迷子のプレアデス   作:皇帝ペンギン

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第十八話

 その日、アベリオン丘陵が揺れた。大山鳴動す。立っていられないほどの揺れはまるでこの世の終わりを暗示するかのようであった。樹海の中心より咲き誇る異形の花。新生ザイトルクワエはまるで大きく()()をするかの如く全身の触手を振るう。ただそれだけだった。ザイトルクワエを中心に蜘蛛の巣状に地盤が沈下する。一本一本が大樹のような触手や根が嵐の如く吹き荒れた。大地は波打ち莫大な破壊力を秘めた衝撃波は数多の土塊を生み出した。土砂降りの雨が鋭利な鏃となって降り注ぐ。

 

「ユリ姉様、シズ!」

「ソーちゃん、エンちゃん!?」

 

 〈飛行(フライ)〉で咄嗟に宙に飛び出たナーベラル、ルプスレギナが各々姉妹へと手を伸ばす。突然のことに思考が追いつかない。無情にも伸ばした手は届かなかった。ユリが、ソリュシャンが、エントマがシズが土砂の向こうに消えていく。巻き上がる土煙が全てを覆い隠した。

 慌てて〈伝言(メッセージ)〉を送るが起動しない。ザイトルクワエが一種の通信妨害(ジャミング)を起こしているのかもしれないが、理屈などどうでも良かった。

 

「よくも──〈魔法最強化(マキシマイズマジック)──〉」

 

 ナーベラルの美貌が怒りに歪む。ありったけの能力上昇(バフ)をのせて全力の第八位階の雷撃を放った。青白い閃光がザイトルクワエを直撃した。並のモンスターであれば肉片すら残さず灰塵と化す一撃。されどザイトルクワエは健在だった。相性、レベル差、魔法耐性。考えられる要素は数あれど、この場で一番レベルの高いナーベラル最強の魔法でほぼ無傷。それは絶望と同義だった。

 

 

「ちっ……冗談じゃないわ」

 

 迫り来る新たな触手に舌打ちするナーベラルが〈次元跳躍(ディメンジョナル・ムーブ)〉を唱える。姉妹を回収し、早急にこの場を離脱してしまうおう。業腹だが致し方ない。一瞬で視界が切り替わり、はるか直上へと転移──するはずだった。ナーベラルの姿は変わらずそこにある。切り替わらない景色にナーベラルは狼狽した。

 

(転移出来ない! 〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉……!?)

 

 パァンと乾いた音が響く。ホワイトブリムを赤く染め、ナーベラルが力なく落下した。

 

「ナーちゃん!? この、クソやろうが!」

 

 ルプスレギナの金の双眸が見開かれる。怒り任せに火柱を放つ。されど今のザイトルクワエにとっては線香火花も同然。全く効果がなかった。返す触手がルプスレギナを薙ぎ払う。

 

「ぎゃっ──」

 

 血反吐を吐くルプスレギナが大きく弾き飛ばされる。トレントの死骸に強かに叩きつけられた。血の味が口内に広がる。追撃の触手が眼前に迫った。

 

「ッ──」

 

 ダメージが深すぎて立てない。躱せない。狼の形態をとる暇もない。

 

(こりゃあ、年貢の納め時ってやつかな)

 

 迫り来る風切音にルプスレギナが諦念からか不敵な笑みを浮かべた。

 

「〈能力向上〉〈能力超向上〉〈流水加速〉!」

 

 金髪が翻る。風と化したクレマンティーヌが寸でのところでルプスレギナの窮地を救う。そのままルプスレギナの襟首を掴みながら疾駆する。駆け抜け様に背後の大地が炸裂していった。一瞬でも速度を緩めれば即死だ。クレマンティーヌの額に珠のような汗が滲んでいた。

 

「おや〜、クーちゃんじゃないっすか」

「…………」

 

 必死の形相のクレマンティーヌは答えない。答える余裕がない。

 

「何してるっす? 千載一遇のチャンスじゃないすか」

 

 割れた頭から流れる血潮が思考を奪っているのだろう。ルプスレギナはぼんやりと見当違いなことを尋ねた。今までクレマンティーヌはルプスレギナによって激しく拷問され、こき使われてきた。散々辛酸も舐めたはず。いつか殺してやると陰ながら呟いていたのも知っている。

 

「ああ、そうだよ! 殺したいに決まってんだろ!」

 

 ならば何故だろう。不可解な行動だ。理解出来ない。人間とはなんて愚かな生き物だろうか。

 

「……アンタ達には借りがあるからね。私自身の手で殺さないと気がすまねえんだよ!」

「きひひ、それなら理解るっす」

 

 寝ぼけ眼のルプスレギナが覚醒する。

 

「そうっす、私のことよりナーちゃんが──」

「あん? そっちはあの野郎が何とかすんだろ」

 

 気を抜けば落ちそうになる意識を振り絞り、ルプスレギナが目を凝らす。昏倒したナーベラルを守るように青髪の剣士が立ちはだかっていた。

 

「ッ──」

 

 ブレイン・アングラウスは瞳を閉じ神経を研ぎ澄ます。不思議な気分だった。目の前にいる魔樹はあのナーベラルやルプスレギナすら歯牙にもかけない正真正銘の化け物。自分なぞあの触手の一本で撫でられただけで簡単に死ぬだろう。だのに今の自分には焦燥も悲壮もない。あるのはただ一つ、覚悟のみ。ブレインは居合の構えをとり、〈領域〉を展開する。雄叫びと共に鯉口を切った。

 

「──あああああ!」

 

(ストロノーフ! 借りるぞ、お前の技!)

 

「四光連斬!」

 

 〈領域〉と〈四光連斬〉を組み合わせた全く新しい武技。名前はまだない。極限まで研ぎ澄まされた一振りが生み出すは四つの斬撃。制振の利かない四の斬撃を〈領域〉にて無理やり従わせる。狙うはただ一点。四つの弧は触手の打点を正確に捉えた。

 

 鋭い風切音がブレインの左右を薙ぐ。ブレインと背後のナーベラルが伏す地を除き、周囲の地面が抉れていく。

 触手を斬ることは出来なくともその軌道を変えるくらいは出来る。奇跡の代償としてブレインの得物が中程から折れた。かなりの業物だったがブレインの技と触手のぶつかり合いには耐えきれなかったようだ。ブレインは折れた刀身に一瞬だけ寂しそうな視線を送るとナーベラルを抱き抱えて走り出す。腕の中でナーベラルが力なく抵抗した。

 

「下等生物如きが……私に触れるなんて……」

「ふっ、それくらい元気がありゃあ大丈夫だな」

 

 ブレインはクレマンティーヌの方を一瞥すると一目散に駆け出した。正直、この樹海を逃げ切れるとは思わない。それでも。仲間を守るためにブレインは走り続ける。誰かのために振るう剣がこんなにも清々しいとは思わなかった。たとえ一秒後に死んでも悔いはない。ブレインは本気でそう思った。

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 迫り来る暴虐の嵐。

 

 妹たちと合流する暇はない。最善策は自身のダメージを最小に抑えること。頭ではわかっている。だのに彼女は真逆の行動をとっていた。考えるよりもなお早く身体が勝手に動く。それこそは彼女が創造主たるやまいこより与えられた感情だった。

 

 

 

「大丈夫……ですか?」

「ユリ……様」

 

 レイナース・ロックブルズはあまりの光景に息を呑む。まだ自分が生きていることが信じられなかった。暴虐の嵐を隔てる細い体があった。美しい夜会巻きは解かれ、黒檀のような黒髪が風に舞っている。メイド服はそこかしこが破れ、彼女の血で鮮血に染まっていた。それでもユリは手甲を交差し、勇ましくも仁王立っている。他者を守るために。

 

 レイナースは顔を隠すのも忘れユリへと駆け寄る。黄色い膿んだ半面が露わになった。

 

「ユリ様、ユリ様! ああ、なんてこと」

 

「よかった……」

 

 レイナースが手を伸ばしかけた瞬間、鋭い一閃がユリの首を刎ねた。ユリの首が微笑みを称えたまま転がり落ちる。

 

「あ、ああ……あぁあああああ」

 

 恩人のあまりの末路にレイナースは力なく膝から崩れ落ちた。

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

「〈転移(テレポーテーション)〉……これもだめね」

 

 収納していたいくつもの巻物(スクロール)を試し、ソリュシャンは深く嘆息した。自分と同様に埃まみれ、傷だらけの亜人たちを振り返る。

 

「貴方たちはもういいわ。好きになさい」

「ソリュシャン様」

「それは一体……」

 

 ソリュシャンは亜人たちを切り捨てる。この場において最早彼らには何の価値もない。囮にすらならない。本能がうるさいくらいに警鐘を鳴らし続けている。逃げろ、逃げろ、逃げろ。

 

「……フン」

 

 笑ってしまう。何処に逃げろというのか。逃走経路は既に断たれた。転移も阻害されている。〈飛行(フライ)〉の使える姉妹の所在は知れず。

 

『また逃げるの? いいよー、逃げれば?』

 

 あの白黒女の見下した顔が目に浮かぶ。嘲笑う声が今にも聞こえてきそうだ。ソリュシャンは奥歯が砕けるほどに噛み締めた。

 姉妹を巻き込んだ責任を取らなければなるまい。相手は自分よりも遥かに格上。しかし二度目の敗走は誇りが許さない。それは創造主たるヘロヘロの顔に泥を塗る行為だ。

 

「行くわよ、エントマ」

「うん」

 

 エントマとて自負がある。ソリュシャンと全く同じ気持ちだった。エントマの割烹着の下が歪に膨らみ、蜘蛛の脚が次々に飛び出す。女郎蜘蛛を彷彿とさせる真の姿となったエントマにソリュシャンが飛び乗った。さあ跳び立とうとした時、亜人の何人かが声を上げる。獣身四足獣(ゾーオスティア)半人半獣(オルトロウス)蛇王(ナーガラージャ)など十戒と呼ばれし者たちだった。

 

 ヴィジャーがバトルアックスを背負う。

 

「……俺も戦うぞ。このままおめおめと逃げ帰っては“魔爪”の名折れよ」

「お供します」

 

「……勝手になさい」

 

 エントマ、亜人たちがそれぞれ異なる触手を駆け登る。文字通り虫けら扱いなのだろう、魔樹は奇声を発しながら時折り無造作に触手を振るうだけだった。狙いも何もない大振り。躱すのは容易い。細い触手──と言っても大樹ほどはある──から太い触手、腕、肩とエントマが駆け登る。敵の首筋まで登り詰めた。エントマの八つの目が蠢く。口から暗雲を吐き出した。蠅吐き。能力低下(デバフ)の効果を持つエントマ最大の奥の手。さらにソリュシャンは巻物にナイフを突き立てる。巻物を騙し本来暗殺者には使用不能な魔法を行使した。

 

「〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉〈魔法の矢(マジックアロー)〉〈電撃球(エレクトロ・スフィア)〉〈氷球(アイスボール)〉」

 

「武技〈魔爪〉!」

渇きの三叉槍(トライデント・オブ・デハイドレーション)よ、その力を示せ!」

「ええい、こうなればヤケじゃ! 喰らうがよい」

「はぁあああ」

「せいやっ」

「でぇええいっ」

 

 亜人たちも己が切り札を惜しみなく投入した。一子相伝の武技。魔法の武器。炎、雷、氷の騎士槍。特殊技術。種族特性。持てる全てをザイトルクワエへと出し尽くした。ダメ押しとばかりにソリュシャンが全身を粘液に変える。〈刺々侵毒(スパイン・ヴェノム)〉、体内で合成した特殊な溶解液だ。人ならば一瞬で溶解し骨まで残さないだろう。ザイトルクワエが白煙に包まれた。

 

「やったか!」

「ふっ、いくら此奴でもこれだけの猛攻の前には一溜りも……」

 

 亜人たちの顔が凍り付く。煙の向こう、はたしてザイトルクワエの顔面には傷ひとつついていなかった。

 

 無傷。

 

 純然たるレベル差が全てを無にきした。彼らが戦うにはあまりにも巨大過ぎた。

 

 

「いあいあいあいあいあいあいあいあ」

 

 ザイトルクワエは人間に似て非なる口を窄める。光が収束していく。甲高い不協和音が耳を劈いた。ソリュシャンは嫌な予感を覚えて絶叫を上げる。

 

「ここから離れなさい、早く!」

「ソリュシャン!?」

 

 ソリュシャンは咄嗟に両腕を粘体へと戻すと大きく跳躍。思い切り踏み締められたエントマは体勢を崩し、その場にへたり込んだ。ソリュシャンは腕を鞭のように伸ばすと周囲の亜人たちを薙ぎ払う。反動で亜人たちが宙へと放り出された。

 

「な、何するのぅ──」

 

 抗議の声を上げんとするエントマの顔が驚愕に染まる。ザイトルクワエから一条の光が放射された。赤い熱線はエントマの側を通過。直鎖状に大地を穿った。逃げ惑う亜人ひしめく地上が地獄の業火に包まれた。熱波がこちらまで伝わってくる。

 

「ソリュシャン!?」

 

 エントマが発狂する。ソリュシャンの腰から下だけが残されていた。やがて下半身は泥溜まりに変貌する。身体の水分の大半を持っていかれたソリュシャンは人型を保つ力すら残されていなかった。エントマが慌てて駆け寄り泥溜まりに覆いかぶさる。人が蟻を踏み潰すように、ザイトルクワエが触手をエントマへと振るった。

 

 炸裂音が響く。エントマを狙う触手が空中で軌道が逸れた。

 

 

「……やらせない」

 

 透明化で付近に潜んでいたのだろう。シズの銃口が火を吹いた。

 

「エントマ、ソリュシャンを連れて逃げて」

 

 次弾を装填しながら振り返りもせずにシズが告げる。シズのレベルは四十六。プレアデス中一番低い。しかしイコール最弱というわけではない。プレアデスはそれぞれ種族も職業もバラバラで異なる役割を持つ。シズは狙撃手であり後方支援、中、遠距離を担う。この場における役割が陽動だとシズは理解していた。

 

 シズは閃光弾を放つ。眩い閃光が迸り敵の視力を奪う。その隙にマフラーに触れる。シズのマフラーは不可視化に加え、短時間であれば不可知化も可能にした。一撃離脱。シズの姿が瞬時に消え失せる。

 

 ダメージは皆無に等しい。だがザイトルクワエを苛立たせるには十分だったようだ。顔の周りを小蝿が彷徨いている感覚に近いだろうか。触手がシズのいた場所を薙ぐが、シズは既に違う枝へと移動していた。魔銃を抱きしめながら大樹のような触手を駆け登る。

 

 ザイトルクワエの巨顔が耳まで裂ける笑みを見せた。

 

「ッ──」

 

 シズの小さな体に強い衝撃が走る。横殴りに吹っ飛ばされたシズはボールのように弾み、幹や枝に全身を打ち付けた。至高の存在より賜った鎧のおかげで何とか致命傷だけは間逃れた。シズは傷ついた体を起こしながら思考を回転させる。首筋のマフラーを確認した。まだ不可知化の効果は続いているはずなのに。シズはすぐさまその場を離脱する。

 

(……当てずっぽう?)

 

 不運なだけかと思ったが先刻とは打って変わり触手の動きは的確にシズを狙っていた。ある可能性に気づく。

 

「……欺瞞」

 

 ザイトルクワエは先の一撃はあえて外していたとしたら? シズの姿を見失った振りをしていた。まんまと敵の罠に嵌ってしまった。逃げるシズの右足を触手が絡めとる。そのまま力任せに宙に振り上げられた。左右から他の触手がシズを拘束する。上空に磔刑にされた。

 

「シズぅうう!」

「逃げ……て。来ては……ダメ……」

 

 エントマの追い縋る声にシズが苦しげな息を洩らす。自分以外の姉妹は全て一点ものだ。代えがきかない。対して自分には他のシズたちがいる。

 

(……私が壊れても代わりがいる)

 

 メキメキと関節が嫌な音を立てて軋む。シズのエメラルドグリーンの瞳が苦痛に歪む。

 

 

「…………博士…………モモン……ガさ……ま」

 

 自身の創物主たるガーネット。至高の支配者たるモモンガ。シズの消えゆく意識が最期に思い浮かべたのは研究室で優しげな笑みを浮かべる博士。そして玉座に坐す御方の姿だった。

 

「あ──」

 

 ゴキンと決定的な音が響く。シズの四肢があらぬ方向へと曲げられた。無理やりに引き千切られようとして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──〈魔法最強三重化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティスラッシュ)〉」

 

 

 

 

 はるか上空より飛来せし不可視の刃。三重の刃はシズを拘束していた触手を空間ごと斬り裂いた。

 

「え?」

「あ……あ、あ」

「嘘……」

 

 プレアデスは皆声にならなかった。

 

 具現化した死。死の神。それ以外どう表現出来ようか。金で縁取られた豪奢な黒衣。その下には肉も皮もない白亜の肋骨。伽藍堂の腹には真紅の宝玉が輝いている。傍らに浮かぶは黄金の笏丈。それぞれ色の違う宝玉を咥える七つの蛇が絡み合う。その腕はシズをシッカリと抱き抱えている。髑髏の相貌にともる灯が力強く燃え上がった。

 

 ここに死の支配者(オーバーロード)が降臨した。

 

 

 




次回、最終回です。
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