特定事象対策機関 クロユリ   作:田口圭吾

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第43話

 

*****

 

 窓から差し込む西日がうっすらと照らす部屋。

 その部屋の空間に、黒いシミが滲み出るようにして穴が広がり、その中からアイリスは転がるようにして姿を現した。

 

「ここは…… 私の部屋? 何故、ここに……」

 

 そして、部屋の内部を見回したアイリスはそんな疑問の声を上げる。転移門の札の登録先は、ここではない別の場所のはずだった。そのはずなのに、何故、いま彼女は自身の部屋にいるのか。

 その疑問に答えるようにして、部屋の中に男の声が響いた。

 

「ああ、おかえり。ずいぶんとボロボロだけど、大丈夫かな?」

「右腕を千切られている状態を大丈夫、だと思うのなら、眼科の受診をオススメしますよ…… それに、そっちこそ、手酷くやられているようですが?」

 

 千切れた腕を抑えたアイリスは、自身に声を掛けた男、時実にどこか冷ややかな声色で言葉を返した。だが、彼女の額には冷や汗がびっしりと滲み、その声もどこか弱弱しい。どうやら、千切れた腕と失血が大分響いているようだ。

 そんな様を見て彼はやれやれといった様子で肩を竦める。

 

「確かにお兄さんも人のこと言えないぐらいボロボロだけど、君みたいに今にも倒れそうなほどじゃないしねぇ?」

 

 そう言った時実は、身に纏っている衣装はズタズタで、全身の至る所から血を流しているものの、あくまでも楽し気で、余裕に溢れた立ち振る舞いをしていた。彼の言葉通り、それなりの余裕があるらしい。

 そんな態度が気に入らないのか、アイリスは露骨に顔を顰めながら彼を見上げた。

 

「それより、どういうことですか? この札の緊急退避先は大欄島の近くにある離島だった筈です。何故、本拠地であるここに直接飛ばされたのか説明をしてほしい所なのですが?」

 

 彼女の語気が少しずつ強くなる。それに比例して、千切れた腕を補うようにして肉と骨が盛り上がり、出血も収まり始めていた。

 そんなアイリスの様子を見て、時実は小さく「トカゲのしっぽみたい」と呟き、彼女からぎろりと睨みつけられる。

 

「おっと、そんな怖い顔しないでくれないかな。君の大好きな彼の計画さ。お兄さんに文句を付けられたら堪ったものじゃない」

「あの人が……? だとしたら、私は体のいい捨て駒に近い扱いを受けたってところですか……」

 

 時実の言葉を聞いたアイリスは目を大きく見開いた後、ガクリと項垂れて床に座り込んだ。

 彼女はその言葉だけで、自分がどう言う立ち位置で立ち回ることを望まれたのかを理解できてしまったらしい。

 時実は落ち込んでしまった様子のアイリスを元気づけるように言葉を掛ける。

 

「まあ、生きて帰ってくるって確信してたからこその扱いなんじゃないのかな? 君は彼の期待するところをよく理解し、決して彼が許さないであろう一線を越えることは無い。だから、この仕事に出発する前に無事に帰ってくるように、なんて君に釘をさしたんだろう?」

「……貴方がそんな風に人を気遣うなんてどういう風の吹き回しですか?」

 

 アイリスは訝し気に問いかける。だが、それを聞いた時実は大爆笑しながら彼女の背中を軽く叩いた。

 

「気遣う? 何を言ってるんだ君は? 馬鹿にしてるんだよ。わざわざ俺が君が君の思うように行動すれば、君の楽しい狩りが全うできるだろうって言ったのに、結局彼の言う通り『無事』に戻ってきたんだろう? 随分と躾のいい犬じゃないか」

「はぁ…… そんな事だろうと思いました。人を嘲笑うことに関しては一家言があるようで何よりです」

 

 アイリスはそう言って嫌そうな顔をしながら彼の手を払いのける。

 だが、時実はそんな彼女の態度と言葉に肩を竦めながらこう言った。

 

「そんなに邪険にしなくてもいいだろう。馬鹿にしてるのは本当だし、嘲笑ってるっていうのも本当だ。うちの兄弟は大体そんな感じだし、これは性分なんだよ。でも、褒めてもいるんだ」

「褒める? その態度でですか?」

 

 訝し気に尋ねられたその言葉に、時実は鷹揚に頷いて見せた。

 

「そう、これでも褒めてるの。忠誠心が高いっていうのは信頼が出来るってことだ。だから彼も君を重用しているんだろうしね」

「お褒めの言葉、ありがとうございます。次からはそのよく回る口を縫い合わせてから人を褒めることをお勧めしますよ」

「お褒めに預かり、光栄至極って感じかな?」

 

 あくまでも悪びれず、飄々とした態度を取る時実。そんな彼に対して、とても大きなため息をつくと、アイリスは顔を上げて立ち上がり、ふらふらと体を揺らしながら歩いて行く。

 

「ちょっと? ツッコミ位入れてくれても罰は当らないと思うよお兄さんは」

「こう見えて、いえ、見ての通り怪我人なので医務室に行こうかと。それとも、まだ何か?」

 

 心底うっとうしいと思っていることを隠そうともしない態度に、時実は苦笑を浮かべながら「別に、そろそろ行くと良い」と言って歩いて行く彼女を見送った。

 そして、その背中が完全に見えなくなったところで、彼は顔に浮かんでいた笑みを引っ込め、小さく呟いた。ここにはいない、誰かに語り掛けるようにして。

 

「さーて、人形劇はまだまだ終わらない。だけど、お前の思惑通りに事が進むかな? まあ、進まなかったとしても、それはそれで楽しむか……」

 

 誰に聞かせるでもなく、ただ確認するように時実は自身の言葉を噛締める。そして、彼は再び口唇を釣り上げ、天井を見上げた。

 

「ま、人間が抱くあり方としては大分窮屈そうだけど、精々楽しませてもらうよ。共犯者殿」

 

 時実はそう呟くと、何処からともなく酒瓶を取り出し、その中身を一気に呷る。

 そして、楽し気な笑みを浮かべながら彼もまた部屋の外へと歩みを進める。

 

「俺は休暇を楽しむとするさ。あちこちにちょっかいをかけながらね」

 

 あくまでも、悪辣な思考を巡らせながら。

 

 

 

*****

 

 

 

 

 エレインから凡その話を聞き終えた藤次は、案内された部屋のベッドに転がり、ぼんやりと天井を眺めていた。

 

「クロユリ、か…… 妖怪とか、魔術とか、そんなものちょっと前までは眉唾物だって笑い飛ばせたのになぁ……」

 

 彼はそんな事をぼやきながら寝返りを打った。微睡が少しずつ藤次の意識を飲み込んでいくが、それでも完全に眠りに落ちることは無く、ぼんやりとした思考を浮かべている。

 きっと普通の一生を送っていれば、知る必要すらなかったそれらの真実は、彼の人生を大きく変えることになるのだろう。未だその実感はなくとも、すぐにそうなると藤次は漠然と感じていた。

 

「まあ、なるようになるしかない、かな…… 生きてるなら、そのうち心も決まる…… 筈だし」

 

 自身に言い聞かせるようにして呟かれた独り言は、それでも断言することなどできず、どこか頼りない。それを他ならぬ藤次自身が分かっているために、彼は眠たげな表情の中に苦笑を滲ませた。

 だが、そんな表情はどこか痛々しいものへと変わる。

 

「おじいさん、おばあさん、ゲン君にマリちゃんも…… ただ普通の生活を送ってただけなのに」

 

 彼の口からそんな言葉が漏れた。

 

「あんなことになったのは、やっぱり許せないから…… 僕は……」

 

 紡がれる言葉は次第に小さくなり、藤次の瞼は落ちていく。だが、ぐしゃりと握られたベッドのシーツは、彼が抱いている苦々しい思いが滲み出ているようだった。

 そして、しばらくすると部屋の中に規則正しい寝息が響き始める。

 カモミールのハーブティーを飲んだおかげか、精神的にある程度落ち着いていたことと、激動の一日で蓄積した疲労。それらは彼にそれ以上の思考を許さず、眠りの世界へと誘ったのだ。

 

 

 不穏の影が蠢く中、藤次はこれからの険しい道のりを歩いて行くことになる。

 嗚呼、それでもきっとその眠りだけは、彼に安らぎを与えたに違いない。

 

 

 

 

 例え、その先にある運命がどれだけ残酷なものであったとしても、今はただ安らかな眠り中へ。

 

 

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