――マサラタウン――自宅前――
日曜日。
「いってきまーす!」
「おう、気をつけるんだぞ。ギャラドスが疲れ始めたらすぐに帰ってくるように」
はーい、と元気な返事を残していちばんどうろへと走っていく息子。元気が良いのは結構なのだが……。
息子は今日も今日とてギャラドスと野性ポケモン相手にレベル上げに精を出している。
今日は私も久しぶりの休日だったので家に居たのだが、先に息子から同行を断られてしまった。
(まぁ、今日はシゲル君にポケモントレーナーのいろはを教えてあげる約束だったからむしろ都合がいいんだが……、少し寂しいような)
シゲル君に先生になってくれと頼まれた私は、休日の時間が空いているときでいいならと請け負った。
その際、シゲル君から出来れば息子とは別で教えて欲しいというお願いがあった。
私もちょっとした思い付きから、しばらくは二人を別々に教えるつもりだったのでそれもまた了承した。
「さて。忘れ物は……よし、ないな。っと、授業用にポケモンを用意するのを忘れてたか。オーキドさん家に行く前に教授のところに行かないとな」
仕事の合間を縫って少しずつ作成し、昨晩仕上げた自作テキストの入ったリュックを背負う。
ふと玄関の横におかれたクーラーボックスと立てかけられた釣竿に視線が向かった。
(昔は休日となれば釣竿片手に海や川へと繰り出していたけれど、マサラに引っ越してきてからはご無沙汰だなぁ。手入れはしてるけど、そろそろ使ってやらないとな)
ま、また今度だな、と呟いて私は玄関を出た。
――マサラタウン――オーキド宅――シゲルの部屋――
ゲーム機は出しっぱなし、読んだ漫画雑誌は床に散らばり、引っ越したときの荷物がまだまだダンボールに入ったままの息子の部屋に比べ、シゲル君の部屋はとても整理整頓が行き届いていた。
シゲル君がやっているのか、それともご家族がしているのかはわからないが、あまり子どもの部屋っぽくは無い。
机の上に置かれたポケモンの人形と並べられたいくつかの漫画雑誌くらいだ。
ちらっと目に入った本棚にはオーキド博士の著書(わかりやすく書かれてはいるがとても8才で読むものではない)と、ポケモンの簡単な図鑑(有名なポケモンを30種類くらい載せただけの子供向け)が隣り合って刺さっていた。
家具や壁紙が全体的に緑色を基調としていて落ち着いた感じがする部屋だ。
(うちの息子とはずいぶん違うなぁ……)
なんというか、持ち主の性格や嗜好が良く現れている。
「あのー……」
おっと。
正面に座るシゲル君が居心地悪そうだし、さっさと始めるか。
私はナナミさんの用意してくれた紅茶を一口飲んで本題に入った。
「さて。このあいだ貰ったメールにはポケモンのことを教えてほしいって書いてあったけれど、シゲル君は何を教わりたいんだい?」
「え……何をって、トレーナーとしての知識っていうか、強くなるための方法とか……?」
「うーん、それじゃあ漠然としすぎてて、ちょっと教える側としては困るかな」
「じゃあ、いつもサトシには何を教えているんですか?」
「サトシに? そうだねぇ。一番時間を割いてるのは一般常識、かな? 次に旅で困ったときの対処法とか」
「……え? バトルについては教えてないんですか?」
「あぁ、それももちろん教えているよ。ただ、それほど重要じゃないからね。それほど時間はかけてないかな? 最低限、バトルに負け続けて路銀を失って強制送還なんてことにならなければいいから」
「でも、爺ちゃんからはおじさんがポケモンバトルの達人だって聞きましたけど……」
「あぁ。教授はそういう風に私のことを紹介したのか」
どうも教授と私で認識に差異があったようだ。それほど問題ではないのだが、自分があっちの世界での知識をこっちの世界で無意識のうちに当てはめて考えてしまっていたと思うと、少し鬱にんる。
(と、なるとシゲル君には直接訊かないといけないな)
少し悩んだが、結局訊くことにした。
「……シゲル君は何になりたいんだい?」
「え?」
おそらく教授はシゲル君がサトシや他の子どもと同じくポケモンマスターに憧れていると思っているのだろう。けれど私は決めてかからないで本人に訊くことにした。
それはあっちの世界で、彼とよく似た境遇で異なる未来を歩んだ彼にとてもよく似ている人物が出てくる物語を知っていたからだ。
……、これも決めて掛かっているのと同じだな。
「いやね。うちのサトシはポケモンマスターになりたいって言ってるでしょ?
ポケモンマスターはプロリーグで優勝した人のことだから、まずプロのトレーナーになることを目指さないといけない。
そして、ポケモントレーナーになるならサトシは10才で旅に出るつもりだと思うんだ。これはシゲル君も知っているとおり、このカントーでプロのトレーナーになるためにはバッジを8個集めて、ポケモンリーグで活躍しなきゃいけないからね。そして大会の参加資格は11才からで、マサラのポケモンの所持が認められるのは10才から。まぁ、トレーナーを目指す子どもにはポケモントレーナー協会から助成金が出るから、トレーナーを目指す気はないけど旅に出るって子どもも多いけど」
むしろ、暗黙の了解というか、協会も取り締まろうとしないから子どもはみんな旅に出るという風潮が出来てしまっている。
まぁ、トレーナーになるにしろ、ならないにしろ、若いうちに旅に出て見識を広められるのはいいことだとは思うので私としても特に文句は無い。
軽い留学、みたいな感覚が近い。
「だから、僕はバトルもそうだけど、トレーナーとして旅をする際に必要な心構えや常識なんかを先に教えてるのだけど」
そこで一端言葉を切り、紅茶で口を湿らす。久々の長話だからか口が渇いてしまう。……この紅茶、いい香りだ。
「ねぇ、シゲル君。君も家のサトシみたいにプロのトレーナーになりたいのかい?」
「……俺は」
「君が勉強したいという動機はメールに書いてあったから知ってる。サトシに置いてかれるような気がするだとか、おじいさんがサトシを褒めて悔しいだとか、普通は中々他人に言えることじゃない。それだけでも十分な動悸だし、本気で頑張りたいんだって気持ちも伝わってきた。……でも博士に認められたいのなら何もトレーナーにならなきゃいけないわけじゃないし、サトシに追いつくのにしたって、何も同じ道を進む必要はないんだよ? むしろ他の道を歩いて頑張った方が早いかもしれない。
多くの人は確かに助成金制度を利用して旅に出るけど、別に将来なりたいものがあるのならまっすぐそれを目指してもいいんだ。将来なりたいものによっては旅に出るよりじっくり勉強していたほうが早いものもあるし」
8才相手に進路相談をするのも我ながら気が急いていると思うけれど、この世界じゃ総じて若いうちに将来の人生設計を決めてしまう人が多いので、割と不思議な光景ではなかったりする。
まぁ、子どものうちにポケモントレーナーを目指して旅に出て、挫折して他の道を探すっていうルートが多いんだけれど。
「シゲル君。一度よく考えてみるといい。君が教わりたいというのならオジさんはオジさんが知っている限りのことを教えてあげてもいい。けれどその分、時間も使うし……はっきり言ってスパルタだ。うちの息子に関しては親として育ててるから息子の好きにさせているところがあるけれど、君の場合は私の弟子になるんだからね」
実は自分の知っているバトル理論を誰かに伝え残したいという願望が私にはある。ただ、それを望む人が居なかったので誰に言うこともなく、今日まで来たのだが。
息子に無理に教える気も無い。自分の望むものを選び取れる人間になって欲しいし。
何も与えないのではなく、必要以上に与え過ぎることのない教育が私の考えなのだ。
シゲル君は黙って考え込み始めてしまった。おそらく生まれて初めて真剣に将来を考えているのだろうな。
(こりゃ、急かすのはよくないな)
出来るだけゆっくりと、邪魔をしないように紅茶を一口すする。
それを何度か繰り返し、とうとう空になったカップをソーサーに戻したときシゲル君は顔をあげた。
「……おじさん。おじさんの話、俺にはちょっと難しかったけど自分なりに大人になったら何になりたいか考えてみたんだ。そしたら俺さ、爺さんみたいなポケモンの研究者になりたいみたいなんだ」
「……そっか」
「でもさ!」
「うん?」
にかっと笑顔で続けれるシゲル君。それはうちの息子と同い年なのだと気付かされるほど屈託の無いものだった。
「ポケモンマスターになりたくないわけでもない、みたいなんだよね。それにさ、サトシにポケモンのことで負けるのも嫌だ。じいちゃんも、若いときは凄腕のトレーナーだったって聞いたことあるし」
「つまり?」
「うん。だからさ、全部目指しちゃだめかな? サトシに勝つのも、じいちゃんに認められるのも、ポケモンマスターになるのも、じいちゃんみたいな研究ある者になるのも!」
「……あー、まぁ、いいんじゃないか? まだ若いし」
予想外な答えだった。
どうもシゲル君のことを息子に比べて大人っぽいと感じていたからか、選ばせるような言葉になってしまっていたようだ。
そのことに気付かされる。
子どもだからこその発想。
全部乗せ。
無理とか無謀だとか、そんなつまらないことを気にしなくて良い年齢だからこそ選べる選択肢。
「うん。だから、おじさん。俺にポケモンバトル教えてください!」
「……オジさんは厳しいよ? シゲル君のレベルに合わせた授業をするけど、きっとそれでも泣きたくなるくらいに」
「うっ、それでサトシに勝てるなら」
「まぁ、今のサトシなら余裕だろうね。むしろサトシと言わず、ホウエンリーグ優勝くらいはしてもらわないと」
「マジで!」
目をまんまるにして驚くシゲル君。まぁ、そのくらいはあっちじゃ自力でしてたんだから余裕だろう。
「まぁ、テレビで見るような見栄えのいいものじゃないけれど、勝ち負けだけを考えるならプロリーグでも通用するとは思うし。トップがワタル君程度なら確実にいけるんじゃないかな」
途端に胡散臭い表情になったシゲル君。なんだ?
「……そこまで? じいちゃんが褒めてたから本当に強いんだとは思うけどさ。カントープロリーグチャンピオンで、伝説のドラゴン使いって呼ばれてる天才のワタルを下に見れるほどなの?」
うわぁ、これは全然信じてない眼だ。疑わしいって感情がぷんぷんするよ。まぁ、私は見た目じゃただのメタボなおっさんだしな。新進気鋭のワタル君と比べたら見劣りするのは当然か。
「まぁ、多少言い過ぎたところもあるけれど、おおむね間違っていないさ。そうだな……今日は授業をする前にそれを証明しておこうか」
クエスチョンマークを浮かべるシゲル君についてきなさいと言って部屋を出て行く。
慌てて追いかけてくるシゲル君。
一階でくつろいでいたナナミさんに挨拶と紅茶のお礼をして外へ。
ついでにポケギアでメールを送り確認を取ってみる。お、あいかわらず返信がはやいな。
ちょっと最初の予定とは違うけど、まぁいいか。
私はモンスターボールから、先に入れ替えておいたぺリッパーを出すとその大きな口の中ににシゲル君を放り込んだ。
「うわあっ!? なにすんだ、うわ、くさっ」
なんか聞こえるけど気にしない。私はこれも修行のうちだ、なんて嘯きながらぺリッパーの足に捕まった。
「頼むぞ、ぺリッパー。そらをとぶ! 行き先は――」