ガタンゴトン、ガタンゴトントン   作:真喜屋五木路

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第1話

「はぁ……」

 

紲星あかりは電車シートの端に倒れ掛かって、今日も一日仕事ですり減らされた魂の残滓を口から吐き出す。

きっと今自分の目は、死んだを遥か通り越して、腐った魚のようになっている事だろう。

そんな事を思いながら、何処に焦点を合わせるでもなく、只々電車の規則的な振動に視界を揺られるがまま、窓の外にきらめく街の明かりを眺める。

 

本当に、どうしてこうも私の周りには面倒な人が集まるのだろうか。

指示は短すぎて要点すら欠落しているのに、小言と説教ばかり長ったらしい上司。

自分の仕事も満足にできないくせに、偉そうな講釈と啓発セミナーみたいなことばかり言う先輩社員。

自分がちょっとできるからと、周りにもそれと同じくらいを要求する同僚。

私の目の前では猫をかぶっておきながら、裏で影口を叩いているらしい後輩。

 

「はぁ……」

何でわざわざ会社から離れているのに、『あれ等』の事を考える必要があるだろうか。

首をぶるぶる振って余計な考えを追い出し、可能な限り楽しかったことを思い出そうとする。

が、最近は残業続きでろくに楽しい思い出が無い。

今日だって、もう十二時を回っている。

……いや駄目だ、これでは余計陰鬱になってしまう。

 

現実に押しつぶされないように記憶をより過去へ過去へと辿っていき……漸くたどり着いたのは遠い昔、高校時代の日々だった。

みんな忙しくていつの間にか疎遠になってしまったが、間違いなくみんな最高の友達だった。

特にゆかり先輩とは馬も合い、帰る方向も同じだったのでよく一緒に電車で話したものだ。

 

(ああ、あの頃は何だって楽しかったなぁ……。それこそ今みたく電車に乗ってるだけでも『ガタンゴトン、ガタンゴトントン』なんていう謎の擬音を思いついて、そしたら先輩が『なんなのそれ』って笑ってくれたりして……)

 

思い出はいつだって美しいなんて言葉があるけれど、そんな補正が無くたって、あの頃が人生で最高の時間だったと断言できる。

それこそもしかしたら、高校時代で人間関係の運を全て使い果たしてしまったのかもしれないくらいに。

 

そんな事を考えていると不意に、ごうっ、という音と共に街の灯りが消えさった。

耳もキーンとするし、トンネルの中にでも入ったのだろう。

窓は今や無機質な白いLEDに照らされた車内を映す鏡となり、疲れ切って青白くすら見える自分自身の顔と、その反対側の端で眠りこける中年の企業戦士をまざまざと見せつけてくる。

 

(……やっぱり髪、切らない方が良かったかなぁ)

 

鏡を見る度、こんなにも自分のトレードマークだった三つ編みが無くなっていることを後悔するならば、シャンプーの時間を節約する為だけなんてくだらない理由でショートになんてしなければよかった。

このまま窓の方を見ていたら益々憂鬱になるばかりだろうと、カバンの外ポケットを漁り、スマホを取り出した。

 

とはいえ頭を使うようなことはしたくない、少しだけ悩んでツイッターを起動する。

これなら何となく目に留まったものだけ読めばいいし、何だったらフリックしてツイートを流しているだけでも、何かやってる気になれて十分時間を潰せるからだ。

……まぁ一つだけ言うなら、ダイエットに励んでいる今、飯テロだけは勘弁したいところだが。

と、適当にぼんやりツイートの海を眺めていると、そのうちの一つが目に留まる。

 

『苦痛な人間関係から永遠に逃げ出す方法』

 

丁度職場の人間関係に悩んでいたこともあって、続きに目を通す。

 

『条件

24時以降の列車で、下り方向のものに乗っている事

トンネルの中である事

やり方

目を瞑って頭の中でできるだけゆっくり零から数え上げ、九を九回繰り返す事

ただし、もし途中で駅についても決して目を開けず、電車が止まっている間は数え上げるのをやめる事』

 

……嗚呼、発言者を見る気にもならないほどに馬鹿馬鹿しい。

あまりの下らなさにフンと鼻を鳴らした瞬間、扉を挟んだ反対の席にいた若者が舌打ちをし、反射的にビクッと身を震わせてしまう。

だが恐る恐る気づかれないように確認してみれば、どうやら彼も画面の向こうに向かって悪態をついただけのようだった。

 

ほぅ、と安堵のため息をついたところで、ふと自分が今、先ほど書いてあった条件を満たしていることに気が付く。

現在の時刻は二十四時七分、下りの列車に乗っていて、狙ったかのようにトンネルの最中だ。

……別に、こんな小学生のおまじないみたいな馬鹿馬鹿しい内容を信じている訳では無い。

だが、暇を持て余していたことに加えて昔の事を思い出し、少々感傷に浸っていたこともあったのだろう。

 

(あくまで暇つぶしだから……)

 

そう自分に言い聞かせ、私は静かに目を閉じて、頭の中で数字を数え上げ始める。

 

(零……一……二…………)

 

我ながら馬鹿な事をやっている自覚はある、だが始めてしまった以上続けないのも、それはそれで何だか気持ち悪い気がする。

 

(三……四……五……)

 

そういえば『できるだけゆっくり』ってこれ位でいいのだろうか、考えてみればみるほどに穴だらけで信用性のないツイートだ。

 

(六……七……八……)

 

あのツイートの主が今の私を見たら、きっと本気にするなよと大爆笑することだろう。

 

(九……九……九……)

 

当然だが何も起こらないまま九を三回数えた所だった。

電車が急にガクンと減速し、もう三回九を数えた所でゆっくりと停車する。

別に律義にしっかりやる必要などどこにもないが、せっかくここまでやったのだからと『六回目まで言った』そう頭の中で繰り返して、アナウンスや靴の鳴る音といった雑音を聞き流そうとする。

だが、聞こえたのはドアが開いて、そして閉まる音だけ。

勿論その程度で集中力を乱されよう筈も無い。

回数を忘れることは無く、再び電車は滑る様に動き始めた。

 

(九……九…………九!)

 

十分に電車が動き始めたと言えるところで最後の三回を言い終わり、ぱちりと目を開く。

しかし、目に映ったのは白い単色光に照らされた車内と、窓に反射する自分の姿。

それは言うまでも無く先ほどと同じ光景だった。

 

……つまり、結局のところ何も起こりはしなかったのだ。

 

「ふ、ふふっ……」

 

存外に自分が何か起こるかもと期待していたことに気づいて、ついつい吹き出してしまい――

 

「――っ!!」

 

そういえばまだ乗客がいたんだったと、周りの人に今の様子をみられていなかったかと、慌てて辺りを見渡す。

が、どうやらさっきの駅で乗っていた人はみんな降りてしまったのか、車内には誰もいない。

変な人だと思われなくてよかったと胸をなでおろし、そこでふと気持ちが少しだけ軽くなっていることに気づいた。

 

それは、いい年をしてこんな馬鹿馬鹿しいことを実行に移したからか、それともその馬鹿馬鹿しいおまじないに結果を期待していたからか。

なんにせよこんな気分に少しでも浸れるのなら、案外あのおまじないにも効果があったという事だろうか。

ちょっとだけ元気を取り戻した私は、貸し切り状態の車内に自分の声を響かせてみる。

 

「ガタンゴトン、ガタンゴトントン♪」

 

口に出すと、まるであの頃に戻ったような心地よさに包まれた。

そうだ、今度久しぶりにゆかり先輩へ連絡してみよう。

髪を切ったこともきっと驚かれるだろうが、同時に似合ってると言ってくれそうな気がする。

久しぶりに週末が待ち遠しいという気持ちを噛みしめながら、私は先ほどまでとは一転して、窓に反射した朗らかな笑みを浮かべる自分自身を眺めていた。

 

そして彼女を乗せた電車は走り続ける。

 

どこまでも。

 

どこまでも。

 

ガタンゴトン、ガタンゴトントンと。

 


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