――????――
高層ビルの並び立つ、とあるシティのビジネス街。中でも、ひときわ目立つ黒塗りの超高層ビル。
「……ふむ。つまり、いまのところ完全な再現は出来ないが汎用性を持たせた劣化品は作れるかもしれない、ということか」
その最上層の一室で一人の男が部下から報告を受けていた。
「悪くないな。劣化品とはいえ持たせるだけで強化できるのだろう?」
男のいる部屋の壁には偶蹄目と見られる巨大な角を生やした生物の頭部の剥製が飾られ、床には素材の形を丸ごとそのまま活かした猛獣のものと思わしき毛皮の絨毯が敷かれている。
さらに十人は楽々と腰掛けられるのではないかというほど巨大なソファー。重厚な黒革の質感は見識の無いものにも高級だと断じさせるだろう。
それが向かい合わせに二つ。間には磨き抜かれた硝子のシックなテーブル。
この部屋にあるものは大なり小なり、共通の方向性で揃えられている。
一目見ただけで、豪勢。というよりも視覚から威圧感を覚えるそれらの内装が相まって、見る者にある種のステレオタイプ的なものを想像させるのだ。
部屋の主は己の持つ力を誇示うる必要のある人物であると、少なくともこの部屋の主を一般人だと思わせない程度には。
そしてその想像は、実物と微塵も違いがないのである。
「はい。効果だけでいえばオリジナルには劣りますが特定の種族だけでなく、タイプごとに効果を発揮するものが作れるとの見込みです。許可さえいただければ来月中には試作品の開発に着手できる、かと」
モニターの向こうの部下は緊張からか、少しばかり早口になっている。だが、この男を前にしたならばそれは無理もないことだろう。
「……ふむ。ポケモンを直接強化する製品はシルフでも開発の目処が立っていなかった筈。たとえ商品化せずともグループ内でならば即軍事転用も出来る、か。よし、いいだろう。引き続きよろしく頼むぞ」
「ハッ! 全力を尽くします!」
「うむ。これで報告は終わりか?」
その身の内に潜む深い欲望が、暗く眼光となって漏れ出ているような鋭い三白眼。
オールバックに撫でつけた髪は額に見事なM字を描き、輪郭を含めそのほとんどを鈍角と一部の鋭角のみで構成されているかのような厳つさで。
これらだけでも柔らか味とは無縁の顔つきだが、ダメ押しとばかりにすべて剃り落とされた眉の存在がさらなる迫力を加えている。
年齢は40代半ばといったところか。しかし、オレンジのスーツ越しでもがっしりと鍛えられているのがわかる肉体は、中年太りなどとは無縁であろう。
たとえ、頬はあがり、口元は弧を描いていたとしても安心など出来ない。
そう思わせる邪悪な雰囲気が顔だけでなく、全身から滲み出ているのだ。
だが、一度言葉を発せばそれすらも妖しい魅力となって人間を惹き付ける。現にこの部下を含め、何千、何万という人間がこの男に忠誠を誓い、道を外す行いに手を染めていた。
まさしく悪のカリスマを体現したかのような男、それが――サカキ。
世界的な大企業をいくつもその傘下に治める超巨大財閥、ロケットコンツェルンのCEO(最高経営者)であり――
世界征服を目的に活動し、カントーを中心とした世界各地で起こるポケモン犯罪のほとんどに関わっているポケモンマフィア、ロケット団のボスであり――
ポケモンリーグ本部のあるセキエイリーグにジムリーダーとして名を置く、表の顔も裏の顔もとんでもない男である。
「あ、いえ、実はもう一件ございます」
「む?」
部下の言葉に、サカキは毛の生えていない片眉をあげて反応した。
「以前、接触したシルフカンパニー内部協力者達から準備は整ったとの報告が。何時でも実行にうつせるとのことです」
サカキはニヤリと口元を歪ませた。
「ほう。ならばサントアンヌ号の計画の後に実行するとしよう。我がロケットコンツェルン最大のライバルが相手なのだ、私が行くのも面白い」
「さ、サカキ様自らですか!?」
「ふ、シルフを落とし、その技術を奪ったならば我々が世界を征服したも同然だ。ここで私が動かずどうする」
「た、確かに仰るとおりであります」
「それにシルフにはあの伝説使いがいる」
裏の業界で噂されていたシルフの切り札。内部に裏切り者とスパイを用意するために行ったカモフラージュの妨害工作はその存在を引きずり出していた。
「それに関しましては既に対策を練ってありますが……」
「だが、相手は伝説を使うのだろう。念を入れすぎるということもあるまい?」
「は、はぁ」
「実行日についてはおって指示しよう」
「了解しました。報告は以上です」
「うむ、ではアポロよ、期待しているぞ」
サカキはそう言うと通信を切った。特製の秘匿回線を用いているとはいえ、必要以上に長話をするつもりもない。情報の漏洩、時間の無駄、リスクとコストは徹底して少ないほうが良い。
特にロケット団のボスとして自ら計画を進めている今は。
「……」
バサリ、とサカキは研究結果の印字されたコピー用紙の束を机の上に放り出した。
空いた手で机の上に飾ったいくつかかの写真立て中から一つを手に取る。
そこには赤毛の幼い男の子が仏頂面で映っていた。
「……ふっ」
サカキは軽い笑みを浮かべて写真を眺めている自分に気付き……それがとても可笑しく感じられて自嘲するように息を吐いた。
――数年前。子どもが出来たといって組織を抜けた男を思い出す。
有能な男だった。母から継いだロケット団が2年に満たない期間で活動の舞台を一地方から世界まで広げられたのはその男が居たからだ。
もしその男が居なければ世界へと進出するのにもう数年の時間を要しただろう。まさしくロケット団の過渡期を担った男であった。
ポケモンを扱わせれば右に出るものは居らず、ジムリーダーの資格を持つサカキですら敵わないほど。
珍しいポケモンを捕まえて来いという曖昧な指示のみで、見たこともないポケモンを十も二十も捕まえてくる。ライバル企業の研究成果を盗んで来いと命令すれば得意の変装で潜入し、ついでに破壊工作までしかけてくる余裕。
幹部候補の養成所出ではなかったが、立て続けにノルマの倍を稼ぎだし手柄を立て続けるその男をサカキは直属の部下として引き立て、幹部待遇で重用していた。
プライベートでも多少の付き合いを持っていたことを考えると幹部達よりも大事にしていたかもしれない。
その男には何か目的があるようだった。ロケット団に入ったのもそのためらしく、達成するためならばどんなことでもするという気概を持っていた。
ポケモンも人も、すべてはそのための道具としか見ていなかったように思える。無駄なことはしなかったが、それが必要ならば平気で人もポケモンも傷つけ、奪い、利用する。
ボスであるサカキのことすら利用しようと思っている節があった。
そこが逆に気に入った。
世界征服という野望のために、世間では非人道的と呼ばれるようなことにも手を出す自分と似ていると思ったのだ。そしてそんな危険な男を従えられないようでは世界を手中に収めることなど夢のまた夢、とも考えたのである。
それが突然、組織を抜けて行方をくらませた。
結局、その男が何を為そうとしていたのかもわからないままだ。
「私も奴も、人の子ということか」
当時は子どもが出来た程度で野望を捨てるなど考えられなかった。だから男の行動が理解できなかった。
いや、同じような理由で足を洗う団員が居ないわけではない。
だが、その男だけは、自分と似たところのあるその男だけは何があっても……何を犠牲にしてでも自分の目的を優先すると思っていたのだ。
しかし、今こうして自分も人の親になってみると、男が組織を抜けるに至った気持ちが少しだけわかるような気がした。
「……私は諦めんがな」
だが、サカキは止まらない。止まる気も無いし、すでに自分の意思で止まれるような状況でもない。
巨大で分厚い防弾硝子越しに眼下の町並みを見下ろす。
その顔に浮かぶのは暗く、深い、凶悪な笑み。
「私はお前とは違うぞ、カッパー。何があろうと手に入れる。それも、もうすぐだ。たとえ立ちふさがるものが伝説であろうと、すべて飲み込んでやろう」