二人は近くの建物に入ると、その一室に立てこもり、壁に背を預けてずるずると座り込んだ。
「これで一安心、ですか?」
「とりあえず、一時的に術式を停止できたみたいだけど…… 機械の遠隔操作で緊急停止を掛けられる術式、か…… 嫌な予感がするわね」
エレインは何か嫌なことに気付いてしまったらしく、そんな言葉を紡いだ。
それに対し、藤次は疲れたような表情で肩を竦める。
「それって、今すぐにでも相手方に術式? の再起動がされる可能性があるんじゃないですか?」
「少なくとも、緊急停止用のプロトコルを行った訳だし、しばらくの所は大丈夫でしょう。でも、いくつか引っ掛かることがあるわ」
「引っ掛かることって何です? これ以上、どんな悪い知らせが?」
藤次はもううんざり、と言ったように頭を垂れながら、視線だけをエレインへと向ける。
そんな彼の顔を覗き込むようにして、エレインはゆっくりと言葉を紡いだ。
「いい? こういう緊急事態を想定したプロトコルを行うには、いくつかのコードを入力するようにするのが基本なの。今時、生体認証だけで停止するものなんて、こう言ったものに限ってあり得ない。今回の計画を練るような連中が、そんな初歩的なミスをすると思う?」
エレインはそう言って、アイリスの腕からもぎ取った端末をプラプラと揺らした。
彼女はこの島で体験したあまりにも悪辣な攻撃の数々を思いだし、それと反比例するかのようなあっさりとした幕切れに何か嫌なものを感じている。
エレインの言わんとしていることを理解した藤次もまた苦い顔をした。
「つまり、今回の黒幕はわざと緊急停止のプロトコルにロックを掛けなかったってことですか」
「そう言う事。じゃないと、こんなちぐはぐな事にはならないでしょう?」
エレインの言葉に、「なるほど」と顎を撫でながら藤次が唸る。
そう言われてみれば、最後に彼女が手にした端末。そこに仕掛けられていた緊急停止のプロトコルは明らかに不自然なものだ。それこそ、わざとそうした、と言われた方が納得がいくほどに。
「ああ、そうだ! エレインさん、確か今日は久々の休日だって言ってましたよね。それ、今回の相手に漏れていたんじゃないですか? それが分かっていたから、今回の件を仕込んだとか」
「その可能性は低いと思うわ。今回のウイルスの運用方法からして、実験的な目的が強いように感じられた。だから、実験の不確定要素になるであろう私がいると分かってたなら、真っ先に始末していたはずよ。それなら、相手にとって私は百害あって一利なし。生かしておく価値なんてないでしょう? 現に、ホテルの前についた時点で、容赦のない狙撃が私の胸を抉ったわけだし」
「はぁ…… ですよね。でも、それなら一体何のために?」
藤次は、いつの間にか眉間に寄っていた皺を伸ばしつつ、頭を振った。様々なことが起こってパンクしかけた頭を何とか回転させようとしているらしい。
エレインはそんな彼の様子を見て、難しい顔をしながら言葉を紡ぐ。
「おそらく、この事件の黒幕…… さっきのアイリスとか言う女じゃなくて、もっと上にいる存在は、ウイルスが島全体まで浸透した時点で、私みたいな存在が動くことを期待していたんじゃないかしら。そして、ある時点でこの端末を回収されることを予期していた……? だとしたら、私が来ることを見越してわざと、野放しにした可能性も十分にあり得るわ…… まあ、なんにせよあの女も所詮は捨て駒として扱われていたって事かしら」
「全身が穴だらけになっても戦闘続行できるような人が、捨て駒ですか…… オカルトの世界って怖いですね」
「それは言えてるわ。でも、貴方はそれに頭の天辺まで浸かることになりそうよ?」
「ホテルで言ってたアレの事ですか?」
藤次の言葉に、エレインは「そ」と言いながら小さく頷いた。
「でも、それについての詳しい話は後ね。これ、一応敵の端末だし、私たちの会話が聞かれてるかもしれないから」
彼女は指でアイリスの端末を右手の指でつつきながらそう言って、左手の人差し指を口元でぴん、と立てる。
そんなどことなくチャーミングとも言える仕草を見て、藤次は場違いにも少しだけドギマギしてしまった。自身の中に沸いた小さな雑念を振り払うかのように、彼は勢いよく頭を振ると、こう切り出した。
「ところで、エレインさんの端末は電波が通じないって言ってましたけど、その端末はなんで緊急用のプロトコルを発動できたんですか? 電波が完全に封鎖されているんなら、それだって使い物にならなかった筈でしょう?」
「いい質問ね。まあ、簡単に言うならオカルト的な手段で縁を繋いでいたんじゃないかしら? 呪術の応用よ。それと電波の技術を併用して用いれば、よっぽどのことが無い限り情報を送受信することが出来るから」
「それはまた…… 電話会社に喧嘩売ってるような技術ですね」
「ふふ! これを聞いて出てくる感想が電話会社の心配? 貴方ってやっぱりちょっとずれてるわ」
エレインは藤次の言葉に、小さく笑いを零しながらそんな感想を述べた。
戦闘の連続で緊張しきっていた精神がいくらか癒されたのか、彼女の纏う雰囲気は幾分か柔らかくなってきている。だが、それでも何かが起こった際にすぐ動けるよう、ワイヤーを指に掛けたままだ。
そんな彼女に対して、藤次は恐る恐ると言った様子で言葉を投げかける。
「ところで…… あの子たちはどうなりましたか?」
「相手の手に一度落ちた。その後、炎に巻かれたホテルの外で、あの部屋にいた人間は全員いたのを確認できたわ。あの女をぶっ飛ばしたおかげで、今は術の影響が途絶えているから、今頃どこかで眠っているはず」
「良かった。のどにつっかえていたものが取れた気分ですよ」
藤次は無意識の内に喉元をするりと撫で、そんな言葉を紡いだ。
先刻、幼い少女に食い破られた喉元の皮膚は再生したばかりで色がなじんでおらず、生々しい爪痕が残っている。
その傷跡を見たエレインは申し訳なさそうに目を伏せた。
「御免なさい…… 状況が切迫してたとはいえ、ちゃんと治してあげられなかった」
「いえ、とんでもない! だって、おかげで今も僕はぴんぴんしてます。明らかに千切れちゃいけないとこまで千切れてた気がするのに、今もちゃんと喋ることが出来てるじゃないですか」
「そう言ってもらえると少し気が紛れるわ。でもね、緊急時だからって、不完全な処置になったのは事実よ。きちんと治せるはずのものを治せなかったっていうのは、医者としてのプライドが許せないの」
エレインはそう言うと、藤次の喉元へと手を伸ばし、霊力を昂らせて術を発動させる。すると、彼の喉元が燐光を帯び、少しずつ皮膚の変色が収まっていった。
「これで、過去の汚点を一つ清算できたわ」
「あ、さっきよりすべすべしてる…… ありがとうございます」
藤次は喉元を撫でながら、満足げなエレインにそう返した。それと同時に、そこまで気にしなくていいのに、と静かに思う。だが、傷跡を治してもらってありがたいのも事実だし、わざわざ相手の気分を害するようなことも無いだろうと、御礼の言葉を述べるにとどまったのだ。
二人が先ほどまでの激闘による精神の疲弊を回復させるかのように言葉を交わしていると、突如として島の上空から何かが高速で回転するような音が響き渡る。
「何ですかこの音……」
「ヘリのローターの音ね…… 島の外から接近してきてる」
「エレインさんのお仲間のヘリですか?」
「そう願うわ…… 味方のにしては、駆けつけるのが早すぎなのが気になるけれど…… 付いてきて、この状況であなたを一人にすると危ないかもしれないから」
そう言うと、エレインは目が据わった状態で建物の外へと歩みを進めた。指に掛けたワイヤーを弾いて、周囲に張り巡らせながら。
その背中を追うようにして、藤次もゆっくりと前進する。
そして、二人が建物の外へと進み物陰から空を見上げると、そこからいかめしくガラガラとした声が響き渡った。
『あーあー! なんだぁこりゃ! どうなってやがる…… おーい、誰か起きてるやつはいないのか! あと、エレイン! 無事かぁ! エレイィン!』
「えーっと…… エレインさんの言うところの味方、でいいんですか?」
「だと思うわ…… 正直なところ、あんな大きな声で人の名前を連呼するオッサンなんて知り合いじゃ無いって言いたいところなんだけれどね」
藤次のどこか困惑したような問いに、エレインは心底はずかしそうに額を覆いながら肯定の言葉を返した。そこには、確かに安堵が入り混じってはいたがそれ以上に羞恥心が勝っているようだ。
そんな彼女の様子に苦笑を零しながら、藤次は空を見上げる。そこには黒い百合の紋章が描かれた巨大なヘリコプターが浮かんでおり、ようやく安全な場所に行けるのか、と安堵のため息と笑みがこぼれた。
隣で恥ずかしそうにしているエレインには申し訳のない事だが、ガラガラ声の主は一般人である藤次にとってやっと訪れそうな安寧への切符であり、騒動が起こってからようやく満足な安心感を得ることが出来たのだ。
それ故にこみ上げてきた笑いを何とかかみ殺しながら、エレインの背中を叩く。
「味方なら、居場所を教えてあげた方が良いんじゃないですか?」
「ああ、ちょっと待って…… 本当に私が知っている奴かっていうのと、操られていないかってことを確認しなくちゃ……」
そう言って彼女はワイヤーをヘリコプターへと伸ばした。
それを見た藤次がギョッとして声を上げる。
「ちょ! え?」
「ああ、静かに。別にヘリを落としたりなんかしないわよ。さっき言ったでしょう? パイロットが本当に本人で、操られていないかを確認するだけよ」
エレインは苦笑を浮かべながら伸ばしたワイヤーをヘリの内部へと滑り込ませ、内部の様子を探った。ワイヤー越しに伝わる微かな振動や、霊力の僅かな揺れを頼りに、パイロットへとワイヤーを伸ばしていく。
そして、その体にワイヤーを触れさせることで、その体に異常が無いか、そしてそれが誰であるかを丹念に調べ上げていく。
「ん、間違いなく本人ね。操られている形跡も無いし、姿を見せても大丈夫でしょう」
そう言うと、エレインはゆっくりと物陰から姿を現した。そして、近くにあった道路標識を切断すると、それをワイヤーで振り上げ全力で地面に叩き付ける。
「こっちよ! ハリー」
『あん? おぉ、そんなとこに居やがったか。待ってろ、今そっちに行く!』
ハリーと呼ばれたパイロットの声が響き、ヘリコプターが二人の頭上へと飛んでくる。
そして、ヘリコプターからケーブルが降ろされた。
『掴まりな! 引き上げてやる。エレインと…… ボウズ!』
「と、言う事らしいわ。さあ、藤次。これに捕まって」
「……落ちたりしませんよね?」
「その時は、ホテルの階段みたいにワイヤーで捕まえてあげるわ。さあ、掴まって」
戦々恐々とした様子の藤次に苦笑を浮かべつつ、エレインはその手を取ってケーブルを握らせる。
そして、彼女自身もケーブルを握ると、そのタイミングでケーブルの巻取りが始まり、二人の身体はするすると宙へ登っていく。
それと同時に、藤次が顔を青くして情けない声を上げた。
「はひぇ」
「く、ふ…… ちょっと藤次、何今の情けない声は? 笑ってワイヤーを放すところだったじゃない」
「わ、笑わないでくださいよ…… 慣れない浮遊感のせいで変な声が出ただけじゃないですか…… て、あれ? そう言えば、マリちゃんに喉をぱくっとやられた後、ちょっとだけ意識が戻ったんですけど……」
そこまで言って、藤次はその時幻視した光景を思い出す。
包帯を巻かれた自身の腕を誰かに伸ばした光景。
あれは、一体何を暗示するものだったのだろうか。
そんなことを考えながら、彼は包帯を巻かれた自身の腕をじっと見つめる。
「……藤次? それで、どうかしたの?」
「え? ああ、何でもありません。何だかその時、妙な浮遊感を感じたなぁ、と思っただけです」
エレインの訝しげな声に、藤次は慌てて言葉を返した。
何にせよ、そのような事態は結局島の中で起こることは無かった。ならば、脳の記憶が見せた何らかのフラッシュバックだったと考えるのが一番妥当な考えだろう。
もしかしたら、本当は意識など戻っておらず、ずっと夢の中だったのかもしれない。
そんな風に、彼は自身を納得させることにした。
しかし、誤魔化すように返された藤次の言葉に、エレインはビシリと身体を強張らせる。
「あ、はははは…… そ、その話はまた後でしましょう。ね?」
「アッハイ」
何処か有無を言わせぬような雰囲気を纏った言葉に、藤次は少し目を丸くしながらコクコクと頷いた。
二人がそんな風に言葉を交わしているうちに、ヘリコプターの搭乗口がすぐ目の前にまで迫る。
「分かってくれて嬉しいわ。ほら、早くヘリに乗り込みましょう! ほら、早く」
エレインは妙に慌てた様子でそう言うと、ケーブルに掴まっていた藤次をヘリコプターの機内に放り込み、彼女もそのまま乗り込んだ。
機内に放り込まれた藤次は、尻を強打したらしく涙目になってエレインを睨みつけていた。それに両手を合わせて謝意を示しつつ、彼女は操縦席へと視線を向ける。
そこには、ヘッドセットを付けた金髪の男が、いかめしい顔をしながら操縦桿を握っていた。