感染する悪意のマリオネット症候群 第一話
並木藤次は平凡な人生を送っていたと自負している。黒髪で平凡な顔立ちに、明るいブラウンの瞳を持つ少年は、確かにただの一般人であったはずだったのだ。
それが今、とんでもない事件に、それも彼の既存の常識すべてをぶち壊してしまうような事件に巻き込まれ、その最中で起こった事象の聞き取り調査が行われている。
「藤次君。これから、君にはあの島で何が起こったかを話してもらう。巻き込まれてすぐにこんなことを聞きたくは無かったんだけど、出来るだけ、詳細に頼めるかい?」
目の前で手を組んで人のよさそうな笑みを浮かべている白髪の男は、紫水晶がごとき瞳を申し訳なさそうに細めながらも、藤次に向けてそんな言葉を投げかけた。彼はクロユリという組織の長で、名を浦部小太郎と言う。
心底申し訳なさそうにしているが、組織の長としての言葉であり、どちらかと言うとお願いと言うよりは命令に近い言葉だ。クロユリに所属している訳ではない藤次ではあったが、それも仕方のないことだと分かっているのでコクリと頷きを返す。
「ええ、大丈夫です」
「少しでも辛いと思ったら多少中断しても構わないから、ゆっくりとね」
小太郎の隣にいたエレインは、青い瞳を細めながら藤次にそんな言葉を投げかけた。
しかし、彼はゆるりと首を振ってこう言葉を返す。
「いえ、早く話してしまいましょう。じゃないと、記憶が薄れて重要な見落としをするかもしれませんから」
「そう言ってくれて本当に助かるよ。まず、事件が起こる前の話から頼めるかな?」
「はい。あの日はたしか…… 高校生活最後の夏休みでしたから、その景気づけに旅行へ行ったのがそもそもの始まりです。楽しい旅行、そうなる筈でした。結果はご存知の通りでしたが」
そう言って藤次は記憶の海の中へと沈んでいった。
*****
「おー綺麗だ!」
そう言って藤次は、穏やかそうなたれ目を細め、フェリーの柵に捕まりながら、カモメが飛び交う海を眺める。
太陽光が反射しきらきらと輝く海面と、風を捕まえて飛ぶカモメの姿が彼の心を掴んで離さない。フェリーの行き先は知る人ぞ知るといった島で、観光客もそれなりに多いその場所は、名を大欄島と言う場所だ。そこは島の半分が山と森におおわれており、その豊かな自然の中には珍しい生き物や美しい光景を見ることが出来る。
孤島めぐりが趣味の彼はその島で、高校生活最後の夏休みを友人と共に送るつもりだった。しかし、隣にいるはずの友人は、急用ができたため来られなくなってしまったのだ。
だから藤次は、そんな友人のため懐からスマートフォンを取り出すと、その光景を一枚の写真に収めた。会心の一枚と呼ぶにふさわしい出来で、彼は満足そうに頷く。
「よし、これでアイツにもいい土産話が出来そうだな。せっかく高校最後の夏なのに、急に来られなくなったってんだから、このぐらいはしてやらないと」
友人想いなところがある穏やかな少年は、写真をSNSで友人に向けて送りながら食堂へと歩みを進めた。しかし、スマートフォンに気を取られていたせいか、曲がり角から出てきた人影とぶつかってしまう。
「あら⁉」
「うわ⁉ すいません!」
声の高さから女性だと判断し、恭二はすぐさま謝罪をしながらそちらの方へと視線を向けた。
瞬間、藤次は息を飲む。視界に飛び込んできたのは、セミロングにカットされた金糸のような髪、深い青の瞳、そして一目見て分かるほど均整の取れた顔立ち。一目見て美人であると断言できるような、用紙を持ち合わせた二十歳前後と思しき女性が立っていたからだ。
一瞬息を飲んで体を硬直させる藤次だったが、すぐに正気を取り戻すと再び謝罪を始める。
「すいません、大丈夫でしたか?」
「ええ、少し驚いたけれど、特に怪我とかはしてないわ。こちらこそごめんなさいね。私も少し考え事をしていたから……」
そう言って互いに頭を下げて、藤次と女性は自分たちの進行方向へと改めて進んでいった。
そして、女性からある程度距離を取れたところで、藤次は小さくため息をつく。
「あっちゃぁ…… やっちゃったな。昔から少し抜けてるって言われてたけど、これじゃ否定できないかも」
頬をポリポリと掻いて、彼は背後を振り返った。
「それにしても、綺麗な人だ…… 外人さんっぽかったけど日本語うまかったな。もしかして、ハーフだったのかな」
どことなく人間離れした美しさを滲ませているその女性は、周囲の視線を釘付けにしながらデッキの端の方でこれから向かう島を眺めている。藤次はその姿に後ろ髪をひかれつつも、空腹を満たすのを優先したかったので、そのまま足を進めた。
少し錆びているせいか、キイキイと甲高い音を立てるドアを開けて、藤次は食堂の中へと足を踏み入れる。中は食事時から少し外れた時間だったせいか、人の姿がまばらに見受けられた。そして、彼は一番見晴らしが良さそうな窓際の席を見つけると、そこに座る。
「ここからの眺めも中々いいなぁ…… もう一枚とっておこうかな」
そう言って、藤次はぽやぽやと笑いながら再び写真を撮る。そんな彼の元へと、店員がメニューを差し出した。
「こちらがメニューになります。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます。オススメとかはありますか?」
「それなら、オムレツのセットなどはどうでしょう? シェフのこだわりが詰まった逸品です」
藤次は店員が指し示したオムレツセットの写真を見て、よだれが口の中に溢れるのを感じた。黄金色に輝くオムレツとトースト。それに加えて、紅茶が並んでそこに移っていたからだ。これはおいしそうだと確信が持てたため、コクリと頷いて言葉を返す。
「なら、このセットを一つと、追加でトーストを五枚、あと、今ポタージュもお願いします」
「畏まりました。少々お待ちください」
そう言うと、店員は軽くお辞儀をして去っていった。その後ろ姿をぼんやりと見送ると、藤次は再び窓の外へと視線を向ける。
そんな彼に、近くの席に座っていた男が声を掛けた。
「そこな人。大欄島に行くのは初めてかい?」
「はい! お兄さんは、大分ファンキーですね……」
藤次が振り返った先にいた男は、側頭部の部分で黒に近い茶髪を編み込み、はだけたシャツの下には壊れた時計をあしらった入れ墨が施された肌が覗いている。細身に見えるが、筋肉が全身に無駄なく付いており、細い眼の下からは灰の色の瞳が怪しい光を放っていた。
そんな怪しいの一言に尽きる風体をした男に声を掛けられ、藤次の顏には微妙なものが浮かんだ。しかし、そんなことは知らないとばかりに男は陽気に言葉を紡ぎあげる。
「正直だね! まあ、気にしないよ。よく言われるし。むしろ、いかにも危なそうなお兄さんに話しかけられたら、観光地と言えどもちびっちゃうよね」
「いや、流石にちびりはしませんけど……」
いきなり何を言いだすんだろうかこの人は。
そんな思いが藤次の顔にありありと浮かびあがる。それ以上に、自分で言っては元も子も無いのではないだろうかと、彼は訝しんだ。
そんな藤次の様子に気付いた上で、男は快活に笑う。
「まあ、細かいことは良いじゃない。そこで笑って流せるくらいの度量が無いと、この先やっていけないよ?」
「なんで、絡んできていきなり上から目線なんですか……」
先ほど美女を見かけて、少し上向きになっていた藤次の気分が微妙なものとなる。
その反応すら楽しみながら、男はからからと笑った。
「いやはや、ごめんごめん。こんな人畜無害そうなお兄さんをそんなに警戒するなんて思わなくてさ」
「あれ、さっきと言ってることが違いません? ま、まあ、いいのかな…… それで、一体何の用ですか?」
長々と話していると、色々なものが削られそうだと悟った藤次は、早々に本題へと切り込んだ。うんざりとしたような声色と表情から、彼の対応がぞんざいなものになっていくのが傍目から見ても分かることだろう。
だから男は、表面上だけは申し訳なさそうに、へらりと笑いながら返答を返した。
「いやぁ、こう見えてもお兄さん、大欄島には何度か行ったことがあるんだ。だから、初めてを経験する若人にちょっとしたアドバイスをしようと思った次第でね」
「……突っこみませんからね」
少しばかり下ネタの要素を織り交ぜた言い回しに、藤次は苦笑を浮かべながらそう返した。
「おやおや、突っ込まないという事は突っ込まれるのが好きなのかい? ……冗談だよ、そんなに白い目を向けないでくれ」
「白い目を向けられなきゃいけないようなことを、白昼堂々、しかも初対面の人に言うのもどうかと思いますよ」
「ノリが悪いなぁ。もう少しノッテくれてもいいじゃないか…… まあ、お詫びに島の隠れた名所を教えてあげるよ。罪滅ぼしにね」
そう言って、男はぱちりとウィンクをする。妙に様になっていて、女性ならば少しくらりとしてしまうかもしれないが、生憎と藤次は男性だ。そして、同性に興奮する質でもない。それ故に、少しばかり生暖かい視線を男へと向けてしまう。
「そもそも、大欄島に始めていく人にアドバイスをしようって話じゃありませんでしたっけ…… まあいいか。それで、隠れた名所っていうのはどこですか?」
「うーんノッテきたね。じゃあ、まず一つ目はキャバクラだ。住所は三丁目に唯一ある店だから、地元の人に聞いたら分かりやすい」
「いきなりとんでもない所に行きましたね⁉ 観光地特有の場所とかじゃなくて、よりにもよってキャバクラですか」
藤次は思わず声を上げてしまう。だが、そんな彼の戸惑いと驚きなど知らないとばかりに男は自分が持っていたマンゴージュースを啜った。そして、「ふう」と一息つくと再び言葉を紡ぎ始める。
「その場所に行かないと出会えない。そう言った意味で言うと、キャバクラも観光地の名所と言って過言じゃないさ」
「ああ、いや…… 僕はあんまりそう言った場所に行かないので、とりあえずそれ以外の場所でお願いします」
「そうか、残念。きみ、チェリーっぽいし、しょうがないか……」
「ホントに失礼だなアンタ⁉ 僕がおとなしくなかったら、ぶっ飛ばされてるかもしれませんよ?」
藤次は心底面倒くさそうに、投げやりな態度でそう返した。
ちょうどそこへ料理を作り終えた店員が、机の上に配膳をしながら苦笑を浮かべる。
「あはは…… お客様、あまり大声を出さない方が良いですよ。少し目立ってますから」
「す、すいません……」
「あっはー 怒られてやんの」
男は飄々とした態度で、傍の机から適当なヤジを飛ばし始めた。
そんな態度に、怒ることすらせず。と、言うよりは怒る気力も尽き果てたといった体で、藤次は店員に向けて言葉を紡いだ。
「店員さん、席を変えてもらって良いですか? できるだけ、この人から離れたところが良いです」
「まったまった。ちょっと待った。お詫びにここの代金は俺が払うからさぁ。もうちょっとお兄さんの話し相手になっておくれよ。いまなら、追加のドリンクもつけちゃうよ」
現金なもので、そう言われると少しためらいが生まれてしまうのが人間の悲しい性と言うもの。その隙に男は追加のジュースの注文を済ませ、店員を店の奥へと再び追いやってしまった。
藤次は逃げるための最大のチャンスを棒に振ってしまったことを悟り、小さくため息をついてしまう。
そんな彼の肩を叩き、男はニヤニヤと笑いながら言葉を紡いだ。
「まあまあ、そんなに気落ちしないでよ。ジュースも奢って上げたんだしさ」
「はあ…… 分かりました。話し相手になりますよ」
「うんうん。快諾してくれて嬉しいよ。あ、そうそう。自己紹介がまだだったね。お兄さんの名前は時実っていうんだ。よろしくね」
名乗りに対して、返事を返さないのも失礼かと思って、藤次は居住まいを正して言葉を返した。
「並木藤次です。時実さんは、おしゃべりが好きなんですね」
「それはもちろん。有り余る時間も、会話をしていれば忘れることも出来る。退屈しのぎにもってこいの娯楽だからね」
そう言うと時実と名乗った男は、ジュースを氷が入ったグラスを手元で弄ぶ。彼がグラスを揺らすたび、氷が笑うような音を立てた。
そんな音を聞きながら、藤次は一口オムレツを口へと運ぶ。
「あ、おいしい」
「ここのオムレツのセットはおいしいからね。おすすめの食べ方は、トーストの上にのっけて、まとめて頂くことかな。バターは塗らない方が良い。なにもつけずにシンプルに行くのが肝だ」
「なるほど…… あ、今初めてまともな意見を言ったんじゃないですか?」
「あれ、そうだったかな? ま、そんなこともあるでしょ。じゃ、次なるおすすめスポットは定食屋だ。こっちが本命で、さっき紹介したキャバクラの蓮向かいにあるお店だ。地鶏をこだわりの卵で包み込んだ親子丼が絶品なんだ。あ、これは昼限定だから食べたいならお昼に行った方が良いね。そして、夜はキャバクラへゴー!」
「どれだけ僕をキャバクラに行かせたいんですか…… まあ、その定食屋には行ってみます」
藤次はそう言うと、時実のオススメの食べ方でセットメニューを食していく。一口齧り付くだけで、カリカリに焼き上げられたトーストと、とろりとした半熟のオムレツの食感が口の中に広がり、そこに絶妙な味付けと元の素材の風味が絡まることで絶妙なハーモニーが生み出された。
「やばいやばい。彼岸が見えた。おいしいですね、本当に」
そのおいしさに、意識が遥か彼方まで飛びかけたが、藤次は寸でのところでそれを繋ぎとめる。それを面白そうに眺めながら、時実は人差し指を立てた。
「おっと、そろそろ時間だ。こう見えても、お兄さんは社長って役職を押し付けられててね。そろそろお仕事の時間なんだ。悪いがこのあたりでお別れだ」
「そうですか、残念なような、嬉しいような……」
「あ、そう? 結構お兄さんのトークを気に入ってくれてたんだ。へーぇ、商談に向けて自信が湧いて来ちゃうなぁ」
ニンマリと笑いながら紡がれた言葉に、藤次はチベットスナギツネのような表情になって黙り込む。確かに迷惑だと思っていたのは確かだが、退屈しなかったというのも正直な感想だったからだ。
しかし、それを認めるのはどうにも癪なので、沈黙と言う手段で自分から相手へと伝わる情報をシャットアウトしてしてる。
だが、相手は正に百戦錬磨と言った様子で彼の表情を読み解くと、満足そうに何度も頷いた。
「うんうん。良かったよ。満足してもらえたみたいで」
「その前向きさには閉口せざるを得ませんね……」
「閉口する? 今口を開いてるじゃないか」
時実は鬼の首を獲ったかのようにそう言い放つと、財布から紙幣を二枚抜き取って机の上に置いて席を立つ。
「じゃあ、本当にここでおさらばだ。おつりはいらないよ」
「だからって、福沢諭吉を二枚はやり過ぎじゃないですか?」
「いやいや、最後まで付き合ってくれたお礼だよ。最近じゃ、うちの社員は誰もお兄さんの話に付き合ってくれなくてね」
「その社員さんたちは随分と賢いようで……」
「あ、ひどいねぇ、君。でもまぁ、頭がいいっていうのには同意するよ。うちにはすごい医療機関で働いてた腕利きの研究員とかがいるからね」
藤次は「それはすごい」と、気のない返事を返しながら、セットメニューでついてきた紅茶を啜る。
「あ、これもおいしい」
「君は色気より食い気って言葉がよく似合うねぇ。おっと、本当に時間がヤバい。じゃ、お兄さんは今度こそお暇するよ」
そう言うと、時実はくるりと踵を返して去っていく。
と、見せかけて、三百六十度回転して藤次の方へと向き直った。
「あ、そうそう。一つ質問をしたかったんだ。君は、人形劇は好きかな?」
それは、単なる質問であったはずなのに、何故か不気味さを感じて、藤次は背筋に寒気を感じる。その姿を、時実は楽し気に体を揺らしながら細い眼で観察した。
「いえ、人形劇には興味が無かったので、見たことすらありません」
「あ、そう? なら、きっと気に入るよ。じゃ、お兄さんは今度こそ本当にここを去らせてもらうね。三度目の正直ってよく言うじゃない」
「仏の顏も三度まで、とも言いますよ」
「あ、怒った? 怖いなぁ、もう。退散退散っと」
ひらひらと手を振りながら、時実は背を向けて今度こそ去っていく。
それと同時に運んでこられたジュースで喉を潤しながら、藤次は一息つくのだった。