特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

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感染する悪意のマリオネット症候群 第八話

 

 エレインを置いて先にホテルの中へと踏み込んだ一行は、荒れ果てたロビーを見て絶句することとなった。椅子や机などが倒れ、或いは完全に砕けた状態で散らばっており、ところどころに血の跡が見られる。

 

「荒れてるな。でも、死体が無い……?」

「それでも、荒れてるっていうことはロクさんやさっきの三人みたいになってるやつらがいるって事だろう? あんまし油断するんじゃねぇぞ、ボウズ」

 

 吾郎はそう言って、油断なく視線を巡らせる。その通りだと思って、藤次もまた気を引き締めた。

 

「ボウズ、アンタの部屋は何階の何号室だ?」

「三階の306号室です。三階にありますが、この状況でエレベーターを使うのは……」

「よろしくねぇな…… タエの足に無理させちまうが、階段で上に行くしかなさそうだぞ」

 

 そう言いながら吾郎は、二つある階段の方へと視線を滑らせる。そちらの方にも血の跡が続いており、決して安全とは言い難そうな状況だ。それでも、敵と遭遇した時のリスクを考えれば、階段を登らざるを得ない。停電でエレベーターが止まる可能性もあるし、エレベーターのついた先で敵と遭遇した時に逃げ場が殆どないという欠点もあるからだ。

 少し動くのにも、膨大なリスクを伴うこの状況では、僅かな判断ミスが命取りとなる。移動手段一つ、移動経路一つといった小さな要素が、自身の命運を分けるというのだからたまったものでは無い。

 じっとりと汗がにじむのを感じつつも、藤次は二人の子供と老婆に視線を向ける。

 

「みんなもそれでいいですか?」

「ええ、私はあなたたちの判断に任せるわ」

「俺も、それでいいよ」

「私も……」

 

 それぞれが硬い表情で、頷きを返す。それを確認した藤次は吾郎と視線を合わせると深く頷きあった。

 

「じゃあ、さっきと同じで吾郎さんが一番前、僕が殿を務めます。僕の部屋へは…… あっちの階段の方から登ったほうが近いです」

「おう、分かった。後ろは任せたぞ、ボウズ」

「腕がこれじゃなきゃ、先頭を歩いてたんですがね」

「そう言うな、そいつはうちのタエを助けるために折っちまった傷なんだ。その分、俺がきっちりと働いてやるからよ。心配すんな」

 

 吾郎はドンと胸を張ってそう言うと、階段の方へと歩き出した。一行はその背についていく形で移動を開始する。そして、階段の前まで差し掛かったところで、吾郎は慎重に身を乗り出して、その先に視線を巡らせた。

 

「大丈夫、階段には奴らはいないみてぇだな…… よし、行くぞ。ゆっくり、音を立てないように」

 

 吾郎のその言葉に従って、一行はゆっくり階段を上っていく。

 普段なら何とも思わないような距離が途轍もなく遠く感じられる。体がしっかりとしている藤次でさえそうなのだから、足腰の弱いタエにはとても辛い道のりなのだろう。彼女の額にはうっすらと汗がにじんでいた。

 そんな彼女と精神的に追い詰められているマリを気遣うように、ゲンは二人の手を握っている自身の両手に力を込めている。少しばかり力がこもり過ぎているのは、他ならぬ少年自身の不安なのだろう。

 そんなゲンを安心させるように藤次は後ろから小さなな声で言葉を掛けた。

 

「後ろと前は大丈夫だから、ゲン君は安心して二人の手を握ってて」

 

 突如かけられた言葉に、ゲンは少し驚いたような表情になるが、それでもどこか安心したような表情になって頷いた。そんなゲンに笑顔を返しながら、藤次はさらに言葉を続ける。

 

「まあこの子、頼りがいのあるナイスガイなんで、二人も安心してこの子を頼ってあげてください。短い付き合いの俺でも分かるんですから、二人はもっと分かっているでしょう?」

 

 ホテルまでの道中で、他ななぬ藤次自身が励まされたからこその言葉。それは、確かな力をもってタエとマリの心に染み込んでいった。そして、彼女らもゲンの手を力強く握り返す。

 

 言えることはすべて言えた。

 

 藤次はそう思いながら、階段をゆっくりと上がっていく。これ以上今は出来ることもないし、あまり話に集中して周囲の警戒が疎かになるのもよろしくはない。

 

 そしてゆっくりと歩いて行くうちに、一行は三階の踊り場までたどり着いた。だが、そこで先頭を歩いていた吾郎ができうる限り押し殺した声で一同に静止を掛ける。

 

「まて、やつらだ……」

 

 その言葉に、緊張が一気に高まった。よりにもよって三階、藤次がとった部屋のある階で足止めをくらったとあって、一同の顔に苦い者が走る。

 吾郎は通路の先に視線を外さないようにしながら、背後にいる藤次たちに向けて言葉を紡いだ。

 

「どうする? 一階に戻って、別の部屋の鍵を盗ってくるか?」

「もし、部屋の中に立てこもっている人間が居たら、ろくなことにならないと思います。この状況で部屋の扉が勝手に開いて、入ってきた相手に心穏やかでいられる保証なんてありませんから。他の部屋はそうなる可能性が少なからずありますが、それでもいいなら」

 

 藤次がそう返すと、吾郎は眉を顰める。

 

「それはよろしくねぇな…… それに、タエの足のことも考えると、仲良しこよしで下まで降りるのは相当難しい。二手に分かれて鍵を盗ってくるとしても、片方の戦力がガタ落ちすることになる。実際問題、この中であれとやり合って逃げられるのは俺とボウズぐらいだ」

「ですよねぇ…… アイツら、ふらふらしてますけどトップスピード自体は速いみたいですし……」

 

 今から下に戻るのも、誰かがカギを取りに行くのも大きなリスクを伴う。見つかれば、少なからず犠牲が出てしまう可能性も十分にあり得るのだ。

 

「無難な線としては、エレインさんを待つのが一番いいと思います。あの人、軍医なのか何なのか、妙に戦いなれてましたから」

「そうだな…… あの腕力もワイヤーを操る技術力も普通じゃ無かった。それに、いかにもこう言った事態になれてますって様子だったし、合流できれば何か分かるかもしれねぇ」

「なら、出来るだけここで……」

 

 「ねばりましょう」そう続けるつもりだった言葉は、階下から鳴り響いたガラスの割れる音とどこか遠くから鳴り響いた炸裂音の残響にのまれて消えていく。

 藤次は目を大きく見開いて、呆然とした声で呟いた。

 

「なんだ…… 今の?」

 

 一般人には縁遠いその炸裂音が銃声だと、混乱していた彼らは気づくことは出来なかった。

 

 

 

 

 今はまだ。

 

 

 

*****

 

 

 時間は僅かに遡り、エレインが治療を終えた頃。

 

「さて、私も早くあの子たちに追いつかないと……」

 

 彼女はそう呟きながら彼女はワイヤーを無造作に操り、正門へと絡みつかせた。そして、そのままその人外の腕力をもってして、鉄製の門を勢いよく閉じる。

 

「門はこれでいいとして…… 流石に、ある程度片付けておかないとまずいわよね?」

 

 そう言うと、エレインは周囲をぐるりと見回した。どこから集まってきていたのか、敷地内にいたであろう人間が、ゆらゆらと身体を動かしながら、彼女に向けて近づいて来るところが彼女の視界に入る。

 それだけでなく、ホテルの上階に居たであろう大勢の人間がとエレインと同じ地上へと飛び降り、四肢を蜘蛛の様に地面へと突き出して次々と着してきた。そして、ゆらりと体を揺らしながら立ち上がると彼女に向けて敵意に満ちた視線を向ける。

 それを見て、エレインはその数をゆっくりと数え始めた。

 

「ひーふーみーよ…… ざっと十人以上はいるわね。今も遠くから悲鳴がちらほら聞こえるってことは、島全体ではもっとか……」

 

 エレインは冷静に、そして冷徹に思考を巡らせていく。彼女には今動いている人間たちの症状に見覚えがあった。精神的、肉体的に相手を操り支配する類の術。使うのは日本の裏側、オカルトの面を司る法によって、固く禁じられているそれを使われたものとよく似た特徴をしている、と。

 それに思い至ると同時に、彼女の声は絶対零度の域にまで冷え切っていった。

 

「支配系の術を用いても、これだけの人数を操るなら、それ相応の霊力が必要なはず…… 流石に、それだけの霊力を用いた術の発動に気付けないほど鈍ったつもりは無い、と思いたいわね。一体、どんな手を使ったのかしら」

 

 ぶつぶつと言葉を呟いて、一向に彼女は動こうとはしなかった。それを好機と見たのか、集まってきた人間の一人がエレインめがけて襲い掛かる。

 

「思考の邪魔」

 

 たった一言。それだけ呟いて、彼女はワイヤーでその男の足を絡めとり

 

「どきなさい」

 

 そのまま無造作に振り回し、そのまま数人をなぎ倒した。もちろん、そんなことをすればワイヤーに絡めとられた男も無事では済まない。だが、彼女はそんなことは知らないとばかりに、それを地面へとすさまじい勢いで叩き付けた。

 

 ゴシャリ。

 

 そんな、何かが砕ける音と潰れた時の音が混ざり合ったかのような音が、あたりに響き渡る。

 

「安心なさいな。殺しはしないわ。仮にも私は医者で、貴方たちはどこかの誰かに操られているだけの一般人。でも、貴方たちがそうなった原因をどうにかするまでは、動いてもらっちゃ困るの。犠牲者が増えるのは、医者として看過できないのよ」

 

 彼女の宣言通り、明らかに即死したと思ってもおかしくはないようなダメージを受けた男は、ビクビクと身体を痙攣させながらも生きていた。だが、起き上がることも出来ず、唯々身じろぎを繰り返すばかり。

 

「私が持ってるワイヤーはかなり長いけど、長さには限りがあるのは自然の摂理。皆仲良しこよしで拘束してあげられないわ。だから」

 

 操られている人間が、もしも正気であったのなら心臓の音が一瞬止まってしまうのではないか。そう思わせる怒りに満ちた昏い瞳でエレインは言葉を朗々と紡ぐ。

 

「壊しながら治してあげる」

 

 世界を魅了するような艶然と笑みを浮かべながら。

 

「さあ、こっちを見なさい。どこの誰だか知らないけど、その思惑を正面から叩き潰してあげる」

 

 その言葉が切欠となったかのように、操られている人間の首が一斉にエレインへ向いた。そして、彼女以外のものが視界に入っていないと言わんばかりの様相で襲い掛かる。だが、そんなものエレインにとっては物の数でしかない。

 まず先頭をきって近づいてきていた女の足にワイヤーを巻き付けると、そのまま一本釣りにされた魚の様に空中に釣り上げ、そして放り出した。

 そして、空中で投げ出された女は、そのまま背後から迫っていた人間に向けて落下。そのまま数人が折り重なるようにして転倒する。それよりもある程度の距離をとった場所に居た人間は、それを避けるようにしてエレインへと接近を繰り返す。

 

「攻撃性は充分、凶器を使う、障害物も問題なく避ける。人間本来の知性も想定以上に残っているわね。門を封鎖しただけじゃ安全確保は難しいか……」

 

 最初に襲い掛かってきたロクを見た時は、緊急時という事もあって深くその行動を分析することは出来なかったが、今はそもそもの状況も観察できる母数も違う。だからこそ、その行動原理を見て予想よりも知性が残っていることに、驚きと焦りを覚えた。

 本来、支配系の術式を大多数に適用する場合、ここまで知性を残して操ることは難しい。だが、動きは少しばかりふらふらとしているとはいえ、知性をある程度感じられるレベルで残している。

 これでは、立てこもったとしてもすぐに人が居ると察知され、逆に建物を包囲されてしまう可能性が十分にあり得てしまうのだ。

 

「先にあの子たちを行かせたのは失敗だったかしら……」

 

 先に行かせた藤次たちのことを思い、彼女は少しばかり表情を曇らせる。

 

「さっさと片付けさせてもらおうかしら。残念だけど、付き合いの長さはあの子たちの方が少しだけ長いから、あっち優先させてもらうわよ。少し雑な施術になるけど、悪く思わないで」

 

 そう言ってエレインはワイヤーを精緻に操り、腕を交差させるように振るった。彼女めがけて迫ってきていた人間たちにワイヤーが巻き付いていく。これだけなら、先ほどと同じだ。

 だが、彼ら彼女らに巻き付いたワイヤーは、そのまま服を切り裂き、そのまま引き絞るようにして皮膚を、肉を、骨を一瞬で通り抜けた。

 一見しただけで致命傷を与えたと判断できる行為を行ったエレインは、表情をピクリとも変化させずに、次々とワイヤーを操り、次々と襲い掛かってくる人間を切り裂いていく。

 そして最後に、鉄パイプを持って襲い掛かってきた男の攻撃を躱し、すれ違いざまにワイヤーを体に巻き付け、一刀両断にした。

 エレインは無表情で自身の行いによって地に伏した人間たちを見つめる。

 

「四肢の神経及び骨の切断完了…… 確認の呼吸器に異常なし。他の切断部位の治癒完了」

 

 倒れ伏した一人一人の身体は、彼女がとった行動に反して、バラバラにはなっていなかった。それは先程エレインが言った通り、壊しながら治しているからに他ならない。

 地面に叩き付けた男も、宙に放り投げられた女も、骨が折れ、肉が裂ける瞬間にエレインが術を用いた治療を同時に行っていたのだ。

ワイヤーが通り抜けるまでにかかる時間は、コンマ一秒以下。つまり、それほどの速度で通り抜けたワイヤーの傷を塞ぎ、それどころか神経や骨の損傷のみを残すという、まさに神業と言ってもいい治療の腕を彼女は持っている。

 だが、流石にそれほどの腕を持っているとは言えども、大量の操られた人間相手に大立ち回りをしながらそれを行うのは彼女にも難しかったらしく、小さく息をついた。

 

「ふぅ…… さっさとマリちゃんの両親を担いで、あの子たちに合流しないと…… この人たちがどういう風に操られていたかは調べないといけないけど、人命第一ね」

 

 優先すべきはあくまでも人命である。それはオカルトの側面が大きく絡んだ技術を用いているとは言え、医者としての矜持であり、譲れない一線だ。

 だが、もうこの場所に彼女が治療を施せる人間はいない。操られていた人間は、未だにうめき声をあげながら身じろぎをしているが、神経と骨を寸断されてしまっているため身動きが取れず、脅威とはなりえない。最早、人を襲うことが出来ない以上、相手をする必要はないのだ。

 

 故に、彼女はこの場所にもう用はないと踵を返した。

 

 しかし――

 

 

 

『油断なんてしちゃだめですよ?』

 

 

 

 

 急いで藤次たちの元に向かわなければ、そう思い焦っていたからだろうか。彼女は遠くから自身を狙う銃口に気が付くことが出来なかった。

 次の瞬間、倒れ伏したマリの両親にワイヤーを巻き付け、担ぐ体制に入っていたエレインの肉体を、衝撃が突き抜けていく。それから僅かに遅れて、ガラスの割れる音と銃声が彼女の耳に届いた。

 

「ぐぁ!」

 

 それと同時にエレインの口から血がせり上がる。

 そこで、彼女はようやく自身が狙撃されたという事に気付く。

 エレインに着弾した弾丸が貫通し、ホテルの玄関のガラスを粉々に打ち砕いた様を見て、彼女はおおよその狙撃位置を頭の中で割り出すと、左手でワイヤーを手繰り近くにあったホテルの看板をその射線上に割り込ませた。

 直後、次いで放たれた弾丸がそれを貫通するが、そこには既にエレインの姿は無い。

 それを見た狙撃手は、アイリスは小さく舌打ちをする。

 

「逃げられましたか…… あの程度の傷なら、すぐにふさがれてしまいますね。ですが、まあ、まだ手はありますよ」

 

 そんな不気味な言葉を残して、狙撃地点から姿を消した。一度狙撃をしてしまえば、凡その位置を特定されてしまう。

 ならば、狙撃位置を変えるか、他の手を考えるしかない。

 

「さて、次の手は……」

 

 アイリスは暗く笑い、くるりと身を翻した。

 

 

 

 

 

 

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