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「疲れました…… いろんなことがあったせいで、頭の中がぐちゃぐちゃです」
「お疲れ様。流石に、こればっかりは同情するわ」
「ありがとうございます…… あれだけ言われたら、流石に自分の身がどれだけ狙われる可能性があるか嫌でも分かりましたし、仕方のない事だとは分かっているんですけどね」
藤次とエレインはどこか疲れた様子で言葉を交わしながら、ロビーへと続く道を歩いていた。そんな二人の脳裏には、小太郎との会話の顛末が浮かんでいる。
度重なる難事に加え、それを乗り越えた先に待っていたのは人生を左右するような二者択一である。
まして、藤次は一般人。今までよく平静を保てていたものだと、称賛されてしかるべきだろう。
エレインは重い選択を迫られ元気のない彼を気遣うに、その肩に手をのせる。
「あれについての返答はゆっくりと考えなさい。きちんと自分の納得のいくような答えが出せないと、きっと後悔するわよ」
「ええ、こればっかりはちゃんと考えないと…… 保護を受けないなんて選択肢が無い以上、あのどちらかしか選択肢はあり得ませんから。そうしないと、家族や友達にも被害が及ぶかもしれませんし……」
藤次が思い浮かべるのは、自分にとって大切なものたちだ。
きっと自分はそれらが傷つくことを許容できない。彼はそう断じることが出来る。
元より、知り合って間もない人間を助けようと思えてしまう程度には人の好い藤次は、容易に想像できてしまい、小さく身震いをする。だが、そんな自身の恐れを振り払うように、努めて明るい声で言葉を紡いだ。
「そう言えば、保護を受ける場合は僕の家族にもその恩恵を受けてもらえるんですよね?」
「もちろん。その点については心配はないわ。でも、貴方の周りの人ではなく、貴方自身が最優先されるのは忘れないで。例えあなたの家族や友人が危機に陥っても、貴方の身に危険が及ぶようならば容赦なく切り捨てられるわ」
「それは、厳しい話ですね…… 僕としては家族もしっかりと助けて欲しい所ですが」
エレインの言葉に、藤次はそう返すことしかできなかった。実際そのような危機に直面したとして、きっと彼女は、いや、クロユリという組織はその言葉通りの対応をするのだろう。
エレインは凡そ嘘と言うものをつかない。それは、島での経験から藤次は嫌という程に理解できている。彼女は余計な期待を持たせず、いざというときの為の覚悟を事前に固めさせるのだ。
そのスタンスは、幼い子供にすら発揮されていた。それ故に、エレインが藤次に遠慮した物言いをする可能性は低い。
それを裏付けるかのように、エレインは平坦な声色で言葉を続けた。
「口外は出来ないけど、これでもお役所仕事なの。だから、基本的に最大多数の幸福を突き詰めるために多少の犠牲は切り捨てられるわ。それが、どれだけ納得のいかないものであってもね」
「エレインさんも…… やっぱり、そう言う事はありましたか?」
「ええ、もちろん。こう言った人の命が消えていく場所で働いているから、なおさら。嫌な話よ」
紡がれた問いかけに、彼女はどこか自嘲的に言葉を紡いだ。そのあまりにも冷たい響きに藤次は息を飲んで、それ以上何も言うことが出来ずに小さく俯いてしまう。
二人の耳に足音だけが嫌に大きく響いて聞こえた。
かつり、かつりと響く音が二つ。それ以外の音は無く、沈黙が場を支配し始める。
そんな嫌な沈黙を打ち破ったのは、金糸のような髪を乱しながら頭を振ったエレインだ。
「あーもうやめましょう! 暗い話ばっかり続けてたら際限がないわ。こういうのはその時にならないとどう動くかなんて本人ですらわからないんだし、今は雀の涙程度の覚悟を固めておくくらいしかできないでしょう。だから、ロビーでハーブティーを入れてあげるから、それを飲んで今日は寝なさい」
「あ、ははは…… すいません、気を使わせちゃったみたいで」
「いいのよ。私は人生経験豊富で、いろんなことを経験してきたけど、貴方はたかだか二十年も生きていない一般人。むしろ、私が気を使うのは当然の事よ。そんないちいち畏まらなくても大丈夫だから」
エレインは恐縮している藤次に対し、苦笑を浮かべながらそう言って、行き先をロビーへと変更した。
「じゃ、あっちにロビーがあるからついてきて。私たちがここに来るときは通らなかったけど、正面玄関の近くにあるかって覚えておけばいいわ」
「そう言えば、僕らがここに来るときは正面じゃなくて、上から来てましたね」
慌ただしく空輸されてきたことを思いだし、藤次は少しだけ遠い眼になってそう呟いた。
それを耳ざとく聞きつけたエレインはクスクスと微笑みながら言葉を紡いだ。
「まあ、ヘリで移動することなんて私たちでも滅多にないし、それだけ緊急性が高かったってことよ。まあ、今は其れよりもロビーの方なんだけれど……」
空気が必要以上に重い方向へと向かわないよう、彼女は露骨に話題をすり替えた。やや強引ではあったが、そこには気遣いが多分に感じられ、藤次は微笑みながら言葉の続きを促した。
「ロビーには何があるんですか?」
「ロビーには何人もの人間がくつろげるようにソファーや机がそこらに並べられているわ。大きなキッチンも隣に併設されているから、自室のキッチンじゃ狭く感じるメンバーはあっちで調理してご飯を食べたりもするわね。あそこの食材はタダで使わせてもらえるし。まあ、私はもっぱら自室で食事を作って食べるか、ありあわせのもので済ませるんだけど……」
「へぇ、そうなんですか…… あ、自炊もするってことは、エレインさんは料理が出来る人なんですね」
「……まあ、栄養面に関しては最強のものが作れるという自負があるわ」
エレインは藤次から察と視線を逸らしながらそう言った。今の彼女をよく見てみれば、うっすらと冷や汗をかいているのが分かることだろう。
そして最後の最後に、蚊の鳴くような小さな声でエレインはこう付け加えた。
「……味はともかく」
「……そ、そうですか。でも、まあ栄養価が高いのは良いことだと思いますよ。ほら! 健康第一って言いますし」
しかし、藤次にはしっかりと聞こえていたらしく、返ってきたのはなんとも生暖かい視線と気遣いに溢れた返答だった。感心したばかりの所に「味はともかく」と返ってくればそれも当然と言えるが。
そんな彼の優しさがエレインの心を抉る刃と化している。優しさとは、時に残酷なものなのだ。
どこか気まずくなった空気を変えるようにして、藤次は咄嗟にこんな質問を切り出した。
「あ、そ、そう言えば! エレインさんはなんで僕が変わった体質だって分かったんですか? おじいさんの定食屋で、既に僕の体質に気付いていましたよね?」
「それは…… 貴方がもう少しこっちの事情に慣れてから話そうと思うの。ほら、貴方はまだまだ裏の事情に関わり始めたばっかりだし」
「エレインさん。今更、大抵の事じゃ驚かない自信はありますし、無事に帰れたら話をするって言ってましたよね?」
藤次はそう言ってエレインの顔を覗き込んだ。彼の目は細められ、じーっと彼女の瞳を捉えて離さない。
最早、話すまで梃子でも動かないと言わんばかりの態度に、エレインはやれやれとため息をついた。
「一応、一緒に死線をくぐった相手との信頼関係に罅を入れるような真似をしたくはないんだけれどね…… そこまで言うなら、心して聞きなさい」
しかし、話をする気にはなったようで、彼女は歩きながら居住まいを正して藤次に向き直る。
「いい? まあ、世の中には色々と不思議なことがあるの。貴方が島で体験したこと然り、まだ知らないことだってたくさん。ここまではいいかしら?」
「ええ。世の中っていうのはまだまだ広いものだと実感できましたから」
「なら、話を続けさせてもらうと、世界にはね。まあ、あんまり知られていない独自の生態を持った生き物もいるというか…… まあ、ずばり妖怪とか悪魔、妖精に神様…… そんなのがたくさんいるの。実在していると知られていないだけでね」
「それはまた…… というか、この話の流れで言うと、エレインさんはつまり……」
「そう、今言った人外に連なる種族って言う事。まあ、具体的に言うならインキュパスと倩兮女の混血なのよ…… 驚いた?」
エレインは恐る恐ると言った様子で藤次に問いを投げかけた。短い間とはいえ、命の危機を共に乗り切った相手に否定的な態度を取られるのが怖かったのだろう。
しかし、そんな懸念など知らないとばかりに、彼はキョトンとした表情で首を傾げた。
「え、それだけですか?」
「それだけって…… 貴方、もうちょっとこう、なにか、あるでしょう?」
あまりにも拍子抜けな態度を取った藤次に、エレインがむしろ困惑してしまう。
だが、あくまでも彼はその告白に対し思うところは無いらしく、ポリポリと頬を掻きながら笑った。
「え、いや、だって…… 命の危機にさらされて、助けてもらいましたし…… 霊力とか言う不思議パワーがあるなら、そう言うのだってあってもおかしくは無いですし…… ぶっちゃけた話どうでもいいというか」
藤次の「正直どうでもいい」という所感に、エレインは呆れを通り越して絶句する。そして、再起動までに数秒を要し、ゆっくりと息を吐いた。
「なんというか、島にいた時も言ったと思うけど、貴方やっぱり図太過ぎないかしら。普通はもう少し驚くものよ」
「そうですかね……? まあ驚くと言えば、エレインさんが僕のことをホテルからパチンコ玉みたいに射出したって話の方が、よっぽど驚いたんですけどねぇ?」
藤次のジトっとした流し目を受け、エレインはビクリと身体を強張らせた。そして、冷や汗を流しながら、視線を辺りにさまよわせる。
「うっ…… あれは、状況的にそうしないとまずかったというか…… 他に方法が無かったのよ。悪かったとは思ってるんだけど、その……」
「えー本当ですかぁ?」
「えーっと、その、ご、ごめんなさい……」
エレインは申し訳なさそうに身を縮こまらせると、蚊の鳴くような声でそんな言葉を紡いだ。
それを見て、藤次は小さく噴き出してその肩を叩く。
「はは! すいません、そんなに怒ってるわけじゃ無いですから、そんなにビクビクしないでください。何だか僕が悪いことをしているみたいじゃないですか」
「いいえ、絶対嘘ね。さっきまでは割と本気で怒ってたでしょう。ちゃんと謝ったから許したっていうだけで」
「いえ、そんなことは無いと思うんですけど…… 精々、この人何やってくれてたのぉ⁉ って思ってたくらいですし」
「それは割と本気で怒ってたってことでいいんじゃないかしら…… なんだか調子が狂うわね」
エレインは引き攣った笑みを浮かべ、力なくそう返す。その脱力具合を表しているかのように、彼女の纏う空気がどことなく弛緩したものに変わっていた。
対する藤次は、「そうですか?」と言ってやや首を傾げる。本人の認識としては、怒っているというよりも、ただものすごく驚いただけといったものだったからだ。
しかし、よくよく考えてみればこれはもっと怒って当然のことだったのだろうと藤次は思う。ならば、何故怒りが湧いてこなかったのかを考え、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。
「でもまあ、ちゃんと謝ってもらったっていうのも大きい気もしますね。そのおかげで、驚いただけで怒りに発展しなかったていうのは確かにあるかもしれません。でも、そもそもが命を助けてもらったわけですし、本当に怒っていたわけじゃ無いですよ」
「どうかしら。私の知り合いに、怒るとものすごく怖い人が居たけど、さっきの貴方はその人と似た雰囲気を漂わせてたわよ」
エレインは戦々恐々と言った様子で鳥肌の立った肌をさすっている。そんな彼女に対して、藤次は微妙な表情を作りながら言葉を紡いだ。
「怒ると怖い人? たぶん、島でのエレインさんには敵いませんよ。あの時、背後に鬼を背負ってましたから…… それより、結局なんで僕の体質に気付けたのかの話がまだですよ」
「ええ、そう言えばそうだったわね。それで、話の続きだけど、まずインキュパスと倩兮女は、精神干渉と視線誘導を起こす能力と体質を持ち合わせているの。まあ、普段は周りに迷惑が掛からない程度に抑えてるんだけど……」
と、そこまでエレインが言ったところで、藤次は首を傾げながら疑問の声を上げた。
「そう言う割には、人の視線を集めていたような……」
「その、なんというか…… 気が緩んだりすると視線誘導の方は漏れちゃうことがあるのよ。精神干渉の方は割と深刻だから、呪具も使って常に抑えるようにしているんだけど……」
「ああ、なるほど。つまり、そっちの方が深刻だから、視線誘導の方は若干おざなりになっちゃうことがある、ってことですね」
藤次の言葉に、エレインは「そういうこと」と返しながら頷いた。そして、ゆっくりと説明の続きを始める。
「それで、定食屋で近くの席に座って、貴方に私の体質の影響を全く受けていないって気が付いたの。それから、緊急事態に陥った時の素人とは思えない対応速度で動いたのを見て、貴方の能力がどんなものか確信を持った。まとめるとこんな感じかしらね」
そこまで言ったところでエレインは言葉を切った。二人が話しながら歩いているうちに、ロビーに到達していたからである。
「じゃ、私はキッチンの方で紅茶を入れてくるから、そっちのソファーで休んでて」
「はい、わかりました」
そう言ってキッチンへと向かったエレインの背中に返事を返し、藤次はソファに体を沈み込ませる。彼はその態勢で顔を両手で覆い、深くため息をついて天井を見上げた。
「おなか減ったなぁ……」
昼頃から何も食べずに危機にさらされ続けていたため、彼の疲労と空腹感はピークに達していた。
だが、今更キッチンにいるエレインに食事が欲しいなどと言う気力もなく、先ほどの会話からまともなものが出て来るのか不安という事もあり、藤次はソファに沈み込んだままぐったりと身体を休ませる。
そうしていると、時計の針の音が彼の耳に響いて聞こえた。ロビーには趣のある立派な古時計が置かれおり、さらにそこからゆっくりと視線をずらせば、ところどころに歴史を感じるアンティークがぽつぽつと並んでいる。
「結構古いものが多い…… やっぱり、昔からあるところなんだろうな……」
ぼんやりとそんな言葉を呟きながら、藤次は時が過ぎるのを待つ。
そうしていると、ハーブティーを淹れたらしいエレインがお盆にティーカップとティーポットを乗せてゆっくりと歩いて来た。
「ほら、これを飲んだら少し落ち着くから」
そう言って彼女はテーブルにお盆を置くと、ティーポットを手に取ってハーブティーを注いだ。
「ありがとうございます…… あ、おいしい」
注がれたハーブティーを口に着けた藤次は、目を少しだけ輝かせながらそう呟いた。
そんな彼の様子を見て、エレインはホッと息をつく。
「まずいって言われたらどうしようかと思ったわ」
「いえいえとんでもない! 料理が苦手って言っていたので、ちょっと心配だったのは確かなんですけども……」
「さすがに、ハーブティーを淹れるだけでとんでもない味にしたりはしないわよ…… でもまあ、その様子を見るに、喜んでもらえたみたいで何よりよ」
「ええ、とってもおいしかったです。なんだか心の落ち着く味と香りでした」
「そう…… それなら良かった。カモミールのハーブティーは心を落ち着けるから、今のあなたにぴったりだと思ったのよ」
エレインはそう言って、自身のティーカップにもハーブティーを注ぎ、ゆっくりと啜った。
対する藤次は、よほどその味が気に入ったのか、まだ熱いだろうに中々のペースでハーブティーを飲み進めている。
そんな彼の様子を見て、エレインは少し嬉しそうに微笑みながらティーポットを指し示した。
「おかわりはあるから、飲みたいだけ飲みなさいな」
「ありがとうございます。でも、その前に少しだけ聞いておきたいことがありまして……」
藤次は空になったティーカップをテーブルに置くと、体面に座ったエレインに対して真剣な表情で向き直った。
「この組織について…… 詳しい話を聞かせて頂いてもいいですか? 今までの話から、ああいった事態に対する抑止力を担っているっていうのは分かってはいるんですが……」
「構わないけど…… 明日にした方が良いんじゃないかしら? 貴方、大分疲れているでしょう」
「ええ、それはまあ…… でも、今のうちに聞いておきたいんです。心の整理を付けたいので」
藤次は「お願いします」と言って頭を下げた。
対するエレインは少しだけ困ったように微笑んで、小さく息をつく。
「そこまで言うなら仕方がないわね…… じゃあ、どんな経緯でこの組織が作られたのか。そこから話していくわよ」
エレインはそう言うと、ゆっくりと自身が所属する組織の成り立ちを語り始めた。