呆れたようにつぶやかれた言葉は、それでも確かに安堵の色を滲ませて藤次に耳に届いた。それを聞いて、彼は照れくさそうに頭を掻いて見せる。
「いやぁ…… これでも、また無茶しちゃったところなんですけどね」
「自慢げに言う事じゃないわね…… そんな事、上から降ってきたのを見たら、言われなくても分かるわ」
「それもそうですね」
「納得してもらえたようで何よりだわ。今から貴方だけを降ろすから、あんまり動かないでね。貴方の後ろにも吊るしているのがいるから」
そう言って、エレインは真剣な表情でワイヤーを手繰り始めた。そんな彼女の言葉に、藤次はギョッとして自身の耳に意識を集中させる。すると、背後でもがくような音と、うめき声、そして何か骨が折れて砕けるような音が聞こえてきたので、ピシりと身を強張らせた。
「は、早く。出来る限りゆっくり、慎重に早く降ろしてください……」
「落ち着きなさい。言ってることが矛盾しているわよ」
そんな藤次を見て、エレインは苦笑を浮かべる。流石に、彼の背後で虚ろな瞳で操られている人間の四肢を砕くのは少しまずかったかもしれないと思いながら。
「まったく、度胸があるんだか無いんだか…… 動かなければ大丈夫よ。だからじっとしてなさい」
続けて紡がれたその言葉に、藤次は一も二もなく何度も頷いた。先ほどまでは助けたいと思った対象の為に動けていたが、気が緩んで情けなさが滲みだしてしまっている。
だが、藤次の状況から考えて、彼が相当な無茶をしたことだけは理解できたエレインは、そんな彼を笑うようなことはせず、安心させるように微笑んで、「大丈夫よ」と言いながらゆっくりとその体を降ろしていく。そして地に足がつく状態まで体を降ろされた藤次は、息も止めていたのか軽くせき込みながら深呼吸をした。
「ごほっ! ごはっ! ふぅ…… あ、ありがとうございます。本当に死ぬかと思いました」
「それはさっき聞いたわ」
「改めてお礼を言いたくなったので……」
エレインはそんな藤次の言葉に、「律儀ね」とだけ返してへたり込んだ。傷口の治癒の最中に藤次が落下してきたので、傷口が中途半端に開いていたからだ。
ほっと息をついていた藤次は、その段になってようやくエレインの様相に意識がいったらしく、ぎょっとして彼女に駆け寄った。
「エレインさん! これ、血が出てるじゃないですか! こんな怪我で、僕を受け止めるなんて……」
「ええ、ちょっとへまをしてね…… 実戦から身を引いた期間が長かったせいで、咄嗟に対応が出来なかったのよ」
こともなげに言って見せるエレインだったが、その言葉を聞いた藤次はさらに表情を険しくして言い募る。
「狙撃って…… じゃあ、さっき音は?」
「ええ、私が撃たれた時の音よ。おかげで、このありさまってこと」
「笑い事じゃありませんよ! 銃なんて…… それに、怪我をしてるなら、何か、何か…… 止血を……」
力なく笑って紡がれた言葉に、藤次は猛然と返すが、その言葉尻はだんだんと小さくなっていく。彼は正真正銘の一般人だ。だから、銃創なんてものの治療の仕方なんて分からないし、正しい応急手当の方法すらおぼつかない。
だが、エレインはそんな藤次を攻めたりせず、また微笑んだ。
「大丈夫よ。これでも、ある程度の処置はもう済んでるの。だから、貴方が心配するようなことは無いわ。でも、動けるようになるまでもう少しだけかかりそう」
まさかオカルト的なものを用いて傷はほとんど塞いだ、とは立場上言うことが出来ず、彼女はそんな風に言葉を濁した。この状況化である以上、話してしまった方が円滑に事を運べる可能性も高いが、逆に目の前にいる心優しい少年の混乱を助長して事態が悪化する可能性だってある。
オカルトの要素も合わせているとは言えど、人を救う医者として藤次のその優しさは好ましいと思っているエレインは、出来るだけ彼のことを危険に晒したくはない。それに、出来るなら知らない方が良いのだ。世界の裏側でどんなものが蠢いているか、などという事は。
だが、藤次の肉体から感じた違和感が、それを許さない。間違いなくそれは、彼のことを裏側の世界へと引きずり込んでしまう。
葛藤の末、エレインは躊躇いがちに言葉を紡ぎ出した。
「ところで藤次、貴方…… 何か体に違和感を感じたり、普通では考えられないようなことが起こったりしていないかしら? そう言ったことがあれば、教えて欲しいのだけれど」
「――――っ!」
彼女の言葉に、藤次は静かに息を飲んだ。だが、少しだけ引き攣った笑みを浮かべながら、彼はこう切り返す。
「普通じゃない、なんて…… 今この状況が、まさに普通じゃ考えられないような事ですよ…… 急に人が人を襲うようになるなんて…… まるで質の悪いアクション映画か何かの登場人物にでもなった気分です」
「それもそうね…… 普通は、こんなことはあり得ないものね。でも、私が言いたいのはそのことじゃない。貴方も、分かっているんじゃないかしら?」
「そうですね…… まあ、ある意味この状況よりも信じられないことが起こっていると言いますか……」
藤次は視線をさまよわせながら言葉を濁す。何せ、彼が先ほどから幻視した一つ一つの光景は、
「目の前に未来の光景でも映し出されでもした?」
彼女の言葉通り未来を写し取ったものだったのだから。
だが、それをエレインは知っているかのように言葉を被せた。そして、藤次が驚愕に満ちた表情を見せたことで、彼女はその言葉を確信のものとする。
「やっぱりね…… そんな事だろうと思ったわ」
「な、なんでそれを……」
「昔、貴方と同じような人と知り合いだったの。貴方はその人と同じように、まるで何が起こったか分かってたみたいに動いてたわ」
そう言って目を伏せたエレインの表情は、ただの知り合いを語っているようには見えず、藤次は目を丸くしてその表情を見つめた。
そんな彼の様子に気付いたのか、「なに?」と彼女は小さく返した。
「え、いや…… すいません。でも、本当にそれだけ、ですか? この際、隠し事は無しです。なんで人が人を襲うようになったのか。エレインさんは何を知っているのか、包み隠さず教えてください」
エレインは明らかにこういった状況に対して場慣れをしている。だからこそ、何か知っていると踏んで彼はそう切り出した。
藤次は彼女に命を救われた。二度も命を救われたのだ。例え、どんな言葉が飛び出してきたとしても、それを受け止める覚悟を彼に決めさせるには、それだけで十分すぎる。
そんな彼の想いを汲み取り、エレインは自身の怪我の治癒を継続しながら目を細めた。そして、意を決したかのように目を見開くと、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「貴方、オカルトってどのくらい信じる?」
「今この状況なら、どこまででも信じちゃえそうです」
「それは良かったわ。腕の怪我を見せて」
「え? それが今の話とどう関係が……」
「いいから」
真剣な表情のエレインに気圧され、藤次はおずおずと怪我をした腕を彼女に差し出した。それを優しく手に取ると、傷口に向けて手を翳す。
藤次が少しだけドキドキしながら何事かと事の推移を見守っていると、彼女の手が燐光を帯び始め、それと同時に自身の怪我の痛みが引いていくのを感じ、彼は表情を驚愕に染め上げた。
完全に痛みが引いたのを確認した藤次は、包帯の結び目に手を掛ける。その最中で、彼が視線だけをエレインに向けると、彼女は小さく頷いたと頷いた。それを確認すると、藤次はそのまま結び目を解いていく。
そこから覗いた肌は、ナイフで深々と切り付けられた跡などきれいさっぱり消え去っており、傷口があったなどと言われても信じられないほど綺麗なものだった。
「これって……」
「まあ、世の中こんな風に不思議な力っていうものがあるのよ。私たちは霊力って呼んでるけれど、貴方のそれはこれと似た類のものよ。そして、今回の騒動はどこかの誰かが霊力を使って、島にいる人間を操っているって事かしら。ここまで言ったけど、信じてもらえる?」
そう言ったエレインの表情は、何処か心配そうで、僅かに瞳が揺れていた。そんな彼女に対し、藤次は軽く肩を竦める。どこか力のない笑みを浮かべながら。
「信じるしかないでしょう…… だって、さっきの怪我ももう塞がってますし、命も助けてもらいましたし、現に未来らしきものも見えてしまいましたから。でも、その島の人間を誰かが操っているって話ですけど、どうやって操ってるんですか? 操るにしても、何かしらの条件が必要なはずでしょう?」
藤次は苦笑を浮かべながらも、冷静に言葉を並べたてる。その事にエレインは深く驚かされた。
「貴方…… 冷静になるが早くないかしら…… 衝撃の事実を知ったんだからこう…… 葛藤とか、感慨とか、無いの? ほら、もっとこう、あるものでしょう」
「とりあえず僕は生き残りたいので、そこらへんは後でまとめて驚くことにします。いや、ほんと、いっぱいいっぱいなので、今は深く考えたくないだけですけどね……」
そう言った藤次の声はどこか震えた声で、その視線もどこか落ち着きない。それを見て取ったエレインは、小さく目を伏せる。
「そうね…… 動揺してない筈が無かったわね。ごめんなさい」
そう返しながらも、彼女は静かに思う。これでも、かなり落ち着いている方ではあると。この力をさらしただけで、恐慌状態に陥り、逆に危険な状態になった人間を彼女は何人か知っている。
だが、それでも当事者にとっては大混乱であることには変わりはない。無神経であったとエレインは自戒する。
「いえ、攻めてるわけじゃ無いんです。気にしなくて大丈夫ですよ。それより、島の人間はどんな手を使われて人を襲うように?」
話題を切り替えるように紡がれた言葉に、エレインは難しい表情になった。
「あの様子だと、人を操るための術を用いてるんでしょうけど…… あんなたくさんの人数をまとめて操るとなると…… どんな方法を用いたかまでは詳しくは分からないわ。それだけの異常事態よ」
「それはまた…… 難儀なことになりそうですね」
その言葉を聞いた藤次は、顔を引き攣らせながら天を仰いだ。こう言った事態になれているであろう彼女がそう言ったことで、この状況が如何に危険なものであるか、嫌という程理解できてしまったのだろう。
そんな彼に対し、エレインは安心させるような声色で言葉を紡ぎ出した。
「安心しなさい。これでも私、それなりに強いのよ?」
「そうはいっても、銃弾で左胸をぶち抜かれてるじゃないですか……」
「うっ…… さっきも言ったけど、実戦の現場から離れてそれなりに経っているから、多少は…… ね?」
「なんででしょう。なんだか急に泥船に乗った気分になってきました」
だが、それは逆効果だったようで、逆に藤次が白目を剝いてしまう。流石にそれはまずいと思ったのか、エレインは額に冷や汗を流した。安心させるつもりが逆に不安にさせてしまったのは間違いなく彼女の失策である。体の傷は治せても、精神的なケアまで完璧、という訳ではないようだ。
だが、逆に慌てたエレインを見たおかげで藤次は落ち着きを取り戻す。そして、その焦りように相好を崩しながら言葉を紡いだ。
「あはは! すいません、意地悪言っちゃって。頼りにしてます。でも、左胸の怪我、本当に大丈夫ですか?」
「ええ。今完全に塞がったわ。そろそろ上へ行きましょう。他の子たちが心配でしょう?」
そう言ったエレインの服は、狙撃によって開いてしまった穴はあれど、血の汚れもきれいさっぱりと消え去っていた。そんな様子を見て、コクリと頷いた藤次は少し安心したような表情で言葉を返す。
「ええ…… 一応、いったん下がるように言って囮を買って出たので、首尾よく進んでいれば、今頃僕の部屋にいるはずですけど…… 早く合流することに越したことはありません」
「でも、その前に腕にまた包帯を巻いて傷口は隠しておきなさいな。それが消えていることを知られたら、いくらなんでも怪しまれるわ」
「おっと…… それは確かにそうですね。この状況でそれはまずいです」
そう言って藤次は腕に包帯を巻きなおし、階段の上へと視線を向けた。その表情を真剣なものへと切り替えて。
「悪夢ならさっさと覚めて欲しいですよ、ホント」
彼の微かなつぶやきが、何処か空しく響いた。