特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

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感染する悪意のマリオネット症候群 第七話

 

 店の裏口から息を潜めて脱出した面々は、可能な限り音を立てないようにホテルへと向かっていた。地形に明るい吾郎とこの面々の中で最も戦闘能力が高いであろうエレインが務め、中間をタエとその腕を支えているゲンが歩き、最後尾を藤次が務めている。

 あちこちで煙があがり、悲鳴が聞こえてくる状況の中で、エレインは瞳に静かな怒りと焦りを滲ませながら小さく呟いた。

 

「本当に、何処の誰のせいか知らないけど、覚悟しなさい」

 

 地を這うような声は、聞いたものの背筋を凍り付かせるような冷たさをもって紡がれた。だが、彼女は冷静になるために、小さく頭を振って息をつく。どうやら、それを聞きとがめたらしいものが居ないことに安堵しながら。

 そんな中で、吾郎と藤次は盾代わりに厨房から持ってきたフライパンを手に持ち、エレインは袖口に仕込んであるワイヤーをいつでも取り出せるように、周囲を警戒しながら歩く。その中で藤次だけは少し浮かない表情をして思考の海に沈んでいた。

 彼は先程店で起きた白昼夢と、それが現実として起こったという事実を未だうまく消化できずにいた。あれはなんだったんだろう、そんな思いが彼の頭の中を駆け巡り続けている。彼が見た白昼夢はあまりにも現実味を帯び過ぎていたし、それと寸分たがわぬ光景が繰り広げられようとしていた。

 

 藤次が少しでも飛び出すのが遅ければ、それは現実のものとなっていただろうことは想像に難くない。それと同時に、腕を切り裂かれた際に感じてしまった死の恐怖を思いだし、ぶるりと身体を震わせた。

 

 そんな藤次の手を誰かが握る。ふと、彼がそちらに視線を落とすと、ゲンが心配そうな表情で見上げていた。

 

「大丈夫?」

 

 それはとても小さく顰められた声で、ともすれば聞き逃してしまいそうなものだったが、それでも確かに彼の耳にそれは届いた。自分よりはるかに小さく、幼い子供にこんな状況で心配を掛けてしまったことに、藤次は申し訳なさを覚えた。

 

「大丈夫、ありがとう。ゲン君は優しいね」

 

 だが、それでも体の震えが止まってくれたので、彼は穏やかな表情でそう呟いて、ゲンの頭を優しくなでてやる。彼の頭に乗せた手から小さな震えが伝わってきたので、うっすらと目を細め、優しく安心させるような手つきになって。

 それでゲンも少しは安心できたのか、彼の震えもある程度収まった。それを見たタエは、藤次に目線の身で礼を告げた。それに小さく頷きを返し、藤次は再び周囲への警戒を強める。

 

「止まって」

 

 その時、先頭を歩いていたエレインが一同を制止した。

 

 彼女の視線の先には、ホテルの敷地内。そこに、身体を不自然に揺らしながら歩いている目つきがうつろな男女三人。それぞれに返り血を浴びて、身体を所々赤く染め上げている。

 そして、その足元には血だまりの中に沈んでいる一組の男女と、がたがたと身体を震わせていた。彼らが立っているのは、ホテルの入り口。戦闘は避けて通れない。さらに、ゲンが思わず声を上げてしまった。

 

「マリちゃん!」

 

 その声に反応し、凶器を手にした三名の相手はぐるりと首を回し、エレイン達を睨みつけた。ゲンはやってしまった、と顔を青褪めさせるが、それでもそのマリという少女から三人の気を逸らすことに成功する。

 それが意図したものでは無いのは確かだが、どちらにせよ敵に気付かれたことには違いない。

 エレインは目を細めながら素早くワイヤーを手繰った。次の瞬間、まるで生き物のようにワイヤーが宙を走り、三人の男女を拘束せしめる。そして、そのままワイヤーを更に手繰り、宙に釣り上げたうえで電柱に磔にした。

 

「すごい……!」

 

 その手技を見た藤次は、そのすさまじい技術に改めて舌を巻く。彼女の様にワイヤーをあそこまで巧みに操り、戦える存在などバトル漫画かラノベの世界だけだと思っていたからだ。そんなすさまじい技術をどのようにして身に着けたのかは分からないが、今はそんな技術を身に着けている彼女が藤次には頼もしかった。

 だが、そんな感心を彼はすぐさま投げ捨てた。今はそれに見惚れている場合ではないし、座り込んでいるマリと、その両親と思われる男女が血の海に倒れ込んでいる。全身に切り傷や刺し傷、果ては噛みつかれたような跡。その凄惨な傷跡と出血量を考えて、放置することなど出来なかったからだ。

 

「大丈夫ですか⁉」

 

 一同、はすぐさま倒れている男女とマリに駆け寄った。特にゲンは、マリとは知り合いらしく倒れ込んでいる男女を見て顔が真っ青になる。それでも気丈に振る舞い、自身の祖母の手を支えているのは、彼の精いっぱいの強がりなのだろう。

 タエとゲンはへたり込んで涙を流しているマリの傍によると、その背をさすりながらなんとか立たせようと手を取った。だが、彼女の視線は血まみれで倒れ込んでいる二人に釘付けになっており、動こうとしない。うわごとの様に、「お父さん、お母さん」と言葉を紡いでいる。

 そんな中でエレインは、素早く血まみれで倒れ込んでいる二人の容体を確認する。そして、自身の鞄に入っていたらしい医療用手袋を手に装着すると、残りの面々に向けてこう言い放った。

 

「貴方たちは先にホテルの中に行って! 私はこの人たちに出来るだけの処置を施してからそっちに連れて行くわ」

「だけど、そうなったらエレインさんが一人になっちゃいますよ⁉」

「いいから行きなさい。私は一人だからってやられる程やわな女じゃないわ。でも、貴方たちは違うでしょう? それに、この患者はここから動かせる状態じゃない。だから、ここで治すしかないの」

 

 エレインは藤次の言葉に、鋭くそう返した。それは事実なのだろう。だが、それでもエレインを置いていく理由にはならない。藤次はなおも言い募ろうとするが、彼女の鋭い視線に何も言う事が出来なくなった。

 

「いい? 貴方たちはホテルの中に入って、部屋に立てこもりなさい。私はまだやることがあるし、どっちにしろついていくことは出来ないわ」

 

 突き放すような言葉だった。だが、それに反論するほどの力もなく、藤次は小さく肩を落とした。その表情に苦いものを浮かべながら、彼は言葉を紡ぐ。

 

「分かりました。だけど、エレインさん一人でその二人を運べるんですか?」

「さっきそこの電柱に三人釣り上げたわよ。腕力に関してはそれで十分だと思わない?」

「そうでしたね……」

「ああ、それと、ホテルの中にさっきの奴らみたいなのが居ないかどうか、警戒を怠らないように、ね!」

 

 その言葉と同時に、エレインは路地から飛び出し、襲い掛かってきた男を近くの電柱へと釣り上げた。

 それをどこか引き攣った顔で見詰めながら、それでも心配そうな表情を消し去れない藤次だったが、踏ん切りをつけて他の面々に向き直った。

 

「エレインさんがこう言ってますし、二人は任せて先に行きましょう。ここにいても僕たちは何も出来ないし、逆に足で纏いみたいです」

「ああ、そうだな…… ゲン、マリちゃんの手を引っ張って立たせてやんな。その子も連れてってやらないと」

「うん、分かった」

 

 ゲンは吾郎の言葉にうなずいて、一旦タエの手を放し、マリの手を引いて彼女を立たせた。未だ顔色が悪く、倒れている両親に視線が釘付けになっているが、手を握られたおかげで少し安心できたのか、何とか立ち上がることが出来たようだ。

 マリは涙で赤くなった瞳で、エレインへを見つめる。

 

「お父さんとお母さん、助かる?」

 

 その言葉は、聞いたものの肺腑を凍り付かせてしまうのではないかと思わせるような響きを持っており、同時に小さな少女の絶望と僅かな希望が滲みだしている。

 エレインはそこに何を見たのか。彼女の表情に一瞬浮かんだのは、怒り、寂寥、哀しみ。そう言った感情がまじりあってその目を大きく見開いていた。

 

 それを敏感に見てとった藤次は、何故そんな表情を浮かべたのかと、心の奥底で僅かに疑問を浮かべる。

 そんな表情を浮かべたエレインだが、彼女は決して楽観的な言葉も悲観的な言葉も返さない。

 

「手は尽くすわ。でも状況が状況だからどうなるかは分からない。とにかく、貴方は他の皆と一緒にホテルに入って安全を確保しなさい。今は、自分の事だけを考えて。いいわね?」

 

 その言葉にマリは息を詰まらせるが、それでも何とか頷いて自信を起こしたゲンの手を強く握った。そんな彼女にエレインは力強く頷きを返す。

 

「ええ、今はそれでいいわ。さあ、分かったら行きなさい。私は二人を治したら、門を閉めて追いかけるから」

「分かった……」

 

 マリはなんとか声を絞り出し、返答を返した。そんな中、藤次は最後に一言だけエレインに言葉を残した。

 

「エレインさん、無理だけはしないでくださいね。さっき会ったばかりとは言え、知り合いが死ぬとか勘弁ですからね」

「分かってるわ。貴方は他の人たちをお願いね」

「はい…… 306号室で待ってます」

 

 藤次はエレインの言葉に力強く頷いて、他の面々と共にホテルの中へと消えていく。

 その後ろ姿を見送りながら、彼女はボソリと呟いた。

 

「これで、私の治療が見られる心配はなくなったわね。これで、心置きなく治療できるわ。こればっかりは緊急時とは言え見られるのはよろしくないし」

 

 そう呟いたエレインの両手が仄かに光を帯びる。ぶわりと彼女の周りの空気が押しのけられていく。

 その最中、藤次の不安げな表情を思いだし、小さく苦笑を浮かべた。

 

「それにしても、あの坊やは…… 私はあんなに心配されるほどやわじゃないわよ」

 

 その苦笑の中に穏やかな温かみがあるのは、その厚意をしっかりと理解しているからだ。だが、自身が呟いた言葉を反芻し、小さく目を見開いた。

 

「やだ…… 坊やとか言ったら、歳をとり過ぎたって実感しちゃうじゃないのよ……」

 

 彼女がそう呟きながら燐光を帯びた手を倒れ込んだ二人の傷口に向けて翳すと、その傷口がすさまじい勢いで塞がっていった。その様はまるで巻き戻された映像の様で、普通ではありえない速度での治癒が行われていく。

 だがそれは紛れもなく起こっている現実だ。夢幻の類では断じてない。エレインは霊力と呼ばれる精神と肉体に宿るエネルギーを用い、その力をもって現実に干渉する術を持つ。彼女はその中でも治癒を得意とし、現代医療における各種技能も網羅している正真正銘のプロフェッショナルだ。

 クロユリと呼ばれる機関に所属するエレインにとっては、今行っていることは日常茶飯事とも呼べる行いだ。だが、これは一般人の目に移れば、異常、不可解、不可思議なものに移るだろう。故に秘匿されなければならない。

 

 だからこそ、彼女は藤次たちを遠ざけた。ただでさえ異常事態だというのに、そんな中でこのような光景を見せられてしまえば、何が起こるか分からない。精神が追い詰められている状態で、そんな光景を見せられてしまえば、精神の針がどう動くかが分からないのだ。

 そう言った事情から、エレインは藤次の傷に対して今のような処置を施すことは出来なかったし、彼らをホテルの中に追い立てるまでは倒れている二人に処置を施す事すら出来なかった。だが、今は違う。彼女は自身が持つ現代医療の知識と、今引き起こしているオカルト染みた光景に対する知識。その両翼を、存分に振るうことが出来る。

 千切れた血管をつなぎ合わせ、避けた皮膚を塞ぎ、細胞一片一片という細かいレベルの治療を施していった。だが、その最中でエレインは小さく舌打ちをする。

 

「傷は塞げても、血が足りないわね…… 造血剤を投与しないと…… それに少し、ホントに少しだけだけど術による治癒の速度が遅いわね……」

 

 自身の行うべき治療の手順を口に出して確認しながら、彼女は注射器を取り出すと薬液の詰まったアンプルから中身を吸いだした。そして、その薬液を吸いだした注射器を倒れている二人の血管に向けて突き刺し、中身を少しずつ流し込んでいく。

 処置の際、医療部門の統括者である彼女のレベルだからこそ気づけた違和感に、眉を顰めながらも。

 そうこうしているとようやく容体が安定し、マリの両親の顏に赤みが差してきた。

 

「これなら、動かしてもよさそうね。あの子たちを追いかけないと…… 流石に、違和感の原因を調べている時間はなさそうね。後は包帯を巻いて元の傷口を隠してっと」

 

 そう言って軽く処置を施すと、エレインは藤次たちが消えたホテルへと視線を向ける。

 

「中が安全、とも限らないし…… 無事でいなさいよ」

 

 そう呟くと、彼女はホテルからいったん視線を切って、くるりと踵を返した。

 己の為すべきことに向き合うために。


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