小さなころからずっと、虎太郎はあたし、弦巻こころの隣にいた。
あたしの一歳の誕生日に弦巻家に引き取られた、一つ年下の男の子。
何をするにしても一緒で、それが当たり前なんだって思っていた。
だから、というわけじゃないけれど、あたしは虎太郎がいるといつも笑顔になれた。可愛い弟みたいな存在だった。
弦巻の家には黒い服を着た人がいる。あたしのことを世話したり、陰ながら守ってくれたりする頼れる人達。
小学校に入学したころ、彼らを眺める虎太郎の目が真剣なものに変わっていたことをあたしは知っている。
あたしには言わないようにしていたののだろうけれど、虎太郎が黒服になることを決意したのはきっとそのころからだ。
だからだろう。虎太郎は人一倍、いいえ、もっとずっと勉強も運動も努力した。
決して図抜けた才能があったわけではない彼だったけれど、三年生になるころには、学年で一番の成績をとっていたし、運動では誰よりも活躍していた。
自然と、あたしの目は虎太郎を追っていた。
いつも隣にいてくれる虎太郎がふと見えなくなるとどうしようもなく寂しくなった。それでいて彼の前ではお姉さんぶるのだから、なんだか笑える。
でもそれもあの日から変わった。
四年生になったころ、学校行事の遠足で、あたしは列から離れてはぐれてしまった。
あたしは楽しそうなことや面白そうなことを見つけると夢中になってしまう性格で、その時も気づいた時には草木の茂る薄暗い山中でひとりぼっちになっていた。
いつもならそんなときすぐに駆け付けてくれるはずの黒服の人たちも来てくれなくて、らしくなくあたしは抜け出したことを後悔しそうになっていた。
「こころが行こうとしてた場所、たぶんこっちだよ」
汗で着ていたシャツをぐっしょりと濡らして茂みから出てきた虎太郎は、迷子になったあたしのことを心配するわけでも、怒るわけでもなく、普段通りあたしの隣に立って手を引いてくれた。
「虎太郎はどうしてあたしがここにいるってわかったのかしら?」
すぐにいつもの調子を取り戻したあたしは、隣を歩く虎太郎に聞いてみた。
「山頂の綺麗な景色を見たら笑顔になれそうで、飛び出して、道に迷ったんだろうなーって……あってる?」
「すごいわ! 虎太郎! 正解よ!」
すべて完璧に虎太郎に言い当てられて、あたしはとても驚いた。あたしの考えをわかってくれる人なんてめったにいない。
「正解よ! じゃないでしょーが」
優しく微笑みながら、虎太郎がわたしのおでこをピンとはじいたけれど、全然痛くなかった。
それよりも、そのときの虎太郎の笑顔が頭の中に強く残った。
「あ……えっと……ごめんなさい………」
「珍しくしおらしい」
とくんと跳ねる心臓の音は不思議と耳障りではなくて、むしろこの心地良い感覚に浸っていたいとさえ思えた。
「ついたよ。こころ」
言われて、あたしは飛び出した。虎太郎の隣にいると顔が熱くなってしまって、何となく彼にはそれを知られたくなかった。
「見て! 虎太郎! とーっても綺麗よ!」
「うん。そうだね」
想像していたよりもずっと美しい風景に、思わずあたしは笑顔になった。
「虎太郎……またこんな風に笑顔になれるものを一緒に探してくれるかしら?」
何気ない質問のつもりだったけれど、断られたらどうしようと後から段々不安になってくる。
今までこんなこと一度もなかったのに。
でも、そんなあたしの不安なんか吹き飛ばすように、虎太郎は笑顔で答えてくれた。
「当たり前でしょ……てゆーかなんでちょっと不安そうなのさ……変なこころ」
「そ、そうかしら? ……でも、ありがとう。虎太郎」
「……………うん」
今でも鮮明に覚えている。あたしの大切な思い出だ。
* * *
それから少し日がたって、無事家に帰って、それでもあたしは面と向かって虎太郎と話せないままでいた。
何故だかわからないけれど、虎太郎の目を見ただけで顔が熱くなってしまう。
どうにかして解決しようと黒服の人たちの相談しても、言葉を濁されて要領を得ない。
このままでは埒が明かないと考えたわたしは、思い切ってお父様にそれを聞いてみた。
あたしの話を聞いたお父様は、初めは嬉しいような寂しいようななんだか複雑な顔をしていた。
そして、少しの間を開けて、静かに微笑んだ。
結論から言うと、あたしの虎太郎に対するこの感情は「恋」と呼ぶらしい。お父様が教えてくれた。
あたしが虎太郎という男の子を友達として、ではなく、異性として好きになったということらしい。
お父様からそう言われて、恥ずかしかったけれど腑に落ちた。
「あたし、恋をしているのね」
仕事に戻ったお父様の部屋を出て、あたしはそっと自分の左胸に触れる。
心地良い鼓動は今もまだ続いていて、きっとこれから先も止まないだろう。
だけど、変わったこともある。
虎太郎に会いたいと思った。会って、目を見て話がしたいと思った。
こうしてはいられないと、あたしはすぐに駆け出した。
「虎太郎!」
「ん? そんなに慌ててどうしたのさ」
「お勉強中だったかしら? でもどうしても伝えたいことがあるの!」
「ほー。いってみ?」
真ん中に大きな机があるだけの簡素な部屋にいた虎太郎は、あたしの話を聞こうと持っていたペンを置く。
ほっとした。
自分の気持ちを知って吹っ切れたおかげで、虎太郎と普通に会話ができた。相変わらずいうことを聞いてくれないあたしの心臓は早鐘を打っているけれど。
「あたし、恋をしているわ!」
言った途端、まるで時が止まったかのように虎太郎は動かなくなる。目は開きっぱなしで、口もあんぐりと開いている。
少したって、今度はぶるぶると肩を震わせた。
「へ、へー。あ、ああああいてはどこのどいつなのさ」
気になってくれていて、自分がその相手だとは少しも思っていなさそうな反応にこころは笑ってしまいそうになる。
「……ひみつよ!」
人差し指を口元に立てて、にぱっと笑う。
今はまだ伝える勇気がたりなかったけれど……いつかはきっと。
――あたしは恋を知りました。