先に仕掛けたのは、標的に肉薄して見せたエレインだ。
彼女はワイヤーを手繰り、次の攻撃の仕込みをしながら、容赦のない蹴りを放つ。
だが、アイリスは身体強化を施した自身の肉体をもってして、その攻撃をさばいて見せた。しかし動きに精彩がなく、異常なまでに見開かれた瞳はエレインに注がれたまま動かない。
そんな彼女の死角から胴体を切り落とさんとワイヤーが迫る。当然、アイリスはそれを見ることができない。
しかし、
「舐めないで!」
視覚から襲い掛かったそれを、彼女は咄嗟にナイフを引き抜き、それを滑り込ませることで致命傷を避けて見せた。そして、もう片方の手で素早く拳銃を引き抜くと、敵めがけて容赦なく引金を引く。
放たれた弾丸がエレインに迫るが、彼女はそれを躱してワイヤーを手繰りつつ、賞賛の言葉を紡いだ。
「なるほど、いい予測ね。でも、この距離だと私の視線誘導も、精神干渉からも逃げるのは不可能でしょう? 見たところ貴女、耐魅了の効果の呪具を持ち合わせていないみたいだし…… 結界系統の術士でもない。早々に降参することをオススメするわ」
「私がそんなことをするように見えますか? でしたら、眼科に行くことをお勧めします。そちらこそ、私と同じ土俵に立った程度で思い上がらないでください。私にはあなたたち二人以外の島の人間が付いていることをお忘れなく」
互いに言葉を叩き付けるようにして紡がれる中で、格闘、ワイヤー、銃弾が乱れ飛ぶ。そんな中、アイリスはあくまでも不敵な態度を崩さず、挑発の言葉を投げかけた。
だが、そんな挑発をエレインは鼻で笑い飛ばす。
「さて、どうかしら? なまじ敵味方の区別が出来る程度の知性が残っているから、操られている人たちの動きが鈍いわよ。どう攻撃すればいいのかってね。彼らが下手に攻撃をするなら、貴女まで巻き込まれることになる。さて、本当に追い詰められているのは、どっちかしら?」
「さあ…… どちらでしょうか!」
アイリスはそう言いながらも、その背中を冷や汗が滑り落ちていく。
エレインが言った事もまた事実であったからだ。操った人間に下手に攻撃をさせれば、彼女自身がそれに巻き込まれかねないし、そうでなくとも何らかのエラーの原因になりかねない。
それ以上に彼女にとって問題なのが、エレインの間合いに踏み込んだ状態であるというのに、精神干渉と視線誘導が猛烈なまでに影響を及ぼしているという事だ。
視線を動かせないせいで、ワイヤーの動きを読み切れず、アイリスの体に生傷が増えている。
さらに、精神干渉の影響でエレインへの攻撃を肉体が拒否しようとするのだ。彼女の意思にかかわらず。
それでも、何とかナイフを、そして拳銃を用いてワイヤーを弾き、エレインが繰り出す蹴りをさばいて見せる。
だが、そんなアイリスの抵抗をあざ笑うかのように、バックステップで距離を取ったエレインの指がワイヤーを爪弾いた。
「さっきまでのお返しよ」
それと同時に、アイリスの全方位を囲むようにしてワイヤーが迫る。先ほどまでとは比べ物にならないほどの密度のそれは、彼女の全身の皮膚をそぎ落とし、否、全身を粉砕し、砂粒以下にしてしまえるほどのものだった。
現在アイリスを苛んでいる視線誘導と精神干渉の影響を加味していない状況であっても、対処するのが困難であろうそれに、彼女は獣のような雄叫びを上げながら一息で踏み込んだ。
破れかぶれの突撃?
断じて否。それはアイリスが唯一活路を見出した血路に他ならない。その場に留まれば、砂粒如何にバラされるというのであれば、強引にワイヤーの囲いの突破を試みる他方法は無いのだから。
「身体能力及び強度増幅開始!」
彼女は自身に強化を施し、ナイフを振るい、直近にあるワイヤーを弾き飛ばす。
だが、自身に迫る殺意を一つ弾き飛ばしたところで、まだ命の危機が去ったわけではない。まだ幾重にも張り巡らされたワイヤーは彼女を切り裂かんとしてその包囲網を狭め続けている。
ナイフで弾いて、弾いて、弾いて弾いて弾いて弾いて弾いて弾いた。
ワイヤーの壁は薄くなるが、それでもまだアイリスの体を通せるだけの隙間には届かない。
強化した身体能力をもってしても、そのすべてを弾き切るに至らなかった。
だが、それでもその勢いは止まらない。緩められることは無い。
彼女は急所を守るようにして腕を交差させて、そのまま迫るワイヤーへと突っ込んだのだ。当然、そんなことをすれば、無事では済まされない。
「ぅあぁあああああ!」
アイリスの腕の、足の肉をワイヤーが切り裂き、骨へと達する。当然、まともな痛覚遮断など行えているはずも無く、彼女の表情は苦痛に歪んだ。
しかし、ワイヤーは骨に達した時点でギリリと言う音を立てながら停止する。
そして、アイリスは手足を深く切り裂かれながら、否、最早手足の肉をそぎ落としながらも、強引にワイヤーの囲いを突破した。
「まずっ!」
エレインは咄嗟に身を引いたが僅かに遅い。
アイリスのナイフがその体を深々と切り裂いた。
彼女はそのまま追撃に移行するが、エレインは体を切り裂かれながらも、ナイフの間合いからギリギリ外へと逃れる。
「っつ! 精神干渉と視線誘導のせいで満足に戦えないでしょうに、よくもまあそれだけ動けるわね……」
「く、あはは! そちらこそ、ウイルスへの対応と足手纏いを抱えている状況なのに、よくもまあそれだけ動けますね!」
心底から愉しそうにアイリスは笑う。手足の肉が一部削げ落ちるほどのダメージを受けながらも、こみ上げるくらい喜びが苦痛を押し流しているのだ。
だが、その傷も見る見るうちに塞がっていく。治癒の術を掛けたかのようなスピードで、だ。
アイリスがそう言った系統の術を使っているという訳ではなく、それだけにその回復力は異常の一言に尽きる。
「治癒系の特異体質持ち……!」
その事実に忌々し気に表情を歪め、エレインはワイヤーを手繰り僅かに距離を取った。
治癒能力のことも含め、近距離戦闘の実力は間違いなくアイリスの方が上だと判断したからだ。
エレインは医者であり、本来は最前線で戦うような立場ではない。彼女の実力はクロユリでも上から数えた方が早いが、それでも戦闘職を主として戦う相手に近接戦を挑まれれば些か分が悪いのだ。
間接的に取られた映像から針の意図を通すような狙撃で獲物を追い詰める射撃能力。
ナイフを振りぬく速度、状況判断、異常なまでの再生能力。
そして何よりエレインの有する体質によってさまざまな影響が出ている中で戦い続けているその精神力。
アイリスに備わっているものは、どれをとっても一級品である。
詰まるところ、彼女は遠距離も近距離も辛口の万能タイプという訳だ。
そんな厄介極まりない相手は、容赦なくエレインと距離を詰める。狂気的な笑みをさらに深めながら。
「ですが、もう仕込みをする時間は与えませんよ?」
アイリスの言葉に、エレインは内心で冷や汗を流す。彼女の言葉が示す通り、先ほどの攻撃は元からの仕込みがあったからこそできた芸当だ。
ウイルスと戦い、藤次を担いでいる関係上片腕も塞がれている現状では、一息であれほどの攻撃を行うのは非常に難しい。
しかも、先ほどの様に藤次をいったん投げるという芸当も出来ないのだ。
何せ、至近距離にアイリスがいるし、周りにいる操られた人間が放り投げられた藤次にうっかり目がいかないとも限らない。
視線はエレインが惹きつけているとは言えども、そうならないという保証は一切ないのだ。
エレインはそんな状況を打破しようと必至に策を巡らせるが、相手は待ってはくれない。
「次はこちらの番です」
その言葉と共に、アイリスは先ほどよりも数段苛烈な斬撃を雨の様に降らせた。
エレインが咄嗟にワイヤーを網の様に展開し、それらを防ぐが、一つ一つの斬撃がすさまじい衝撃を伴い、ワイヤーの防壁をたわませる。
ワイヤーがたわむという事は、防壁に隙間ができる。その隙間に向けて、アイリスは容赦なくナイフを滑り込ませた。
その一撃で、また鮮血が宙に舞う。
それを瞳に焼き付けながら、アイリスは拳銃を構えた。そしてその照準をエレイン、ではなく、藤次に合わせて引金を引き絞る。
「っこ、の!」
エレインは素早く身を捻って、藤次を弾丸の軌道から逃がす。
だが、アイリスはその隙を逃さない。ナイフを真一文字に振るい、エレインの今度は胸部を切り裂いた。
「足手纏いが居ると大変ですね。そんなにその少年のことが大事ですか?」
「さてどうかしら。今日初めて会った訳だし、そこまで命を懸ける必要が無いと言われたらそうかもしれないわ。でも、これが私の仕事で、曲げるつもりもないの」
「立派な志ですね…… 笑いはしませんが、心底から馬鹿だと思いますよ、それ」
アイリスの言葉通り、そこには一切の嘲りが存在していなかった。あるのは憐れみにも似た視線のみ。
そんな彼女に対し、エレインはあくまでも艶然とした態度で笑う。
「損する質なのよ、昔っからね!」
そんな言葉と共に、エレインはナイフの攻撃を片腕で器用にさばき、相手の足めがけて鋭い蹴りを繰り出した。
しかし、アイリスはそれを足さばきのみで躱すと、懐に潜り込んでナイフを担がれている藤次へと再び振るう。
そして、当然の如くエレインは彼を庇った。あくまでも自身の信念に従って。
だが、彼女自身は無事では済まず、ナイフがかすった場所からだらりと血が流れだす。
「甘い! そんな甘ったるい考えだから、そうやって手傷が増えていくんですよ? 貴方の精神干渉は、その足手纏いを狙えば発動しない。それを庇いだてする以上、貴女には勝ち目がない。さっさと見捨てることをお勧めします」
アイリスの言葉には、どうしようもないほどの喜悦が滲みだしている。
だが、そこに一切の油断や侮りは存在していない。あるのは相手を殺すという強い意志と、底の見えないどろどろとした何か。ただの敵に向けるものとしては異質なそれに、エレインは違和感を覚える。
ワイヤーではなく、腕でナイフをさばき、拳銃の銃口の向きを警戒しながら彼女は、そんな違和感を払拭するために挑発の言葉を投げかけた。
「は、面白い冗談ね…… それにしても貴女、妙に私に対する殺意と悪意がねばついて無いかしら。それに、妙に突っかかってくるところといい、私怨を感じるわ。私に引っかかった誰かのの中で貴女の意中の人でもいたのかしら?」
あくまでも相手の神経を少しでも逆なでできればいい。そんな思いから発せられた言葉であったが、効果は劇的だった。
アイリスの顏から先ほどまでの喜悦が抜け落ち、その瞳には憤怒の炎が灯る。彼女は先程よりも明確に殺意を昂らせながら拳銃の引金を引き絞った。
「あら…… 図星、だったみたいね」
エレインは放たれた弾丸を躱し、相手の腕を絡めとって銃口を自身からそらし、的確に対処をしながらそんな言葉を紡ぐ。相手の神経をさらに逆なでするように、口元を歪めながら。
しかし、アイリスは激しながらも冷静さを完全には失っておらず、すぐさま絡められた腕を自身の腕で挟み、加わる力を利用して相手の体勢を崩した。
そして、たまらず片膝をついたエレイン目掛け、彼女は逆手に握ったナイフを振り下ろす。
「お顔が真っ赤よ」
それを見越していたのか、エレインのワイヤーがナイフを握った腕に絡みつき、宙に縫い付けた。そしてすかさずエレインは地面に手をつき、相手に足払いを掛ける。
だが、アイリスは近接格闘に置いて、彼女はエレインよりも格上だった。
「黙りなさい!」
ワイヤーに絡めとられた腕を強引に捻じり、血をまき散らしながら拘束を振り解くと、足払いをバックステップで躱して反撃に次々と拳銃の引金を引いていく。
だが、激情が籠った言葉と共に放たれた弾丸は、エレインの頬を掠めるにとどまった。
「危ないわね…… 男とか女とか関係なく、嫉妬っていうのは見苦しいわよ」
「貴女はどうやら、人を怒らせるのが好きなようですね……」
「知り合いに煽り性能が振り切れた問題児が居るから、きっとそいつのせいね。おかげで、私まで口が悪くなっちゃったわ」
「いやねぇ?」とわざとらしく肩を竦め、エレインは頬から流れ落ちた血を拭う。それと同時に、彼女は体の奥底から冷え込むような感覚に悪寒を覚えた。
あくまでも余裕たっぷりといった態度を取ってはいるが、度重なる狙撃や今回の戦闘。それらで負った傷一つ一つは致命傷に至らずとも、総合的な出血量は馬鹿にならない。人外の生命力で何とか持たせてはいるが、人間ならば既に死んでいる量を超えていた。
それを見抜いているのか、アイリスは激情を収めるように鼻で笑う。
「強がりはそれまでにしたらどうですか。いくら人外とはいえ、それだけ盛大に出血していれば、そろそろ行動にも支障が出てくるでしょう?」
「さて、どうかしら…… そっちこそ、弾切れを起こした銃のリロードの心配はしなくていいの?」
「貴女が死んでから、じっくりさせてもらいます。だから、安心して…… 死んでください」
そう言うと、アイリスは弾切れになった拳銃を素早く投擲した。
エレインはそれを躱し、背後でコンクリート塀が破砕する音を聞きながらワイヤーを手繰る。
だが、彼女が僅かに意識を逸らした隙に、アイリスは懐から何かを取り出して見せた。
それを見たエレインは、顔を引き攣らせながらワイヤーを取り出されたそれめがけて放つ。
「残念、それじゃ芸が無いですよ」
そう言ってアイリスは取り出したものを、攻撃用の術を封じ込めてある札を守るようにして、ナイフを用い、ワイヤーを弾き飛す。
「さあ、焼けて踊ってくださいな。惨めにね」
ぞっとするほど冷たい言葉と共に、札から解放された術が炎のうねりを伴って、エレインへと襲い掛かった。