特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

33 / 43
感染する悪意のマリオネット症候群 第十三話

 

「ぐっ……!」

 

 エレインは咄嗟に右腕を滑りこませ、何とか首だけは死守する。しかし、その異常と言うべき咬筋力によって皮膚どころか筋肉まで深く裂かれ、骨が砕ける音があたりに響き渡った。

 マコトとオサム。

 両者の様相をこの部屋まで無事にたどり着いた面々は良く知っていた。

 なんせその異常な力、意思を感じない虚ろな瞳、おそらくは痛みも感じていないであろうその様相は、島のあちこちで見てきたのだ。

 一行を襲った島の人間たちと全く同じであると、混乱した状況の中でもそう断じてしまう事が出来てしまうほどに。

 

 だが、その異常な咬筋力を発揮したせいでマコトの顎が外れ、だらりと下顎が垂れる。それどころか骨や歯も所々砕けてしまっている有様だ。それでもなお、操られたマコトは攻撃をやめようとしない。

 

 しかし、顎が外れた瞬間、生まれた隙を利用して何とかエレインは彼女を突き飛ばし、距離を取って左腕でワイヤーを手繰った。

 

「っの‼ 正気に戻りなさい!」

 

 そう言いながら、ワイヤーでマコトの身体を器用に縛り上げ床に叩き付けるようにして強引に動きを止める。だが、そのすぐ横にいたオサムもまた彼女へと襲い掛かってきた。

 現在、エレインの右腕の筋肉は裂けてしまっており、そちらでワイヤーを手繰ることは不可能だ。左腕もマコトを拘束するワイヤーを手繰ったばかりで防御に間に合わせることが出来ない。

 だから、彼女は咄嗟に使い物にならなくなってしまった右腕でそれをガードしようとする。

 

 だが、それよりも早く藤次がオサムのことを突き飛ばしてエレインから距離を取らせた。彼もその反動で地面にしりもちをつきながらも、そのままずりずりと後ずさりながら彼女に言葉を掛ける。

 

「大丈夫ですか!」

「ありがとう、何とかね…… だけど、状況は最悪よ」

 

 そう言ったエレインの視線の先で、オサムが体をゆらりと揺らしながら起き上がる。

 そんな中、吾郎は絶望と混乱で凍り付いた子供たちを抱き寄せオサムとマコトから距離を取りながら声を荒げた。

 

「どうなってるんだ嬢ちゃん! いくらなんでも最悪すぎないか? ゾンビ映画じゃないんだぞ!」

「私にも分からないけど、あの二人も島であふれかえっている人たちを同じような事になっているみたいね……」

 

 そう言いながら、エレインはオサムを厳しい視線で睨みながら、じりじりと距離を測る。その最中、噛みつかれた右腕に対し、周囲の人間にバレないように霊力を用いて治癒を施しながら。

 じりじりと自身が使用するワイヤーの残量がすり減っていくことに歯噛みをする。手足をへし折るなりすればワイヤーを減らさなくても済むが、流石に二人の子供の目の前でそれをするのは躊躇われた。それ故に、再び襲い掛かってきたオサムに向けてワイヤーを放ちその動きを拘束することとなる。

 

 一本のワイヤーをそれによって失う事となった。だが、それでもマコトとオサムが平穏無事に捕まっているかと問われればそうではない。元より、痛みなど気にせず動きまわる性質を持ち合わせているために、じたばたと暴れるたびにワイヤーが体に食い込んで血を流し始めた。

 

「さっきよりも抵抗が激しい……!」

 

 エレインは脂汗を流しながらワイヤーを握る手に力を入れて打開策を模索する。

 

「ひっ」

 

 そんな光景を見たマリが動揺のあまり顔色を悪して小さく悲鳴を上げる。ゲンもタエも似たようなもので、顔面蒼白になって彼女と一緒に身を寄せ合っていた。

 そんな中で、藤次は多少顔が青くなっているものの、比較的平静さを装ったままでエレインに小声で問いを投げかける。

 

「どうしますか? このままだと、失血多量になるかもしれませんよ?」

「手っ取り早くするなら、まあ、ちょっと色々外したりするんだけど…… 流石にあの子たちの前でやるのは……」

 

 エレインはそう言いながら、ワイヤーが食い込んで傷ついていく二人の身体を、先ほどから自身に行っているように術の発動における霊力の燐光が殆ど見えないレベルで少しずつ治癒を施していく。

 だが、そうやっているうちは、本格的な治癒を施すことが出来ない。当然、少しずつ出血量が増えていく。こうなっては仕方がないと、エレインは振り返って吾郎に向けて言葉を投げかけた。

 

「ねえ、その子たちを連れて、少し浴室の方にでも隠れていてくれないかしら? ちょっと二人をおとなしくさせたいんだけど、あんまり見せられるものでもないから」

「一つ確認させてもらうが、アンタの仕事は命を助けることだ。それに、間違いは無いんだな?」

 

 言外に、こうなってしまったマリの両親に何か危害を加えるのではないか、と問いかける吾郎。

 

「もちろん。ただ、治療行為に抵抗する患者を制圧するのも医者の仕事なの」

 

 それに対し自信に満ち溢れた微笑みを浮かべ、紡がれたエレインの言葉に、吾郎は頭が痛そうに眉間に皺を寄せた。それはまさしく、吾郎の言外の問いに対する肯定であるのと同時に、医者として患者を救うために多少の荒事は辞さない彼女の考えを嫌という程感じ取れるものだったのだ。

 

「そいつは…… また、なんというか、本当に医者の仕事なのか?」

「ええ。うちの患者は病室でバカ騒ぎをしたり、脱走して勝手に近場のバーガーショップにチーズバーガーを買いに行ったり、酒を飲んで病室を破壊したり…… まあ、色々と濃いのが多いのよ。それより、早く浴室の方へと移ってもらえる? 早く処置しないと手遅れになるけど、それでもいいの?」

 

 それは、医者として刻一刻と患者の命が迫ってくることが感じ取れているからこその固く、そして真摯な言葉。

 だが、吾郎も患者を助けるためとは言えども、何か荒っぽいことをしようとするエレインに対し、思うところがあるのかその瞳を強く見つめた。

 

 永遠とも感じられるような刹那の睨み合い。

 

「……仕方ねぇ、とりあえず浴室に移るぞ。ゲン、マリちゃんの手をしっかりと握っててやんな。タエは、俺の手に捕まってろ」

 

 先に折れたのは吾郎だった。彼はそう言うとタエたちを浴室の方へと誘導するが、その間をすり抜けるようにしてマリがエレインに飛びついた。

 

「エレイン先生…… お父さんとお母さん、どうなるの?」

 

 先ほどまでが希望が確かに宿った声と表情であったとするならば、今は絶望のどん底に突き落とされたと表現するしかないような表情でその言葉は紡がれた。

 実際、もう助からないと心の隅で確かに感じた絶望を救い上げられたその直後に、さらなる絶望に突き落とされたのだから、それも当然だろう。

 エレインはそんな事実に、そしてなにより人の命と尊厳を踏みにじるかのような悪逆に深い憤りを覚えた。滲みだす怒りと、それに対して明確に対処をすることが出来ていない自身への怒りが、彼女の血が滲み出るほど強く握り込まれた拳によく表れている。

 それを抑え込むようにして彼女は深く、とても深く息を吐いてからマリと視線を合わせるように膝をついた。

 

「私は患者とその家族に気休めの言葉は言わないようにしているわ」

 

 残酷であったとしても、幼い子供には受け止め難い事実であっても、それでもエレインは一切嘘を交えない言葉を紡いだ。それが彼女に尽くすことの出来る精一杯の誠実さであり、信念でもあったから。

 それが例え幼い子供であったとしてもそれだけは出来なかった。

 いや、幼い子供だからこそまっすぐ向き合い、エレインはマリの潤んだ瞳を覗いて真摯に言葉を紡いだのだ。

 

「だからはっきりと言うけど、このままじゃ危険よ。だから、大きなけがをする前に、痛いことをしてそれより酷いことにならないようにする必要があるの」

「痛いことするの?」

「そう、とってもね。でも、このままだとあの二人は痛いことすら分からなくなってしまうの。だから、今はこうしないといけないのよ。その歳の女の子に分かれ、とは言わないけれど、知っておいて欲しいとは思うわ」

 

 分かれ、なんて彼女は口が裂けたとしても言えなかった。それに誤魔化すなどと言う選択肢も取ることが出来なかった。

 

「エレイン先生……」

 

 そして、まだまだ幼いマリは、その言葉をうまく噛み砕き、飲み下すことは出来なかったが、心の奥底でその真摯な思いを感じ取っていた。だからこそ泣きそうな顔で、否、既に泣き出している顔でエレインの名前を静かに紡いだのだ。

 縋るように、祈るように、何処か悲しむように、そして父母をこれから傷つける医者を責めるように。

 それを真っ向から受け止めながら、エレインは彼女の身体を押して踵を変えさせることで、オサムとマコトから視線を外させた。

 そして、吾郎とゲンに視線を向けて、無言で連れて行くように促して見せる。

 それを受けて、二人はマリを伴い浴室の方へと移っていった。

 その背中を見届けると、エレインは藤次の方へと視線を向けて言葉を紡ぐ。

 

「ほら、貴方も行きなさい。素人が見ていて気分のいいものじゃないわよ」

「いえ、何かできることがあるなら手伝います。この部屋にいる生存者の中で、今一番エレインさんの治療に馴染みがありますから」

 

 藤次は出来るだけ軽い調子でそう言うと、彼女と視線を合わせた。だが、その瞳に映った感情の色は真摯なもので、彼なりに今の状況を何とか打開するためにあがきたいという思いが滲みだしている。

 そんな藤次の想いを感じ取ったエレインは小さくため息をつき、そして微かに苦笑を浮かべた。彼の意思は固そうだとその目を見て理解できてしまったから。

 

「そうね。そこまで言うなら手伝ってもらうわ。まず、そこに置いてある椅子で出来るだけ処置する患者の身体を抑えていてくれないかしら。私が少しでも鎮圧作業をしやすいように」

 

 そんな彼女の言葉に藤次は力強く頷きを返した。どこか乾いたものでありながらも、確かな力のこもった微笑みを浮かべて。それは彼なりの強がりであった。だが、それでもその意思は固い。

 

「分かりました。僕の気が変わらないうちに速く済ませちゃいましょう」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。