少女終末旅行短編集   作:チビサイファー

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少女終末旅行合同誌「空想」に寄稿した作品です


食欲

 

 

 

 ユーの様子がおかしい。その異変に初めて気がついたのは食事の時だった。

 

 いつものようにレーションを手渡し、自分の分を口に入れる。今日はチーズ味だ。運転で体力を消費した体に、高カロリー食品はありがたい。お腹を満たすには少し物足りないけど、体の栄養バランスを考えて作られた物だから、的確に体力を回復させてくれる。

 

 口の中がパサパサしたので水を飲み、再度口に入れる。今日は少し疲れていたから、早めのペースで食が進む。でもユーはもっと早く食べ終わって、二個目をせがむんだろうなと思い、横を見てみる。

 

「……!?」

 

 目を疑った。ユーが、あの三大欲求の食欲をそのまま具現化したかのようなユーリが。レーションを一口も食べていなかったのだ。

 

 そんな馬鹿な。もしかして勝手に二本目を取り出して食べたのか? 私は残り一本が入っていたレーションの袋を取り出して調べる。本数は減っていない。つまりユーは本当に一口も食べていないのだ。

 

「ゆ、ユー?」

「…………」

「ユー聞いてる?」

「あっ。ごめん聞いてなかった」

 

 あっけらかんと返事をするユーはいつも通りに見える。だが、その手に持っているレーションが全く減っていない時点でいつも通りではない。私はこいつがなにか病気にかかったのではないかと危惧して手袋をはずし、額に手を置く。

 

「わ、ぷ。なにちーちゃん」

「……熱はない、か」

「なんのこと?」

「ユー、体のどこか具合悪いか?」

「いや、別に」

「どこか怪我をしたりとかは?」

「頭なら昨日ちーちゃんに叩かれたよ」

「…………」

 

 まさか、私がこいつのことを殴りすぎてしまったのが原因なのだろうか? ってそんなわけがあるか。

 

「ご飯、食べないの?」

「ん、おっとそうだった」

 

 あーむ、とユーはようやくレーションを食べる。私は気づかれないよう、横目で食べている様子をチェックする。食べるペースは……うん、いつも通り。噛む早さ……いつも通り。なんだ、気のせいだったのか?

 そのあとも、ユーリの行動を少しばかり注視していたけど、その後はいつも通りの様子で食事を終え、「もっと食べたいな」とせがんできた。

 

 なんだ、気のせいか。眠たかっただけなのかもしれないな。その日こそ私はそう結論付け、一日を終えた。

 

 けど、その後もユーの異変は私の目に入るようになった。

 

 

 

 

 またある日だった。探索の途中、ユーリの使う銃の弾薬が見つかって暇つぶしに遊ぼうということになった時だ。

 

「じゃあ、ちーちゃん判定よろしくね」

「はいよ」

「一番左のいくよー」

 

 スコープを取りだして、遠くに並べられた空き缶を見る。適当な距離だが、いつもユーが射撃するときと大差ない距離だった。

 隣で弾を込める音、ガチャリと響く心地よい金属音。すっと隣が静かになり、少しばかり緊張の一瞬が流れる。次の瞬間、パンッと乾いた音。直後には空き缶が派手な音を立てて吹き飛……ばない。

 

 待っていた音は来なかった。代わりに、ごす、と鈍い音が聞こえた。スコープの中に写る空き缶は無事で、その代り少し左下のブロックに穴が開いていた。

 

「はずれ」

「ありゃ」

 

 かちゃかちゃとコッキングの音。再び静かになる隣。初弾を外すなんて珍しいな。そう思っているうちに二回目の発砲音。ごすっ、と鈍い音。

 

「またはずれ」

「…………」

 

 ユーリは無言で三発目を装填。ちらりとユーを見てみる。髪の毛に隠れて表情は見えなかった。けど、どことなく身が入っていないような、そんな雰囲気を感じた。

 

 三発目。今度は空き缶に命中する。ただし、狙っていた一番左ではなく、二つほど右隣の空き缶が吹き飛んだ。

 

「まあ、はずれかな」

「そだね」

 

 そのあと、残った二発は狙った空き缶に命中させることに成功した。やっと調子が出てきたのだろうか。けど、ユーは次の弾薬を装填することなく、今日はやめると言って銃を下した。

 

「もういいの?」

「うん。調子悪いときは無駄弾使わない方がいいでしょ」

 

 そう言ってユーは銃を背負い、弾薬を片付ける。どうも違和感を覚える。

 

「ユー」

 

 弾薬をしまい込むユーの肩に手をおき、彼女を呼ぶ。直後、今まで見たことないような勢いでユーは飛び上がる。いやそこまで跳ねるのかよ。私の方がびっくりしたんだが。

 

「なぁに、ちーちゃん」

 

 ユーリは恐る恐ると言った様子で振り返る。しかし声は至って普通な様子だ。でも私は確信する。こいつはなにか大きなことを隠している。私に言えないような、重大ななにかを。

 一瞬このまま問い詰めようと思ったけど、まだ決定的な確信を得ていないし、仮に今問い詰めようとしても話をはぐらかすかもしれない。

 

 病気の可能性ももちろん考えた。けど、身体的な異常は見受けられないし、怪我をしているわけでもない。もちろんとても些細な体の異変があるかもしれない。

 ユーはじっと私の言葉を待っている様だった。その表情はいつも通りに見えて、少しばかり違う。私の胸がぎゅう、と締め付けられる。でも、下手に動いてはいけないのも理解している。だからこそ、もう少し様子見をしようと決める。

 

「……調子悪いときもあるさ」

「そだね」

 

 ユーは、私が深く追求しなかったことにほっとしたように、薄く笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 それから、ユーリの観察が始まった。期間は特に決めていないが、こっちが感付いたことを悟られないように自然体で、かつ段階的に探りを入れるため、長期戦を覚悟した。

 

 最初の観察は移動中だ。ケッテンクラートの荷台で、いつものように昼寝をしているユーリを時々気にかけながら進む。そこで気づいたのは、こいつが好きな謎の石像に遭遇しても反応を示さなかったことだ。

 

「ユー、石像があるよ」

「んー、そだね」

「あっちには変な模様が描かれているよ。写真撮らなくていいのか?」

「今日はいいや」

 

 いつだったか墓で謎の石像を見つけたときは、太陽のみたいな笑顔になっていたのに、今はまるで地面に転がった石ころを見つめているような表情だった。

 

 次は探索時。物が散乱している建物を物色中、ユーリの好きそうな棒が見つかった。いつもなら喜んで手に取り、ぶんぶんと振り回すか、うきうきしながら探索が終わるまで持ち続けるに違いない。

 

 ここは一つユーに「いい感じの棒だな」と話しかけたかったが、ぐっとこらえる。下手に話を振ったら、勘の鋭い相棒は「どうしたの?」と聞いてくるに違いない。

 

「食べ物あるといいな」

「そだね」

 

 そうして、ユーは棒をスルー。やはりか。振り向いてユーの顔を見てみる。なんかこの前よりなにも考えていなさそうな顔になってないか?

 

 私は立ち止まり、ふらふらと付いてくるユーリの目の前で、ぱちんと猫だましをしてみる。無反応、上の空、心ここにあらず。なんのアクションもないなんて不安になるだろう、なんか言えよ。

 

「……………うわっ、びっくりした」

「おっそ」

「もー、ちーちゃんなにするの。びっくりしたじゃん」

「時間差ありすぎだろ」

「今を噛み締めて生きているんだよきっと」

「噛み締めるにしても時間かかりすぎ」

「細かいことは気にしなーい」

 

 私がお前の異変を気にしているんだよ、とは言えない。そんな私の気持ちなんか知る由もなく、ユーはふらふらと探索を続けていた。

 

 その後も、ユーを注意深く観察していると、ユーリの行動が全体的に大人しくなっていることに気がついた。

 

「お。ユー、この鉱物きれいだな」

「うん」

「……持っていかないのか?」

「え。まぁ、うん。いらないかな」

 

 ユーが好きそうながらくたがあっても興味を示さず。

 

「ユー、今日はいい天気だな」

「うん。あたたかいね」

「……今日みたいな日は、ご飯も美味しく食べられそうだね」

「そうだね」

 

 移動中も静かで。

 

「はい、今日のご飯」

「うん」

「…………」

「…………」

 

 ご飯も無言。異変を感じ取らせないつもりなのだろうか? いや、むしろ異変しか感じないのだが。

 

 他にも眠るときもだ。

 

「んっ、くるし……え?」

「むっ……にゅう……」

「ユー、おいユー。ちょっと苦しいよ、そんなに抱き着かないで」

「むにゅ……ちーちゃん」

「……ったく」

 

 私に抱きついていることが多くなった。眠る前はいつも通りなのだが、起きたらユーリが私の胸に頭を埋めている、ということが増えた気がする。いや、幾度となくあったとは思うけど……。

 

 こんなに多かったか?

 

 日に日に増していくユーリの異変に、次第に私はじわじわと恐怖に蝕まれていた。病気を疑う異変もあれば、そうとは思えないようなこともあって振り回されるばかり。どう対処すればいいのか分からない。いくら気にかけても、観察しても、ユーの異変の正体が掴めない。分からないのだ。

 

 知らないというものは恐怖に繋がる。だから私は本を読んだりおじいさの話を聞いたりして知識を蓄えてきた。知らないことに出会ったら、それまで蓄えた知識を総動員して思考し、自分なりの結論を導き出す。私は今までそうやってきた。

 

 でも、今回ばかりは何も結論が出ないのだ。もう、問い詰めた方がいいのだろうか。何がなんでも聞き出すべきだろうか。

 

 そう思っていた矢先だった。

 

 それは、いつものように宿りをできる場所を見付けて火をおこし、レーションをユーに渡した時だった。

 

「……ごめんちーちゃん、今日ご飯いらない」

 

 …………今なんて言った?

 

「その、お腹すいてないから、いらない」

 

 私は耳と目を疑った。ユーが……ユーが。食べ物を、いらないと言った? そんな馬鹿な。私はユーを凝視する。深刻そうな顔をして、レーションに見向きもせず、ただ膝を抱えて焚き火を見つめている。その様子を見て、頭の中をユーの言葉が何十週と回転する。その回転が一瞬で百回を越えたとき、私は居ても立ってもいられなくなった。

 

「どうしたんだユー!?」

「わ、っぷ!」

 

 これはただ事じゃない、緊急事態だ。こいつの身にとてつもない異変が起きている。病気か、怪我か? 今の私はこいつの異変を回復させるだけの術や道具を持っているか? 頭の中を思考が超高速で駆け巡る。だがそれらを行うのも煩わしい。体を先に動かさないと気が済まない。

 

「何が起きたんだ、答えて!」

 

 私はユーの肩を掴んで揺さぶると、肩、腕、足、背中、ありとあらゆる場所に触れ、異変がないかを確かめる。

 

「どこだ、どこを怪我したんだ!?」

「ち、ちーちゃんそうじゃないって!」

「じゃあ病気か!? 熱はあるか、咳は、喉の痛み、鼻のつまりは!?」

「ない、けど……いや、待って、ほんと!」

「お腹は、胸は!? 最近お腹の調子が悪いとか、息苦しいとかは!?」

「ま、まって! まってちーちゃん、ほんとに!」

 

 そう訴えかけるユーの顔を見る。いつもより顔が赤くて、まるで熱を出しているかのようだった。まさかこの一瞬で発熱した? だとしたら早く熱を計らないと。

 

「お前、顔も赤いじゃないか!」

 ヘルメットを外し、逃げようとするユーの手を掴んで逃がさないようにし、自分のおでこを当てる。少しだけ温かい気はするが……熱はなさそうだ。

 

「まって……ちーちゃん、ほんと、ち、かい……」

「え?」

 

 まるで蚊の鳴くような声だった。ユーがそう言うので、私は顔を離してみる。気づくとユーは顔を片手でどうにか覆い隠してしまっている。なんだその反応、こんなユーは見たことないぞ。

 

「顔が……近いよ……」

 

 そう言って、ユーは指の隙間から目を覗かせる。その瞳にひどく取り乱した表情の自分が映りこんでいて、私は気付く。

 不安と、焦り、困惑の表情。なんて顔だ、こんな顔で問い詰めてもユーは困るだけじゃないか。

 さっと冷たい風を当てられたような気分になって、口がパクパクと動く。けど、言葉はでない。どうしようもなくなって、私はゆっくり離れた。

 

「その、ごめん」

「…………うん」

 

 ユーは言葉を吐く。少しだけ呼吸が荒い。ふーふーと息を数回はいた後、ごくりと唾を飲みこむ仕草をした。

 

「……そのさ、ユー」

「…………うん」

「何かあったのなら、話してくれないか? さすがにご飯いらないっていうのは、お前にしたら異常過ぎる。だからせめて、何か原因があるのならどんな形でもいい、教えてくれ」

「……うん」

 

 ユーは膝を抱えて顔を半分埋める。よほど言いづらいのだろうか。こいつがこんな風になるなんて思っても見なかった。

 

「最近ちょっと変なんだよね」

「変?」

「その、上手く口に出来ないんだけど。ちーちゃんを見てると、なんかおかしくなっちゃうんだ」

 私を見るとおかしくなる? それはどういう意味なんだ? 私のせいでユーに異変を起こしてしまったとでもいうのか?

 

 不安で体が冷たくなっていく。心当たり? ない、なにもない。私はユーに何かしてしまった? 私が無意識に彼女を傷つけたりしたのか? だとしたら、どう責任を取ればいいんだ……?

 

 そんな私の不安げな表情を察したのか、ユーはフォローを入れるように言葉を重ねる。

 

「あ。あのね、嫌な感じになるとかそうじゃなくて、むしろ嬉しいって言うかなんと言うか。ちーちゃん見てると、どきどきするんだよね」

「……どきどき?」

「うん。なんか、前よりもちーちゃんのこと考えるようになって、ボーッとしちゃうんだよね。その間も胸がずっとどきどきしてるんだ」

 

 きゅ、とユーリは自分の胸に手を当てる。ユーリはまた少し頬を赤くしながら言う。

 

「ちーちゃんと話したり、ずっと見ていたりする時も胸がきゅう、ってなって、どきどきして、でも痛い訳じゃないんだよね」

 

 ……うん?

 

「ちーちゃんに呼ばれたり話したりすると、ずっと嬉しくて温かいんだ。でも、近すぎたりすると少し恥ずかしくなって、でも嫌じゃくて、自分でもよく分からなくなって……」

 

 まさか? ユーの口にするその異変の原因を理解していくにつれて、私の顔がどんどん熱くなっていく。まて、まてまて。まさか、それって……。

 

「どうしたらいいんだろう。私、おかしくなっちゃったのかな」

 

 ユーは不安げで、切なそうな表情を私に向ける。それを見た私も、似たような表情をしているんだと思う。そして、ユーリが教えてくれた症状で、異変の正体を確信した。

 

 まさかだった。こいつが私にこんな感情を抱いているなんて。何かの間違いじゃないのか?

 でも。それだったらユーの言う、異変とつじつまが合う。食欲低下、集中力の低下、思考力の低下(元から無いけど)。誰かを、私を見たら速くなる心臓の鼓動、体温の上昇。それらを引き起こす、体には無害な病気の正体。

 

 恋愛。

 

 ユーのぼんやりとした目が私に突き刺さる。たぶん、考えても答えがでなくて私に助けてほしいんだ。

 

「それとさ……上手く言葉に出来ないんだけど」

 

 ユーリは視線を逸らして言いにくそうにする。どうした、言ってみろ。

 

「そのね。ちーちゃんを見てると……うまく言葉にできないけど、食べたいって思っちゃう」

「……『食べたい』?」

 

 ポカンと私は口を開けてしまう。ついに私はこいつに食べ物として認識されてしまったのか? いやいやそうじゃないだろ。あくまでユーリはその感情の言語化が出来ないだけで、実際に私を補食しようとは思っていない。

 しかしだ、いざ言われるとちょっとびっくりする。

 

「ちーちゃんの傍にいると、離れてほしくなくて、ずっと見ていたいなって思って、でもそれだけじゃまだ足りない気がして。ぎゅう、ってなってちーちゃんがいるのに寂しい気がして……それで、私の中に入ってくれば、そういうの全部収まるのかなって」

 

 自分の中に宿る感情を、精一杯言葉にしようとする努力が手に取るようにわかった。

 それと同時に、この言語化出来ない感情に彼女は悩まされて続けていたのだと思うと、胸が苦しくなる。食事すら喉を通らなくなってしまったのだ。淡々と言っているように見えるが、その裏では相当な負担だったに違いない。

 

「ユー……」

 

 私は声を漏らし、手を伸ばそうとするが途中で止まり、地面へと落ちる。どうするべきなのだろう。自惚れと受け取られるかもしれないが、ユーは私のことが好きで、意図せずして私に告白をしてしまった。それがどういうものなのか、それをどう伝えるか私は悩む。

 そして、伝えた後に待っているのは。私がユーの気持ちを受け入れるか否かだ。

 

 ユーとは昔からずっと一緒。家族も同然で、互いのことは考えなくてもわかるような、そんな存在だ。その関係性が大きく変わるのだろうか? 二人きりになったこの世界で、この感情はプラスになるかマイナスになるのか。

 怖い? 私は、この関係が壊れるのが怖いのか? すぐに答えがでない。言葉がでない。でも、私がこうして悩んでいるうちにユーの不安は募っていく。私はユーになんて言えばいい?

 

 考えろ、考えろ、考えるんだ。

 

 ユーにこれ以上悩んでほしくない、苦しんでほしくない。そう想うと、私の胸の中がぎゅう、と苦しくなる。ユーは考え込む私の顔を見て、不安げな表情をしているのだぞ。

 けど、急ぎ過ぎてもダメだ。下手したら、私たちの関係に大きな亀裂が入ってしまうかもしれない。ここはひとつ、ユーにはそれは病気ではないということを教えて、時間を稼いで少し……。

 

「ちーちゃん」

 

 その時、ユーが私の手に自分の手を重ねた。無意識のものだったかもしれない。そっと置かれた手袋をしていないその手は、少しだけ震えていて、とても温かくて、こう言っているようだった。

 

 —たすけて—

 

 そうだよな。お前は今、とても辛いんだろうな。自分の気持ちが上手くぶつけられなくて、こんな形でしか伝えることしかできなくて……その気持ち、すごくよくわかるよ。

 

 ……よくわかる? 待って。私はいつそんな経験をした?

 

 

 生まれてこの方、恋愛なんてした覚えはないぞ。異性との交流がおじいさん以外であったのかも怪しいのに、なぜユーの気持ちがわかると思った?

 

 でも、実際わかるのだ。誰かに名前を呼ばれると歓喜し、昂る感情と体温。その温かさ、切なさを私は知っている。

 どこで知ったのだ? 私は誰かに恋愛感情を抱いたことがあるのか? その相手は誰なんだ?

 

 一番大切なユー以外の人間を好きになった事なんて。

 

 …………今、何て思った?

 

 一番『大切』な、ユー?

 

 その瞬間、私の頭の中を電流が突き抜けた。なんてことだ、なぜ気づかなかった。答えはすぐ目の前にあったのか。

 思えば、そうじゃなかったら私はここまで取り乱すことはしなかっただろう。ユーを失ってしまうという、今まで経験したことのないくらい大きな恐怖を抱いていた。高いところにいたり、食料が底をついたりするよりも、私はユーを失うことの方が恐ろしくてたまらないのだ。

 

 なんでそう思うかだって?

 

 私が抱くユーへの『大切』は、もう普通じゃないところまで行っていたということだ。

 

 甦る過去の記憶。もう遠く昔のこと。私は恋をしていた。ずっと、ずっと一緒にいたあいつ。

 

 私よりも運動ができて、私より頼れるところもあって、でも肝心なところで抜けてるところもあって。

 

 食いしん坊で、いつもお腹すいたと言いふらして。

 

 私の隣にいてくれた、あいつのことが。

 

 そう。私が……私の方こそが……。

 

 ずっとずっと前から、ユーリのことが好きだったんじゃないのか?

 

 いつからだった? そんなこともう覚えていない。けど、ずっとずっと、昔から恋い焦がれて、その期間があまりにも長すぎたために、いつしかそれが当たり前になって、日常の中に埋もれてしまっていたのかもしれない。

 だから、ユーリの気持ちを痛いほど理解できるんだ。

 

 それを理解したとき、私は自分のさっきの考えがいかに愚かなことだったのかに気がついた。先を見据えるだって? この終わりつつある、世界で先のことを考える? 私たちは、もしかしたら明日にでも建物の崩落や倒壊に巻き込まれて死ぬかもしれないのに。明日すら確実に手に入るか分からないこの世界で。

 

 どうなるか分からない未来のために、今というユーリを犠牲にして……。

 

 それがなんになるんだ!

 

「ユーリ」

 

 私はユーリの手に指を絡めてぎゅっと握る。ユーリの手の震えが止まる。そう、大丈夫。私が今からお前を助けてみせる。

 

「それは病気じゃないよ」

「病気じゃないの?」

「ああ。いやでも、ある意味病気とも受け取れるかもしれないけど、それは悪い病気じゃなくて、えっと……」

 

 くそ、説明が難しい。今になって緊張してきている。それにユーに口でこのことを説明して理解させるのも難しいんじゃないか?

 ならば具体的に示すしかない。けれどそれが私にできるのか? いや、恐れるな。きっとこれでユーはすべてを理解してくれる。

 

「ユー。さっき、私のこと『食べたい』って思ったって言ってたよね」

「うん。例えだけど」

 

 ユーリが不思議そうな顔をして私を見る。そんな私は緊張で変な顔になっているんだろうなと思う。すっと、空いた方の手でユーのほっぺに触れる。もちもちしていて気持ちいい。

 

「たぶん、ユーリが私に思っていることは、こういうことなんだと思う……」

 

 私はユーに顔を近づける。綺麗な瞳だ。その中に私の顔。ふふっ、やっぱり緊張しているな。でも、思っていたよりは大丈夫そうだ。うん、きっと大丈夫。

 

 ユーはまだ上手いこと理解できていないみたいだ。 何をするの? と言いたそうな唇が目の前にある。それに親指でそっと触れてみる。ぷにぷにして柔らかい。おいしそうだ。

 

 そう。ユーの言う、『食べたい』は間違いではないんだ。

 

 私は自身の唇でユーの唇を塞いだ。ユーは驚いたように目を剥く。嫌がっちゃうかな。嫌われちゃうかな。でも、少ししてユーは私の手を強く握ってきた。それに安心して私は手を握り返す。

 

 ユーリの唇はとても熱かった。それは焚き火のせいか、緊張のせいか。いや、ユーは体温が高いから唇も熱いのかもしれないな。

 

 それは私が今まで触れてきたどんな物質よりも柔らかかった。自分の唇をはむはむとさせてその感触を楽しんでしまう。けど、少し力を入れすぎれば簡単に壊れてしまいそうでちょっと怖い。でも、もっと味わいたい。このままどこまでも、永遠に、もっともっと欲しい。

 

 心臓ががなりたてる。細胞が沸騰し、本能が思考を蝕んでいく。落ち着け、私。暴走するな。今はユーの心を落ち着かせるのが先なんだ。今慌てたらきっと後悔するぞ。

 

 でも、なんて甘いんだろう。砂糖なんて散りばめてないのに、ユーの唇は本当に甘かった。もちろん、実際に甘い訳じゃない。砂糖で味わう甘さとはまったくかけ離れている味だ。

 

 けれども、私の頭はひたすらにその味を「甘い」と表現している。誰かに触れなければ一生経験することのなかった味だ。なんて落ち着くんだろう、なんて切ないんだろう。この甘さは、理性を破壊するには十分すぎる。頭が溶けていきそうだ。一度離れた方がいいのだろうか?

 

 ふと、気がつくとユーリの手が私の肩を掴んでいた。その力はとても強くて、私を逃がさないようにしているかのようだった。いや、実際そうなのだろう。私の手を握るユーリの右手と、肩を掴む左手の強さが尋常じゃない。

 

—ずっとこうしてて—

 

 聞こえた訳じゃない。ユーリがそう言っている気がした。なら、離れるなんて野暮なことはしない方がいいよな。

 

 もう少しだけ……本能に身を任せても、いいよな?

 

 

 

 

 一体どれだけの時間唇を重ねていたのだろうか。私たちはどちらともなく離れ、ほうと息を吐いた。ちょっと息苦しくてお互い肩で呼吸している。正直危なかった。もう少ししていたら完全に理性が暴走するところだった。ユーが離してくれないからだぞ、まったく。

 

「…………どう? ユーの『食べたい』って、これで合ってた?」

「……うん」

 

 頬を少しばかり赤くしてユーリは答えた。まだぼうっとしていて、何が起きたか理解できてない様子だ。でも、さっきまでの不安に取りつかれた表情はすっかり消えてなくなっていた。

 

「こうさ。色々複雑で言いにくいし説明もしづらいんだけど……ユーは、私のことが好きってことだと思うよ」

「……す、き?」

「そう。友達とか家族とかとしてじゃなくて、その……恋人としての、好きだと思う。それで、さ」

 

 私は覚悟する。そうだ、私の方が先にユーリが好きだったんだ。こいつに告白をして、そしてユーにも告白をしてもらって、私たちの関係を新しい段階にするんだ。そうすればきっと、新しい世界が待っているに違いない。

 

「わた、私は……私も……ユーのことが……」

「ちーちゃん」

「ユーのことが、す、しゅ……」

「ちーちゃんっ」

 

 あーもう、なんだよ。今から大事な話をするのに……ってうわっ!?

 

 突然私の体が地面に倒れ、何が起きたのか分からなくて一瞬目がぐるぐるする。直後、ぬっとユーリの顔が現れる。それを見てから私がユーリに押し倒されたのだと気づくのに、もう少しばかり時間が必要だった。

 

「ゆ、ユー?」

 

 動転して言葉がでない。目の前のユーは、さっきとはまったく違う顔つきで私のことを見下ろしていた。ぎゅう、と私の手首をつかみ、足を挟み込んでいる。まるで私の身動きを封じているかのようだった。

 

 いや、違う。ユーリは本当に私のことを逃がさないようにしているんだ。

 ギラギラした目が私を見る。ふーふーと荒い呼吸、その吐息が私に触れる。本当に……本当に私を捕食対象としているような目じゃないか。

 

「……ちーちゃん」

 

 ユーが口を開く。さっきの私の話をまるで聞いていないかのような口調だった。事実、聞いていなかったのだろう。それよりももっとしたいことが、こいつの中で暴れまわっているんだ。

 

「もっかいして」

 

 何を、と私は聞き返さない。なんてことだ。もうちょっと考えればすぐわかるだろうに。

 

 こいつは、私より本能に忠実な人間だった。なにか味を占めれば、どこまでも求めていく人間だ。そんな奴に口づけの味を教えてしまい、その甘さを刻み込もうものならどうなるか。

 

 本当は、知っていたのに。

 

「…………いいよ」

 

 私に拒否権はなかった。いや、拒否するつもりもなかった。まったく、こんなにがっつきやがって。あれだけ気を使った自分がバカみたいじゃないか。

 

 でも、その考えもあっという間に霧散するだろう。私を捕食対象と認定したユーリの顔がどこまでも色っぽく、妖しく、艶やかで。

 

 今すぐにでも、欲しかった。

 

 迫る唇。来て。来て。早く、早くっ!

 

 長い間心の奥底に沈んだ自分のきもちが爆発する。そのせいで私は捕食対象にされることを望んでしまう。ああ、なんて哀れなんだろう。

 

 哀れで……ぞくぞくする。

 

 そんな自分に酔いしれていると、私の唇はユーに「捕食」されてしまった。必死に私に食らいつくユーリ。貪られる私の唇。それによって粉々に砕かれていく理性。それすらも、きもちよく感じてしまう。その一方で、私は乏しくなった理性で最後の思考をする。

 

 これ、終わった後どうしよう。

 

 気まずくなったりしない? なんか、恥ずかしすぎて死にたいとか思ってそうなきがするんだけど。

 

「っゆー、りっ……!」

 

 あー、でも面倒くさいな。今考えても分からないし。

 

「っはぁ……ちーちゃん……ちー、ちゃんっ……!」

 

 終わってから考えればいいか。

 

 そうして私の最後の理性が散りとなって消える。ユーリの首に手を回し、はなれないように思いきり抱きしめ、彼女の抱えていた感情を真正面から受け止める。

 

 私たちは壊れていく。お互いを貪り、触れ合う私たちの吐息すらも心地よい。

 

 耳を満たす甘い悲鳴。この世界に私たちを邪魔するものは誰一人としていない。

 

 ぱちり、と焚火の音。めらめらと揺れる私たちの影は、ずっと一つだった。

 

 

 

 了

 

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