特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

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感染する悪意のマリオネット症候群 第十五話

 

 

 そんな光景と痛みを幻視した藤次は、驚愕の表情で身を引こうとする。が、元から腰を落としていたという事もあってかよけきることが出来ず、自身の喉笛が引き裂かれる感触と舞い散る鮮血を視界に収めることとなった。

 

「ぁ……」

 

 満足に声を上げる事すら出来ず、彼はマリを最後の力を振り絞って突き放し、喉から声ともただ空気が漏れる音とも取れるような微かな音を漏らしながら、ゆっくりと後ろに倒れていく。

 

「藤次!」

 

 どこか遠くに聞こえるエレインの叫び声が、藤次が意識を失う前に聞き取ることの出来た最後の音だった。

 そして、意識を失い倒れていく彼の背後からワイヤーが伸び、マリの肉体を拘束する。そして、すぐさま藤次に駆け寄ったエレインは、地面に叩き付けられそうになった彼の肉体を咄嗟に支え油断なく浴室と部屋の入口へ視線を向けた。

 

「くそ! ウイルスの感染力が想像以上に高い…… 飛沫感染と接触感染まで持ってるっていうのかしら? だとするのなら……」

 

 そう呟きながら、エレインは藤次の喉に出来た傷口を力強く抑えながら、治癒を施し、それを塞いでいく。

 だが、それでも状況は予断を許さない。マリがこの状態で出て来たという事は、即ち、浴室にいた生存者たちも当然のことながら

 

「そう、なっているわよね……」

 

 ぞろぞろとマリの後に続くようにして、見知った顔が浴室の中からうつろな目をして歩み出てくる。それを見たエレインは怒りに震えながら、歯を食いしばり、視線だけで人を殺せそうな怒気を纏ってワイヤーを構えた。

 

 しかし、状況は非常に悪い。出来るだけ傷を与えないように拘束してはいるが、マリも体をじたばたと動かして皮膚が裂け始めている。

 手足にダメージを与えてから拘束したわけでも無いため、先ほどのオサムとマコトの様な状態になっているのだ。

 

 このままでは二人の二の舞だ。それだけでなく、部屋の入口のドアもすさまじい力で何度もたたかれ、蝶番が不吉な音を立てて歪み始めている。

 おそらく、数分と経たないうちに部屋の中へと操られた人間がなだれ込んでくるだろうことは想像に難くない。

 

 エレイン一人ならば、この状況でも部屋から出ることなく操り人形とかした吾郎たちを完全に無力化することは可能だ。しかし、傷ついた藤次を片腕に抱え、治癒を施し、さらには自身の体内のウイルスに干渉し続けているこの状況では、それも難しい。

 先ほど相手取った人間たちとは違い、相手の身体を傷付けながら修復するという芸当が非常に難しくなっているのだ。これで先ほどと同じことをしようとすれば、致命的な損傷を残しかねない。

 かと言って彼女の後ろ、つまるところ窓へと身を躍らせれば、外部からの狙撃のリスクがある。

 エレインは藤次の喉と、傷つき続けているマリの肉体に治癒を施しながら、彼女はじりじりと迫りくる操り人形と化した守りたかったものから距離を取った。

 

「仕方ないわね…… 一応、保険だったのだけれど、こうなったらそうも言ってられないわ」

 

 エレインはそう言うと、目をカッと見開いて、大きく腕を振るった。彼女の手で手繰られたワイヤーが狙う先は、操られた吾郎たち、ではなく上階へと繋がる天井だ。

 まるで溶けかけのバターに食い込んでいくように、ワイヤーはするりと天井の内部へと侵入し、切り取られたそれはエレイン達と吾郎達の間に落下し、轟音と埃を舞いあげた。

 その衝撃で操られた吾郎たちは、僅かに体勢を崩し、たたらを踏んだ。

 

「残念だけど、相手をするつもりは無いわよ」

 

 そう言いながら、エレインは藤次を抱えた状態で、足の裏に集中させた霊力を集中させる。それを一気に放出することで、勢いよく上階の床へと彼女は着地して見せた。それとほぼ同時に、マリを拘束していたワイヤーを解き、回収すると彼女は着地した部屋の扉を蹴破るようにして廊下へと躍り出る。

 彼女が元いた部屋に入った時、上下左右に敵がいないかを確認していたのは、安全確保の意味もあったが、それ以上に咄嗟に逃げるための逃げ道の確認の為だったのだ。

 

「下に来てたから、こっちにはいないわね…… でも、駆けつけてくるのも時間の問題か」

 

 忌々し気に顔を歪めながら、エレインは必至に視線を巡らせる。自身に感染したウイルスに対する精密な干渉、藤次の食い破られた喉元の治療、現状を打破するために割いている思考、動かし続けている身体。

 どれか一つか、或いは二つまでなら、エレインならばどうということは無いのだが、流石にこれだけの量を同時にこなすとなるとそうもいかない。

 しかも、状況は常に悪い方へと流動し続けている。喉元を食い破られた藤次は、ほぼほぼ確実に術式が仕込まれたウイルスに感染しているだろう。だが、彼の体内にあるウイルスに干渉している余裕がエレインにはない。

 

「流石に、確定事項とはいかないけど…… 藤次の体質に賭けるしかないわね」

 

 エレインは小さくそう呟くと、上階を目指して廊下を疾走しながら、自身が感染したウイルスの治療と、藤次の傷の治療に専念する。その最中、部屋の扉から操られた女が飛び出してくるが、

 

「治してあげる余裕はないから、死にたくなる程度に痛いわよ!」

 

 エレインは素早く攻撃を躱すと、力強く相手のつま先を踏み抜き、身体を一回転させて、態勢が崩れた女の膝を後方から蹴りぬいた。ガクリと膝が曲がり体勢を崩した女は、そのまま地面に倒れ込む。

 踏み抜かれたつま先の骨は粉々になり、通常なら立つ事すらままならないだろうダメージだというのに、女はエレイン達がこれまで見た人々と同じように、這いずりながらでも追いすがってきた。

 エレインはそんな女に向けて小さく「ごめんなさい」と呟くと、その腰に向けてその足を振り下ろした。

 

 背骨が砕ける音が響き、女はそのままほとんど動かなくなった。それでも、上下する胸と、ぎょろりとさまよわされている虚ろな瞳が彼女の生存を見るものに訴えかけている。

 一見悲惨とも言える状態ではあるが、この状況で生命活動に大きな支障をきたさない程度のレベルで脊椎を破壊できたのは、エレインが人体についての造詣が異常なまでに深かったおかげだ。

 そうでなければ、体術に秀でているとは言い難い彼女の脚力で、襲い掛かってきた女は絶命していただろう。

 

 だが、たった一人を無力化したところで、敵は次々とやってくるのだ。現に、ホテルにある二つの階段からは、それなりの数が駆け上がってくる足音が響いている。

 

「ああもう! 厄介極まりないわね…… 藤次の傷は、大体塞がった。後は、私の体内のウイルスと、出来れば藤次の感染したウイルスの対処もしないと」

 

 そう言いつつ、エレインは階段ではなくエレベーターホールへと走った。相手が両脇を詰めてくる、さらには狙撃の危険もある以上、フロア中央に位置するエレベーターに向かう以外に選択肢はない。

 それに、怪我人を抱えた状態ではあるものの、エレインの行動の枷が大きく減った今なら、多少の無茶は押し通せる。

 枷が減った事と、見知った顔が敵の手に落ちてしまったことが同義であることが、彼女にとって忌々しい事実に他ならなかったが、今は抱えた患者と自身の命と正気を保つのが最優先事項だ。

 エレインまで敵の手に落ちてしまえば、それこそ何もかもが台無しにされてしまうだろう。

 

「私が生きているうちは、手駒として操った人間はある程度は生かしておくはず……」

 

 操られた人間の命を確保するという意味で、彼女は絶対に敵の手に落ちるわけにはいかない。

 そんな思いを抱いた彼女の瞳に、エレベーターの扉が映る。そして、それと同時にワイヤーを伸ばし、行く手を阻む扉をバラバラに切り裂いて見せると、そのままそこへ飛び込んだ。

 一瞬の浮遊感が過ぎ去り、二人の身体は暗闇の中へと吸いこまれるように落下していった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 ホテルの廊下に仕掛けられた隠しカメラから、内部の様子をうかがっていたアイリスはふむ、と息をついた。

 

「ふむ、エレベーターの縦穴の中に逃げ込みましたか。中にいるマリオネットたちを縦穴に飛び込ませるのもありですが…… それでは仕留めきれないでしょう。仕方が無いですし、別の指令を与えてあぶり出しにかかりましょうか。確実に仕留めに行きたいですからね」

 

 そう言って彼女は、ホテル内部にいるあやつった人間の内の何人かに特定の指令を出し、アイリスはクスリと笑いを浮かべる。

 その背後では、虚ろな目をした数人の男たちが床に置かれた箱の中から、黒光りする銃火器を取り出し、ゆらりと体を揺らした。

 その様を愉しげに見つめながら、彼女は油断なく状況を詰めて行く。

 

「私が勝つか、貴女が勝つか…… どちらにせよ、これから先は血に塗れた闘争劇の始まり始まり! さあ、チェックメイトはもうすぐよ。これは、私なりの証明です。あの人に対してのね」

 

 口元を歪ませた彼女は、混沌としたこの状況の中で、偶然転がり込んできたエレインと言う一人の女を殺すために戯曲を紡ぎ、演目を作り上げた。実験さえ済ませてしまえば、好きにしていい。

 その言葉の通り、アイリスは今まさに自身の悪意を引き出し、相手を追い詰めていっている。

 自分が相手なら、やってほしくはない事をやるのは戦いにおいての常道だ。それ故に、今の彼女程厄介な相手と言うのもそうそういないだろう。

 

「ウイルスに対しての干渉は、繊細で緻密な霊力の操作が要求される。しかも、足手まといを抱えた状態での戦闘行為となると行動のリソースもそれなりに削がれるでしょう。そんな中で、出来るだけ相手を殺さないように立ち回る。そんなことが、いつまで続くでしょうね?」

 

 そう言って、彼女は椅子から立ち上がると自身の愛用のライフルを手に持ち、踵を返して部屋の入口へと向かう。その途中で、机に置いてあったナイフと札を懐にしまい込み、アイリスは顔から表情を消し去って静かに言い放った。

 

「データの収集と転送は完了しました。貴方の言葉通り、好きに暴れさせてもらいますよ。社長」

 

 不気味な呟きと共に、彼女はカツカツと足音を残し、部屋の中から姿を消した。

 

 銃火器で武装した、数人の男を引き連れて。

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