「評議国のツァインドルクス=ヴァイシオンに送る手紙のご確認を。」
ロウネは書き上げた手紙をジルクニフに渡した。
それは一口で言えば、一度うちに来て神王討伐についてのお話をしましょうと書かれたものだった。
女神がもうじき手に入る確信が持てたジルクニフはついに昨晩その手紙を書くよう指示を出したのだ。
「ふん。いいじゃないか。闘技場に行くついでに私がフロスト便で出してこよう。」
「かしこまりました。よろしくお願いいたします。」
やり切った顔をしているロウネは、頭の薄くなったジルクニフに頭を下げた。
その日、女神と英雄を闘技場へ連れて行く予定だったが、英雄は約束の部屋には来なかった。
「フラミー様、モモン殿はどうされたんですか?」
「…あの人はナザリックで謹慎です。替わりにアインズさんの腹心であるデミウルゴスさんが付きました。――デミウルゴスさん。」
少し不機嫌そうに応えた女神の後ろからは、聖王国を担当していると玉座の間で聞いた亜人が出てきた。
どうやって知ったかは解らないが、神王は早くも一手打ってきた。
モモンが今頃あのおぞましい王に罰せられているのかと思うと、枷を解かせようと少し急ぎ過ぎたことを心の中で謝罪した。
しかし国のために非情になれる男はすぐにそのことを頭から追い出した。
「どうも、エルニクス皇帝陛下。改めましてデミウルゴスです。」
「…これはどうも。デミウルゴス殿。」
悪魔は当たり前のように手袋をしたままの手を伸ばした。
ジルクニフは魔導国こそ上だと言外に言われながら、屈辱の中手を握り握手を交わした。
「…皇帝陛下のお持ちになっているそちらの書状。宛先は評議国の物ですか?」
デミウルゴスから向けられる極寒の視線の中、手紙の配送はついでに手配すれば良いなんて思ってしまった事を心底後悔した。
「はい。お茶会であまり話せませんでしたから。」
「そうですか。良ければ私がお手伝いいたしましょう。」
デミウルゴスはそう言って手を伸ばした。
「…それには及びませんとも。」
『そう遠慮せずに渡したまえ。』
この者は手紙の中身に勘付いているようだった。
「いえ。この様な些事をお任せするなど。」
「――なるほど、聞いた通りの方ですね。」そう言った視線は、まるで実験動物を見るようだとジルクニフは思った。「しかし、渡して頂ければ魔法で手紙を今すぐに渡せます。さぁ、お手伝いいたしましょう。」
魔法で今すぐ送れると言われてしまってはこれ以上逃れる事は難しい様に思えた。
震えそうになる手でそれを渡すと、デミウルゴスはパッと奪うように受け取り女神に跪いた。
「フラミー様。宛先はツァインドルクス=ヴァイシオンなのでご協力頂けますでしょうか?」
「良いですよ。<
「ありがとうございます。」
ニコニコと愉快そうなこの悪魔のような男は見てもいないのに、反乱に勘付いているようだった。
女神はしばし闇に上半身だけ入れると、顔を抜いた闇からは腕を組んだ鎧が現れた。
「皇帝が再び僕に何の用かな。」
「
ジルクニフはこの悪魔の前では計画を語ることはできない。
「いやいや、折角なのでどうぞこちらはお気になさらずあの日に話し損ねたことを存分に語って下さい。」
手紙を渡して帰らせれば良いだけなのに、わざわざここで話せと言ってくるあたりこいつは全て解って言っている。ジルクニフは確信した。
流石に神王の腹心なだけはある性格の悪さだ。
「どうしました?皇帝陛下。」
(不本意だが…バレている以上竜王を売って一度切り抜けるしかない…。反乱について黙っていて欲しければこちらに協力しようとアクションを起こすはずだし、とにかく先手を打たねば。)
ジルクニフは決意を固める。おそらくは今まで行ってきたどんなことよりも危険な尻尾切りの始まりだ。強さでは勝てない以上、知恵を総動員するしかない。
その覚悟が正面から、強くツァインドルクス=ヴァイシオンを直視する力へと変わる。
「ヴァイシオン殿。君は魔導国と神王陛下に心の底からお仕えしてはないんだろう。」
「そうだけど、それがどうかしたのかな?」
ジルクニフはニヤリとデミウルゴスを見た。
しかし、デミウルゴスは涼しそうな顔をしている。
評議国のスタンスは分かりきっているのか。
「…私は君が神王陛下と再びぶつかるつもりだと知っているよ。全く良くない事だ。」
「あら?ツアーさん、アインズさんとまた喧嘩ですか…?」
女神のセリフにジルクニフは既に何度かぶつかりあっていた事を初めて知った。
「いや。僕は今は取り敢えず喧嘩する予定はないよ。皇帝は何を言っているんだろうね。」
「そうですか!良かった。」
当然のように竜王はしらばっくれた。
デミウルゴスは面白そうにジルクニフの事を見ると、立っている女神の手を取ってソファの前に連れて行った。
「さぁ、フラミー様はお掛け下さい。皇帝とツアーの話は長くなりそうですから。」
「あ、ありがとうございます。ジルクニフさん、こちらは気にせずにどうぞ!」
闘技場見学楽しみですね〜とフラミーは楽しげに笑った。
(気にせずに…。この悪魔のような男がいる間はそんな事できるはずがない…。)
神王派に属しているこの様子では未だ女神の枷は外れてはいないだろうし――そうか。
竜王に枷の情報は伝えておくべきだ。
「竜王。私は重大な秘密を握っているんだが、それは帝国と評議国の為になる物だとはっきりと言える。帝国に協力してはくれないか。」
ピキッと部屋中の空気が固まったようだった。
鎧に目などありはしないのにこちらを睨みつけている視線の軌跡がジルクニフには見えた。
「協力してくれるなら、秘密は君のものだ。」
「…竜王を脅す者がアインズ以外にいるとはね。まったく恐れ入るよ。」
竜王も神王に脅されている――この情報はもっと早く欲しかった。
力を蓄えているのではなく、竜王は弱味を握られていた為に神王へ挑めなかったのか。
自分の大きな読み違いにジルクニフは頭を掻いた。
「…それで、君は僕にその秘密をもって何を望むのかな。」
「神王に再び挑んでくれ。」
鎧は腕を組んだ。
「それだけは聞けない。まぁ聞いたとしても僕じゃ敵わないけれどね。」
「しかし、私は女神の助けが入らないように出来るぞ!」
フラミーは首を傾げ、デミウルゴスは面白そうに少し笑った。
「ジルクニフさん、アインズさんを傷付ける様な事をするなら、私は命をかけて戦います。あの人の存在が私の存在理由です。」
「解っております。フラミー様、あなた様を縛り付けるその枷を外し、神王を滅する為なら私はこの身を捧げ――」
ビンッとジルクニフの顔の脇になにかが飛んでいくと、頬からツツ…と血が流れた。
一体何が?とゆっくり振り返ると、そこにはフラミーが投げつけた白い杖が壁に突き刺さって揺れていた。
「滅するなんて二度と言わないで。」
女神は明らかに怒っていた。あれ程離れたがっていたと言うのに。
「し、しかし…一生このまま神王に縛られていて良いのですか!枷は解かれるのですよ!!」
「…縛られてて良いです。第一これは枷じゃなくて…祝福です。」
フラミーはジルクニフの下へ進むと、それを通り越して杖を壁からズボッと引き抜いた。
「お互いが自分の人生なんて、良いじゃないですか。」
背後から聞こえたしみじみと幸せに浸るような声にジルクニフは背を汗が流れたのを感じた。
再び席に戻っていく女神の背を見ながら、ジルクニフは心の中で愛妾に悪態をついた。
(ロクシー!お前はこの二人の間に愛はないと前に言い切っていたが、やはり神々は愛し合っていたじゃないか!いや、ではモモンは!?…まさか…生まれた時から面倒を見ていた――タダの可愛い息子か…!!)
全ての人間関係を読み違えていた事にようやく気がついた。不自然につかまされ続けた情報にめまいがする。
あの時モモンは自分達の関係はそんなじゃないと言い続けていたのは照れ隠しではなく、まっすぐそのままの意味だったのだ。
母の前でそんな話をするなと咎められていたのかと知るとジルクニフは頭を掻きむしった。
「ではフラミー様はこのまま神王が斃れるときに共に消滅する身のままでいいのですか!」
ジルクニフは最後の希望に縋った。
頼むからそれは嫌だと言ってくれ。
「良いです。万一の時は一緒に死にます。でもあの人は決して死にません。私が死んでも、あの人は守ります。」
(最悪だ…。)
神々の枷の秘密に迫ったと言うのに、解かれるべき対象に裏切る気がないなら、こんな秘密には何の価値も無い。
それを神王がわざわざ隠そうと振舞っていたのは帝国のような反乱分子を見つけ出すためか。
もはや竜王に渡せる有益な物は何もなくなった事にジルクニフは頭を抱えた。
するとデミウルゴスは勝手に手紙を開いて取り出すとニヤリと笑った。
「これは、明らかにアインズ様と魔導国への叛逆の内容ですね。こんな物を書くなんて全くいけない皇帝です。」
フラミーがこの世界の文字を読めるデミウルゴスに感心していると、その両肩にはポンと手が置かれた。
見知った大量の指輪がはまる骨の指にフラミーは恥ずかしくなって下を見た。
「エルニクス。お前はある意味いい奴だな。この人にここまで言わせる事ができるとは感心するよ。いや、ここ数日君には感謝し通しだとも。」
「神王…陛下…。」
突如闇から現れた存在にジルクニフは顔を青くした。
アインズはフラミーを持ち上げて抱えると、フラミーの座っていたソファに座り直した。
「それで?私達の秘密をもって、お前はなにを望む。今日の私は機嫌がいいからいくつか叶えてやってもいいぞ。」
「…秘密は今後も反乱分子の炙り出しに使う気か…。」
「はははは。反乱分子を黙らせるためにも脅されよう。さぁ、望みを言え。エルニクス。」
お気に入りの羽を撫でるアインズは上機嫌だった。
「…っく…。アンデッドの…。せめてアンデッドのいない我が国を実現させろ…!」
アインズはキョトンとした。
あんなにアンデッドを増やして欲しがっていたのに突然何を言い出したのだろう。
「お前はアンデッドが大好きだろう?まぁ良い。おい、デミウルゴス。」
デミウルゴスは嬉々として頭を下げた。
「それでは、帝国は本日をもって国としての歴史に幕を閉じる、という事で宜しいですね。これで皇帝の持つ国からアンデッドはいなくなります。」
「ん?あ、え?あ、そうだな。そうだ。」
ジルクニフはドサリと膝をついた。
「そんな…最初から…最初からそのつもりで…!」
最初から神王の手の中で踊らされ続けていた事に気が付いたが、もう遅かった。
「支配者のお茶会……ふ……ふふ……何の意味がと思っていたが…これが……帝国こそが狙いだったのか……。」
神王はしらばっくれたような雰囲気だが、隣に立つデミウルゴスの顔は全てを物語っていた。
まんまと踊り続けてしまった。
女神もモモンもあの無垢さだったのだから、何も知らずに神王のあの手に操られて来たのだろう。
こちらが全ての人間関係を読み違えるように絶妙に渡された数々の情報。
盤上の全ての一手に意味があり、一片たりともジルクニフが付け入る隙はなかった。
デミウルゴスはツアーへ顔を向けるとヒラヒラとジルクニフの手紙を見せた。
読めもしない手紙だが、一連の皇帝の様子とアインズの動きを配下の
慎重な皇帝に叛逆の証拠を生み出させる為に開かれたであろうお茶会からの計画はこれで実を結んだ。
皇帝の動きを、アインズ以外の誰がこうなるように仕向けられるだろう。
そしてフラミーはすぐに顔にでるし、演技はできないだろうと味方である至高の四十一人からまず欺き操ったその手腕は、デミウルゴスには決して真似できるものではない。
最初から全てが茶番だったという証拠に、昨晩で始原の魔法をもつ事を知る者の捜査は唐突に打ち切りになったと聞いた。
打ち切り後も僕達が必死にありもしない情報を探しているのが哀れで、デミウルゴスは代わりに主人の真意を伝えたのだった。
フラミーにそう思い込ませる為に言っただけに過ぎないと。
(全く恐ろしいお方ですね。)
デミウルゴスは振っていた手紙をツアーに渡した。
この竜は常に世界征服に懐疑的だが、この状況と思い込みなら――
「ツアー。帝国は今後神聖魔導国となりますが、異論はありませんね?」
「これは…やれやれ。ただ、大丈夫なんだろうね。」
「もちろんですよ。エルニクス皇帝陛下、いえ。バハルス州知事エルニクス殿。誰かにヒミツを話すような事があれば、あなたの大好きな竜王はここを美しく整地します。ツアーこれで良いでしょう。」
「君は本当に邪悪だね。エルニクス、悪いがそう言うことだよ。」
ジルクニフの歯を噛みしめる音がギリッと響いた。
デミウルゴスとツアーの言を聞くとアインズは愉快そうに笑い声をあげた。
「ははは。そうだな。エルニクス。お前には州知事として働いてもらおう。ここでお前を殺さない意味がわかるな?」
ジルクニフは恐怖の中首を傾げた。
「なんだ?お前は賢いとアルベドに聞いていたがな。お前は私の事を、お前のように裏切る者がいないかしっかりと監視しろ。私は今から特殊な魔法をこの地域に掛ける。お前が裏切ったと私が判断したら、即座にお前も、ここに生きる者達も死ぬ魔法だ。お前は苦悩を得るだろう。」
(そんな魔法はないのでしょう、アインズ様。)
これで不信心者ばかりの帝国もこの元皇帝が働き、無血のまま魔導国にふさわしい場所になる。
アインズは言うべき事は全て言ったと言う態度でゆっくり立ち上がった。
フラミーを大切そうに抱えたアインズを、ジルクニフは苦悩に満ちた目で見つめていた。
「そうそう、我が国の神官達にはこう伝えておこう。お前は誰よりも信心深い男だとな。」
デミウルゴスとジルクニフは背を震わせた。
ツルクニフーーー!!!!
御身と皇帝は勘違いし合ったまま終わるんかい!!!
次回 #44 閑話 長期謹慎処分
閑話ちゃん12時更新ですねぇ!
2019..07.10 まるごとりんご様、誤字の修正をありがとうございます!助かっております\(//∇//)\