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「狙撃は失敗したみたいだね」
時実は、ライフルを担いで拠点へと戻ってきたアイリスに向けてそんな言葉を紡いだ。
だが彼女は実に楽しそうな声と表情でそんな皮肉はものともしない。
「ええ! 流石は主任に気に入られているだけはあって、すさまじい治癒の能力でした。ああ、本当に嬉しいです」
ライフルを胸に抱き、彼女は心底楽しそうに体を一回転させる。
「本当に、壊しがいがありますから」
背筋を凍らせるような声色で、うっとりと呟いて見せながら。
「怖いねぇ、女の子の嫉妬っていうのは。古今東西、どこでもそれは変わらない」
そんな彼女を面白そうに見つめながら、時実は面白がっていることを隠しもしない声色でそう呟いた。不愉快な言葉が聞こえたアイリスは無表情になって背後の存在を鋭く睨みつける。
「……せっかくの楽しい気分が台無しです。慰謝料を要求したいくらいですよ」
「これは失礼。お兄さん、空気を読めないことに定評があってね。おかげで、口を開くたびに黙れって言われることがしょっちゅうなんだ。それは君もよく知ってるだろうし、言うだけ無駄ってものさ」
「自覚があるなら、少しぐらい是正するくらいの努力をなさってはどうですか?」
「ヤダ」
時実は人喰ったような態度を崩すことなくそう言い切った。浮かんだ笑顔は憎たらしいにも程があり、アイリスはその顔面を殴りつけてやりたい衝動に駆られる。だが、それもあえて目の前の男は受けてしまうだろうが、無礼が過ぎればどんな理不尽が待っているか分からない。
時実と言う男は、気まぐれで、気分屋で、とても心変わりがしやすいロクデナシだ。自分を楽しませてくれる相手ならばどんなことでも受け入れるが、そうでないならば冷淡に、容赦なく破滅に導き、その過程を見て楽しむといった悪癖まで持ち合わせている。
例え味方であったとしても恐ろしい。それほどまでに気まぐれなのだ。
「ロクでもないものですね。貴方みたいな方と話していると、常々そう思います」
「言ってくれるねぇ? でも、それは君たち人間だって変わらないだろう?」
心底楽しそうに、時実はクスクスと嗤う。アイリスの言葉を否定することなく、超然とした態度で。だが、それをすぐに収めると、彼はその視線を海上へと向けた。
その先には、暗雲。
豪雨と稲光を侍らせ、ゆっくりと黒い雲が広がりを見せ始めている。
「おっと…… お客さんだ。思ったより気づかれるのが早かったねぇ…… という訳で、だ。お兄さんはこのあたりで失礼させてもらおう。流石に、アレに邪魔をされるのは気に食わないからね。データの収集だけはしっかりするように。其れさえできれば、後は好きなようにしても構わない」
「いいんですか、言っては何ですが、今の私は何をしでかすか分かりませんよ?」
一件冗談めかしているように見えるが、アイリスの狂気に満ちた瞳がそれを事実だと知らしめている。だが、そんなことは気にしないとばかりに、むしろそちらの方が面白そうだと言わんばかりに、時実はクスクスと笑う。
「それはいい。油断と狂気で足をすくわれるもよし、逆に相手をくらいつくすもよし。どちらに転んでも、目的さえ達せられているのならそれで構わないさ。お兄さんは、心が広いからねぇ」
「先ほどの私に対する対応は、心が広い、とは言い難いものだった気がしますが?」
「嫌だなぁ。あれは犬の躾だよ。たまにはどちらが上か、はっきりわからせてあげないと、飼い犬はつけあがるだろう」
「私を犬扱い、ですか」
複雑そうな表情で歯噛みをするアイリスを見ながら、時実はうっそりと嗤う。
「違うのかな?」
「違います」
あくまできっぱりとアイリスは否定の言葉を述べた。
「ふぅん? まあいいさ。では、そろそろ行かせてもらうよ。これ以上島に近づけたら、あいつが何をしでかすか分からないからね。今回の人形劇は、あいつにだけは邪魔させるわけにはいかないんだ」
幾分か真剣な表情でそう言うと、時実は手の中に大鎌を出現させる。
「ああ、最後に一つだけ。君はもっと我慢しない方が良い。激情に身を任せてね。そっちの方が、よっぽど面白い事になりそうだ」
その言葉を残し、時実は姿を消した。まるで、最初から誰もいなかったかのように。
「相変わらず、おしゃべりな人ですね…… いえ、そもそも人じゃありませんでしたか」
それだけ言って、アイリスは小さくため息をついた。しかし、すぐにその表情を引き締めると、島の各所を映すモニターをこまめにチェックしながら、口元を喜悦に歪ませる。
「島の中で今で歩いている人間は…… まあ、いないですね。残っているのは私たちの手駒と死体、或いは怪我で動けなくなった人間だけ。残りはさしずめ、閉じこもって門をきつく締め、震えながら必死にもがいているというところでしょうか。良い判断ですね。デモンストレーションにはもってこいです」
そう呟いたアイリスは、手元に置いたノートパソコンを操作し、いくつかのプロテクトを解除していく。
画面に映った文字は、とあるシステム起動の可否を問うもの。それを見て、彼女は小さく微笑んだ。
「是非お願いするわ」
そして、彼女は迷いなくエンターキーを強く叩いた。
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「三階に人影はいますか?」
「いえ、特にそれらしきものは居ないわね…… エレベーターホールに隠れているのなら別だけど…… 何にせよ、流石に人を抱えた状態での戦闘は避けたいわ」
「同感です。もう命の危機はお腹いっぱいになるまで詰め込まれましたから」
「それでも、危機はやってくることがある。気を引き締めなさい。どちらにせよじっとなんてしていられないからね」
そう言って階段の影から三階を覗いていた藤次とエレインは、小さく頷きあいながら、通路へと慎重に歩みを進める。響くのは二人の僅かな足音と、呼吸音のみ。ホテルの廊下は不気味なほど静かさに満ちていた。
部屋の中でもしかしたら誰かが息を潜めているのかもしれない。或いはこと切れているのかもしれない。
だが、それを確認して回る精神的余裕も、時間的余裕も無い。確かにあるのは、残酷なまでの現実と静寂だけだった。
そんな中で、二人は何事もなく306号室の前までたどり着く。
「藤次、ノックは任せるわ。私は、音につられて何かが出て来たら相手をするから」
「はい、分かりました」
一旦マリの両親を床へ降ろしたエレインの言葉に、そう返しながら頷くと、藤次は冷や汗を流しながらゆっくりと拳をドアに近づけていく。のどがひりつくような感覚に、ごくりと唾を飲み込みながら、彼はノックを三度行った。
すると、部屋の中から微かな物音が聞こえたかと思うと、鍵がゆっくりと開かれた音が藤次の耳に届く。そして、固く閉じられていた扉が静かに開かれた。
「無事だったかボウズ。さっさと中に入れ」
中から顔を出した吾郎の言葉に、藤次はどこか安堵したような表情で頷きを返す。そして彼はエレインに手招きをしながら部屋の中へと足を踏み入れた。
その様子を見ていたエレインは、マリの両親を担ぎなおし、部屋の中へと滑り込んだ。
部屋の中に二人が入ると、別行動をする前の面子が勢ぞろいしており、各々がホッとした表情で息をついた。そんな中で、マリはエレインの元に駆け寄り、言葉を投げかける。
「エレイン先生、お父さんとお母さんの怪我は……⁉」
「大丈夫。傷も塞いだし、しばらく安静にしてれば、命を落とすようなことは無いわ」
柔らかく微笑んで告げられた言葉に、マリも安心したのか、エレインに抱き着き、「ありがとう」と微かな声で呟いた。
「お医者さんのお仕事は、命を救う事だもの。出来る手を尽くしただけよ。あの二人は運が良かったわ」
エレインは何でもないことの様にそう返すと、抱き着いて来たマリの頭を優しくなでてやった。それに安心したのか、少女の瞳からぽろぽろと涙がこぼれだす。そんな彼女の手をずっと握っていたゲンも一緒にすこし涙ぐんだ。
嗚咽を漏らすマリと涙ぐんでいるゲンの背を撫でてやりながら、エレインは部屋の奥へと視線を向けた。そして、窓のカーテンが閉まっていることを確認すると、部屋にいる人間に向けて静かにこう言い放つ。
「あまり窓に近づいちゃだめよ。危ないから」
「言われんでも近づけん。奴らに見つかったらと思うとどうにもな」
「賢明な判断だわ…… これから言えることは、絶対に近づいてはダメってこと。どこの誰だか知らないけど、ライフルでさっき狙撃してきたのが居たから」
「狙撃って…… アンタ、大丈夫だったのか⁉」
「なんとかね…… それより、けが人を寝かせたいから、ベッドを使わせてもらっていいかしら?」
「え、ええ構わないわ。私は椅子の方へ移るから」
エレインの言葉に、ベッドに座っていたタエがゆっくりと立ち上がり、部屋に置いてあった一人掛けのソファへと腰かけた。どすりと座り込んだ老体は、疲れが酷く滲みだしており、何処となく枯れ木を思わせるような有様だ。
見渡してみれば誰もかれもが似たような状況であったが、それでもけが人を優先して気を使えるだけの優しさと、道徳心を持ち合わせた人間ばかり。そんな状況と、足が悪いのにわざわざ立ち上がってくれたタエに対して礼を言いながら、エレインは二人の怪我人をゆっくりとベッドの上へと降ろした。
そんな二人に心配そうに寄り添ったマリに対し、彼女は出来るだけ落ち着けるような優しい声色で、静かに告げる。
「多分、もう少し寝ていれば目を覚ますと思うわ。それまで、ちゃんと休んで。じゃないと、身体が持たないわよ」
「うん…… 分かった」
その言葉を聞いて、マリは小さく頷いた上でちょこんと床に座り込んだ。ゲンはそんな彼女と祖母の間に胡坐をかいて座り、無意識ではあろうが、どちらにも気を配れるような位置を取る。ゲンはそんな彼の背後にどかりと座って、その頭を撫でてやっていた。
それぞれの様子を見守りながら、藤次は彼らから離れたところにいるエレインの傍で壁に寄りかかり、小さな声で言葉を紡ぐ。
「これからどうしますか? この件を企んだ相手の次の手が来るまで、そう時間は無いんですよね」
「どちらにせよ、マリの両親が動けるようにならないと何とも言えないわね。後十分で動けるようにならないなら、他の面子を残して私が一人で打って出るしかなくなるわね。でも、その場合」
「僕たちがものすごく無防備になりますね…… それに、僕が悪党なら生存者が居そうな場所に火を放ちます」
「その程度で済めばいいのだけれどね…… それならまだ逃げる時間が無い訳じゃないでしょう? 確実に殺しきれるわけでも無いし、煙に隠れて逃げられる可能性だってある。こんな周到に逃げ場を潰してくる連中が、その程度ですませてくれる気がしないわ…… 絶対に、もっと厄介なことを仕掛けてくる」
藤次はエレインの言葉に唾を飲んだ。自分でも打たれたら最悪と言える手を考えて発言したというのに、それを上回るものを仕掛けてくるというのだからそれも当然の反応だろう。
だが、その厄介な手と言うのが何を意味するのかはエレインとて分かっていない。ただ、あるのは漠然とした予感と、経験則から来る予測だけだ。外れる可能性が無いわけではない。
「なんにせよ、何があってもすぐに動けるようにしないといけないわ。だから、貴方も座りなさい。それだけでも、いくらか身体は楽になるわ。少なくとも、十分は休めるはずだから、それまでに少しでも体力を回復させなさいな」
そう呟かれた言葉に、藤次も硬い表情で頷きを返した。そして、彼女の言葉通り床にだらりと座り込んだ。その隣に、エレインもまた座り込む。
「まあ、大抵の傷は治せるし、大抵は命があれば呼び戻してあげられるから、気楽に大けがをしても大丈夫よ」
「大けがする時点で気楽でも何でもないような気がするんですが……」
「ま、普通はそうよね。でも、私の知り合いに、それはもうポンポン大けがをするとんでもない奴がいて、いつも医療スタッフが悲鳴を上げる羽目になってるのよ……」
「それはまた…… とんでもない人が居るもんなんですね。その人、修羅道か何かに落ちてるんですか?」
藤次はエレインの疲れ果てた表情を見て、心底慄いたような表情で目を見開いた。彼女のタフさは目の当たりにしてきたし、そう簡単にこんな表情をするとも思えなかったのだ。それだけに、エレインにここまで疲れ果てた表情をさせる人物に、藤次は少しばかり興味を抱いた。
「新人に治療の練習をさせるのにはちょうど良かったのだけれどね…… ひどいときは絶妙にギリギリ治せるラインの傷を負ってくるから、新人も私も毎度冷や汗を流してるのよ。しかも、その傷を負わないと別の角度から致命傷を受けかねないような状況だったりすることが多いから、きつく責めても本人は全く反省しないっていうおまけつきよ」
「うわぁ…… そこまで言われるその人の顔を見てみたいような、見たくないような……」
「まあ、そう言った怪我をしてくる以外は常識人だし、基本的に気遣いが出来る男だから、貴方ともすぐに仲良くなれるんじゃないかしら」
「なんで僕とその人が出会う事前提なんですか……」
小さく苦笑を浮かべながら藤次は気楽にそんな言葉を紡いだ。しかし、エレインは真剣な表情で彼の顔を見つめ返すと、少しだけ厳しい声色でこんな言葉を紡ぐ。
「貴方の目…… というより、身体全体かしら。今日発現したそれは希少なものの可能性が高いから、こっちで保護できないと厄介なことになるわよ。下手な悪党に捕まれば、一生実験動物として扱われかねないくらいには」
「……マジですか?」
「大マジよ」
エレインの言葉に、声色に、その表情に。どれをとっても一切の遊びが無く、それが紛れもない真実であると告げている。それを聞いた藤次としては、「勘弁してください」と呟いてしまう程厄介な事実であったわけだが。
そんな疲れ切った表情を見せた彼に対し、エレインは優しく背中を叩きながら軽い皮肉を飛ばしてみせた。
「前途は明るいわね」
「眩しすぎて目が焼け付いちゃうくらいにですか?」
うっすらと白目を剝きながら藤次は皮肉に皮肉を返した。そのぐらいの余裕はあるようだが、それでもロクでもない事実を聞かされたことに変わりはない。彼が少しばかり恨めし気な表情でエレインのことを睨み返してしまったのも、仕方のないことだろう。
だが、彼女はそんなことを歯牙にもかけず、クスクスと楽しそうに笑った。
「皮肉を返せるくらい元気なら、この島も生きて出れそうね。安心したわ」
「だからと言って、今その衝撃の真実を告げなくても……」
「ごめんなさい。でも、島から出た後にこのことを言って、上げて落とすようなことはしたくなかったのよ。今なら、奈落の底から這いあがるだけだから、精神的なショックはこっちの方がきっと少ないわ」
そう言って笑ったエレインの表情は妙に悲し気で、藤次は反論を紡ごうとした口を自ら噤んだ。妙に生々しい実感がこもったそれに、反論をするのが躊躇われたからだ。
そうして、言葉を詰まらせた藤次が何かを言おうと口を開いた時、突如としてマリの声が部屋に響いた。
「お父さんとお母さんが起きた! エレイン先生、こっちに来て」
その言葉に弾かれたように顔を上げ、エレインはベッドの方へと駆け寄っていった。そんな彼女の背を追うようにして、藤次もまた同じように速足でベッドの方へと向かう。
そして駆け寄った二人が目にしたマリの両親は、目を覚ましたばかりなせいか、どこか虚ろな色を湛えていた。