麗華が叩き付けた際に首や顔の骨が砕けた。札の効果で一度氷漬けにした。
そして今、麗華の手加減なしの雷撃で全身の皮膚も焼けただれている。だが、それでも妖魔は倒れない。雷撃は倒れている一般人に当たらないように、上半身を狙って放たれた雷撃は確かな効果を発揮してはいたが、とどめには至らなかった。
恭二はそんな事実に心底うんざりしたような表情で言葉を紡ぐ。
「何やったら倒れるんだよお前…… あれだけやられたんなら倒れるだろう、普通は……! タフさだけなら、うちの機関長とか頭のおかしい九鬼さんとかの上司連中にも並ぶんじゃないか?」
「ぎ、ぎ、ひ、ははは! お褒めに預かり光栄だなぁ…… あれらと比類するなんて言われたら、調子に乗り過ぎてそのまま天に昇っちまうような気分になる」
「そのままテクノブレイクでもしてろ。そっちの方がよっぽど、世のため人の為だ」
容赦のない言葉の応酬。
じりじりと焼けつくような緊張が高まっていき、先ほどの雷撃で砕けた天井や壁から崩れて落ちる瓦礫の音が響く。過剰な電圧を流し込まれ完全に溶断した配線の音が空間に流れ落ちていく。
それらが、嫌に大きく聞こえるような錯覚すら覚えるほどの殺気が空間に充満する。
だというのに妖魔は「実に愉快だ」と言わんばかりに口元を歪ませた。
「いやはや、それにしても驚いたなぁ! まさか、あんな高威力の雷撃を放てるなんて、あいかわらずクロユリの連中は頭がおかしいのが多い!」
「うちの組織の昔馴染みか…… まあ、その不細工な面だと誰か特定するのは難しそうだけどな」
「私は腐りきった性根が鼻につくから、一回見たら顔を変えても分かると思うけどね」
麗華はそう吐き捨てた。一般人を盾にして戦う目の前の妖魔に対しての嫌悪をその顔に滲ませて。
そんな中で、この状況をある程度冷静に判断していた恭二は通信機へと意識を集中させる。この会話を聞いていたなら、確実にオペレーターが機関の古株に確認を取ると踏んだからだ。
しかし、
『―――――――』
通信機からの返答はない。返答どころか、本来聞こえるはずのオペレーターの息遣いや、彼女が操っている機器類の電子音までが聞こえない。
僅かに眉の寄った恭二の様子を見て、妖魔はニタニタと笑う。
「ああ、それ使い物にならないんじゃないかなぁ?」
「妨害電波……! さっき、敵の数が合わなかった時点でオペレーターの通信が無かったのはそう言う事か…… 随分とこざかしい真似を」
「ご名答! よく分かってるじゃないかぁ。まあ、もう少し冷静さを失ってくれてもいいと思うけどねぇ?」
妖魔はパチパチとわざとらしく手を鳴らしながら嗤う。
だが、そんな相手に対して、麗華は嘲るように鼻を鳴らした。
「尊大ぶってムカつく態度取ってるけどさ。そっちだって余裕はないんじゃないの? さっきから、話してるだけで傷の修復以外してないよね」
そんな言葉を紡ぐのと同時に、彼女は紫電を体に纏わせる。
バチリ、バチリ、バチバチバチバチ!
空気を引き裂く紫電は、先ほどよりも苛烈さを増して爆音を奏で上げた。
「ああ、恐ろしい! 恐ろしいなぁ!」
それでも、何が楽しいのか妖魔は笑い続ける。愉快に、痛快に、明快に顔を歪ませて。
対する麗華は、絶対零度ですら生ぬるいと感じてしまうような冷たい殺気を顔に滲ませた。
「あっそ」
どこか投げ槍ともいえるような言葉と共に、麗華は雷撃を放つ。
そのはずだったのに、
「ははぁ! それ、無理なんだよなぁ。残念無念、お次は来世で頑張れってオハナシだ」
完全に割れてしまっている窓ガラスの向こうから、何かが飛来した。
「え――――」
そして、それから数瞬後。三度目の正直と言わんばかりに、今度こそ鮮血の花弁があたりに舞い飛んだ。
*****
「そちらの状況は⁉」
『現在、病院の三階部分で強烈な爆発音が二度響き渡りました。地形の関係上、それ以上の状況はこちらからは掴めません』
「こちらの状況は、結界内部で妨害電波を発せられ、内部に突入した倉田恭二、有栖川麗華の両名との通信が完全に遮断されています! 屋外に展開している部隊は、結界の外部でドローンを飛ばして内部の状況を映像に映してください! 倉田さんと麗華さんの状況を確認しなければ決断が早まることになりますよ!」
通信が途絶した通信の向こう側で、オペレーターもまた戦っていた。妨害電波は結界内部から発せられているものなので、外部には全く影響が無い。だからこそ、病院周辺に展開している部隊へ少しでも内部の状況を探れるように指示を飛ばし続けている。
二人、あるいはそのどちらかのの生存が確認できなければ、儀式呪法使用へのカウントダウンが早まってしまう。そうなれば、自身が預かる二人の命と、施設に勤めていた無辜の民が虐殺されてしまう事を意味するからだ。
それだけは、絶対に彼女は許すことが出来ない。
八年前にあったある事件以来、オペレーターの情報は、名前ですら機関員に知らされることは無くなった。だがそれでも、その時からずっと彼女は麗華と恭二の担当オペレーターなのだ。
国を裏から守る者たちの支えになるという矜持と、長年培ってきた絆を胸に、クロユリに所属する二人の担当オペレーターとして、少しでも二人の生存確率を上げるため、ありとあらゆる手段を尽くし続ける。
だが、最悪のタイミングで通信が切断されたのは確かな事実。だからこそ、オペレーターとして冷徹な面が彼女から滲みだす。
そんなことは、したくない。
したくないが、それでもしなくてはならないことがある。
「儀式呪法の使用の第一段階の展開準備も並行して進めてください。このままでは、最悪の事態も覚悟しなければなりません」
その言葉を彼女が紡いだのとほぼ同時に、施設周囲に展開していた部隊からの通信が入った。
『ドローンの映像、出せます』
「っ! 分かりました、こちらに映像を表示してください」
『はい、映像出力します! っ! これは……』
通信機の向こう側から、下部構成員の息を飲むような声が響く。
そこに映し出されたのは、まず完膚なきまでに崩壊していた三階の壁の一画。
そして、腹部を引き裂かれ、顔に着けたガスマスクに内側から血が飛び散っている状態で地に伏している麗華の姿と、ガラス片や瓦礫で全身をずたずたに引き裂かれた満身創痍の状態で何とか立っている恭二の姿だった。
オペレーターは、血がにじむ程に強く拳を握りしめる。怒りで視界が真っ赤に染まるような錯覚を覚えながらも、彼女は心を落ち着けるために息を吐いた。
大丈夫。まだ生きている。
映像を確認したオペレーターはそれを確認できただけでも良かったと思いなおし、さらに一拍置いて、展開している部隊に指示を飛ばした。
「内部で戦闘行動をとっていた戦闘班の二名が戦闘の継続が困難な状態に陥りました。各員、内部にいる敵性存在が結界を破って、逃亡を図る可能性があります。より一層の警戒と、戦闘準備を整えておいてください」
『了解!』
「それと―――――― 儀式呪法の第二段階の解放をいつでも行えるようにしておいてください。第二段階の解放はこちらから指示します」
オペレーターはそう言って通信をいったん打ち切った。昏い色を宿した瞳のままで、どうしてこうなったのかと唇を噛む。
まだ、恭二だけは確実に生存していることは確認できたが、それでも状況的に絶望的であることには変わりはない。先ほど指示を出すために落ち着けた精神が再び、焦燥に焼かれていく。
「二人とも、どうかご無事で……!」
情報収集や作戦指示の為に一切手を止めることが無いまま、それでも彼女は祈るようにそんな言葉を紡いだ。
それがどれほど空しい願いかはわかっていても、オペレーターは一人の仲間としてそれを祈らずにはいられなかった。
*****
時は僅かに遡る。
それは、窓から何かが飛来した時のこと。
麗華は驚愕に顔を歪ませながらも、身を捻って飛来したものから距離を取ろうとした。だが、その膝からがくりと力が抜ける。それはあまりにも唐突で、不調を起こした麗華本人ですら予測も対処も出来なかった。
そして、彼女の視界に映った飛来したものの形を見て、「あ、死んだ」とどこかあきらめにも似た思いを抱く。
それは、何処かパイナップルを思わせるような形状で、黒い色をしていた。詰まるところ、手榴弾が彼女の見開かれた瞳に映ったのだ。
麗華は襲い掛かるであろう爆風と破片にさらされることを一瞬で理解する。冷や汗と、恐怖が噴き出す中、彼女は咄嗟に身を引こうとするが、その意思に反して体は動かない。
「麗華!」
だが、恭二があらかじめ使用する体勢に入っていた結界符がギリギリのところで発動し、結界によって手榴弾と彼女の身体だけが遮られた。
「恭二!」
そう、彼女の身体だけが、だ。
何とか麗華の身を守るために、結界符の発動を間に合わせた恭二だったが、自身の身を守るまで手が回らなかった。
当然、放り込まれた複数の手榴弾の爆風と破片が彼の身体を飲み込でいく。
八年前の光景が、血の海に沈んでいく麗華の父親の姿が、彼女の脳内でフラッシュバックした。その動揺と恐怖で身体が硬直する。それは人間としてはありふれた反応で、そして戦闘に携わる者としてこの状況で最も取ってはいけない行動だった。
「こんな鉄火場で、よそ見するなんてダメじゃないかぁ」
ねっとりとした声が麗華の耳に届くのとほぼ同時に、結界を突き破って振るわれた妖魔の爪が容赦なく彼女の身体を引き裂いていく。
それをどこか他人事のように眺めながら、口から血がせりあがってくる感触と咄嗟に取り出そうとした札の感触を最後に、麗華の意識は暗闇へと沈んでいった。
「はぁ…… 気持ちよかったなぁ…… あいつもいいタイミングで援護をしてくるもんだよ」
何処か恍惚とした表情で妖魔は、地下へと意識を向けながら「ふぅ」とため息をつく。
「これで、こっちの仕事に集中できるなぁ? ……ん?」
ちらりと、崩れ落ちた麗華に視線を向けた妖魔は、彼女にまだ息があることに気付いた。
「へえ、満足に体も動かなかっただろうに、咄嗟に致命傷だけは免れたわけだ…… 本当にやるじゃないか」
その顔からは、先ほどまでのような遊びは一切消え去り、今の日本で言うところの成人年齢にも達していない少女が自身の詰めの一撃を何とか凌いだことに純粋な賞賛が浮かび上がっている。
「だけど、ここまでだなぁ」
だが、この妖魔は敵対した相手に温情を掛けてやるほど甘くはない。
容赦なく、彼女の元へと近づき、その足を振り上げる。
「死ね」
そして、そのままその足を振り下ろした。
ぐしゃり、と頭部が弾け飛ぶさまがその脳裏には克明に映し出されていたことだろう。
「―――ぇいぁ!」
獣のような唸り声をあげて、恭二がその体へとぶつからなければ、きっと現実のものになっていたに違いない。
死にぞこないの身体のどこにそんな力が残っていたのか、と妖魔はすさまじい勢いで吹き飛ばされながら唇を舐める。
「死にぞこないが、よくもまあ動くなぁ…… 正直、まだ動くとは思っていなかったよ」
あばらが砕けた感触に、口笛を吹いて妖魔はそう言った。
対する恭二は、言葉を発することもない。否、言葉を発する余裕すらないのだ。それでも、血まみれの状態で、目の前にいる妖魔を睨みつける。
だが、そんな手負いの獣を前に、妖魔は油断のない視線を向ける。筋肉の僅かなうねり一つすら見逃さないと言わんばかりに。
確かに、単体火力としてみれば、恭二は麗華の足元にも及ばない。
だが、妖魔は彼がどんな札を持っているかは知らない。そして何より、目の前にいる男が、厄介なのは単純な力によるものでは無いと短い戦いの中で看破している。
戦いの中で、先陣を切るのも攻撃の要も確かに麗華だったが、要所要所での攻撃の差し込みや、状況判断の鋭さは恭二が随一だった。
砕けたあばらを再生させながら、妖魔は動かない。
何せ相手は虫の息。攻撃をしなくても失血のみでじりじりと体力が削られていく。そして、読みが深い相手に自身から仕掛けるのは、逆に攻撃を貰いかねないと判断したのだ。
麗華は地に伏し、恭二も満身創痍。一見すると妖魔のみが有利なように見えるが、先ほど指摘されていた通り、彼のダメージも大きく積み重なっていた。
下手に攻撃を貰えば、それが致命的なものになりかねないのは妖魔とて同じことなのだ。
「厄介だなぁ」と呟きながら、体勢を低くした。
それと同時に、臀部から伸びる蛇もゆらりと鎌首をもたげる。だが、その蛇の動きは、先ほどのような精彩を欠いている。
互いに油断の出来ない状況で、痛みの走る体に鞭を打つ。
そして、状況は一気に傾いた。
先に動いたのは、
「おぉ!」
恭二だ。