特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

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感染する悪意のマリオネット症候群 第五話

 

「おいおい、どうしたロクさん! そんなふらふらで、大丈夫かい?」

 

 その男はロクと言うらしく、どうやら定食屋の一家の知り合いらしい。だからこそ、その様子のおかしさを訝しんだ吾郎が、心配そうに声を掛けた。

 だが、その言葉にロクと呼ばれた男は僅かにうめき声をあげるだけで、ゆっくりと歩いて藤次たちの元へと近づいてくる。その様子を見て、もっともロクに近い場所に居たタエが見かねたのか、杖を突き名が近づいていった。

 

「ダメだ! おばあさん!」

 

 先ほど見た白昼夢。その光景が頭にへばりついて離れなかった藤次は声を荒げて、彼女へと静止の声を投げかけた。それと同時に、彼は椅子を蹴り飛ばすようにして立ちあがり、ロクとタエの間に体を滑り込ませる。

 それと同時に、ロクは隠し持っていたナイフを取り出し、振りぬいた。咄嗟にそれを防いだ藤次の左腕から鮮血が舞い散り、歴史を感じさせる店内の壁紙へと飛び散る。

 

「っつぁ!」

 

 経験したことのない痛みに、彼は思わず悲鳴を上げる。だがそれも、あまりの痛みにすぐに立ち消え、藤次は脂汗を流しながら歯を食いしばった。

 永遠にも感じられるような刹那の静寂。だが、それはすぐに怒号と悲鳴の中に消え去った。

 タエはよろりとよろめきながら、その場に釘付けになってしまい、吾郎はそんな彼女に声を荒げて「逃げろ」と叫びながら、恐怖に引き攣った顔で皿を取り落としたゲンを後ろ手に庇うように、ロクのいる場所から遠ざけようとしていた。

 

 場を混迷と混乱が駆け抜ける中、ロクはすさまじい力で藤次に掴みかかると、そのまま彼の首めがけてナイフを滑らせる。

 

「―――――っ!」

 

 声にならない悲鳴を上げながら、藤次は傷ついていないもう片方の腕を強引にナイフの軌道に滑り込ませようと必死に体を動かした。しかし、痛みで強張った体は思うように動かず、やけにゆっくり流れて見える光景に彼は防御が間に合わないと死を覚悟する。

 咄嗟に体を滑り込ませてしまったが、そのせいで命を落としかけているという現状に、藤次はどこか他人事のように自嘲した。そのくせ、先ほど自身が見た光景を認められないと、気に食わないと思って飛び出してしまったのだから手に負えない。

 だが、死を覚悟しても生を手放した訳ではない。少しでも受ける傷を浅くしようと、身体も彼が出来る限界まで捻る。無駄なあがきかと思われた彼のその行動は、

 

「どきなさい!」

 

 定食屋の中に居た面々の中で、唯一動けていたエレインの行動により結実した。彼女は藤次めがけて一度目のナイフが振るわれた時点で素早く跳躍。その勢いを乗せ、強烈なドロップキックを繰り出したのだ。

 その細身の身体からは想像できないほどの威力を持ったそれは、ロクの肉体を店外へとはじき出した。

 

「大丈夫?」

「え、ええ…… ありがとうございます。おかげで助かりました」

 

 流血と恐怖によって完全に血の気が引いているが、しっかりとした声色で藤次は返事を返す。その言葉を聞いて満足そうな表情をしながらも、エレインは店の外から視線を外さない。

 

「あの人、明らかに正気をなくしてるわね。普通なら、痛みと骨折でもう立てないくらいのダメージを与えたのに、あの通りよ」

 

 そう言って、エレインが顎で指示した方へと視線を向ければ、明らかに腕が曲がってはいけない方向に曲がっているのに、まるで痛みを感じていないかのようにゆらりと立ち上がった。

 

「右腕の複雑骨折、足の骨に罅、あばらも三本折れている。普通の人間なら、痛みで起き上がることすら難しい重症、なのに立ち上がってくるなんて異常の一言。まったく、何処の誰が仕掛けてきたのかは知らないけど、私の目の前で、一般人にあんなことをさせるなんていい度胸してるじゃない」

 

 そう言ったエレインの表情は、静かな怒りに染め上げられている。触れれば切れてしまいそうな冷たさを湛えた彼女の気配が、藤次には重傷を負ってなお立ち上がりこちらに向かってくるロクよりも恐ろしく思えた。

 

「あの男は私が鎮圧するけど、貴方は出来るだけ傷口を強く圧迫して出血を抑えてなさい。今、あれを鎮圧するまでは安心して治療が出来そうにないわ。まったく、とんだ休日ね…… 札の類も持って来れば良かったわ」

 

 最後にぼそりと呟かれた言葉は、藤次の耳に届くことは無かったが、それでも止血の指示を受けてコクコクと頷きながら後ろへと下がる。ナイフを持った男相手に、平然とした態度を貫く彼女の姿に気圧されたのだ。

 だが、彼の戸惑いを置き去りにしてエレインは素早くロクの元に接近すると、迎撃のために振り下ろされた左腕をするりと躱して背後に回り込み、袖口から細いワイヤーを取り出した。そのワイヤーは、まるで生き物のようにするりとエレインの手の中で蠢いたかと思うと、次の瞬間、ロクの手足に巻き付き拘束せしめた。

 そのあまりにも鮮やかな手技に、藤次は怪我をしていることを一瞬忘れてしまうほどの驚嘆を覚える。しかし、すぐにぶり返した痛みが彼を現実へと引き戻した。

 ロクを拘束し終えたエレインは痛みに呻く藤次の元へと駆け寄ると、すぐにその傷の状態を確かめ始める。

 

「結構深く切られてるわね…… 一応消毒するから、焼酎を貰えるかしら?」

「お、おう! 分かった」

「なら、タエさんは一応、警察への連絡を」

「わ、分かったわ……」

 

 一通り傷口を見聞した彼女は、店の奥でゲンを庇うようにして立っていた吾郎と、未だ体を硬直させていたタエに向けてそんな言葉を投げかけた。それを聞いて正気を取り戻したのか、二人は指示された通りに動き始める。

 それを見届けるとエレインは、おしぼりを包帯代わりに使えるサイズまで引き裂いた。

 

「普通に治療するなら縫合するのが一番いいんだけど、とりあえず応急処置だけしておくわね。流石に麻酔無しで縫うのは嫌でしょう?」

 

 そう言ったエレインは酷く口惜しそうな表情になりつつも、吾郎から差し出された焼酎を受け取り、それを藤次の傷口へと豪快にぶっかけていく。その消毒の荒々しさは、目の前にいる患者にしっかりとした治療を施せないもどかしさを感じたものなのか、

 

「いだだだだ! 染みる、染みてます!」

「消毒してるんだから当たり前よ。ほら、次は傷口を縛るからもっと痛いわよ」

 

 エレインは淡々と言葉を紡ぎながら、すさまじい速度で傷口へ処置を施していった。流石は医療関係者と言うべきか、その手際は鮮やかで無駄が無い。しかしながら、恐ろしい程の力で傷口を締め上げられている藤次はたまったものでは無く、痛みに悶えながら脂汗を流した。

 

「も、もうちょっと優しくしてもらえたりとかは……」

「優しく縛って、失血の量を増やしたいのかしら?」

「あ、何でもないです……」

 

 返ってきた言葉の容赦のなさに、藤次の抗議は一瞬で封殺されてしまう。素人目に見ても相当な量の流血をしていたので、これ以上の流血は流石にまずいかもと彼も感じたのだ。

 患者が納得したのを確認すると、エレインはテキパキと処置を終えていく。

 その最中で、エレインは電話を掛けているタエに向けて言葉を投げかけた。

 

「タエさん。警察には連絡がついたかしら?」

「そ、それが…… 何度かけなおしても繋がらないの……」

「何ですって?」

 

 エレインはその言葉を聞いて、素早く自身のスマートフォンを取り出して電波状況を確認し始める。だが、そこに表示されたのは電波が出ていないことを示すアイコンのみだ。それを確認した彼女が小さく舌打ちした。

 

 それと同時に、

 

「な、なんだ⁉」

 

 すさまじい爆音が立て続けに響き渡った。

 

 

 

 

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