「ツアー…。これがお前だって言うのか…。」
「はじめましてだね。アインズ。」
アインズは外の悲鳴を無視してバルコニーの手すりに手をついた。
「…強そうじゃないか。」
「強いよ。少なくとも守護神達よりはね。ははは。」
竜の身から上がるツアーの笑い声は低く、体の芯を震わせるようで心地よかった。
「フラミーさんの持ってるそれは…?」
フラミーの手には水晶の刀身を持つ煌びやかな剣があった。ただ、それは斬るには向いていないような形状だ。
「わかっているだろう。アインズ。八欲王の空中都市を支える、ぎるど武器だ。あっちには三十人の従属神がいるから、なるべく早く破壊してくれると助かるよ。」
「気前がいいじゃないか…世界の守護者様は…。しかし、三十人のNPCの話は初耳だぞ…一体どういう事なんだ…。」
「彼らはこれを破壊しないという約束と引き換えに、決して都市を出ず、世界に影響を与えないという誓いを立てたから見逃してきたんだよ。これに衝撃が加わると彼らにはすぐに伝わるらしいが…従属神は破壊と同時に消滅するんだからこんな話も君には関係ないだろう。」
「…お前なぁ…。まぁいい。――フラミーさん、今はまだそれを壊さないでください。」
「アインズさん…?」
「生きたNPCがいるって事は拠点もこれまでと違って完璧に生きてるって事です。お宝収集しなきゃもったいないですし、NPCの実験もしなくちゃいけません。今は壊さないで下さい。」
「そ、それはそうですけど…。」
アインズは困惑しているフラミーの手から剣を捥ぎ取り、パンドラズ・アクターに放り投げた。
本当はアイテムの回収やNPCの実験よりも、フラミーを戦わせないと決めていた為力を持たせる事を恐れた。
今は
「ツアー、アレは今後俺が管理しても良いか。」
「…壊して良いと思ってフラミーに渡したんだ。好きにすると良いよ。ただ、空中都市の者達に返すような真似は絶対にしないでくれるね。」
「ああ、約束する。お前は今日から自由に生きてくれ。そんな体があるのに穴蔵から鎧をぴこぴこ操作してるだけなんて、もったいないじゃないか。」
アインズのいつもよりずっと若い声で漏れる笑いに儚さを感じるのは何故だろうとツアーは思った。
「パンドラズ・アクター。お前はそれを一度宝物殿最奥に置いて――」
地を――星を突き破る爆音が響き、ガタガタと激しい揺れに見舞われると、全員が遠くの夜空へ視線をやった。
空には巨大な黒竜が怒りに荒れ狂っている姿があり、それは真っ直ぐアインズを見てから咆哮した。
アインズはこの景色を見たことがあると確信する。
竜の谷からこれほどの距離があると言うのに空気はビリビリと震えていた。
世界中の人々が家の外へ出て、遠くに小さく見える恐ろしい存在を目にした。
「神王陛下!?あ、あれは!?」
バルコニーの下からカベリアがジルクニフと共に見上げていた。
「…私達は行く。あぁ、そうだエルニクス。お前の呪いはこの時をもって消えた。明日の街の案内だが――また、機会があったら頼む。」
「へ、へいか!?」
アインズはフラミーを見ると笑った。
「フラミーさん、ごめん。」
「え?」
「<
腕輪を輝かせ適当な始原の力を乗せながら唱えられた呪文はフラミーの意識を瞬時に奪った。
倒れるフラミーをアインズは抱き止め、この約二年の記憶が、この三ヶ月のフラミーの笑顔が自分の頭からひとつでも溢れてしまわないように一度目を閉じる。
「あ、アインズ様!本当にフラミー様をおいていかれるのですか!?」
「アルベド。それがこの人と…この子の為だろう。お前達も言っていたじゃないか。私がいなくなる時には世継ぎを残せと。」
「そ、そんな!!アインズ様は一体何をお考えなのですか!!」
「何も考えてない。だからこそこうする。どうなるか私にはわからないんだ。本当に。」
「…アインズ様をもってして…お分かりにならないことがあると言うのですか…。」
月光を反射して輝くツアーはアインズとフラミーの様子をじっと見た。
「アインズ、後悔するんじゃないか?」
「後悔したくないから、私は――いや。今は時間がない。」
パンドラズ・アクターがギルド武器を宝物殿にしまい、急いで戻って来たのを確認すると、アインズはパンドラズ・アクターとデミウルゴスを手招いた。
「パンドラズ・アクター、お前は万一私が死んだ時に私を復活させろ。しかし、私は始原の魔法に身を染めユグドラシルの法則を超えた。最悪ユグドラシルの力が届かない可能性もある。その時にはお前はパンドラズ・アクターの名を捨て、アインズ・ウール・ゴウンを名乗ってこの人のそばで生きろ。」
「ち、父上、そんな、できません!!」
「出来るはずだ。お前の神の望みを叶えろ。」
パンドラズ・アクターは絶句した。
「返事は。」
「………
アインズは帽子越しに自分の最高傑作の頭を撫でた。
「デミウルゴスよ、そうは言ったが、いつかはそれもバレるだろう。その時には…、どうか…お前が、この人を敬愛ではなく愛してやってくれ…。いつも…いつも本当にすまない…。」
「…アインズ様。あれがそれ程までに強いというなら、今から皆で逃げ、再び眠りにつくのを待つのではダメなのですか…。」
「ナザリックが発見されて竜の谷のようにでもされてみろ…。それに将来に禍根は残すべきじゃない。あれは結局いつかは起きるんだ。せっかく見えた将来だ。この人の初めての家族を…守りたいじゃないか。」
アインズは笑うと、デミウルゴスにゆっくりフラミーを渡して、静かに眠る額を愛しげに撫でた。
「…お前達二人はフラミーさんとナザリックへ戻りヴィクティムと共に防衛に勤めろ。さぁもう行け。」
二人は泣いていた。
生き残れと言われるくらいなら共に死ねと言われたかった。
しかしナザリックの未来は未だ、二人の手の中にある。
「必ず…必ずお戻りください!!」
手を挙げるアインズを何度も振り返りながら、二人は
共に来るアルベド、シャルティア、マーレ、アウラ、コキュートス、セバス――そしてツアーにアインズは頭を下げた。
「すまない。自分の為だけに生かす者を決めた…。許してくれとは言えん。どうか…お前達の命を、俺にくれ…。」
「何言ってんですか!アインズ様!最初っからあたし達はそのつもりで生きてきたんですよ!」
アウラは初めて会った時と変わらない向日葵のような笑顔でそう言った。
「そ、そうです!いつだって、今までだってそうして来たじゃないですか!」
いつも頼りなげなマーレの瞳の光は男らしかった。
「御身ノ為ナラバ喜ンデ盾トナリマショウ。」
コキュートスが吐いた冷気が熱を持つように広がっていく。
「これでやっとアインズ様が始原の魔法で作るアイテムの素材が手に入るわけでありんすねぇ。」
シャルティアの高笑いは勝利の確信だ。
「お世継ぎ様にお父上様が居ないというのは頂けません。それに、いつかは私もお望み通り見事に種族の壁を超えて見せましょう。その時には、どうか御身に名付けをお願いしたいところでございます。」
セバスはツアレを思い出したのか、少し気恥ずかしそうに笑った。
「僕は死ぬ気は無いよ。君も、強大な力を持つであろう君の子供も監督しなきゃいけないんだ。」
ツアーは巨大な瞳をアインズへ向け、二人は視線を交わした。
「アインズ様。私達は御身が在り続ける限り、決して一人たりとも欠ける事はございません。さぁ、参りましょう。」
酒宴会で言った言葉を再び繰り返したアルベドは絶対支配者へ手を伸ばした。
「お前達がいれば、百人力だな。」
その手を取ると、アインズは人の身を燃やすように
近隣各国の空には映像が流されていた。
デミウルゴスとパンドラズ・アクターの指揮の下、オーレオール・オメガとシズ、ニグレドの全ての力をもって映し出されるそれは――現在進行形の神話だった。
浮かび上がる映像越しに見える激しい戦いに合わせて、衝撃に地と空気は激しく揺れている。
竜王国の王城からは黒竜の姿も、白金の竜の姿も見えていた。
「嫌だ!!私は行かんぞ!!アインズ殿!!アインズ殿があそこにいるんだ!!」
「女王陛下!!いい加減にしてください!!神王陛下なら必ずあれを討ち取ります!!映像はここじゃなくても見られますから!!」
「嫌だ!!嫌だ!!!少しでも近くに――」
宰相はドラウディロンの顔を激しく打ち叩いた。パンっと乾いた音が響く。
ドラウディロンは放心したようにじん…と熱を持つ頬に触れた。
「早く!!我々は国民の避難だってさせなきゃいけないんですよ!!」
「――っうっ…っこんな、こんな戦いを愛する者が行っているのに…私は逃げなきゃいけないのか…!っうぅ…アインズ…アインズ殿…。」
懺悔のような声に宰相は唇を噛んだ。
「…クライム、神王陛下は…勝ちますよね…?」
クライムの腕の中で過ごしていたラナーは初めて感じる恐れに肩を震わせた。二人はベッドから窓の外、空に映し出されている驚異の映像に照らし出されていた。
「ラナー様…。必ず陛下は勝ちます。陛下方の神話には…あんな竜よりも余程…余程強大な者たちが出てきていました…。」
「しかし…光神陛下もいらっしゃらなくて…。」
「今はお一人ですが、私はあの神王陛下が敗れる所など想像できません。」
クライムは真っ直ぐな青い瞳で空へ視線を注いだ。
日々の優しいまぐわいの中、ラナーはほんの少しその身の邪悪さを削がれたようだった。
守護者達に守られながら突貫した従属神のロンギヌスは届いたが、効果を発動させる事はなかった。
一撃で従属神が殺されると、落ちたロンギヌスはボロボロになったアルベドの手に拾われた。
「アインズ様!!」
「くそが!!
アインズはツアーの語る、始原の魔法の最も激しく鋭利な力を持つ魔法の使い方に必死に耳を傾けていた。
「行けそうか!!アインズ!!」
「ま、待ってくれ!――集中しろ…集中するんだ……。」
一人で≪
かと言ってここにいる全員を殺す覚悟で使用し、万一それが相手に届かなければゲームオーバーだ。
位階魔法は長い時に育てられてきた規格外に硬い鱗を前にかすり傷しか残さない。
『若僧。よくもここまで好きにさせたものだな。』
怒りを発する声は地獄の底から聞こえてくるようで、低く、深く、空気を震わせる。まるで神が話しているのではないかとすら錯覚させた。
「アインズはそんなに悪くはない存在だよ。
『ぬかしおる。竜王達は始原の力を奪われ、今やただのトカゲに成り下がった。全てはお前の責任だ。』
「そう、僕の責任だ。僕があの日アインズ達を襲ったせいだと分かっている!僕は責任を取ってアインズと世界を守ろう。その為にも常闇、悪いが君にアインズを殺させはしない!!」
ツアーは言い切ると、巨体でドンッと地を蹴り自分の倍はあろうかと言う巨大な竜王に摑みかかり喉笛に食らいついた。
『痒くも無いわ。お前のようなものは最早世界に必要ないだろう。』
その巨竜は、竜と龍の中間のような存在だった。
ツアーは長い尻尾でひねり上げられると、その身が散り散りに引き裂かれる様を幻視した。
「っぐっ!!うおおぉぉぁああ!!!」
久々に感じる痛みの中ツアーは無様に叫んだ。
『死ね。若僧。お前も、お前の父も間違いすぎた。』
「ツアー!!!くそ!!<
アインズが目に向かって放った魔法は閉じられた瞼に傷を付け、ツアーを締め上げる力を少し奪った。
「アッアインズ!!構うな!!始原の魔法を!!早く!!っぐうぅ!」
「お前ごと撃てるか!!」
「なっ!?君は何を言っているんだ!?僕は、君達を殺そうとしたんだぞ!!!」
アインズは一瞬だけ躊躇したが、ツアーよりも大切な者たちがぼろぼろになって肩を抱き合い自分を見上げる姿を目にすると、心の中でツアーに謝罪した。
「必ず、必ず生き返らせると約束する!!お前はもう俺の友達なんだろ!!!」
ツアーは笑ったようだった。
『邪悪なる者との友情ごっこか。泣かせるな。』
常闇の首にかかる青い鳥のようなアイテムがキラリと光ると真夜中だと言うのに空は白く輝いた。
「こ、これは!?まさかそれは…
「気を取られるな!!アイ――ッガ――」
言い切る前に口を左右から掴まれたツアーは二つに引き裂かれた。
『死ねと言っただろう。』
その手からはダラリとぶら下がる友の変わり果てた姿があった。
アインズの目の前にはバチリと火花が散った。
ツアーは好きじゃなかったが、嫌いでもなかった。
最初はこの綺麗な世界を守ってきた竜王と聞いて尊敬すらしていたのだ。
世界中の歪んだカルマを持った者達が貫かれ悲鳴を上げる。
アインズは体の中の湧き上がる力を一つ一つ掴み上げながら、ツアーの遺体に黙祷し、ナザリックには
「冷静になれ。俺たちの家には――フラミーさんには届かない!!!」
流れる落ちる星の中アインズはドラウディロンの腕輪を輝かせた。
「常闇!!お前の存在は危険すぎる!!!ここで散れ!!!」
アインズの手にその魂から引き出した全ての力が集まると、それは弓の形になった。
ユグドラシルの力も、始原の力も、全てを乗せる。
竜王と友の遺体に向かって引き絞り、アインズはこれで自分はきっと――想像もつかぬ程の長い長い眠りにつく事になると骨の目に涙を流した。
次回 #54 あなたの死
やだあああああああ!!!!!