」

「そっか、決まったんだね。おめでとう」

 時雨が言った。

「で、いつものでいいから」

「わかった。……ごゆっくり」

 彼女は小さく言って、頭を下げて奥に引っ込んでいった。

「ほかにこういうところってあるの?」

「ちょっと遠くには、間宮って店があるね。そっちは昼間限定で、大人の艦娘にもお酒は出さないみたいだよ」

 暁の言葉に、時雨が答える。

 外の通りは、相変わらずの雨。

 屋内にいると、雨音がやけにやさしく聞こえる。

「……あの、さ」

「なに?」

「なにも聞かないの?」

 暁が言うと、時雨は笑った。

「言いたいことがあれば言うといい。言いたくないなら、僕は、聞かない」

「…………」

 しばらく、沈黙が落ちた。

 だけど、黙ってるのもなにか、気まずくて。

「……今日は、お花見に行くはずだったの」

「ああ、もうそんな時期だよね」

「昨日までは天気予報、晴れだったのに」

「春の天気は気分屋だからね」

「……わたしのせいだって言われたの」

 こくん、と時雨が首をかしげた。

「なんで?」

「雨女だからって。この前もそうだったって」

「そうなんだ」

「……それで頭にきて。飛び出してきちゃった」

 暁は言った。

 時雨は困ったような顔で、笑みを浮かべている。

 いらいらした暁は、

「わかってるわよっ。子供っぽいってことは。でも……!」

「ああ、いや、違うんだ。ちょっと、リアクションに困って」

「リアクションってなによ?」

「いや。僕も『雨』だからね」

「あ……」

 言われてみれば。

 時『雨』は、にっこりと笑った。

「とすれば、僕が君に声をかけたのは、そういうことだったのかな?」

「…………」

 暁はぶすっとした顔で、相手をにらみつけた。

 そんな言い方は、卑怯じゃないか。

 そんな言い方されたら、雨女じゃないって言い張ることもできない。

「まあ、気持ちはわかるよ」

 そんな暁の心を知ってか知らずか。

 時雨は、そんなことを言った。

「なにが?」

「いや。僕も、よく『男の子みたい』ってからかわれるからね。そう言われるのは、実を言うとあんまり、好きじゃない」

「…………」

 思いっきり言ってしまった暁としては、返す言葉がない。

「嫌だから髪、伸ばしたんだけどなあ。それでもなんか、男の子に見えちゃうみたいなんだ」

「……ごめんなさい」

「いいんだよ。知らないひとから言われるのは、しょうがない」

 時雨はそう言って、笑った。

「だけど本当に頭にくるときってのもたまにはあって――それは要するに、親しい友達に言われたときだ」

「…………」

「心当たりはない?」

「……ある、かな」

 たしかに。

 暁だって、今回、からかった人間がそこらへんの誰かだったら、ここまで怒らなかった気がする。

 相手が響だったから――唯一無二の親友に言われたから、激怒したのだ。

「たぶんね、相手に対する期待があるんだよ」

「期待?」

「僕らは艦娘だから、親元からは離されちゃうけどさ。……反抗期ってのがあるとしたら、そういう感じなんじゃないかなって」

「…………」

「要は、親しいから問題なんだ。親しいから、自分の気持ちはわかってもらえると、無条件に思い込んでしまう。だから嫌なことを言われたとき、わかってもらえなかったとき、すれ違ったとき――裏切られたって思って、抑えが利かなくなって、爆発しちゃうんだ」

「……わかる」

「どんなに親しくたって、結局、最終的には他人なのにね。――そういう覚悟が、足りないんだろうね。僕たちには」

「……甘え、なのかなあ」

「かもしれないね」

 言った時雨と暁の前に、ことん、と白玉あんみつが置かれる。

「そしてこれは甘い……ふふ、ふふふ」

「……前々から思ってたけど、君はそのへんな笑い自重したほうがいいよ。けっこう怖い」

「あらそう。……では、ごゆっくり」

 早霜はそう言って、また奥に引っ込んでいった。

「あの子、妖精さん見えるんだって」

「へええ……言われてみれば、そういう雰囲気あるわね」

「まあ、それだけ才能があるから、あの年でここで働かせてもらえてるんだけどね」

「……そういえば、まだぎりぎり小学生のはずよね、さっきの話だと」

「艦娘関係の労働ってあいまいだよねえ。法律どうなってるのかな」

 時雨はそう言って、白玉あんみつをぱくり。

 暁はそれより、相手の外見が自分よりずっと大人びていることのほうが気になったのだが、それは言わないことにしておく。

「でもこれからがたいへんだよ。艤装適性が出て、名前もらったってことは、これから親元を離れることになる。

 精神的にも訓練的にも、こっから先がきついところだよ」

「……まあ、そうね」

 暁はうなずいた。

 自分だって、最初のうちはけっこうきつかった。

 艦娘は人であり、兵器である。つまり、半分だけ、人をあきらめなければならない。

 退役するまでの間、暁は『暁』になる。それまでの姓名を捨て、家族を捨て、特III型駆逐艦、一番艦『暁』の化身として、戦うことを余儀なくされる。

 ……まあ、「余儀なくされる」と言っても、雇用契約にない戦いはしなくていいのだけれど。

 憲法関係で揉めて、それまで自衛隊所属だった艦娘の扱いが民営化してからは、そのへんはかなりゆるくなった。

 それでも。やはり自身が「兵器」であるというのは、心の負担である。たいていの艦娘は、長い間それに耐えることはできないので、十年もしないうちに、退役して普通の暮らしに戻る。

 もちろん、それより前、学校でつぶれてしまって、どうにもならなくて就役すらできない艦娘も多い。

 いくら政府からの手厚い援助があるからといって、艦娘というのはやっぱり、ハードな仕事なのだ。

「でもまあ、慣れるでしょ。わたしだってまだ一年だけど、もうずいぶん慣れたし」

 暁が言うと、時雨はため息をついた。

「どちらかというと、僕が問題かな……」

「?」

「まだ、慣れてないんだ」

「そうなの?」

 意外だった。

 この、ゆったりとした大人の雰囲気の時雨が、そんなところでつまづいているというのは、ちょっと信じられない。

 だが時雨はゆっくりと首を横に振った。

「負い目があるんだよ……少し、ね」

「負い目?」

「そう。

 ――君は、艤装を手なずけるのにどれくらいかかった?」

「三ヶ月くらいかしらね。最初のうちは、まともに水面にも立てなかったわ」

「そっか……」

「時雨は?」

「一ヶ月だった」

「すごいじゃないの! 才能あるってことよ、それ」

 暁は言った。

 艤装適性が計られて、艦が割り振られて、それからの訓練は……その艦になりきる、というのが主眼となる。

 つまり、暁が駆逐艦『暁』となるための訓練。

 暁は、自分はだいたい平均値だと思っていた。同期だと、不知火がものすごく苦戦していたのを覚えている。半年くらいかかってようやくノルマを達成した頃には、辛かったせいだろう。性格まで少々きつめな感じに変わってしまった。

 時雨の一ヶ月というのは、破格とまではいかないが、平均よりずっと早い。

 だが、時雨は笑って、

「ずるしたからね。しょうがないよ」

「……? ずる?」

「最初の数日は、調子がよかった。でもあるとき急に、逆流が起こったんだ」

 時雨の言葉に、暁ははっとした。

 艤装適性が高すぎる人間にときどき起こること――艦と、その乗員の記憶が、自分の記憶にフィードバックされる現象。

「それで、どうしたの?」

「艤装に触ることが、できなくなった。

 あれはたぶん、スリガオ海峡の戦いじゃないかな。ひどい光景だった……戦艦も随伴艦も、まるで射的の的みたいにバラバラにされて、粉々になった乗員と一緒に海に沈んでいった」

「……それは、トラウマになるわね」

 聞いただけで、暁は白玉を探る手を止めてしまった。

 だが、時雨は、ふう、とため息をついて、

「違うんだ。人が死ぬ光景は、べつにトラウマにはならなかった」

「え、そうなの?」

「まあ、死んだって言っても昔のひとだからね。映画を見てる気分っていうのかな……それ自体は、僕は、まあ、気分悪くはなったけど、耐えられた。

 ――耐えられなかったのはその後だ。旗艦の山城が爆発して見えなくなった後のことだよ」

「…………?」

「駆逐艦『時雨』はね」

 時雨は言った。

「スリガオ海峡の戦いで、唯一、生き残ったんだ――それも、武勲を挙げたとか、そういう状況じゃない。単に、無力な駆逐艦が、最後尾にたまたまいて、比較的早く反転できたから生き残った。

 要は、味方を見捨てて逃げたのさ」

「違うわよ!」

 暁は思わず、即座に叫んでしまっていた。

「そんな状況で逃げるのを見捨てるなんて言わないでしょ! ちゃんと戦って、勝ち目がなくなるまで戦って、それから反転したなら、それは見捨てたなんて言わない!」

「……たぶん、それは正論なんだろうね」

「だったら!」

「でも正論じゃダメなんだよ。……僕は、ダメになった。自分に、駆逐艦『時雨』に、自信が持てなくなった。それは理屈じゃない。感性の問題だ」

 ぐっ、と、暁は沈黙した。

 時雨だって、理性ではわかっているのだろう。

 でも、感性が理性を否定したとき――人間は、なにもできないのだ。

「……それで。どうなったの?」

「訓練にも参加せずに引きこもってた僕のところに、ある日、同期の子がやってきたんだ」

「誰?」

「満潮」

 暁はその艦を知っている。

 ……とは言うものの、スリガオ海峡の戦いは『暁』が沈んだだいぶ後の海戦なので、艦としての記憶は持っていない。知識として、満潮という駆逐艦が、スリガオの戦いで沈んだことを知っているだけだ。

 だが、時雨にとってどういう相手だったかは、想像できる。

「……で、どうなったの?」

「ごめんなさいって言ったよ」

「相手は?」

「ぐーでぶん殴ってきた」

「……過激ね」

「あれは痛かったな」

 時雨は懐かしそうに言った。

「『あんたの勝手な思い込みで過去の『時雨』を侮辱してんじゃないわよ馬鹿!』って。あはは、すごい怖かった」

「なんていうか……すごい喝ね」

 暁の言った、ごく普通の正論とは違う。感性に対してべつの感性をぶつける、荒療治だ。

「それでさんざん説教した後で、『あんたの艤装ちょっと貸しなさい』って言われて」

「どうなったの?」

「翌日には返ってきたよ。満潮いわく、『説得しといたから、もう逆流は起きない』って」

「せ……説得?」

「うん」

「そんなことできるの?」

「ちょっとした天才だったからねえ、満潮は」

 時雨は言った。

「だから僕は、それ以来あの光景には悩まされなくなった。……現金なものでね。あの光景を二度と見ないって思ったら、それで気が楽になってね。過去は過去、いまはいまだと割り切れるようになった。あとはあっという間に訓練が終わったかな」

「そうなんだ……」

「……でも僕はそれで、べつの負い目を背負っちゃった」

 時雨は言って、最後の白玉をすくい取って口に運んだ。

「つまり、僕が艤装を手なずけられたのは、手伝ってもらったからなんだ。そしてその効果がいつまで続くかにも自信がない。また、あの逆流化が発生したら――」

 ため息をついて、

「僕は、今度こそ、耐えられないかもしれない。それが怖くて――怖くて、いまでも怖くて、逃げ出したくなる」

 暁はあんみつについていたフルーツを口に放り込みながら、

(さて……どうしたものかしらね)

 べつに相手が、暁に意見を求めているとか、救いを求めているとかではないというのは、なんとなくわかる。

 要は、愚痴だ。自分に自信が持てないっていう、ごくありきたりな、普通の愚痴。

 そうだねたいへんだね、で済ませてもよかったのだが――不思議といまの暁は、そういう気にはなれなかった。

 正論を封じ込められて、多少しゃくに障った、というのも、まあ、ないわけではない。

 だから。

「いいじゃない。逃げちゃえば」

 と。

 正論を放り捨てて、暴論を吐いた。

「え?」

 時雨が目を白黒させる。

「あのね」

 暁は言った。

「艦娘ってなんだと思う?」

「なんだって、それは、過去の戦争で沈んだ英霊の力を使って戦う、深海棲艦に対抗するための兵器で――」

「違うわよ」

「…………」

「艦娘ってのは、レディなのよ」

 と、暁は言った。

「レディ……?」

「一人前の女性ってことよ」

「いや。意味はわかるけど」

「艦娘が、怪獣と戦う正義の味方だったら、逃げるわけにはいかないかもしれないけど。

 実際には違うでしょう? わたしもあなたも、将来の進路をいろいろ悩んで、いいと思った道を選んで艦娘になった。

 だからこそ、お給料もらって働くわけじゃない」

 正義の味方ならただ働きでも働くし、逃げることは許されないかもしれない。

 でも艦娘は、そういうのではないのだ。

「だから、無理だったら逃げちゃえばいいのよ。それだってひとつの選択でしょう?」

「……でも、それをしたら、残りのひとたちが困る。

 助けられたひとたちが死んでしまうかもしれない。それどころか同僚を危険にさらしてしまうかもしれない。そうなったら――」

「あはは、ないない」

 ごくごく気楽に。

 暁は、時雨の言葉を否定した。

「その状況じゃ絶対逃げないわよ、あなた」

「なにを根拠に――」

「だって、逃げたのが嫌だったんでしょう?」

 あっさり言った暁の言葉に、時雨はきょとん、とした。

「ひとりだけ逃げた、ってその言葉が正当かどうかはともかくとして。

 そういうのが嫌だったんでしょう? 恥だと思ったんでしょう? 二度とひとりで逃げたくないと思ったんでしょう?

 だったら――『時雨』がどうかなんて、関係ない。いまのあなたは逃げない。逆流が起ころうと、なにが起ころうと、自分が戦うことで誰かを救える状況では、あなたはぜったい逃げないわ」

 断言する。

 そのくらい、見ていればわかる。

 この時雨という少年のような少女は、そういう子なのだと。

「逆に言うと、あなたが逃げようって発想が出るときは、逃げてもかまわないときだけ。

 だから逃げてもいいんじゃないの?」

「…………」

 時雨は、しばし沈黙してから、

「そう……なのかな」

 と、自信なさげにつぶやいた。

 ……よしっ。

 年こそこちらより高いとはいえ、女子的にはこちらが手慣れていると見た。

 ここは、すこしレディの先達として、ちゃんと指導してあげないといけないだろう。

 暁はそう考え、

「じゃ、ちょっとおまじないをかけてあげるわ」

「おまじない?」

 暁は椅子を立ち上がって時雨の隣に座り直し、

「はい、目をつぶって」

「……ええ?」

「ほら。いいから」

 ずい、と顔を近づけた暁に、時雨は気圧されてか、目をつぶる。

 …………

「あの……なにやって」

「まだ目を開けちゃだめよ?」

「……はい」

 しばし、そうした後。

「よし、できたっ」

「……?」

 不思議そうに目を開けた、時雨は。

「あ……」

 自分の髪が、三つ編みにされているのを発見した。

「男の子に間違われたくないって言ったでしょ? 髪を伸ばすのは正解だけど、足りてないのよ。ちゃんと女の子っぽい髪型しないと」

「えと……その、でもこれ、似合ってるかな……」

「もちろんよ。レディを信じなさい」

「…………」

 時雨は困ったような顔で笑った。

「雨。やまないね」

「あー。そうね」

 雨音はさっきと変わらず。

 どこか優しげなその音は、まわりの雑音を遮断して、かえっていつもより静かに思える。

「そっか……」

「うん?」

「雨女だって話、あったじゃない」

「……まあ、あったわね」

「君はいやがるかもしれないけれど――」

 時雨はそう言って、

「優しい君が降らせた雨だから、こんなに優しい雨なのかもしれない。……だとすれば僕は、この雨、好きだな」

「…………」

 暁の顔が赤くなった。

「もう……そういうことをさらっと言うから、男の子みたいとか言われるのよ?」

「三つ編みがあれば大丈夫だよ」

 時雨はそう言って笑い、

「送っていくよ。傘、ないでしょ?」

 と言った。

 

 

「へえ、ここが君の所属する鎮守府か」

 帰る頃には、雨はだいぶおとなしくなっていた。

 ちなみに鎮守府というのは――なんのことはない。政府から艦娘を任されている企業の俗称である。組織の長は提督と呼ばれたり司令官と呼ばれたりしているが、要は、いわゆるPMCの一種だ。

 横須賀にはこの鎮守府、とても多い。だから時雨も、違う鎮守府の所属なのだろう。

「じゃあ、また会う日まで、かな」

「そうね。また、会いましょう?」

 言って暁は、握手のつもりで手を差し出した。

 が、時雨はナチュラルにうやうやしくその手を取ると、手の甲に軽くキス。

(~~~~!?)

「さようなら、雨に愛されたお姫様――また今度、お会いしましょう」

 ささやくように言って、背を向けて去って行った。

 それを呆然と見送った暁は、

(だから、そういうことをナチュラルにやるから、男の子って思われるんだってば……というか)

 なんというか――おとぎばなしの、王子様みたいだった。

 

 

 翌日。

「というわけで、すっごくかっこいいひとだったのよ! レディの扱い方をきちんと心得てるとああなるのね」

 暁はおおはしゃぎで言った。

 響は、そんな彼女をじろりと一瞥し、

「……できれば、当の君もレディらしく、後先考えて行動して欲しいね。心配したんだから」

「わたしは大人のレディだから大丈夫よ」

「やれやれ……」

 響はそれ以上コメントしなかった。

 暁はあいかわらずにっこにこで上機嫌だったが。

(でもそういえば、年齢くらい聞いておくべきだったかなあ……何歳くらいなんだろ?)

 印象的には、16とか17とか。

 そんな大人の女性の手助けができたんだから、暁だって誇らしいというものである。

 と、そこで司令官が、執務室に入ってきた。

「……そろっているか」

「第六駆逐隊二名、そろっております」

 響がてきぱきと答える。

 ちなみに、いつも一緒にいる雷と電は、最近は長期遠征中だ。

 すこし寂しくはあるわね、と暁が思っていると。

「もう新人を雇う季節だからな。我が鎮守府にも一名やってくるので、諸君らに指導を願いたい」

「へえ、それはまた」

「もちろんよ! 一人前のレディに仕上げてあげるわ」

「よろしい。では――入りたまえ」

 司令官の言葉に従って、扉が開き。

「……へ?」

 暁は固まった。

 きれいな黒髪のロングヘアーを三つ編みにした、どことなくボーイッシュな雰囲気のあるその艦娘は。

 暁の方をちらっと見ると、ぱちりとウィンクをした。

「というわけで、新任艦娘の時雨くんだ。よろしく」

 次の瞬間。

「こ、後輩~~~~~~~~!?」

 暁の絶叫が、鎮守府を揺るがした。




 簡単にあとがきを書いておきます。

 まず、この作品をいつ作ったのかわからなくて、タイムスタンプを調べたところ、どうも2015年らしいことがわかりました。
 だいぶ昔ですね。艦これだと、まだ基地航空隊がなかった時代です。
 ちょうど書き終えた頃に、ニコニコ動画で、「レイニー・レイディ」(https://www.nicovideo.jp/watch/sm23834206)という作品を視聴して、感銘を受けて「番外:優しい雨」を作った記憶があります。なんか動画の投稿日と一年ほどずれてますね。となると、日刊ぼからんの一周年動画とかで聞いたんでしょうかね、僕は。
 ちなみに縁があってコミケになにか出展しろと言われて、この「優しい雨」だけ製本して持ち込みましたが、一冊も売れませんでした。友達に一部だけ押しつけたので、いまこれの製本バージョンはこの世に一冊だけ……いや、もしかすると友達、もう捨ててるかもしれませんが。

 作品としてのチャレンジは、「艦これのシステムになるべく忠実に」「艦これ抜きでもそれなりに楽しめる作品に」を両立させようとがんばった記憶があります。
 結果としてかなり独自色が強い作品になりましたが、これは続編……? の、「空母探偵龍驤ちゃんと七人の駆逐艦たち」でさらにひどいことになります。

 というわけで、この作品はこれで畳みます。
 ありがとうございました。


(この作品は『空母探偵龍驤ちゃんと七人の駆逐艦たち』という姉妹作を持っています。
 まだ話のストックは貯まっていませんが、こちらも可能な限り早く投稿して行きますので、そのときはよろしくお願いします)
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