こころが恋をしている。それを知ってから六年の月日がたった。
僕、
もっとも、当のこころの浮いた話は聞かないし、流れてくるのは異空間と呼ばれているらしいこころのぶっ飛んだ所業の噂だけなので、今のところは僕の不安は杞憂に終わっている。
とはいえ、不安なものは不安だ。こころはとても心優しい女の子だから。
一見理解不能なことをしているように見えて、その実自分だけでなく、誰もが笑顔になれるようにと行動をしているのだ。
弦巻家の教育方針が良かったのか、生まれ持ったものなのかはともかく、お金持ちの家の我が儘お女王様というわけでは全然ない。
両親のいない、天涯孤独の身である僕が生まれてこの方寂しい思いをしたことがないのはこころがずっと一緒にいてくれたからだ。
それに、こころはとても可愛い女の子でもある。
入念に手入れされた艶やかな長い金髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ金色の瞳。まるで作り物のような整った容姿で浮かべるあどけない笑顔は見ているこっちまで笑顔にしてくれる。
異空間と呼ばれるほどぶっ飛んだ言動をしている今でさえ、僕が思わず目潰ししたくなるほど、彼女に目を奪われている男の数は計り知れない。
いろいろ言ったけど、僕が最も気になっているのは相手は誰なのかということだ。
正直、最初は僕じゃないのかと期待した。
僕とこころは幼いころからずっと一緒にいるし、僕以外の男と関わる彼女の姿をほとんど見たことがなかったからだ。
だけど、それはないなとすぐに気づいた。
真っ直ぐで、考えたことをすぐ行動に移す性格のこころのことだ。僕を好きなら、あの日告白してきたはずだ。
ずっとこころを見てきた僕だからこそ、そう理解できてしまった。
こころの隣にいられなくなったとき、僕は一体どうなってしまうのだろう。なんて、最近僕はふとしたときに考える。
「ふぅ」
図書館の一角、下校時刻はとうに過ぎて誰もいなくなった校舎で一人勉強をしていた僕は大きく息を吐く。集中力が切れてきたみたいだ。
ちらりと腕時計に目を向けると、時刻は午後五時。こころの通う高校の下校時刻を指していていて、そろそろ帰ろうと僕は机の上に転がっている文房具を片付けた。
***
「虎太郎!」
「お、こころ」
校舎を抜けた先の校門の前、読んでいた単語帳をそっと閉じて声のした方を見ると、相変わらずのはじけるような笑顔でこころが右手をぶんぶん振っていた。
やはりこころの笑顔には、見ている方までつられて笑顔になってしまうような魅力がある。
「待たせちゃったかしら?」
「いや、全然」
そんなこころにどぎまぎしてしまって、僕はつい素っ気ない返事をしてしまう。そしてやってしまったと後悔するいつものパターン。
こころにはほかに意中の相手がいるとわかっていてこのざまだ。
黒服の仕事をするようになったら四六時中こころの安全を見張ってないといけないから、なんて超が付くほど適当な理由をこじつけてまでこころと一緒に帰っているというのに、これでは意味がないどころかマイナスだ。
「虎太郎! 見て! 桜がとーっても綺麗に咲いているわ!」
言われて周りを見てみると、歩道の脇に植えられた桜が鮮やかに咲いていた。
これを見て、進級したなーって気持ちになるのは僕だけじゃないと思う。
「うん。持って帰りたいぐらいだ」
「ダメよ虎太郎。それじゃあこれからここを通る人たちが笑顔になれなくなってしまうもの」
僕としては冗談のつもりだったけれど、こころは怒ってますと言わんばかりに頬をぷくっと膨らませる。
そんな仕草を見せたって可愛いだけなのに、こころとしては弟を叱る姉のように振舞っているつもりなのだろうから、僕は思わず笑ってしまいそうになる。
ほかの人には見せない僕だけが知っている彼女の一面。少しだけ、得した気分だ。
「やっぱり、こころは優しいや」
素直にそう言って笑いかけると、こころは何故か顔をそらしてうつむいてしまう。
心なしか、耳元が朱に染まっているようにも見えた。
もしかしたら、寒いのかもしれない。
冬が終わったとはいえ、時折肌寒く感じるし、季節の変わり目は風邪をひきやすい。
黒服を目指す人間として、これは見過ごせない。
特に何も言わずに制服の上着を脱いで、そっとこころの背にかける。
少しかっこつけすぎたかなと、自分でやったことが恥ずかしくなってきて僕は頬を掻いた。
「ぁ……えっと……ありがと……」
貸してあげた制服をぎゅっと握って呟いたこころを見るに、やはり寒かったんだろう。
それにしても、最近はしおらしいこころを見る回数が増えた気がする。
これでも学校では異空間だなんて呼ばれてるんだから、世の中わからない。
ぶっ飛んだ言動もするけど、女の子らしいところもたくさんある。理解者が増えてくれることを祈るばかりだ。
「やっぱりあたし、虎太郎といると笑顔になれるわ」
ふいに顔を上げたこころは、とびきりの笑顔を見せた。僕が大好きな、見ているこっちまで笑顔にしてくれる、世界一の笑顔。
だけど、ずっとこころといる僕にはわかる。いまこころは僕なんかじゃ思いもよらないようなことを思いついたんだって。そんなときに彼女が見せるキラキラした瞳が雄弁にそう語っていた。
「もしかして、何か思いついたりした?」
「やっぱり……虎太郎はあたしのことをわかってくれるのね」
静かに言ったこころの頬が薄っすらと朱くて、思わず僕は彼女に魅入ってしまう。
ぼーっとしてしまっている僕にも聞こえる、いつもの元気な声でこころは続けた。
「あたし、世界を笑顔にするわ!」
「…………んあ?」
「聞こえなかったかしら? じゃあもう一回言うわね! あたし、世界を笑顔にするわ!」
ありきたりな返事しか思いつかなくて、僕は言葉を失った。
やっぱり僕とこころじゃスケールが違いすぎるなー、なんて、 僕は己の凡庸さを呪うことしかできない。
だけど、それでも……。
「僕も手伝いたいなー、なんて……」
「もちろんよ! 虎太郎ならそう言ってくれるって信じてたわ!」
たとえ隣に立てなくても、僕はこころを支えられればいいのかもしれないと思った。まだ、それが僕にとって正解なのかはわからないけれど。
「んーーー! こうしちゃいられないわ! 虎太郎! さっそく家に帰って作戦会議よ!」
とたとたと駆け出してしまったこころの後を、僕はゆっくりと追いかけた。