確実にエレインを捉えるため、広範囲に広がるようにして放たれた炎は、その思惑に違わず彼女の肌を焦がしていく。
焼ける肉の匂いがあたりに充満し始める中、エレインは息を止め、咄嗟に霊力を全身から放出することで炎を散らし、強引にその中を突破した。
藤次を庇うように体を傾けて炎を突破したその先にアイリスの姿はない。
「どこに……」
エレインはあたりに視線を巡らせ、アイリスの姿を探す。
そんな彼女の足元に影が落ちた。
「っ!」
それが意味することを瞬時に悟り、エレインは咄嗟にワイヤーを自身の頭上目掛けて放った。
ワイヤー越しに鈍い感触が伝わり、鮮血が彼女の頭上から滴り落ちる。
確実に人体を捉えた感触であったが、エレインの表情は固い。
「囮!」
空中で絡めとり、確かに捕らえた人間はアイリスではなく、操られた人間の一人だった。
ならば、アイリスはどこにいるのか。
その答えは、すぐに判明するなった。
「もう、諦めたらどうですか?」
背後から聞こえたその言葉によって。
「っ!」
咄嗟に身を反転させようとするエレインだったが、足元で札が光り、彼女の身体を拘束せんとして透き通る鎖のようなものがそこから伸びた。
エレインは咄嗟にアサルトライフルとまとめて担いでいた藤次を、投げ飛ばした。
最早自身は逃げ切れないと悟っての行動。
そんな行動を断行したエレインの身体に札から伸びた鎖が巻き付いてく。
「あ、はははは! 最後まで足手纏いを庇ったんですね! なんて、なんて愚かな人なんでしょう! そこまで行くと、本当に賞賛に値します」
そんな彼女に向けて、アイリスの勝ち誇ったような声が降り注いだ。
鎖に繋がれ、地面に縫い付けられるようにして叩き付けられたエレインは、血と土で薄汚れた顔を上げる。
その視線の先では、アイリスが肩で息をしながら、勝利を確信したような笑みを浮かべて立っていた。
「はぁ…… はぁ…… ああ、おかしい! 意地でも一般人を殺そうとはしませんでしたが、それもここで終わりですね。貴女の今の有様を見るに、さきほどの霊力放出で術のコントロールが疎かになっていた。加えて、拘束符によってさらに霊力の制御が難しくなっている。この状況では、貴女ももうすぐ堕ちるでしょう?」
「ふ、ふふ…… よく回る舌ね。ねちねちねちねち、さっきから癇に障るわ。もう少し、寡黙になったらどう? でないと、意中の相手に嫌われちゃうわよ? 貴女、元から性格悪そうだし、そこのところ気を付けないと」
「ご忠告感謝します。これからはその言葉を胸に刻んでおきましょう。もっとも、貴女はここで終わりですが」
アイリスは自身に向けられた言葉を鼻で笑いながら、懐から新たな札を取り出した。
今から獲物に近づくのは下策中の下策といってもいい。エレインは不利な状況から彼女をここまで追い詰めたのだ。
拘束され、地面に縫い付けられているとはいえ、下手に近づいて手痛い反撃をくらう事だけは避けたいのだろう。
そして、あやつった人間を使わないのは確実に獲物をしとめるため。
それを地に伏したエレインも十分すぎるほどに理解している。
今まで、確実に自信をを詰みの状況に追い込むために、慎重に行動しているアイリスを見て嫌という程に理解できてしまったのだ。
だが、エレインはあくまでも泰然とした態度で彼女を見つめる。
「なるほど、目障りな相手は消しておきたいってワケ…… 普通、私みたいな立場の人間は利用価値があるから生かしておくものだと思ったのだけれど?」
「生憎、そんな余裕はありませんので。元より、私が受けているオーダーは島で事を起こすことと、その後始末。その方法は私に一任されています。そこに、貴女の意思も価値も介在することは無い」
「なら、今までの行動の中に貴女の意思が介在していないなんて言えるのかしら? どうにも独断専行が過ぎるように感じるわよ。どうしても、私を殺したいってね」
「否定はしません。ですが、それを含めて私に一任するとのことですので、貴女は余計な心配をしなくてもいいんです」
嫌という程冷たい殺気があたりに充満する中で、霊力を流し込まれた札から込められていた術が解放され、光が空中で剣の形に編み上げられていく。
「じゃあ、今度こそさようならですね」
その言葉と共に、アイリスは腕を掲げる。
それに呼応するようにして、光の剣が一斉にエレイン目掛けて切先を向けた。
そして、掲げられた腕が振り下ろされようとした瞬間、突如として笑い声が上がる。それは、拘束され地に伏しているエレインのものに他ならなかった。
その様相にアイリスは訝し気な表情をして腕を止めてしまう。それほどまでに今のエレインは不気味だった。
追い詰められているはずなのに、まるで勝利を確信しているかのようなその表情は、明らかに異質かつ不気味なものだった。
気でも狂ったのかと、そんな思考が過るアイリスだったが、そうではないと彼女の経験が告げている。
そんな中で、エレインはあくまでも理性的な色を瞳に宿したまま、静かに言葉を紡いだ。
「いい気分で私に止めを刺そうとしているところ悪いけど、貴女の負けよ。今なら土下座しておとなしく投降するって誓うなら許してあげる」
「この状況で何を言っているんですか、貴女は? そちらは拘束され、地面に縫い付けられている。その上、ウイルスが全身に広がり、いつ自身の肉体のコントロールを手放してもおかしくはない。何をもって勝ったなどといえるのか、理解に苦しみます」
「今に分かるわ」
あくまでも、よゆうたっぷりと言った態度でエレインはそう締めくくる。
アイリスはその態度に嫌な予感を覚えたが、これ以上戯言に付き合わずに殺すべきだと判断した。
もっとも、その判断はあまりにも遅すぎた、と言わざるを得ないものだったが。
突如として銃声が鳴り響き、彼女の全身をくまなく抉る。
「な、ん…… で」
アイリスは驚愕と痛みに歪んだ顔を銃弾の飛来した方向へと向ける。
そこにいたのは、失血の影響で顔色が悪くなっているものの、瞳に力強い想いを抱いている藤次であったのだ。
だが、そんなアイリスの驚愕を、致命的な隙をエレインは見逃さない。
「藤次! 私を縛ってる鎖が伸びている札を!」
「はい!」
その叫びを受けた藤次は、正しく意図を汲み取り、弾かれたようにエレインの元へと駆け出した。
しかし、その進行ルートを阻害するようにアイリスは身を躍らせる。全身に受けた銃創から血を噴き出しながら、それでもすさまじい気迫を纏い、彼の前に立ちふさがった。
「させる、ものですかぁ!」
「どけ!」
そんなアイリスに対し、藤次は弾切れを起こしたアサルトライフルをフルスイングした。
だが、彼女は左腕を盾にアサルトライフルを受け止める。
骨が砕ける嫌な音があたりに響き渡った。
痛みと戦闘時の高揚故か、アイリスの瞳は大きく見開かれる。一切の妥協も慢心もしなかった筈の計画を、こんなところで邪魔させてなるものか、と。その瞳はそんな激情が揺れている。
「邪魔をするな!」
そして、彼女は無事な手に握ったナイフを藤次の首めがけて振るった。
完全な不意打ちで強化の術は完全に途切れてしまっているが、それでもよく訓練されたであろうそのナイフ捌きは見事なもので、戦闘の素人である彼が避けるのは非常に難しいものである。
もちろんそれは、藤次がただの一般人であるならば、の話であるが。
アイリスは知らない。
藤次がどんな能力を持っているのか。
何故、エレインがあそこまで命を懸けて守ろうとしたのか。
それを知っていれば、結末は違っていたかもしれない。
嗚呼、だが藤次は既に知っていた。数秒先の未来を。
ナイフの軌道も、切り裂かれ、血を噴き出しながら倒れる自身の姿も、傾いていく視界も。
故に、彼はそのナイフの一振りに何とか対応し、薄皮一枚の所で致命傷を回避した。
その斬撃は、ほんの一ミリでもズレていれば頸動脈に達していたであろう。
だが、藤次は確かにそれをしのぎ、アイリスの懐に潜り込んだ。
「ぉおお!」
気迫に満ちた叫びと共に、彼の右ストレートが容赦なく彼女の鼻っ面にめり込んでいく。骨が砕ける鈍い感触が藤次の拳に伝わるのと共に、アイリスは体を大きくのけぞらせる。
そこに生じた隙が自身に、いや自分たちに残された最後の活路である。そう確信した彼は、不格好に転がりながらエレインの元へと転がると、地面に置かれた札を引きちぎり、遂にその束縛を解き放った。
「ありがとう、後は任せて」
藤次はその言葉を聞いて酷く安心するのと同時に、ぞくり、と背筋に悪寒が走るのを感じた。
ひどく矛盾しているその二つの感覚は、他ならぬエレインによってもたらされたもの。
彼女の言葉に込められた藤次への気遣いと、アイリスを無残に叩き潰すというすさまじい殺意があたりに充満し、寒暖差の激しい場所に叩き込まれたかのような感覚を彼に与えてしまったのだ。
直接向けられたわけではないというのに、思わず寒気を感じ体を震わせてしまうほどの殺気。それを直接向けられているアイリスはたまったものでは無いだろう。
状況は彼女にとって最悪といっていい。先ほどの銃撃で全身にダメージを負い、強化は途切れ、流れ落ちた大量の血は彼女に貧血の症状をもたらしていた。
しかも、ダメ押しと言わんばかりに右ストレートが顔面に叩き付けられ、ぐらぐらと視界が揺れ始めている。
それをエレインが見逃すなどあり得るはずがない。彼女はしゃらりと音を鳴らしながら、ワイヤーを手繰り、未だに足元がおぼつかないアイリス目掛けて容赦のない攻撃を放った。
体を捻って見せるが、先ほどまでの精彩はなく、回避しきれなかったワイヤーが容赦なくその肉体を刻んでいく。
アイリスは自慢の再生能力でダメージを回復していくが、それでも圧倒的に受けたダメージの方が上回っている。
その状況を、まともに働いてくれない頭でも正しく理解したらしいアイリスは、全身を切り刻まれながらも強引に後退し、懐から新たな札を取り出した。
「転移門の札……! させない!」
取り出された札が何かを理解し、エレインは驚愕の声を上げるが攻撃の手は一切緩めない。
踊り狂うようにして宙を舞うワイヤーは、遂にアイリスの眼球を切り裂きその視界を奪った。
それでも彼女は札に霊力を流し込む作業を中断させることは無い。最早、自身が受けるダメージのことなど度外視して、術を確実に発動させることだけを意識しているようだ。
既に手足の指も数本完全に切断され、耳も片方削げ落ちているというのに、彼女は一切の淀みなく霊力を札に流し込み、ついに内包されていた術を自身の背後に展開させた。
そして、それと同時に彼女はナイフを投擲する。狙うはワイヤーを手繰っている憎き相手の心臓だ。
ワイヤーの隙間を縫うように投擲されたそれを、エレインは身を捻って躱す。
その隙に、アイリスは自身の背後に構築され始めた黒い穴のようなものの中に身を沈めていく。
「くっ…… 今回は、退かせてもらいます…… でも、次はしっかりとその薄皮をはぎ取って、中身をさらけ出させてあげましょう。それまで、私以外の人に殺されないでくださいね?」
「待ちなさい!」
エレインは咄嗟にワイヤーを放ち、逃げ行くアイリスへと攻撃を仕掛けた。しかし、彼女の胴体を捉えるには僅かに遅く、黒い穴から覗いていた腕を切り落とすにとどまった。
「くそ! これじゃ、トカゲのしっぽ切り…… 逃げられたわね」
エレインの悪態がぽつり、と空に溶けていく。こうなった以上、最早追跡をすることなど不可能だ。
かくして、アイリスは穴の中へと完全に姿を消し、やがてその穴も最初から存在などしていなかったかのように消えてしまう。まるで、空気に溶けるかのようにして。
「いえ、でもこれなら何とかなるかしら?」
渋い顔をしていたエレインであったが、彼女は何かに気付いたかのように顔を上げると、切り落された腕を拾い上げ、そこについていた端末を回収する。
そんな彼女の近くまで寄ってきた藤次は、僅かに体を震わせながら、静かに呟いた。
「今日、初めて人を撃ちましたよ……」
「現代日本の人間は、人を撃つ事なんて無いし、それは当たり前。怖くて震えるのも当然の事よ」
エレインはそう言うと彼の肩を軽く叩いて、「少し休みなさいな」と言葉を掛けた。
しかし、藤次はびくびくとした様子であたりを見回すと、顔を青くする。
「あ、あの…… 休みたいのはやまやまですけど、敵のボスっぽい相手を撃退したのに周りの人たちがまだまだ操られたまんまな感じなんですが……」
「でしょうね。あの女は戦闘中に支配系の術式を一切使っていなかった。だから、彼女が術者って可能性は大分薄まるわ。そもそも、この惨事を引き起こしている術者がこの島の内部にいるかどうかすら怪しい所よ」
そう言いながらエレインは、拾い上げた端末に切り落としたアイリスの腕を押し付け、ロックを解除した。そして、周囲の人間にいつ攻撃されてもいいように警戒しながら端末の中の項目をスクロールしていく。
「だから、緊急事態のことを考えて、現場から術式を緊急停止するくらいの手段は何らかの方法で持っていたはず…… あった!」
エレインは起動キー 術式起動の緊急遮断と言う項目を見つけ、それを迷いなくタップする。
それと同時に、二人を取り囲んでいた人間は、まるで糸が切れたマリオネットの様に地面へと崩れ落ちていった。
「終わったんですか……?」
「みたいね…… これで、少しは安心かしら」
エレインがそう言うや否や、藤次はどさり、と地面へしりもちをついた。
「なんかもう、今は立てそうにありません」
「休むなら、とりあえず物陰に隠れてからにしましょう。操られてる人間がとりあえずいなくなったとはいえ、これからどうなるかは分からないわけだし、ね?」
エレインの言い聞かせるような言葉に、心底安心したような表情で藤次は小さく頷いた。
「はい…… 分かりました」
のそり、と藤次が立ち上がったのを確認すると、エレインは彼を伴って近くの民家へと移動する。
その最中、島のあちこちから立ち上る黒煙を見て、彼女の心はズシリと重くなるのであった。