特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

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感染する悪意のマリオネット症候群 第十二話

 

 ゆっくりと身体を起こしたマリの両親は、虚ろな瞳で視線を巡らせた。そんな二人にどこか不安そうな表情で、ゆっくりとマリが近づいていく。

 

「お父さん、お母さん…… 大丈夫?」

 

 おずおずと駆けられた言葉に、ベッドに寝かせられていた二人の瞳の焦点が緩やかに定まりはじめ、その顔に穏やかな笑みが浮かんだ。

 

「ああ、マリ…… ケガはない?」

「確か俺たちは…… 島で暴動が起きて…… それから逃げようとして…… その、色々あって大けがをしたよ、な?」

「うん。でも、あっちのエレイン先生が、二人の怪我を治してくれたの」

 

 そう言って、マリは安堵し、微笑みながらエレインの方を指し示した。それを受けた彼女の両親は、共々頭を下げる。

 

「ありがとうございます。おかげで、命拾いをしたみたいで……」

「これで、まだまだこの子の成長を見守れそうです」

「ふふふ…… 医者としてやることをやっただけよ。それより、貴方たち二人が目覚めて良かったわ。状況を簡単に説明させても裏うけれど、今はまだ島から出られたわけじゃ無くて、その中で立てこもっているだけ。だから、もう少ししたら移動しなくちゃいけなくなるかもしれないの」

 

 エレインはマリの両親からの感謝を受け止めつつも、現状を簡潔に説明し、弛緩していた空気を引き締めた。二人が目を覚ましたのは実に喜ばしいことだが、窮地であることには変わりはない。だから、状況を把握できていないマリの両親に、簡潔かつはっきりと状況を告げたのだ。

 

 放たれた事実に空気はピンと張りつめ、緊張が一室を包み込む。エレインの思惑通り、マリの両親にこの先を生き残るため必要な事を注意することが出来た。過度の緊張は人に破滅をもたらすが、過度の安心もまた毒となりえる。

 だからこそ、これは必要な事だったのだ。

 再会の喜びに水を差してしまった申し訳なさがエレインの胸に去来するが、そう言い聞かせて彼女はさらに言葉を紡いだ。

 

「一つ聞かせて欲しいのだけれど、動けそう?」

「走るのは難しいですが、歩くくらいなら何とか」

「こっちも似たようなものですね」

「それだけ動ければ充分よ。どう動くかは、その都度考えましょう。奴らが来たときは私が相手をするから、せめて安全なところに移動できるだけの力があれば問題ないわ」

 

 そう言い切った彼女に、マリの両親は顔を見合わせる。

 

「いや、しかし…… かと言って若い女性を一人、囮にするのは……」

「大丈夫。エレインさん、さっきの人たちみたいになってる人をたくさんやっつけてたから」

 

 マリはそんな両親に対し、自慢げにそう言って微笑んだ。自身の子供の言葉に、二人は半信半疑でうな浮きながら、視線だけを吾郎の方へと向ける。彼はその視線に対して重々しく頷いて見せた。

 

「ああ、その子の言ってることは本当だ。たぶん、今の俺らが束になってかかっても瞬殺されちまうだろうさ」

 

 そんな吾郎の態度と言葉の重々しさに、マリの両親はごくりと唾を飲みながらエレインへと視線を向ける。彼女は自身に向けられたそれに軽く肩を竦め、苦笑を顔へと張り付けた。

 

「まあ、ある程度ならの話だけれどね。そろそろこの事態を引き起こした相手が次の手を打ってくるでしょうし、とにかく警戒をするようにして。あと、今起きた貴方たち二人には言っていなかったけど、窓の方には絶対に近づいたらだめよ。死にたくなかったらね」

「っ! わ、分かりました」

 

 最後に付け加えられたその言葉はあまりにも物騒で、そしてこの状況では現実味を帯びている。それ故に、それを初めて聞いた二人は身を強張らせて言葉を返すこととなった。

 そんなマリの両親を見て、これで窓に近づく可能性はなくなっただろうと、エレインは小さく息をつく。そして、少々引き締め過ぎた空気を少し緩めるため、未だに聞いていなかった二人の名前を聞くことにした。

 

「そう言えば、貴方たち二人の名前を聞いていなかったわね。教えてもらってもいいかしら?」

「え、ええ。私の名前はマコトです。夫の名前は……」

「理科の理と書いてオサムです」

「あら? という事は、マコトさんの名前の字は真実の真かしら?」

 

 エレインはマリの名前と、オサムの名前の字からそう推察して言葉を紡いだ。それにしっかりと頷きを返しながら、マコトは小さく微笑んだ。

 

「ええ、そうなんです。この子の名前は私たちの名前からとって、真理と名付けたんです」

「あら、貴女、いい名前を貰ったわね」

 

 そんなマコトの言葉を聞いたエレインは、マリへと視線を向け、その頭を優しくなでながらそう言った。その言葉に、小学生に上がる前の少女は照れくさそうに微笑みながら、首を引っ込めてオサムの背中に隠れるように引っ付いてしまう。

 

「おや。照れちゃったみたいだ。この子、基本的に照れ屋なので」

「あら、それは悪いことをしたわね。まあ、今の内にしっかりお父さんに甘えておきなさい。もう少ししたら、自分の足でまた歩かないといけないわよ?」

「うん。大丈夫。ありがとう、エレイン先生」

 

 マリはオサムの背中に隠れながらも、しっかりとした返事を返す。それを聞いた彼女の両親は、少したくましくなった自分たちの娘の反応を見て顔を見合わせた。そして、何とも言えない表情で笑いあう。確かにそれは成長と呼べるものであろうが、こんな危機的状況の中で引き起こされたものを素直に喜べなかったのだ。

 親としてはやはり、のびのびとして安全な環境で子に育ってほしいと思ってしまうものなのだから。

 だが、二人はその葛藤を口には出すことなく胸の内にしまう。それは今言っても仕方のないことだし、幼い我が子を混乱させるようなことは避けたかったのだろう。

 そうして口を噤んだ二人の視線はエレインの背後に居た藤次へと移った。

 

「えっと…… そう言えば、そちらの人は? エレインさんの名前はさっき娘から聞きましたが……」

「そう言えば、名前を聞いていなかったような」

「僕ですか? 僕は並木藤次って言います。吾郎さんのお店でおいしいご飯を食べさせていただいた流れで今回の騒動に巻き込まれちゃいまして」

 

 突然水を向けられた藤次は、そう言って苦笑を浮かべた。それを聞いた二人は得心が言ったように頷きを見せる。

 そして、オサムはそんな藤次に気遣わし気な視線を向けた。

 

「なるほど、そう言った経緯で…… この島の人ではなさそうですし、旅行者の方でしょう? それがこんなことになるなんて……」

「ええ、高校最後の夏休みにここに旅行に来たんですが…… ちょっと間が悪かったみたいです。綺麗な景色も見れたし、美味しいものをたくさん食べられたのは良かったんですけどね」

 

 そのどこか食い意地の張った答えに、隣で聞いていた吾郎が小さく笑った。

 

「こんな状況でもそんな感想が出て来るとはなぁ…… 料理人冥利に尽きるが、お前さん、ちょっとずれてるんじゃないか?」

「あははは…… こればっかりは性分なので……」

 

 藤次は照れくさそうに頬を掻き、視線を逸らした。そんな彼を見ながら、ゲンがマリの袖を小さく引いて、小さく耳打ちをする。

 

「マリちゃん、このお兄さん細い体をしてるのに、ご飯を何杯も食べて、その最後に親子丼まで食べたんだよ」

「すごいね。お兄さん、大食いの選手なの?」

「違うみたい。でも、お兄さんの友達はもっと食べるって言ってたし、もしかしたらそっちが大食いの選手なのかも」

 

 そんな会話が聞こえてきたものだから、藤次はいたたまれなくなって顔も背けてしまった。そんな彼を見て、悪い人ではないと判断したマリの両親は、小さく微笑みあって顔を寄せる。

 

「面白い子ね」

「ああ、こんな状況じゃなかったら、もっと話をしてみたい所だ」

「そこまで言われるようなことではないと思うんですけどね……」

 

 そんな言葉に、藤次は照れくさそうな表情で頬を掻いた。

 適度にリラックスした空気が流れる中で、エレインはするりと束の間の団欒を繰り広げている一行から距離を取り、部屋の周囲の気配を探る。

 

「この部屋の上下左右と廊下に人が動く気配はない…… そっちからの奇襲は今のところ可能性は低そうね…… 気配が無いなら、どちらかにぶち抜くぐらいはしても大丈夫かしら?」

 

 そして、物騒な言葉を口の中で呟きながら、袖口に仕込んであるワイヤーに手を掛けていつでも奇襲を受けても大丈夫なように気を張り巡らせる。

 島全体で生存者たちが部屋の中に立てこもり始めた時分であろうとエレインは推論を立てる。だからこそ相手は確実に何かを仕掛けてくるはずだ。それがどのような形で行われるかは分からないが、必ず。

 まして、エレイン達が立てこもっているホテルは場所も割れているため、何も仕掛けられないなどと言う希望的観測をすること自体が難しい。

 だからこそ、彼女はホテルの外から操られた島民や旅行者が押し寄せてくる気配が無いことに不気味さを感じていた。相手が仕掛けて来るであろうと考えた十分の刻限ももう間もなく過ぎようとしているというのにである。

 

「ダメね…… こう言ったのは現場にいる人間ならすぐに分かるんでしょうけど…… やっぱり勘が鈍ってるわね」

 

 戦うことは出来ても、実戦の現場から遠ざかって久しいエレインは自身の錆付いた勘と戦闘の思考に小さくため息をついた。元より医者という立場もあって戦闘の場に出ること自体が少なかったが、ここ最近ではそれすらも必要ない程度にクロユリの状況も安定してきている。

 それがこの状況になって裏目に出てしまったのは何とも皮肉なことだ。其れなりに平和な期間が続いたため、敵ならどう動くか、どうされるのが一番嫌な事なのか、自身にとって最善の動きとは何か。そう言ったことを考えるために必要なものが衰えてしまった。

 そればかりは仕方のないことと言えど、最悪の事態の前ではそれに恨み言の一つもこぼしたくなるというものである。しかし、それを飲み込んで小さく息を吐くと、エレインはそのまま壁にもたれかかった。

 そして、視線をカーテンのかかった窓へと向ける。彼女の耳には遠くから雷鳴が鳴り響く音が聞こえてきた。さらに、カーテンから透ける光が暗くなっていることから、天候がさらに悪化していることが分かる。

 

 だが、その音はある一定の距離から不思議とそれ以上島に近づいてくることは無かった。雷鳴の近づいてくる音から考えて、もうその悪天候が島に到達していてもおかしくはないはず。其れなのに、まるで足止めされているように一定の距離から近づくことが無い。

 

 そのことにエレインだけでなく吾郎も気が付いたらしく、訝し気な表情で窓の方へと視線を向けた。

 

「妙な天気だな…… 島がただでさえ大混乱だっていうのに、お天道様までご機嫌斜めとはよろしくねぇ」

「やっぱり…… この天候は島に長く住んでいてもおかしいと感じるものなの?」

「おうよ。台風が来たときみたいな音がするくせに、それが島の近くで行ったり来たり。こんなことは長年この島に住んでいて一度も無かった。まったく、どうなってるってんだ……」

 

 吾郎はこの場にいた面々の想いを代弁するかのように紡がれた言葉が部屋の中にジワリと溶けていく。

 そんな中、先ほどまで元気に話していたマコトとオサムが急に胸を抑えて苦しみ始めた。

 それに慌てて駆け寄ったのはエレインだ。何せ自身の診た患者でもあるし、その治療も問題の無いものであったという自負もあった。それなのに、二人は実際に苦しみ始めている。彼女は医者として何故そんな症状を訴えているのかを知らなければならなかったのだ。

 

 だがその義務感はこの場において致命的なものとなる。

 

「エレインさん!」

 

 藤次が鋭い声を上げた。

 それは他の面々の様にマコトとオサムの異状に動揺し、気遣うようなものでは無くどこか深刻な響きを持っている。

 

 だが、それも仕方のない事であろう。

 

 それはエレインに対して、警告をするために紡がれた言葉であったのだから。

 だが、それに彼女が気づいた時は僅かに遅く、虚ろになった瞳を揺らしたマコトに噛みつかれた時になってからであった。

 

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