カルサナス出発数日前。
アインズは踊りを何とか身に染み込ませると、恐怖公から休憩の許可が出た。
どの世界にゴキブリにダンスを教わり、休みを管理される者がいるのだろう。
アインズは言いようが無い感情に襲われるが、抑制される前にそれらを全て飲み込んだ。それしかないのであれば、そうするほかないのだから。
練習がステップアップしていく中で、今ではフラミーと日々踊っていたが、踊り以外では触れ合っていないし、同じく休憩に入ったフラミーに会いに行きたいところだが――
「まずは風呂だ。」
本番と同じ条件の練習が始まっている為、アインズは人の身で踊っていた。
フラミーは「汚いおじさん」と言う生き物を嫌っているため清潔を心掛けなければいけない。
それに、アインズは風呂が好きだった。
人の身は代謝するので風呂の入り甲斐があるし、自分でも洗える為三助の三吉君に手伝わせる必要もない。
真っ直ぐスパリゾート・ナザリックへ向かいながら、やっぱり風呂はこうでなくちゃと胸を弾ませていると、スパの入り口前に同じく休憩に入ったデミウルゴスとパンドラズ・アクターがいた。
扉に手をかけていた二人はアインズの気配を察知し、すぐに廊下で跪いた。
「父上!」「アインズ様!」
「なんだ。お前達も風呂か。」
「は。フラミー様のお手を取るのにむさ苦しいのも如何なものかと。」
「…良い心がけだ。フラミーさんは汚いおじさんと言う生き物を心底嫌っているからな。」
デミウルゴスとパンドラズ・アクターは僅かに背を震わせた。
「ところで、この風呂の会に私も参加してもいいかな?」
「「もちろんでございます!」」
アインズは二人のいい返事を聞くと男湯の脱衣所へ踏み入れた。
中ではメイド達が隅から隅まで、脱衣籠の
全員の瞳が扉へ収束するように動いて、アインズを捉える。
「「「これはアインズ様!!」」」
開口一番全員が同じ言葉を投げかけてくる。
「なんだ?休館日だったか?」
「とんでもございません!お使い下さいませ!」
メイド達は掃除の手を止めると流れるような動きで一列に控えだした。これまで足運びであるとかに興味はなかったが、ダンスのレッスンを続けたアインズはそのメイド達の洗練された動きを数秒眺めた。
メイド服がふわりと翻る。黒いお仕着せの中には白いレースでできたペチコートが見え隠れし、この服をデザインしたホワイトブリムの並々ならぬ情熱を感じる。きっとこういう風に動いた時に美しい事を期待し、彼はこれらを作り上げたのだろう。
彼がこれを見たら、それはそれは興奮するに違いないなとアインズは思う。
(――ん?)
そして、一つの疑問が過ぎった。
メイド達は手を前で軽く合わせ、動く様子がない。つまり、出て行く様子がないのだ。
出ていくように声をかけようかと思うが、仕事を途中で中断させられては可哀想か。ならば場所を変えようかなと思っていると――何の違和感も持たないのか男性守護者は自分の脱衣カゴを決めそれぞれネクタイを引っ張り始めた。
「――い、いやちょっと待て!!」
アインズは慌てて二人のネクタイに触れる手を握りしめた。
「ア、アインズ様如何なさいましたか?」
「父上?」
「お前達…やっぱりスパはやめだ…。」
二人はネクタイに触れたままポカンとアインズの手とアインズを交互に眺めた。
「…二人とも私の部屋の風呂に来なさい。」
アインズはそう言うとデミウルゴスのネクタイをキュキュっと引き上げた。
デミウルゴスは元から緩めにネクタイをしているし、シャツも割と開けている為、はだけ方がパンドラズ・アクターの比じゃなかった。
「こ、これはアインズ様…恐れ入ります…。」
アインズは隣でワクワクと「早く自分も」という雰囲気を出し続ける息子のネクタイもキュッと締め直した。
「さぁこれでいい。」
「ンンンン父上!!ありがとうございます!!」
アインズは花を撒き散らかす息子に鎮静されながら、左手の薬指にはまる指輪をトントン叩くと転移して行った。
支配者のいなくなった脱衣所でメイド達は少し赤くした顔を見合わせた。
「「「「「「公式供給キターーー!!」」」」」」
それは雄叫びだった。
「爽やか!!爽やかすぎるタッチ!!!」
「そんな事をされてはデミウルゴス様は!!パンドラズ・アクター様は!!!」
「んんん!甘酸っぱい!!」
「デミウルゴス様のネクタイに触れられた時の、あの戸惑い!!」
「悪魔だというのになんと言ういじらしさ!!」
「はぁ〜尊い、尊いが尊くて尊い。」
メイド達は一通り盛り上がるといつもより更にスピーディに仕事をこなし大急ぎで
アインズは自室の風呂、と言っても銭湯よりも広いような風呂で人の身をわしわしと洗っていた。左右ではそれぞれ誘った二人も体を洗っている。
(あぁ〜こすれる感覚もたまんないなぁ…。)
老廃物が体からなくなっていくのを感じる。やはり人として生まれたからか、人の身は良いものだ。
「父上、お背中お流しいたしましょう。」
体から頭まで一つの石鹸で済ませたパンドラズ・アクターにそう言われるとアインズは思わず顔を綻ばせた。
「そうか、洗ってくれるか。」
アインズの背後に回ったパンドラズ・アクターは泡泡なタオルをそっとアインズに当てた。
「では、失礼しまして。」
背中を程よい力加減でタオルが上下に行き来する。
パンドラズ・アクターはダンスの練習で流れている歌をふんふんと歌い、首筋から腕へと移動し、まるでアイテムを磨くが如く指の一本一本に至るまで洗い出した。
気持ちがいいからまぁ良いかと任せていると、風呂の端にある木箱のようなところからぴょこりと青色の
「――ん、三吉君。気にするな。今日は人の身だ。」
そう言われると三吉君は再び家に戻り、入口からアインズが洗われる様子を眺めた。いいなぁと。
「あれは?」
体を流し終わった様子のデミウルゴスは初めて見る者を捉えた。
「あれは骨の時の私の体を洗わせているサファイアスライムの三吉君だ。骨の時は一本一本洗うのが面倒でな。」
「ンンン父上!!それでしたら、このパンドラズ・アクターがいつでも参りますものを!!」
「い、いや…腰骨や骨盤の中も洗わせるから…お前には頼めん…。」
アインズは足にかけてあるタオルへ軽く視線を落とした。
「私でしたら、そのスライム――三吉君よりも父上のお身体を熟知しております!!是非私に御身を磨く栄を!!」
そうは言っても骨盤に開いている閉鎖孔の辺りなどを人の形をしている者に任せることなどできないし、毎日息子と二人で風呂に入ることも精神的に厳しい。アインズはザバァと己の身を流すとタオルを前に当て湯船に向かった。
「私は三吉君にこそこの仕事はふさわしいと思っているのだ。」
「し、しかし…。」
「しかしもカカシもない。それとも、お前は私が与えた宝物殿の管理者よりも自室の風呂場の管理者の方が良いとでも思うのか。」
それを聞くとパンドラズ・アクターは猛烈な勢いで首を振った。
「そのような事は決してございません!!」
「そうだろう。」
軽く体に掛け湯をするとアインズはザバァ…と身を浸した。
二人も一定のパーソナルスペースを確保し――パンドラズ・アクターは若干アインズに近く――座った。
「はぁ…たまらん…。やはり風呂はいいな。骨身に沁みる…。」
リアルではスチームバスしか入れなかったというのに、入れるとなると全身を湯船に浸からせたくなるものだ。
金の蛇口の先に水滴が膨らみ、やがて重力に引かれてぴたーんと澄んだ音をもって大理石の床に落ちた。
額に汗をにじませたデミウルゴスが熱っぽい息を吐き出す。
「ふぅ…耐性をカットして入る湯というのは格別でございますね。」
「全くだ…。」
三人は風呂を堪能した。
しばらく浸かっていると、誰かに呼ばれる感覚にアインズはこめかみに触れた。
「――私だ。」
『私です!』
二人とも私と応える詐欺のような状況だが、アインズは相手が誰だか分かると顔を綻ばせた。
「フラミーさん。どうかしましたか?」
『あの、カルサナスで着るドレスのご相談をしようかな…って。それで、良かったら私の部屋に――』
「行きます。すぐ行きます。」
食い気味だった。
『わぁ良かった!待ってますね!』
何が起きたのかすぐに理解した男性守護者はすぐに風呂を上がる準備を始めた。
「すまないな。私は行く。しかし、お前達は好きなだけ入っていなさい。」
「よ、よろしいのですか…?」
「宜しい宜しい。のぼせないようにな。」
「父上。休憩終了までどうぞたっぷりお勤めください。」
「…いや、違う。違うぞ。」
アインズは何故自分の息子だと言うのにこうも開けっぴろげなんだろうと頭を悩ませるとそそくさと風呂を上がってフラミーの部屋へ向かった。
「どうします?デミウルゴス様。」
「せっかくアインズ様のお部屋にいる御許可を頂いたのだから、もう少し――」
「いえ、これ、飲まれます?」
「…私はたまに君についていけないよ。」
デミウルゴスが眉間を押さえる横で、パンドラズ・アクターは自分の持つ空間から瓶を取り出し、湯を入れた。
「…飲むのかい?」
「いえ、こちらは宝物殿へしまっておく分です。」
あっけらかんと言い放つと、蓋をし再び自分の空間へしまった。
男性守護者はしばらく経ってからアインズの出汁を上がると、アインズの執務室でメイドが盛り上がっている声に首を傾げた。
「君達、御身のお部屋で何をしているんだ。」
扉を開けると、机の上には大量の書類が無造作に載っていた。
「で、デミウルゴス様!?パンドラズ・アクター様!?」
メイド達はアインズが立ち去り割と時間も経っていたし、守護者も当然指輪で転移して帰っていると思い込んでいた。
この二人は転移の指輪を着けることを許されているのだ。
「…なんですか?これは。アインズ様の執務の書類ならこのような扱いは――」
デミウルゴスは机の上に散らばる紙を拾い上げると、硬直した。
「ん?デミウルゴス様、何ですか?」
パンドラズ・アクターも近寄って手元のそれを覗き込むと、あぁと声を漏らしてうんうん頷いていた。
「やはり父上が人化するようになってからは人の身の御身とデミウルゴス様が定番ですね。以前は断然玉姦がメイドのお嬢様達の中では流行っていたようですが。」
「こ……これは…これは…。」
デミウルゴスは余りにも不敬なそのイラストの数々に目眩を覚えた。
「骨に擦り付けるのもありましたが、やはりいれるというのは大事な――。」
「パンドラズ・アクター!君は何を言っているんだ!!」
デミウルゴスは当たり前のように謎の言葉を話し始めたパンドラズ・アクターのジャケットを掴み上げ額に青筋を立てた。
パンドラズ・アクターは人差し指と親指を合わせて円を作り、その中にもう片方の人差し指を入れていた。
「デミウルゴス様が父上を愛していても何の不思議もないことでしょう。」
「アインズ様を敬愛していてもこのような不敬を働くほど私は落ちていない!」
バンッとイラストを叩くとデミウルゴスはそれを放った。
「デ、デミウルゴス様!申し訳ありませんでした!!」
メイド達は急ぎ大不敬イラストを回収していくと頭を下げ、デミウルゴスはメイドの手の中で整頓された書類を奪い取ると全員を睥睨した。
「君達もあまり御身に不敬な真似をすれば殺しますよ。」
「「「「も、申し訳ありませんでした…。」」」」
「まったくこんな…。」
デミウルゴスは書類に目を落とすと、しばらくそれを眺めた。
「…これは私が処分します。」
メイド達が反省の面持ちで頭を下げるとデミウルゴスはそのまま自分の階層へ転移して行った。
「まぁ仕方ないでしょう。デミウルゴス様は父上にもフラミー様にも一方通行プラトニックラブですから。」
「そうですね…。」
メイド達は取られてしまった新刊のラフが火山に放り込まれる様を幻視して泣いた。
デミウルゴスはメイドの想像通り火山に大不敬祭りを放り投げた。
ぶちぶちと文句を言いながら赤熱神殿にある自室へ帰ると、机の上に乗っているフラミーと昔撮った写真をしばらく眺めた。
満足すると机の引き出しを開け、空の写真立てを取り出す。
「これはまぁ不敬ではないですね。」
一枚だけ残された、アインズにネクタイを結ばれるデミウルゴスのイラストは写真立てに入れられ机に飾られた。
それを悪魔達とメイド達が発見するまであと数時間。
アインズはドレスルームの扉の前に座り、これかこれかこれかこれかこれかこれか……と無限に続くフラミーのファッションショーをほやほやした気持ちで眺めていた。
「それともこっちですか?」
「はは。可愛いです。フラミーさん。」
どれを見てもアインズはそれしか言わなかったが、毎回フラミーは顔を赤らめて嬉しそうに笑った。