じ、っと静寂が辺りを包み込んでいた。真っ白な雪原の上に、ユーリはうつ伏せになって目と耳、そして指先の感覚に全神経を集中させていた。目はその先にあるスコープを捉え、そのまた向こうにある景色を観察する。耳は周囲のわずかな変化にも気づけるよう、今まで自分の鼓膜に届いた音の識別を完了させている。風の音、チトの足跡、古びた建物から破片が落下する音、様々な音を覚えた。
もし、それらに該当するものがなかった場合はすぐに場所を察知し、指先に信号が伝達するように構える。その指に触れるのは鈍く、黒く光る金属の引き金。
三八式歩兵銃を構えてからのユーリは、普段の落ち着きのなさが嘘のように鳴りを潜めていた。まるで機械のようだとチトは物陰に体を潜め、ユーリの姿を伺いながら思う。知らない人間が近くを歩いても、ユーリの存在にはまず気づけないだろう。普段のジャケットの上に、町から旅立つときに持ってきていたローブの切れ端を被っているのも間違いなく要因の一つだ。
だが、それを差し引いたとしても、ユーリから気配を感じなかった。いや、正確に言えばビリビリと極限に達した緊張感が伝わってくる。じっと、ただじっとその場にうつ伏せになり続けている。時間が経過していくにつれてチトの不安はじりじりと増していく。早く終われ、終わってくれ。今にも痺れを切らしそうだ。
冷静なチトが焦るのも無理はなかった。この状態が続いて、かれこれ一日が経過しようとしていたのだから。
*
それはいつものように、のらりくらりと階層都市を旅していたときのことだった。
「ひまだ」
ケッテンクラートの荷台の上で、ユーリはそういった。一日に10回は聞く単語なので、チトは適当に「そうだな」と返事をして運転に意識を集中させる。
「ちーちゃん、ひまだから遊ぼう」
「ひとりで遊んでろ」
「じゃあしりとりしよう」
「……いいよ」
「しりとりだから、り……り……りぃえーしょん」
「レーションはレだから却下。そして「ん」で終わってるからお前の負け」
「ちーちゃんすげぇ、戦わずして勝った」
「褒め称えろ」
「つるぺたちーちゃん」
ぎゅぎゅ、とケッテンクラートが急停車し、ユーリは「ぐえ」と声を漏らす。何事かと思った次の瞬間には、石像みたいな目をしたチトがユーリの頭の上に拳を叩き落とした後だった。
「いたい」
「私は心が痛いよ」
「ちーちゃんの心結構頑丈なのに」
「お前がなにもいわければ、もっと頑丈になれただろうよ」
そう言ってチトはケッテンクラートを再発進させる。しばらく走っていると、上部の階層が存在しないエリアに出てきた。建てかけのビルや支柱があちこちあることから、ここにも上層が作られる予定だったのだろう。今は真っ白な雪が絨毯のように周囲を覆っていた。
「おー、久々の太陽、そして青空」
「ああ。気持ちいいな」
顔を出している太陽の光を、二人は存分に浴びる。ケッテンクラートのスピードを緩め、チトもユーリも顔に紫外線を浴びる。太陽と遠く離れているこの都市において、日光は非常に重要なものだ。
「んー、こう気持ちいいと雪の上でごろごろしたくなるねー」
「そうだな。今日は天気もいいし……この辺りでご飯を食べてもいいかもな」
「わーい! ちーちゃんだいすき!」
「わっ、これ急に抱きつくな! 危ないだろ!」
「いーじゃんいーじゃん、ご飯が楽しみなんだか……」
チトに抱きつき、ユーリの目線が前方に行った瞬間だった。真正面よりやや右方向にある、朽ちかけているビル。そのどこかがキラリと光って消えた。普通の人間なら特に気に止めない光の反射。だがユーリはその光を見て全身で感じた。
「ちーちゃんアクセル!」
明確な殺意を。
ユーリがケッテンクラートのアクセルを捻るのと、銃声が響いたのはほぼ同時だった。ケッテンクラートの増設された荷台に穴が開く。もしユーリがアクセルを捻っていなかったら、チトに命中していた場所だ。何が起きたか分からないチトは頭と目が回りそうだった。だがユーリが叫ぶ。
「止めないで、誰か撃ってきてる!」
「な、なにをだよ!」
「わかんない、でも銃で撃たれてる!」
ぞわ。なにかがユーリを撫でる。とっさにハンドルを右に引っ張る。チトは身構える間もなく煽られて首がゴキリと言う。だが、その視線の先にあった雪に穴が開いた。そうだ、理解した。これは銃撃だ。自分達は、銃撃を受けているのだ。
「あそこの建物の影に!」
ユーリが指差した方向をチトは見る。少し背の高い建物だ。とにかく隠れなければならないと自身を奮い立たせ、アクセルを捻る。ユーリは既に三八式を構え、なにかが光ったビルに照準を合わせる。しかし、原始的な金属の照準器では正確な位置まで見えなかった。威嚇で発砲。乾いた銃声が響くが、これといった手応えを感じない。
その隙にケッテンクラートがビルの影に滑り込む。ユーリが同時に飛び降りて影になってない背後に銃口を向ける。もう一人居たときの事を考えての行動だ。しかし待てども銃撃は来ない。ケッテンクラートの方見ると、ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返すチトがいて目が合う。二人はひとまず安堵した。
「な、なんだったんだ……」
チトがハンドルに突っ伏して言う。ユーリは銃弾を装填しながら「さぁね」と答える。
「姿なんて見えなかったからなー。わかるのはあそこのビルにいるってことだけ」
「間違いないのか?」
「スコープが反射したんだと思う。なにか光ったあと、撃たれたから」
「そうか……まぁ影に隠れてからはなにもないし」
チトが荷台を確認する。水用タンクの少し横に出来たばかりの穴。確かに銃弾で撃ち抜かれていた。
「ああ……傷物にしちゃった」
「また塞げばいいじゃん」
「直すのは私なんだぞ」
とぼやきながらも、チトは余った合板と接着剤を用意する。ユーリはそっと影から顔をだし、ビルを見つめる。流石に目だけ外に出す程度では見えないのか、発砲はなかった。
「敵……て言うのかな。あいつなんで私たちを狙うんだよ」
「わかんない。食べ物がほしいとか?」
「なるほど、全うな理由だ。いっそ渡した方が安全に進めるんじゃないか?」
「死んでも渡さん」
「言うと思った」
冗談を言い合ってはいるが、チトはユーリから発せられるぴりぴりとした空気を感じ取っていた。滅多に見ない本気の警戒モード。相当な集中力を使うのに、その傍らで自分といつも通りのやり取りができるその精神は、並大抵のものではないと言うのがよくわかった。
「ちーちゃん、スコープ出して」
「ん、うん」
ユーリはチトからいつも単眼鏡代わりに使っているスコープを受けとると、出来るだけ顔を出さないようにうつ伏せになって向かいのビルを見つめる。あちこちひび割れて、ガラスもなくなったビルだ。似たような建物をこの旅路の中で幾度となく見てきた。
その窓を、一つ一つ確認していく。どれもこれも空洞ばかりで人影は見当たらない。
「……なんか、気持ち悪い」
「気持ち悪い? どこか具合悪いのか?」
「あ、ううん。違うよ。気持ち悪いってのは撃って来た奴のこと」
「どうして?」
「何て言うか……気配が無さすぎて気持ち悪い。まるで誰も居ないみたい」
「……もしかして、ビルから降りたとか?」
可能性はある。狙撃主と言うものは、完璧な奇襲による一方的な攻撃、及び支援を行う兵士だ。完璧にそれをこなすには敵に位置を悟られないようにしなければならない。よってある程度狙撃をしたあと、移動するのが定石だ。
もちろん、完全に擬態し、悟られず敵を殲滅させれば移動する必要もないだろう。しかしユーリは狙撃ポイントの絞り混みには成功し、その方向へ威嚇で発砲した。つまりビルの中にいると言うことはもう見破っているぞと、相手に警告を撃ち込んだのだ。ならば見つかるのも問題になると判断すれば、そのためにビルから降り、別の場所に向かってる可能性がある。
「その間に全速力でここから逃げ出せばいいんじゃないか?」
「確かに、それならチャンスは今だけだかも。でも、ちょっとまって」
ユーリはエンジンをかけようとするチトを止める。早く逃げ出したかったチトはやや怪訝そうな顔でユーリを見る。対するユーリはと言うと、地面から起き上がったかと思えば、突然影から飛び出した。
「ゆっ!!?」
名前を呼ぶ暇もなかった。とんでもない俊敏さで、ユーリは飛び出した、その時だ。
-ッターン!-
銃声。チトの心臓が跳ねる。銃声、チトは一瞬ユーリに鮮血が走る瞬間を想像してしまう。しかしユーリは銃声が響くほんの一瞬前に反対方向へ足を曲げ、ステップとジャンプを混ぜた形で影に再び飛び込んだ。
「まだあそこにいる!」
ジャコッ、とコッキングレバーを引く。ユーリの殺気が増し、ビリビリと撒き散らされる。ユーリはスコープを三八式に固定し、ケッテンクラートの荷台に目を向ける。
「ちーちゃん、私たちが昔着ていたローブある? 白いやつ」
「え、あるけど……なんに使うんだ」
「雪の上だから、たぶんそれ着た方が目立たない。おじいさんから教えてもらった」
チトからローブを受け取ったユーリはそれを被ってみる。すっかり体が成長して手足が出るようになっていたが、雪原に緑色の服を晒すよりはましだ。もう一着の方も受け取り、それは無理矢理三八式に巻き付ける。即席だが、雪原迷彩の完成だ。
「ど、どうするんだよ。それを着たって出ていったところを狙われたどうしようもないじゃないか」
「なんとか考える。どのみちあいつをどうにかしないと、私たちが危ないし。見てよ、思わず飛び込んじゃったけど、ここ引き返そうとしたら隠れる場所がない。まっすぐ逃げても必ずビルから丸見えになる。たぶん、もう戻れない」
ユーリは驚くほど冷静に状況を分析していた。あの食べ物のことしか脳にないユーリが、全身から殺気を放って冷静に物事を言う姿はあまりにも異質で、少し調子が狂いそうだ。
だが、そうだからといって思考を止めるほどチトは弱くはない。ユーリが出来るだけ危ない目に遭わないように、作戦を考える。
「……よし、なら夜まで待とう。夜まで待って、火を起こしてそれを囮にするんだ。私があっちに投げるから、ユーリは反対方向にいく。どう?」
「さすがちーちゃん、頭いいね。それじゃあ夜まで一旦お休みかな」
ユーリの殺気が弱まった。チトはひと安心する。何で安心したかは分からないが、それについては考えないことにした。
*
夜が更け、普段なら寝静まる頃。今夜の天気は曇り。月明かりも星明かりもない、真っ暗な世界が広がっている。暗闇は人にとって恐ろしく感じるものではあるが、今夜に限っては姿を隠すには打って付けで、とてもありがたい存在だった。
ランタンを手に持ち、ユーリは暗闇を見つめる。このあと、チトが反対方向に、ガソリンを含ませて火を点けた廃材を放り込む手はずだ。
「ユー、準備はいい?」
「うん。はい、ランタン返すね」
ランタンをチトに返し、ユーリはローブを着込む。目指すのは10メートルほど先にある錆びた配管。あそこを影にして潜み、夜が明けて敵がどこにいるのかを探すのだ。
「ユー……大丈夫か?」
「まぁ、なんとかなるよ。ちーちゃんはそこにいていいからね」
既にユーリからは、ぴりぴりとした殺気が放たれていた。チトはその緊張感に呑まれそうで、思わず唾を飲み込む。
「じゃ、行くよ」
「うん……ユー」
「なぁに?」
「……死なないで、ね」
「あいよ」
チトは廃材にガソリンをかけて、バーナーで点火。あっという間に燃え上がった廃材に驚きながらも、チトはそれを力一杯投げた。
廃材が雪に突き刺さるのと、銃声がするのはほぼ同じだった。ユーリは一気に飛び出す。さっきランタンで確認した配管を目指し、うっすらとその影が見えた。
スライディングで滑り込むことに成功したユーリは、すぐさま三八式を配管の上に乗せ、寝そべって暗闇に包まれるビルを見つめる。もう、敵は撃ってきそうになかった。炎が囮だと気づいたのだろうか。どちらにしても、気配がない。きっとこれは長くなるだろう。
ユーリは瞬時に夜が明けるまで待つことを選択する。その間に自分の周囲で起きる音を収集するため、聴覚に神経を張り巡らせる。気温がぐっと下がり、雪が深々と降り注ぎ始めた。
チトは、まるで動かなくなったユーリをみて少し不安だったが、時折ほんの少し上下する方を見て一安心する。なにか手伝えることはないだろうかと模索するが、後も暗くては自分では同しようもないとすぐ結論に至る。
今できることは、見守ることだ。チトは自分にそう言い聞かせ、ユーリと同じく息を潜めることにした。
*
そうして、冒頭へと戻る。夜が明けて既に数時間。その間ユーリは微動だにしていない様子だった。敵もユーリの出方を伺っているのか、何をしてくる様子もない。ユーリの体には既に雪がいくつか積もっていて、このまま放って置くと体温を奪われ続けるのではないかとチトは危惧する。
「ゆ、ゆー……」
チトは一瞬声をかけようとしたが、口を閉じる。もし自分の声でユーリの位置がバレたら一巻の終わりだ。不安ではあるが、ユーリを信じて待つしかなかった。幸い、ほんの少しだけユーリが体勢を変えたので、生きていることがわかった。
(にしても……)
チトは意識をユーリから、敵が居るビルへと向ける。一体誰が、なんのために私達を狙うのだろうか。よく考えてみれば、食料を狙ったりしているのなら、チトとユーリが離れた瞬間の夜に接近して奇襲を仕掛けることも可能だったはずだ。
しかし、囮の炎を撃ったということは、敵はまだビルに居るということだ。何か他に目的があるとでも言うのだろうか?
(それに、ユーリの言葉が気になる……ユーリの言っていた『気持ち悪い』ってなんだ?)
チトは些細なヒントも見逃さないように思考を巡らせる。そうだ、なにかおかしいぞこれは。要求もなにもない、一方的な攻撃。弾薬を消費してまでなんの意味があるというのだ?
もちろん、世界にはただ単に殺戮を楽しむ人間も居るということもチトは聞いたことがある。しかし、それならやはり近づいてきて攻撃をしてきそうなものだ。
(なんだ、なにか引っかかる……なにかおかしい)
歪なピースがバラバラにチトの頭の中に転がる。それをどうにかはめ込みたいが、何かが足りない。何かがおかしい。
チトは影からビルをもう一度覗く。何も反応がない。人がいる気配も、何もない。それだけ敵は完璧に姿を隠しているのだろうか。
チトはもう一度、ユーリとの会話を思い浮かべる。
『……なんか、気持ち悪い』
『気持ち悪い? どこか具合悪いのか?』
『あ、ううん。違うよ。気持ち悪いってのは撃って来た奴のこと』
『どうして?』
『何て言うか……気配が無さすぎて気持ち悪い。まるで誰も居ないみたい』
誰も、居ない……。
もしかして……。本当に誰も居ないんじゃないのか?
誰も居ないけど、攻撃してくる。そんなことができる存在はあるのか。
「……いや、ある! まさか、敵の正体って!?」
その瞬間、歪なピースの形が整えられた。それが一気に組み上がる。だがあと一つ、決定的な何かが欲しい。
チトは急いで廃材に火をつける。昼の今だからこそ試せることだ。自分たちが敵の目欺くために行っていたことが裏目に出てしまったのかもしれない。しかし、いまならそうはいかない。
火のついた廃材を、チトは思い切り投げる。弧を描いて飛ぶそれは、雪に突き刺さる。直後。
―ッターンッ!―
来た、やはり! 燃える廃材が銃弾で吹き飛ぶ。明るい時間帯で、投げたものが人間じゃないのは明らかなのに狙ってきた。それが一体何を意味するのか。
敵は、熱を持ったものへと攻撃している。もちろん普通の人間がそんなことできるわけがない。だが、それができる存在に思い当たる節があった。
最後のピースがついにはまった。敵は、自分たちの相手をしている敵は。
「ユー! 敵は機械だぞ!」
チトは危惧した。ユーリは敵が人間だと仮定して戦っている。戦闘経験がないチトでも、人間と機械相手では戦い方が違うことくらい理解できた。
だから、このままではユーリが危ない。精一杯の声でチトは呼びかけた。
だが、その声はユーリの三八式から放たれる、6.5mm弾頭の爆音でかき消され、届くことはなかった。
*
銃声がしたのと同時に、ユーリは体を起こした。ユーリが待っていたのはこの瞬間だった。ユーリは、敵が一度銃を撃てば次弾を装填するためのタイムラグが発生する確証を持っていた。強烈な連射ができる機関銃なら、自分たちはケッテンクラートの上で蜂の巣にされていたに違いない。
しかしそれをされなかったということは、敵もユーリが持っている物と同じ、一発一発装填を行わなければならないライフルだということを意味していた。
スコープを覗き、ビルを睨む。見つけた、僅かなガラス面を反射する場所。ユーリは迷わず引き金を引く。甲高い銃声が鼓膜を突き抜け、肩に衝撃が走る。だが、撃った瞬間に悟る。思考と体の動きが一致していない。外した! その証拠に窓枠弾痕が一つ増えたのがスコープ越しに見える。
(っ、手が、うまく……!)
長時間身を潜めていた影響だった。体の奥深くまで冷え切ってしまったユーリの体は、本人の意志とは裏腹にうまく動いてくれなかった。
「ユー!」
チトの叫びが聞こえる。早く終わらせなければ、チトが危ない。ユーリはとにかく敵を仕留めることを最優先とした。スコープを覗き、今度こそ敵の姿を見ようとする。だが、姿が見えない。人がいない。おかしい、間違いなくあそこから撃って来たのに。想定外の事態に、ユーリの頭は少しずつ混乱していく。
戦闘技術に長けているユーリとはいえ、実戦経験は皆無に等しいのが現状だった。加えて一晩中冷たい雪の中でうずくまっていたために、体温も奪われて自身の思考能力が低下していた。
故に、イレギュラーが傘なると、思考が失われていく。それはユーリの体の上に被さり、体温を隠していた雪が体から落ちていくには十分すぎる時間だった。
「っぅああああ!!」
銃声。左腕に激痛が走る。ユーリはとっさに理解した。やられた、撃たれた。そのまま雪の上に倒れ込む。しかし思考をどうにか奮い立たせてパイプの影に転がろうとする。だがダメだ、間に合わないかもしれない。ユーリの体を、死の恐怖が包む。生きなければ、なんとしても。生きなければならない!
チトを一人にするわけには、絶対いかない!
「ユー、伏せろ!」
チトが叫んだ。ユーリはとっさに頭を低くする。直後、真上で爆発が起こり、辺りを煙が包み込む。いったい何が? その考えに至る間もなく、二度目の起爆。今度は雪煙が舞い上がる。
「ユー、ユー!」
顔を上げるとチトが居た。そんな、撃たれるかもしれないのにどうして。混乱するユーリをよそに、チトはユーリに駆け寄る。
チトは、敵の正体を掴んだと同時に爆薬を用意した。直後、ユーリが被弾したことでとっさに少量の爆薬を用意。それをユーリからできるだけ離れた前方の、中空で起爆させた。撒き散らされる高熱の爆煙で敵の目を欺くには完璧すぎる代物だった。これは間違いなく成功し、二度目の射撃が来ることはなかった。
続けてユーリに駆け寄る進路を確保すべく、今度は雪の中に爆薬を投げつけ、起爆。雪煙を起こして上下に熱源を作り、一気にユーリにまで駆け寄ったのだ。
が、そんなチトの作戦など知らず、ユーリは思わず声を上げる。
「ダメだよちーちゃん、危ないよ!」
「うるせぇ! お前だって食らってるだろ、それよりどこをやられた!」
「っう……左腕。たぶんかすっただけだけど、めっちゃいたい。持ち上がらないかも」
「そうか……いいかユー、よく聞け」
チトはすべてを説明したかったが、雪煙が晴れるまで時間がなかったため、要点だけ伝える。敵は人間じゃない。だがチャンスはある。次で仕留めろ。
「ちーちゃん……でも、腕が上がらない……片手じゃさすがに狙えない……」
だが、チトはユーリの頬に両手を置き、美しいブルーの瞳に向かって叫んだ。
「信じて!」
「…………わかった」
*
雪煙が晴れる。物言わぬ狙撃手は、この地に訪れた数百年ぶりの熱源に向けて黒光りする銃口を向ける。残った爆煙と雪煙の向こう、目標はそこにいると予測している。
狙撃手が最後に命令を受けたのはもう数百年も前になる。劣化により、性能が著しく低下したメモリーに残された最後の任務。
この場を通過する、すべての生物を狙撃し、我々の陣地に侵入させるな。
狙撃手は忠実にその命令を守った。この場を通過する生物は、何者でも狙撃してきた。
しかし、百年過ぎた辺りでカメラの精度が著しく低下した。そこで狙撃手は、サーモカメラを使用し、熱源のあるものを狙うことにした。
そうして、この場をずっと守ってきた。もう、守る人間が居なくなったとしても。
その行為になんの意味をなさなくなったとしても。
狙撃手は、戦い続けるしかなかった。
雪煙が徐々に消えていく。敵の予測位置が晴れるまでもう少し。と、その直後だ。人の形をした熱源が煙から現れる。ターゲット補足、それを迷いなく撃ち抜く。その熱源はふらふらと不規則な動きをし、雪の上に倒れる、熱が消える。ターゲット排除完了。
その瞬間だった。雪煙に大きな穴が開いた。それは煙をぶち抜き、一直線に向かってくる。音速を突破した6.5mm弾頭。それは完璧な進路で狙撃手の目に等しい照準器を撃ち抜いた。
-緊急修正、本体カメラを熱源モードで起動。損傷多数、稼働率42パーセント。望遠レンズの併用開始。目標へズーム-
狙撃主は、弾丸が飛んできた箇所へと目を向ける。雪煙がゆっくりと晴れていく。すると、突風が吹いて残っていた煙すべてを吹き飛ばした。
その目に写ったのは。
右手で三八式を構えたユーリと、左肩に三八式の銃身を乗せたチトだった。
*
チトが考案した作戦は成功した。三八式に巻きつけていたローブを剥がし、燃やして放り投げたのだ。敵が熱源を頼りに攻撃していることを掴んでいたチトは、ユーリにこう告げた。
「敵のスコープが絶対に光る、それを撃て!」
そうして、敵が囮を狙った瞬間、チトの目論見があたった。真上にまで上がった太陽の光が、レンズに反射したのだ。その光は、薄くなった雪煙の中を突き進み、チトとユーリの目に届いた。
ユーリはそれを見逃さなかった。すべてのからくりを理解し、冷静さを取り戻したユーリにとってそれを撃ち抜くのは七面鳥撃ちのように容易いことだった。
発砲。ズドンと肩に走る衝撃。左腕に被弾こそしていたが、チトが左肩で依託射撃を請け負ってくれたことで正確な射撃を可能にしてくれた。
「次!」
その声と同時にチトが銃身を掴む。これでユーリは左手の支えがなくても、右手のみでコッキングレバーを引くことができた。薬室から熱を帯びた薬莢が飛び出し、地面に落下して雪をほんの少し溶かす。
再度レバーを押し込み、装填完了。照準合わせ。直後突風が吹く。雪煙が消し飛び、視界が広がる。ユーリはもう人間が居るとは思わない。人間ではない、何かを撃つことだけに意識を集中させる。
「見えた!」
ついに見つけた。ビルの中にいる、その「なにか」を。今度は見逃さないし、外さない。二人なら、絶対に大丈夫だから。
「すぅー……」
ユーリが思い切り息を吸い込む。敵がこちらに狙いを定めようとしているのが見えた。だがもう遅い。私が……私達のほうが、早い!
「っ!」
息を止めた瞬間、引き金を引く。撃針が雷管を叩き、薬莢内の火薬が起爆。弾頭が銃身を疾走し、放たれた鉛が世界に解き放たれる。
大気を切り裂き、それは真っ直ぐに飛翔する。やがて音の壁を突き破った鉛玉は、音を鎧として身に纏い、その凶悪さ完全なものにした。
そしてその一発は。
寸分の狂いもなく、「敵」の脳天を撃ち抜いた。
*
ユーリの手当てを行った後、二人は狙撃手が潜んでいたビルの中に入った。左腕を怪我したユーリに代わり、チトが三八式を構えて敵が潜んでいた部屋の前まで到達し、二人は頷いて中に飛び込む。
そこにはスコープが砕け散った、機械用に改造された狙撃銃。そして、四角い人型をした機械が床に転がっていた。頭部にあるレンズは粉々に砕け散り、頭に搭載されていたメモリーは粉砕され、床に散らばっていた。
「…………これが、敵の正体か」
もう動かないことを確認したチトは、ユーリに三八式を返して機械を観察する。原理などはさっぱりだったが、これだけ複雑な機構をしているということは、より高度な技術が使われているということだ。熱源による識別行えるものだったとしても何らおかしくはなかった。
「こいつは熱があるものに対してだけ攻撃していたんだ。最初から昼に火を囮に使っていたらすぐ気づけたかもしれないけど、暗い時にそれをしたから気づけなかったんだ。もし、夜に囮を使わずにユーリだけ外に出ていたら、お前は撃たれていただろうな」
「じゃあ、私が飛び出した後、火が消えても撃たれなかったのは?」
「お前の体温が下がっていたのと、雪が積もっていたから。だから雪が体から落ちたときに撃たれたんだ。腕はまだ痛いか?」
「ん、大丈夫。今はそこそこに動くよ」
「かすっただけで本当に良かった」
今になってチトは腰が抜けそうになる。アドレナリンで感覚が麻痺していたが、考えてみれば自分たちも相当無茶な作戦をしたなと思う。
「なんで私達のこと狙ったんだろうね」
銃身で敵が本当に動かないことを確認しながらユーリは周囲を見回す。チトが床に転がった薬莢を拾い上げた。
「それはあれだろうよ。命令されていたから。たぶん、この場に来る敵を撃て、とか」
「もう誰も居ないのに?」
「魚のところの機械が言っていた。『関係ない、維持していくだけだ』って。こいつも一緒なんだろうよ。人間が居なくなっても、ただ、命令どおりにここに来る敵を攻撃することを全うしたんだ」
「おかげで苦労したなぁ。おのれ人間め」
「お前もだよ人間」
「おお、人間だったか私」
ユーリは地べたに座り込み、鉄屑と化した狙撃手を見る。機械の表情なんてわかりやしなかったが、どこか開放されたような、そんな表情をしている気がした。
「こいつさ。実のところ誰かに止めてほしかったのかな」
「なんで?」
「私だったら、長いこと同じことしてたら嫌になるもん」
「機械だから関係ないだろう」
「機械だからだよ。やめたくてもやめることができないじゃん。ほら、言ってたじゃん。ばぐ、だっけ? そういうのが起きたら進化するみたいなの」
「言ってたな」
「それが起きて、こいつの中に『もうやめたい』って気持ちが生まれて、でもやめることができなかったらさ。誰かに止めてもらうしかないじゃん」
だから、ここを通り抜ける存在に攻撃をしたのかもしれない。反撃して、自分を壊してもらうために。
チトは、そんなまさかと思ったが、自分たちはいくつもの不思議なものを見てきたし、進化に通ずるものも見てきたし、終わりに通ずるものも見てきた。
そして、自分たちだって成長という進化を遂げ、そして終わりに向かっているのだ。故にユーリが言っていることは、あながち外れだとも言えないだろう。
ただ、機械が鉄屑になった以上、それを確かめる手立てはない。今考えている物はすべて自分たちの中の妄想にしか過ぎないのだ。
チトはユーリの隣に座り込み、機械に向けて手を合わせる。
「なにしてるの?」
「弔い。死んだ人に対しては、手を合わせてちゃんとあの世に行けるようにお祈りするんだってさ」
「ふーん」
ユーリは見よう見まねでチトと同じように手を合わせる。
「あの世で楽しく暮らしてますよーに」
「お祈りは頭の中でするものだよ」
「そうなの」
「そうだよ」
チトは立ち上がり腰を伸ばす。旅に使えそうなものは無かったから、長居は無用と判断した。転がっている予備の銃弾も、7.62と記載されていたため、ユーリの銃には使えそうになかった。
「行くよ。もう少し離れて、今日は早めに休もう」
「あーい」
階段を降りながらチトはユーリの姿をちらりと確認する。ふんふんと鼻歌を歌いながら、いつものユーリに戻っていて安心する。もう戦いは懲り懲りだなとチトは思いつつ、ユーリに言い忘れたことがあったのに気づいた。
「そうだ、ユー」
「なぁに?」
「……ありがとな。助けてくれて」
危険を犯してまで自分を守ってくれた相棒に、チトは感謝する。ユーリはというと、少しだけ面食らったような顔をしたが、すぐにいつもの笑顔を向けて答えた。
「へへ、当たり前じゃん。でも」
ユーリはチトの手を掴む。手袋越しに伝わるユーリの鼓動は、確かにそこに存在していて、自分が生きていることを実感させてくれた。
「私がこうやってちーちゃんの手を握れるのは、ちーちゃんのおかげなんだよ。だから、こっちこそありがとうね」
「……へへ、当たり前、だろ?」
チトは少しばかり顔を赤くしながらも、しっかりとユーリの目を見て答える。そんな彼女を、ユーリの瞳がじっと見つめる。しかし次第にこっ恥ずかしくなって、どちらからともなく笑い声が上がった。
了