特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

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悪意の病巣 第十二話

 

 血に塗れながら、恭二は駆ける。

 手榴弾の爆風と破片の直撃を受けた体はボロボロで、目を覆いたくなる程のものだった。

 それでも、彼は全力で走る。元よりボロボロだった身体を、文字通り全力で稼働させる。そんなことをすれば、肉体が自壊するのは自明の理だというのに。

 

 それでも彼は駆け抜けた。

 

 最早、言葉を紡ぐ余裕すらない筈なのに、彼は雄々しく吠える。

 

「あの人の忘れ形見に…… 俺の馬鹿な相棒に何してくれる」

 

 強化によって高められた筋力と、タガが外れてしまっている恭二の拳が容赦なく振り下ろされる。

 その言葉の荒々しさと、強化によって限界まで高められた筋力によって生じる荒々しさとは反比例するかのように、彼の拳は精密な身体運用によって、無駄なく、今できる最速で妖魔の頭部を叩き潰しにかかっていた。

 それを阻むように妖魔は臀部から生やした蛇を恭二の頭部へと伸ばす。当然、リーチと自力の差から、妖魔の攻撃の方が早く着弾するのは自明の理だ。

 

 だが、そんなことは恭二も分かっている。

 だから彼は、衝撃で右手の皮がずるりと剝けてしまうのも厭わず、その蛇をつかみ取った。

 

「――――――っ⁉」

 

 妖魔は直後感じた浮遊感に息を飲んだ。

 

「飛べ!」

 

 荒々しい言葉と同時に、恭二はぐるりと体を回し、容赦なく屋外へと妖魔を投げ飛ばそうとした。

 

 しかし、妖魔は投げ飛ばされる最中でコンクリートの床に足を突き立て、逆に蛇を掴んでいる恭二を屋外へと放り出そうとする。

 だが、それでも彼は自身の身体の一部を掴んでいる男の掌の上から逃れることが出来なかった。

 それを見越していた恭二は、妖魔がコンクリートに足を付ける直前に、もう飛んでいたのだから。

 

「堕ちろ」

 

 ぞっとするほど冷たい声で、彼は容赦なく左腕を相手の鳩尾にねじ込んだ。

 その一撃は、妖魔にとって予想の埒外と言っても過言では無いものだった。既に恭二の左腕の骨は折れ、少し動かすだけで激痛が走ったはずだ。それに例え左腕を振るえたとしても、既に折れた腕では満足な威力は望めないと踏んでいた。

 だが、その予想は見事に裏切られたのだ。「がふ」と言う、自らの口から血と空気が洩れ出る音と共に。そして、すさまじい衝撃と共に妖魔の肉体は、今度こそ屋外へと吹き飛ばされていった。

 その姿を見送ると、恭二は忌々し気に舌打ちをしながら踵を返す。

 

「くそっ…… 仕留め損ねた」

 

 後の危険を考えれば、ここで先ほどの妖魔を仕留めておきたかったのだが、先ほど恭二や麗華がしていたように、いくらか力を逃がされてしまった。その事実に、彼は体から力が抜けていくような感覚を覚えながらも、顔を顰める。

 反動で、元々折れていた左腕の骨は、見るも絶えないほどぐちゃぐちゃに歪んでいた。当然の報いだ。だって、彼は強化を施された状態であっても、自身の肉体が自壊してしまいかねないほどの力で妖魔を殴りぬいたのだから。

 骨折していなかった右腕で殴ったとしても、反動で腕の骨が砕けただろう威力を秘めたそれを、相手の意表を突くという目的の為だけに。

 

 だが、「そんなことはどうでもいい」と言わんばかりの態度で、彼は妖魔が吹き飛んでいった地上を見下ろした。

 

「ああ…… でも、しばらくは上がってこれない…… だけど…… これは、きつい、な……」

 

 幸か不幸か、失血で遠のきそうになる意識を、ずたずたに引き裂かれた肉体が焼けるような痛みを訴え続けているおかげで、彼は何とか意識を保つことが出来ている。そのおかげで、彼は妖魔を一時的に無力化できたことを確認できたし、何より、今倒れ込むことだけは避けられている。

 

 「皮肉な話だ」とその事実にさらに顔を顰めつつ、恭二は体を引きずるようにして倒れ伏した麗華の元まで歩いて行った。その足取りは鉛のように重く、彼は倒れ伏した家族の元へと辿り着くための数メートルが酷く遠いように感じる。

 自身の肉体に最低限の治癒を施し、ある程度動けるようにしつつ、恭二はようやく麗華の元までたどり着いた。

 

 今すぐにでも治療を始めたいと彼は心底思っているが、先ほど屋外へと大ダメージを与えてたたき出した妖魔や、手榴弾を窓の外から放り込んできた敵がまた攻撃を仕掛けてくるかも分からない。

 不幸中の幸いというべきか、麗華の出血量が想定していたほどではなかったのが唯一の救いといったところだろう。そうでなければ、確実に彼女の命は燃え尽きていた。

 今にも消えそうな命の灯を繋げるために、恭二は念のために扉を開放していた部屋へと麗華を抱え上げ、歩いて行く。そして、部屋の前まで到達すると、倒れ込むようにしてその中へと身体を滑り込ませた。

 

「部屋…… 封鎖しない、と」

 

 途切れそうになる意識に、言葉を与えることで目的を与え、何とか体を動かした。そして、懐の中にしまってある結界符を十数枚取り出すと、それらをまとめて発動させる。

 それと同時に、部屋の壁を、窓を、天井を、床を覆うようにして結界が張り巡らされた。先ほどは一枚だけだったおかげですぐに破られてしまったが、これならばそれなりに攻撃に耐えられるだろう。

 そう判断して、恭二は薄れそうになる意識を必死に手繰り寄せつつ、麗華を床に降ろし、傷の具合を確かめていった。そして、ある事実に気が付き、彼は小さく微笑みを浮かべる。

 

「とんでもないな、お前は…… まさか、治癒符を発動させてるとは、思わなかったぞ」

 

 恭二は、麗華の掌に握り込まれた札を見て、想定していたよりも失血量が少なかった理由にたどり着き、彼女の優秀さに舌を巻いた。

 ダメージを受けるその直前に、麗華は無意識に自身が持っていた回復用の札である治癒符を発動させていたのだ。その効力で最低限の止血だけは出来ていたのである。最も、治癒の効力は札の発動をした彼女の意識が途絶えたために、力の指向性が定まらず、その効力が十全に発せられることは無かったようだが。

 そのおかげで、札が発動する際の僅かな発光が妖魔に視認されなかったのは不幸中の幸いだろう。

 奇跡的な状況の連鎖の上で、何とか命を繋ぐことの出来た麗華に彼は惜しみなく「運のいい奴め」と言葉を投げかけた。

 

「それでも、内臓の破裂に、断絶…… あばら骨の骨折…… 肺も片方がほとんど潰れ、かけている…… すぐに治療しないと」

 

 だが、重傷であることに変わりはない。恭二はすぐに顔を引き締めると、自分と彼女の血に塗れた右手を翳して、霊力を術式に通して治癒の力を麗華へと流し込んでいく。その際、こまめに純粋な霊力を彼女の体内へと流し込み、砕けた骨の欠片などを元の位置に戻してやりながら傷を治していく。

 その最中で、麗華は掠れた声でうわごとの様に何かを呟いた。

 それは、あまりにも微かな音で、恭二には何と言っているのかは聞き取ることが出来なかったが、夢見が悪いのだろうとあたりを付ける。なにせ、どう頑張っても安らかとは言い難い、苦悶の表情を浮かべていたのだから、それも仕方のないことだ。

 

「何の、悪夢を見てるか知らない、けど…… すぐに起こして…… やるから、な。心配するな。一人にはしないって」

 

 失血の影響で、恭二の言葉は途切れ途切れになっているが、それでも確かな力強さを持った声色で、彼は麗華に向けて励ましをかける。

 その言葉を聞いたせいか、それとも体に負った傷を治療されたせいか、麗華の苦悶の表情は幾分和らいだ。

 

 それを見て、恭二は少し安心したように微笑みながら、溢れた血によって彼女の顔にへばりついていた前髪をずらしてやる。

 

「まだ、死ねると…… 思うなよ」

 

 そう言って、麗華の右腕の治療に移ろうとしたところで恭二の身体からがくりと力が抜けた。

 

 当然だ。いくら麗華の方が緊急性の高い重症だったとはいえ、彼も死んでもおかしくはない重傷を負っていたのだから。

 

 恭二はそんな事実に対して忌々し気に舌打ちすると、麗華の身体の治療をいったん中断し、自身の身体に治療を施していく。

 

「左腕はぐちゃぐちゃだし…… 爆風と破片で全身裂傷と骨折のオンパレード、か…… 破片が地味に痛いな……」

 

 地味に痛い、程度の感想で済むはずも無い怪我なのだが、彼はあくまでもそう嘯いた。

 

 そして、麗華が負った傷の中でも、特にひどい右腕の怪我を睨みつける。

 

「酷いが…… これでも、治癒の術式の扱いはエレイン仕込み、だからな……」

 

 少しずつ冷たくなっていく体とは裏腹に、その瞳にはギラギラとした熱が揺らめいている。こんなところで死にたくないし、死なせたくもない。そんな思いが恭二を突き動かす。

 

 彼の瞼の裏に移るのは、八年前の惨劇。もう二度と、その時のような思いだけはしたくない。

 

 そして、彼は目を見開くと再び麗華の治療に移る。自身の怪我の治りは中途半端だが、失血して遠のきそうになる意識を繋ぎとめるには、ある程度の痛みがあった方が都合がいい。

 

 だから、彼はあえて骨折などの怪我は直さず、完全な止血と生命活動の維持に支障をきたすような傷のみ治療し、それ以外は放置したのだ。

 

 どのくらいで自分が死ぬのか、或いは意識を落としてしまうのか、その境界線を理解していなければ、ここまで綱渡りのような治療行為を続けることは不可能に近い。だが、それを可能にするだけの経験を秘めた恭二は、淀みなく麗華の身体の傷を治療していった。

 

「うぁ…… 恭二……?」

「ようやくお目覚めか、眠り姫」

「何に合わないこと言ってるの…… 正直、気持ち悪いよ……」

 

 起き抜けに恭二の顏を見た麗華は、小さく笑いながら遠慮のない言葉を紡いだ。それを受けて、恭二は苦笑を浮かべながら言葉を返す。

 

「起き抜けに辛辣過ぎないか、お前」

「だって、ホントに似合わなかったんだからしょうがないでしょ……? あと、無理してしゃべらなくていいよ…… 普通に見せてるけど、大分きついんでしょ?」

「なんだ…… バレてたのか」

 

 麗華の口から少しだけ気怠そうな調子で紡がれた言葉に、恭二は弱々しく、途切れがちな声でそう返した。少しだけ普通に喋っていたのは、彼女に心配を掛けまいという思いからのものだが、あっさり看破されてしまったので、彼は小さく苦笑を浮かべる。

 

 麗華は眉間に皺を寄せて、そんな態度の恭二を見つめた。その瞳には、僅かな苛立ちと、彼の容体を案ずる色が滲みだしている。

 そして、彼女は恭二のボロボロになった左腕を見つめると、どこか泣きそうな声色で、苦虫を噛み潰したような表情で言葉を紡いだ。

 

「私がさっさと相手を倒して、恭二がこんな怪我しないうちに倒すつもりだったんだけどなぁ…… ごめんね、無茶させちゃって」

「謝らなくてもいい…… いつもは…… お前がよく前に出てるから、なぁ……」

「そうだね…… でも、こんなことが無い方が良いよ」

「それもそうだ……」

 

 恭二は、麗華が目を伏せて呟いた言葉に小さく頷いた。

 こんな怪我をするような事が無い方が良い。それは、彼も抱いている共通認識だ。怪我の痛みも、怪我に苦しむ仲間の姿も、苦しいだけで何もいいことなどないのだから。

 

「ああ、そうだ。恭二、そろそろ自分の怪我を治しなよ。こっちはもう大丈夫だから、ね?」

「ぶりっこみたいな…… 喋り方をしても、正直似合わないぞ……」

「余計な一言が多いってば!」

 

 麗華は、むすっとした表情で恭二に抗議の声を上げる。その声は平時と同じぐらいの元気を滲ませており、恭二の治療のおかげでほとんど調子を取り戻してきたようだった。

 

「まあ、それはいいとして、ちゃんと怪我を治してよ? 左腕もそうだけど、ほら、ここなんて、流血が殆どないことをいいことに、破片が刺さりっぱなしになってるじゃん!」

 

 麗華は、恭二の腹部につく刺さっているガラス片を指さして、怒鳴り声をあげる。倒れてしまったことに対する悔恨と、妖魔に対する怒りが滲みだし、バチリ、と彼女の周りで火花が散った。

 感情が嵐のように荒れ狂い、霊力が音を立てて弾けているのだ。その様を見ていた恭二は、もう問題は無いだろうと判断し、彼女の言葉にコクリと頷いた。

 

「分かった…… だから、そんな心配そうな顔をするな…… それに、破片は下手にぬくと失血死しかねない、からな…… 一応、お前が起きてからじゃないと…… 倒れた時の対処が出来ないだろう……」

「だからって……」

 

 彼女は「無茶をしないでよ」と続けそうになった言葉を必死に飲み込んだ。その無茶があったからこそ、自分は今ここで息をすることが出来ているのだから。

 

 それに、普段は麗華自身が無茶をやらかしているため、言葉に出したとして「お前が言うな」と返されていただけだろう。

 

 そうして、彼女が言いよどんでいるうちに恭二は淡々と腹部に刺さった破片の類をゆっくりと引き抜き、その最中で治癒の術式を発動させることで、血を噴き出さないように怪我を治し始めた。そして、眉ひとつ動かすことなく治療を終えると、彼は小さく息をついた。

 

「これでよし…… 後は、エレイン特製の造血剤でも飲んでおくか…… ほら、お前も飲め」

 

 恭二はそう言うと、バックパックから錠剤の入った赤い瓶を取り出し、その中身を麗華の手に渡してやった。そして、二人は淡々とその錠剤を飲み下す。

 すると、先ほどまで失血の影響で青ざめていた二人の顏に、赤みがさしていく。

 

「相変わらず、良く効くねぇ」

「おかげで、何とか体を動かせそうだ」

 

 疲労がたまり始めているが、それでも怪我らしき怪我はほとんど治っている。すぐにでも起きて行動を再開しようと二人はゆるりと立ち上がった。

 だが、ある事実に気付き、恭二は眉を顰める。

 

「ああ…… 追撃を警戒していたのに、来なかったのはそう言う事か」

 

 その冷え冷えとした声に、麗華は彼の視線を辿るようにして顔を動かしていく。

 そして、彼女は見た。恭二の右腕に取り付けられた装置が真っ赤に染まり、件のウイルスに感染していることを示すサインが現れているのを。

 

 

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