――マサラタウン――自宅――
日曜日の夜。
息子への予備知識詰めが一通り終わって今は授業に使用した道具の後片付け。
息子がマサラを旅立つ日まであと一月。
今日は息子に今まで教えてきた内容の総復習を行った。うろ覚えな部分があれば容赦なく突っついた。
その結果がリビングでテーブルに突っ伏しているうちの息子の姿である。
とはいえ、シゲル君に比べれば遥かにマシだ。
彼にも先日、総復習を兼ねたテストを行ったところ、すべての回答を埋めた直後、青ざめた顔で口の端から泡を吹いていた。
まぁ、親御さんや教授、果てはナナミさんからも本人が望んでいるなら思う存分扱いてよいとのお墨付きをもらってある。
……とはいえ、あまりに根の詰めかたが酷いときは授業も中止して説教したりもしたのだが。
さすがに子どものうちから徹夜でテスト勉強なんぞ、見過ごせるものではなかった。
シゲル君の家庭教師を引き受けてから、家の息子もシゲル君もやる気に満ち溢れていた。というか、どちらも私も含めた大人たちが舌を巻くほどにすさまじいのだ。
まず家の息子は何よりも楽しみにしているプロリーグの実況中継を我慢してでも勉強するようになった。
大好きなワタル君の試合ですら我慢するのだ。
「観なくていいのか?」と訊けば「観たいけど……我慢する。負けたくないし。シゲルはきっともっと我慢してる。あいつ、凄いもん」と。
本当にライバル作戦は上手くいった。やる気をみせる息子の表情を見るたびにそう思う。
他にも、常にメモとペンを持ち歩くようになった。目に付いたポケモンで気になったこと、気付いたことがあれば何でも書きだし、私や教授に訊きに行くのだ。
だが、何よりも驚かされたのが自分のギャラドスの体長管理を徹底するようになったことだ。
毎日、何をどのくらい食べたか、鱗のつやはどうだったか、どのポケモンを相手に何度バトルしたか、等を詳細に記録しているのだ。プロのトレーナーやブリーダーなら行っていてもおかしくないことだが、とても旅に出る前の駆け出しがするようなことではない。
誤解してほしくないのだが、これは私がやれと言ったのではない。息子がすべて自分で考え、自発的に始めたことである。
最初にギャラドスのことをもっと知りたいが、何をすれば良いのかわからないと相談されたので、毎日よく見てあげなさい、くらいには言ったが本当にそれだけである。
家の子は天才じゃなかろうか。などと私が思ってしまっても決して親馬鹿ではないはずだ。外聞を気にしなくて良いのならばご近所さんに自慢して回りたいくらいである。
そんな息子にライバル認定されたシゲル君のほうもこれまた凄い。
最初に、絶対に覚えきれないだろうと思って出した宿題を、たったの一週間ですべてマスターしてきて私の度肝を抜いたことから始まり、その後の倍プッシュも涼しい顔で応え。
今ではカントー、ジョウト、ホウエンに生息するポケモンならば名前だけでなく特性と特長、主な出現場所までそらで述べられるほどだ。
家の息子は未だにカントーだけで手一杯だというのに。
(とはいえ、眼の下に隈が出来ていたけれど。無理させちゃったかなぁ)
加えてポケモンのわざ、努力値、個体値なども教えている。にもかかわらず文句のひとつも言わないで次回までに必ず覚えてくる。
とはいえ、次の授業までに覚え切れそうになければ徹夜してまで習得しようとするらしく、何度も説教するはめになったのだが。
シゲル君の言い訳が「ボヤボヤしてたらいつまで経ってもサトシに追いつけないです。唯でさえ学ぶことは多いのに。それに覚えるのは大変だけど知らないことを勉強するのはすごく楽しいんです」だったときは思わず閉口した。
無理をして体を壊したら追いつくどころではなくなる、学習ペースはちゃんと考えている。正直、わざと多めに出している部分もあるから、覚えきれなくても授業が遅れるわけじゃない」と言って諭したが……なんというか教授の孫だから凄い、なんてレベルを超えている。根性の塊じゃなかろうか。
さすがに倍プッシュのあとは自重したのか、徹夜することはなくなったけれども。それでも就寝時間のギリギリまで勉強しているようだ。
その成果か、ポケモンの知識に関しては息子の一歩も二歩も先を進んでいるのは確かだ。
いや、その後ろに必死で食らい付いていけている息子も年齢を鑑みれば十分凄いのだが。
バトルにおける具体的な戦術などはまず知識があってなんぼなので後回しにしていたのだが、その辺はシゲル君も理解してくれている。むしろ、知識を詰め込むことで精一杯といった様子である。
まぁ、戦術などと言っても、こっちの世界ではポケモンに関する知識をバトルに応用したものでしかない。
現実にポケモンのいるこの世界ではポケモンに関する研究自体は盛んに行われている。
ただ、研究することが多岐に及びすぎているために、肝心のバトルに応用できる知識がこの世界ではさほど蓄積されていないだけなのだ。
だから相対的に優位になっているだけだと私は考えている。
よって、研究が進み知識が蓄積されていくに連れ「いばみが」などの戦術を使うトレーナーも出てくると思うのだ。今でもすべてのトレーナーが力押しというわけではないし。
だから知識さえ教えておけばシゲル君ならば私が教えずとも自分でなんとかしてしまえるだろう。
とはいうものの、時々雑談交じりに教えていたし、これから旅立ちまでの一ヶ月で詰め込めるだけ詰め込んでみるつもりだ。
二人には他にも私が個人的トレーナーとしてあると便利だと思う知識を叩き込んだ。
ポケモンの種類、分布、世話の仕方、ポケモンと人の歴史、カントーの地理、各都市の歴史、条例、お勧めのお店、野営の仕方、水源探しに役立つポケモン、旅のトレーナーとバトルする際の注意事項やローカルルール、近づいてはいけない場所、緊急時の連絡方法、食料調達、一部ポケモンの変わった毛づくろい方法、神社、寺社仏閣を参拝する際のマナー、ポケモンに関する倫理、トレーナーとしての禁止事項、各種きのみの効能と入手できる場所……他にも色々。
あとは旅に出て自分達で経験して学ぶだけだろう。
この子達は、確実に将来大物になる。親馬鹿かもしれないが、見事に応えてくれる彼らを見ているとそう思えてならないのだ。
「んー、自己紹介かぁ」
何となく息子たちの将来まで思いを馳せていた私だが、息子の悩み声に引き戻された。
いつのまにか立ち直っていた息子は両手で掲げるように持ったトランプよりも一回り大きめのカードを睨みつけている。
新品ピカピカのトレーナーカードだ。
先日、息子を連れてトキワのポケモンセンターで発行してもらってきたものである。
息子は自分のトレーナーカードを手に入れたことが嬉しいようであいさつとプロフィール欄になんと書こうか悩んでいるようだった。
「サトシ」
「んー? 何さ、父ちゃん」
「お前の誕生日、つまり出発の日まであと一ヶ月なわけだが」
息子の誕生日は4月の頭。ちょうど旅立ちの日と重なっていた。
「うん」
「父ちゃんの教えたポケモントレーナーの約束事はちゃんと覚えているか?」
「覚えてるよ」
「言ってみなさい」
「うん。ひとつ、ポケモンをいじめない。ふたつ、人のポケモンをとらない。みっつ、弱っている野生のポケモンを見つけたら出来るかぎり見捨てない。よっつ、きずぐすりとモンスターボールは切らさない。いつつ、むやみに危ないところへは近づかない。むっつ、相手の同意無しにバトルをしかけない。ななつ、ポケモンを悪いことに使わない。やっつ、ポケモンに人を攻撃させない。ここのつ、捕まえたポケモンには責任を持つ。とお、ポケモンと仲良く! でしょ?」
五つ目の、危険なところ、というのは自分の力量では挑戦出来ないような場所のことだ。ふたご島などは旅をして自分とポケモンのレベルを上げてからでないと危険極まりない。
何より尋常でなく寒い。ポケモンを捕まえに行くのならば防寒具なども必要になるだろう。
自分の力量をかんがみた上で挑戦できるかどうかを判断し、行くのならば事前にしっかり準備をしておきなさいという意味も含んでいる。
そのほかの約束事は説明するまでもないだろう。悪いことに使わない、に人を襲わせないが被っているようにも思えるが、正義の行いと称して人を攻撃することは問題ないと思われたら困るのでわけてあるのだ。
何があってもポケモンに人を襲うように命じてはいけない。絶対にだ。どんな悪人相手であろうと人に向けてはかいこうせんを撃たせたりしてはいけないのである。
「よし覚えているな。いいか、ただ覚えるだけじゃなく、絶対に守ることが大事なんだからな。あまり悪いことしてるとリーグどころかジムの挑戦権すら剥奪されるから気をつけるように」
「えー、トレーナーどころか人として当然のことじゃん。大丈夫だよ」
「……そうだな」
「えへへ」
……人として当然のこと、か。自己嫌悪の感情で少し胸が痛くなった。
息子は真っ直ぐな良い子に育っている。それはとても喜ばしいことだと思う。
けれど、だからこそ不安もある。
私がふがいないせいで人の悪意というものを知らずに育ちはしなかった。少なくとも、すべての人が善人であるとも思ってはいないだろう。
が、それでもまだ甘いのだ。世の中には自分の理解が及ばないほどの悪党がいるのだから。
例えば、息子に何食わぬ顔で教え込んでおきながら自分は何一つ守れたものがない父親などはその最たるものだろう。
なんせ、そいつのトーレナーカードにはジム戦を含む、すべての公式戦への永久出場禁止印が押されていて、ポケモンセンターなどを利用する際には会社で用意してもらった偽造カードを使っているような男である。
「……」
「父ちゃん?」
「ん? あぁ、どうかしたか?」
「いきなり黙ってどうしたの。なんか怖い顔してたよ」
「あぁ、いや、ごめんな。サトシは関係ないよ。ちょっと嫌なことを思い出してね。おぉ、もうこんな時間じゃないか。サトシ、学校の宿題は終わっているのかい?」
「終わってるー」
「へぇ、めずらしいこともあるもんだ」
「ひっでー、そりゃないよ!」
「おう、スマンスマン。じゃあ風呂入ってさっさと寝なさい。明日は日直で早いんだろう? そうだな、久しぶりに一緒に入るか?」
「うーん、今日はいいや。もう少し自己紹介を考えたいし」
少し寂しい。去年くらいまでは誘えばもろ手を挙げて喜んだものだが……。トレーナーを目指す者として自立しつつあるのだろうか。そう考えると嬉しくもあり寂しくもあり。
などと随分とぶっ飛んだ発想で自分を慰めながら風呂場へと向かった。
結局、その日、サトシは自己紹介を決められないまま眠ってしまったようだ。
リビングのソファでトレーナーカードを握り締めたままいびきをかく息子をベッドまで運んでやり、階段を降りているところでポケットに入れていたポケギアが着信を知らせた。
見覚えのある番号だ。かかってくるのは本当に久々だけれど、見間違えるはずもない。
なんせ義理の妹からだ。
「はい、ハマサキです。えぇ、お久しぶりです……ハナコさん」