迷子のプレアデス   作:皇帝ペンギン

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第十話

 王都リ・エスティーゼの最高級酒場。エ・ランテルにおける「黄金の輝き亭」に匹敵、あるいはそれ以上の格式を持つこの酒場にはVIP御用達の個室が完備されていた。永続光(コンティニュアル・ライト)が灯る部屋には絵画を初め豪華な調度品の数々。ゆったりとしたソファーに大きな大理石のテーブル。ワインセラーや冷蔵庫といった帝国製のマジックアイテムの小型サイズが完備されており、いつでも冷えた飲み物が飲める。さらには防音はもちろんのこと、これまたマジックアイテムで室内は一定の温度が保たれている。さらには備え付けの特殊な魔法のベルを鳴らすと、離れた場所にいるウェイターに伝わる仕組みだ。有事の際を除き完全にノータッチ。プライバシーも守られているため、貴族や一部の冒険者などの隠れ家的な役割を果たす。この場所は酒場と言うよりはむしろサロンと言った方が正しいのかもしれない。

 卓を囲むのは七人の男女。此方オリハルコン級冒険者チーム〝美姫〟リーダー、ルプスレギナ・ベータ。ナーベラル・ガンマ、クレアという偽名を名乗るクレマンティーヌ、そしてブレイン・アングラウス。彼方アダマンタイト級冒険者チーム〝蒼の薔薇〟戦士ガガーラン、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイ、忍者姉妹の片割れ、ティア。念には念を入れ、イビルアイがローブの下でアイテムを発動、周囲の音が遠ざかりさらに防音が強化された。

 ガガーランたち蒼の薔薇の誘いを受けた美姫は快く承諾、この部屋へ通された。乾杯からしばらく和やかな雰囲気が流れるが、イビルアイが本題に入ると場の空気が一変した。カラン、と誰かのグラスの氷が鳴った。

 

「話にならないっす」

「お引き取りを」

 

 ソファーに踏ん反り返るルプスレギナが興味なさげに杯をあおり、ナーベラルがぴしゃりと言い放つ。取りつく島もない。大方の予想通り、美姫との交渉は難航していた。ルプスレギナにとって王国の危機なぞ心底どうでも良い。むしろ滅んだ方が面白いとすら思っていた。ナーベラルにとっても同じだ。下等生物たる人間が栄えようが滅びようが構わない。好きの反対は無関心とはよく言ったものである。困り果てたガガーランがクレマンティーヌ、ブレインに言葉を投げかける。

 

「なあ、アンタらも何とか言ってくれよ」

「……そもそもさぁ、それって組合には内緒なんでしょ? 報酬はちゃんと出るんでしょうね?」

 

 蒼の薔薇からガゼフの事実を告げられ、放心状態のブレインを無視してクレマンティーヌが指摘する。

 

「一応、王女さんが自費で報酬を用意すると聞いてるぜ」

「はっ、リスクに見合うだけの対価をあのお姫さまが用意できますー?」

「ぐっ……そりゃあ、な」

 

 痛いところを突かれた。ガガーランが困り顔になる。第三王女のラナーの王位継承の優先順位は低い。スペアのスペアと揶揄されるほどだ。そんなラナーの後ろ盾になろうという貴族は現れず、口止め料を含めた正当な報酬を払えるとは到底思えなかった。ガガーランがイビルアイにコソコソと耳打ちする。

 

「おい、イビルアイ。お前自信満々だったじゃねえかよ? なんか無理っぽいぜ」

「…………」

「普通はそう、逆の立場ならば私だって断る」

「おめえはどっちの味方だよ!?」

 

 物言わず思案中のイビルアイに代わり、ティアが口を開く。その瞳の奥にはハートマークが浮かんでいた。

 

「別に。私は鬼ボスの言葉に従うだけ。にしても……本当信じられない。まさか王女様並みだとは思わなかった、眼福」

「何しに来たんだよ本当に」

 

 頭を抱えてしまうガガーラン。今まで沈黙を保ってきたイビルアイは嘆息し、背に腹はかえられないと呟いた。鬼札を切る。

 

「貴様らが知りたがってた〝国堕とし〟──〝亡国の吸血鬼〟の情報。それが対価だと言ったら?」

「ッ──」

 

 反応は劇的だった。ピクンと、ルプスレギナの帽子の下の耳が動き、ナーベラルが一瞬目を見開く。両者はすぐさま値踏みするようにその目を細めた。

 

「貴方がその吸血鬼について知っている……と?」

「ああ、私以上に詳しいものはこの世にいないだろうな」

「…………」

「その情報が虚偽でない保証は?」

 

 美姫の追及にイビルアイは肩をすくめる。

 

「こればかりは私を信用してもらうしかないな。だが依頼達成の暁には私の知る全てを話そう。なんなら誓約書を記してもいい」

 

 姉妹は無言で顔を見合わせた。もたらされた情報の真偽を測りかねているのだろう。ナーベラルが揺さぶりをかける。

 

「その吸血鬼の名は?」

「教えられない」

「チッ……では性別は? これくらいならば良いでしょう」

「……女だった、とだけ言っておく」

 

 外見的特徴が彼女に一致する。ルプスレギナが続く。

 

「シャル──彼女の目の色は何色っすか?」

 

 瞬間、イビルアイの仮面越しに憎悪が漏れ出る。ルプスレギナとナーベラルは顔色一つ変えないが、クレマンティーヌとブレインはその殺気に気圧された。瞬時に臨戦態勢をとる。切ろうとした鯉口はプレアデスに制される。思わず身を乗り出そうとしたガガーラン、ティアもまたイビルアイに止められた。

 

「落ち着け、今のは私が悪い。奴の目は……真紅。そうだ、まるで血のような穢らわしい……」

 

 語るイビルアイは表情こそ仮面で隠されているが、何処か哀愁が漂っていた。

 

「じゃあ髪色は──」

「服装は──」

「おっと、これより先は成功報酬とさせてもらおうか」

 

 続けざまに問いただそうとする美姫を押し留めるイビルアイ。やはり彼女だ、と二人は確信した。ルプスレギナとナーベラルは脳裏に一人の少女の姿を思い浮かべる。今にも間違った廓言葉が聞こえてきそうだった。

 

「おっけー、おっけー! 交渉成立っす」

「えぇ!?」

 

 百八十度態度が変わる。ニンマリと良い笑顔なルプスレギナにクレマンティーヌが思わず声を上げた。

 

「おお、助かるぜ!」

「こう言っては何だが、良いのか?」

「正直、断られて当然な内容」

「いいえ、その情報の価値を鑑みれば充分過ぎるくらいです」

 

 あっさり手のひらを返す美姫にむしろ蒼の薔薇側が困惑する。今までの苦労は何だったのか。それほど彼女たちにとって国堕としが重要なのだろう。

 

「っし、んじゃあ前祝いと行こうぜ! 景気付けにジャンジャン飲んでくれよ!」

「おお、いいっすねえ! 負けないっすよぉ!」

 

 ガガーランとルプスレギナが杯を打ちつけ合う。その光景をぼんやりと眺めながらイビルアイは首を捻る。初対面のはずだ。絶対に。二百五十余年前の記憶を思い起こそうとするが全く思い当たらなかった。そもそも長い時を生き過ぎた。忘れたことも数知れず。もしかしたら彼女たちが一方的に此方を知っているだけかもしれないし、本当にかつての知り合いなのかもしれない。

 

「ところで、その六腕……とかいうのは強いんっすか?」

「ああ、全員がアダマンタイト級という話だ」

「貴女たちとどちらが強いのかしら?」

「やってみねえとわからねえが……フルメンバーなら俺らに分があるだろうな」

 

 新たなボトルに手をかけながらガガーランが推測する。蒼の薔薇フルメンバーと六腕全員。戦況を左右する要素は力量差だけではない。その日の体調を初め、魔力残量、武具の消耗具合、所有するマジックアイテムなどそれらは多岐にわたる。一般人や銅級冒険者相手ならいざ知らず、六腕ほど実力が拮抗する相手ならば何が起こるかわからない。ゆえに美姫に助力を要請しているのだから。それでもガガーランが自分たちが勝つと豪語するのは理由がある。〈死者復活(レイズデッド)〉すら使いこなすラキュース、そして蒼の薔薇最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイの存在だ。どんなに戦況が悪くても五分以上に持ち込めるだろう。その答えにナーベラルは横髪を掻き揚げ涼しげだった。

 

「ふうん、その程度なら楽勝ね」

「ははっ、言ってくれるじゃねえか。頼もしいねえ」

「油断は禁物。六腕はアンデッドすら有すると聞く」

「ん?」

「組織の長、〝闘鬼〟ゼロをはじめ〝踊る三日月刀(シミター)〟エドストレーム、〝空間斬〟ペシュリアン──」

「何ですって?」

 

 アンデッド? 空間斬? 捨て置けない単語が立て続けに語られる。そして決定的な瞬間が訪れる。

 

「──マルムヴィスト、そして〝不死王〟デイバーノック」

「不死……王!?」

 

 ルプスレギナとナーベラルが思わず立ち上がりテーブルを叩いた。勢いが良すぎたため杯やボトルがいくつか倒れテーブルを濡らす。零れ落ちる滴は血のように点々と絨毯を染め上げる。それすら気づかず二人は只々その美貌を驚愕に凍らせていた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「お願いします! アルファさん! どうかもう一度! もう一度だけでも出場を!」

「はあ、貴方も大概執念深い方ですね」

 

 目の前で土下座せん勢いで頭を下げる闘技場興行主(プロモーター)、オスクにユリ・アルファは思わず溜め息を吐いた。確かに彼には恩があるが、正直勘弁してほしい。前回の参戦で充分その元は取ったはずである。

 バハルス帝国を初めて訪れた際、何のコネクションも持たない姉妹はまずは国の権力者、貴族階級以上との繋がりを持とうと試みた。聞き込み調査によると帝国は数年前の大改革以降、鮮血帝ジルクニフによる専制君主制らしい。ならば彼の目に留まる必要がある。

 

「…………私に良い考えがある」

 

 自信満々のシズ・デルタが提案したのは闘技場への参加だ。聞くところによるとジルクニフは有能な人材ならば、貴族平民問わず取り立てるらしい。帝国最高権力者ならばアインズ・ウール・ゴウン、あるいはナザリック地下大墳墓に関する情報を持っているに違いない。ジルクニフの興味を惹くため、闘技場に飛び入り参加を決意した。その仲介を務めてくれたのがオスクだ。当初は発案者のシズが参加する気満々だったのだが、

 

「お嬢さん武器は何を……え? 飛び道具? それはいけない」

 

 まさかのNG。急遽ユリが代役で出場する羽目になってしまった。そこからが凄かった。飛び入り参加にも関わらず並み居る強豪を次々撃破。ユリの魅力は何も強さだけではない。黄金の姫に匹敵する麗しい美貌、そこからは想像もつかぬ拳一つで闘う潔い戦闘スタイル。これで人気がでないはずがない。観客に大いに受け、ユリは一躍脚光を浴び、スター選手にのし上がった。あまりの強さに生半可な剣闘士では相手にならず、ついには闘技場最強、武王ゴ・ギンとの対戦カードが組まれてしまう。結果はユリの勝利。今でもその試合は伝説の一戦として帝国民の語り草になっている。

 当初の目的を果たしたユリたちだが、オスクが金の卵をみすみす逃すはずがない。彼女が帝城の賓客扱いになっていると聞き、連日のように勧誘にやってきた。市街地の探索はシズに任せ、ユリがあえて行動範囲を城周辺に留めていたのはオスクの勧誘を躱すためでもあったのだ。だが何日経っても諦める気がなく、ラブコールは止む気配がない。いい加減、城の方々にも迷惑がかかるとユリは自らオスクの邸宅を訪問。話をつけに来たのだが。ティーカップから立ち昇っていた湯気がなくなってしばらく経つというのに、オスクに未だ諦める様子は皆無だった。

 

「選手が欲しいというのなら、後ろの()ではいけないのですか?」

「ッ──」

 

 オスクの背後に控えるラビットマンがビクッと身を震わせた。メイド装束に身を包んでいるが彼はれっきとした男。その正体は〝首狩り兎〟という二つ名を持つ一流の戦士兼暗殺者。ユリとしては階層守護者に似たような少年がいるので女装には特に疑問を抱かなかったが、首狩り兎からすればたまったものではない。初めて女装を見破られた上、「超級にやばい」と評する女に認識されてしまった。

 

(マーレ様……それにアーちゃん、今頃どうしているのでしょう)

 

 第六階層を元気に駆け回る闇妖精(ダークエルフ)の少女、そんな姉を半泣きで追いかける少年の姿が目に浮かぶようだ。ユリは我知らず微笑みを浮かべた。

 

(ひいぃ、見られてる! めちゃくちゃ見られてるよぉ!)

 

 そうとは知らない首狩り兎は自分に狙いを定められたと勘違いしてしまう。あまりの恐怖に全身が粟立った。一瞬良い考えだと思ったオスクだが、来期の契約を打ち切られてはたまらない。慌てて助け船を出す。

 

「あー、彼はそう、私の用心棒なのだよ。だから」

「そうです、あいにくとご主人様の側を離れる訳にはいかないんです」

「なるほど、ではその言葉をそっくりそのままお返ししましょう」

 

 ユリはソファーから立ち上がり、身を包むメイド装束を誇示するように胸を張る。神へ祈りを捧げるように左胸に手を当てた。

 

「この身の全ては──血の一滴から髪の毛一本に至るまで至高の御方々のためにあるのです」

 

 ユリの言葉一つ一つは力強い響きに満ちていた。そこには余人が入り込む隙など一切なかった。

 

「私は一刻も早くナザリックへと帰還しなければなりません。ですからこれ以上の闘技場への参加は不可能です、どうかご理解下さい」

「あ……う、む」

 

 何も言えないオスクを前にユリは応接室の扉に手を掛ける。

 

「では、これにて失礼します」

 

 ユリはゆっくりと扉を閉じた。その姿を黙したまま見送る。完全に見えなくなったことを確認すると首狩り兎は思い切り、息を吐いた。

 

「はあああ、怖かった……ねえ、もう諦めたら?」

「いや! 私は諦めん! 諦めんぞぉおお!」

 

 腹の贅肉を揺らしながらオスクは絶叫した。

 

「フンッ! ハァッ!!」

 

 回廊を歩くユリに威勢の良い声が届く。精巧な彫刻が施された白亜の柱とアーチが交差する向こう、中庭では一人のウォートロールがひたすら棍棒を振るっていた。帝国内にウォートロールなぞ一人しかいない。彼の名はゴ・ギン。帝国最強の武王──いや、先代武王だ。ゴ・ギンは脇目も振らず只々一心不乱に棒切れを振るう。綺麗に手入れされた芝生が棍棒の軌跡に合わせ土色に変化している。さぞや長時間鍛練に励んだのだろう。その真剣な眼差しが見据える先に誰がいるかなんて想像に難くない。

 

(邪魔をしては悪いですね)

 

 ユリは踵を返そうとするがその前にゴ・ギンが好敵手の存在に気づいた。

 

「おお、ユリ・アルファ殿!」

「申し訳ありません、お邪魔してしまいましたか」

「いや、構わない」

 

 ゴ・ギンは巨体を揺らしながらユリへと歩み寄る。その全身はびっしょりと汗に濡れていた。

 

「精が出ますね」

「ああ、目標は遠いからな」

「そのようなことは──」

「いや、貴方との力量差は闘った俺が一番よく理解している」

「…………」

 

 下手な嘘や謙遜は彼への侮辱だ。ユリは口を噤んだ。しばしの静寂が訪れる。先に沈黙を破ったのはゴ・ギンだった。

 

「……また俺と闘ってくれるか?」

「そうしたいのは山々ですが私には」

「わかっている」

 

 既にオスクからある程度ユリの事情を聞き及んでいるのだろう。ゴ・ギンは大きく頷いてみせた。

 

「貴方には何か為すべきことがあるのだろ? その後でいい」

「ッ──」

 

 目的を達成した後。これ即ちナザリック地下大墳墓に帰還した後であれば。至高の存在に許しをいただけるのなら何も問題はない。ユリは不敵な笑みを浮かべた。元来考えるよりも先に体が動くタイプだ。ゴ・ギンの愚直ながらも目標に向かい邁進する姿には好感を覚えており、彼との再戦それ自体は吝かではなかった。

 

「ええ、ではその暁には必ず」

「ふ、ふふ、その時が楽しみだ」

 

 どちらともなく互いに拳を突き出し合う。大人と子供以上の差もある二つの拳がカツンと軽く打ち合った。それきり言葉を交わすことなく。徐々に遠ざかる好敵手の背を見送ることなく、ゴ・ギンは再び棍棒を構えると黙々と鍛練に励んだ。

 

 

「もうこんな時間……早く帰らないと」

 

 オスクの熱弁は予想以上にユリを引き止めていたらしい。訪問の際には大分高い位置にあった太陽は見る影もなく、夜の闇には宝石箱をひっくり返したような星々が煌めいていた。ナザリック第六階層とは似て非なる満天。あまりの美しさに一瞬目を奪われてしまう。そんなユリに届いた〈伝言(メッセージ)〉。

 

「あら、シズ。丁度良いわ、今連絡しようと思って──え? 」

『────』

「……何ですって?」

 

 ユリの美貌が歪む。その表情は怒りで彩られていた。妹からの〈伝言(メッセージ)〉を切る。次の瞬間、ユリの姿が掻き消えた。音だけが響く。常人離れした脚力で石畳を蹴るとユリは瞬く間に赤い瓦屋根に到達。そのまま市街の屋根を飛び石に帝都の夜を駆け抜けた。

 

 


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