#9 天空城地表
「き…綺麗…。」
天空城――そこは神秘の場所だった。
現地の者たちに空中都市や浮遊都市と呼ばれているだけあって、城の周りには小さな家が建ち並んでいる。ざっと百軒と言ったところか。
どの建物にも蔦が絡まり、道には花が咲き乱れていて、ゴーレム達が忙しなく動き回っては植物の管理を行っていた。
小さな家々がナザリックの第九階層スイートルームと同じ役割を持っているであろうことは容易に想像がつく。
どの家の入り口にもキャラクター名のような表札がかかっていて、恐らく仲のいい者同士で近くに家を建てて過ごしていたのだろう。
あちらこちらに大きな池とそれを繋ぐ川があり、恐ろしさを感じる程に透き通ったそれは低レベルの自動ポップだと思われる、大人の人間程度の大きさの魚たちが泳いでいる。
池の水は城の外へとごうごうと流れ落ちて行き、虹が架かっていた。
フラミーはこれを壊してしまうのかと心底勿体無く思った。
三人は天空城に僅かにも踏み入れずに様子を見ていた。
町の中心に建つ城は来るものを拒む様子も無く、その入り口を開いているが、向こうも本気で待ち構えているに違いなかった。
「パンドラズ・アクター。さぁ、いつものを。」
「畏まりました。」
パンドラズ・アクターは不可知化の中心であるフラミーと手を離さぬよう気を付けながら、ミノタウロスの王国へ行った時と同じように――アインズ・ウール・ゴウンの目と呼ばれたぬーぼーの姿へと変身した。
するとやはりどこを見てもトラップが張り巡らされていて、一番手薄に見えるところは近くにある透明な池だった。
「…父上、あちらの池の中に城へ続く道があるようです。転移や僕の召喚トラップが掛けられている様子はありません。しかし…恐らくエヌピーシーが一体。レベルは百を行っているかと。」
「そうか。取り敢えず試しに行ってみるか。」
三人は頷きあうとパンドラズ・アクターの指差した方へ向かって飛んだ。
池の中では巨大な蛇に鳥の羽を大量に付け足したような歪んだ生き物が泳いでいた。
水に脚を浸す直前、フラミーはピタリと立ち止まった。
「あ…あぁ…私、ごめんなさい、戦いに行けないかも…。」
アインズは申し訳なさそうにするその顔を覗き込んだ。
「どうしました?怖くなっちゃった?」
「ううん。私、多分呼吸しないでいられないんです…。」
あまりにも初歩的な回答にアインズは確かにと思った。骨の身で暮らして長い。当然のように無呼吸で水の中に入れるつもりでいた。
「あ、そうか。じゃあ、俺ちょっと無力化させて来ますから、待っててくださいね。」
「はひ、ごめんなさい。」
「良いんですよ。その方が俺は本当は安心する。」
綺麗すぎるギルド拠点のせいか、アインズは柄にもなくフラミーの手を骨の口元にそっと寄せ、口付けるようにした。
手を離すとその身は途端に見えなくなる。
池に波紋が広がると大蛇は猛烈な勢いで水面に向かって泳ぎだした。
パンドラズ・アクターがフラミーを連れて少し離れると、水の中に数度閃光が迸り、大蛇はプカリと池に浮いた。
姿を現したままのアインズは池を上がり、痺れたようにビビビと震える大蛇の上に乗ると少し考える。
(…NPCの起源に触れてみるか。従属神はできたんだからな…。)
腕輪を光らせたアインズは大蛇の記憶を開いた。
この守護者が過ごした五百年の孤独を遡り――
スルシャーナと竜王達への激しい憎悪を遡り――
プレイヤーが書いたであろう設定を遡り――
ついにギルド名と製作者の情報に辿り着く。
ギルド名をアインズ・ウール・ゴウンに書き換えることは危険だ。ナザリックの拠点レベルを超え、向こうが崩壊する可能性がある。
痺れから目覚めようとしているのか大蛇は意志を持って動き出した。
アインズは急ぎギルド名と製作者の部分に消しゴムをかけるように魔法を使う。
全てを消すと、途端にNPCはパンッと光の粒となって消え去り、掴み取ろうとしたアインズの手は空を切った。
見たこともないその現象はとても普通の死には見えなかった。
「なっ…!!NPCは根源を書き換えると消えてしまうのか…!?」
拠点レベルとの繋がりを失ったNPCは存在出来ないと思い至ると、アインズは途端に恐ろしくなった。
「パンドラ…パンドラズ・アクター!いるか!!いるのか!!」
「父上!いかがなさいましたか!!」
すぐに姿を現したぬーぼーの姿の息子の腕を引っ張ると抱きしめた。
「お前達は繊細だ…危険すぎる…。私は恐ろしい事に気が付いた。」
「父上、一体何が…?」
パンドラズ・アクターが偉大な父の珍しい姿を慰めるように、背へ手を当てると、フラミーも滲み出て来た。
「アインズさんどうしたんですか…?」
「フラミーさん。<
「えっ!?そ、それって…。」
「NPCは<
アインズとフラミーは頷き合った。
「帰ってくださいズアちゃん。何かあったら呼びますから。」
「フラミー様!?それでは護衛が一人も――。」
「私、力はないけど本当は強いですよ。」
ぷにっと萌えに鍛えられたギルドメンバーは恐らくNPCよりも強いだろう。
「行け。」
「行きません!!私は二度と常闇の過ちを繰り返さないと誓ったのです!!父上がお強いのは分かっておりますが、フラミー様は必ず守り抜かねば…!!」
アインズとフラミーは目を見合わせた。
これまで自分達の傷ばかり気にして、守護者の痛みを癒そうとはしてこなかった。
「…そうか。では共に来なさい。ただし、もし相手が<
「………フラミー様を置いては逃げません。」
パンドラズ・アクターは珍しく頑なだった。
「じゃあこれを抱えて逃げろ。フラミーさんも協力してくれますね。」
「分かりました。一緒に逃げますから、必ず逃げて下さい。」
パンドラズ・アクターはようやく深々と頭を下げ、三人は手を繋ぎ直し不可知化した。
心の中でやれやれ、とアインズは呟いたが――同時にパンドラズ・アクターの忠誠の在り処に骨の顔を緩めた。
「行くか。」
アインズが人化し大きく息を吸うと、フラミーも息を吸って鼻を摘んだ。
パンドラズ・アクターはぬーぼーの姿から骨のアインズに変わった。
三人は池に飛び込むと入り口のように見える水中の門へ向かって<
コポコポと水中特有の音が耳に響く。
空から降り注ぐ光は水の中をまっすぐ帯状に照らし幻想的だった。そこは深く、どこまでも碧い。
周りには低レベルな魚達が泳いでいるが、不可知化しているため寄ってくる気配はない。
ちらりとフラミーを見ると限界がかなり近いのかゴボゴボと空気を吐き出し始めていた。
アインズは手を離さぬままフラミーの後頭部を包むように片手で触れる。
そのまま引き寄せると口を繋ぎ、肺に入れて来た空気を渡した。
口の隙間からコポリと空気の泡が上がって行くと、二人は少し顔を赤くした。
入り口に入ると、上り階段があり光に揺らめく水面が見える。
アインズも人の身の限界を感じ始め、無詠唱化した<
「「っはぁ!!」」
二人は肩で息をすると、呼吸を探知したのか開いていた入り口の門は降りた。
そこはだだっ広い薄暗い廊下だった。
骨のパンドラズ・アクターはまるで何ともないと言う風にちゃぷんと骨の頭を水面から出した。
アインズは這い上がるように水を出ると、フラミーの事も水から引きずり出す。
パンドラズ・アクターも手を離さないようにフラミーの上がるスピードに合わせて水から上がった。
「はぁ…はぁ…お、思ったより…人って苦しいな…。」
濡れた前髪を後ろに送りながら呟いたアインズに、フラミーもパンドラズ・アクターもおかしそうに笑った。
NPC達は羽の生えた歪んだ大蛇が消える様子をじっと見ていた。
長い髪をなびかせる天使、サナは興奮した様子で叫んだ。
「テスカ!早くククルカンを起こして!!スルシャーナがまた不可知化したわ!」
「…だ、だめだ…。復活の管理コンソールにでない…。」
スーツを纏い、刀を脇にさす男、守護者のまとめ役として生み出されたテスカは震える手でそれを見ていた。
「………出ない?生きてる?」
呟いたのはこの城の情報全てを司り、世界一つに匹敵すると言われる本を抱えた少女――イツァムナーだ。
「違う…ククルカンの存在そのものがないんだ…。」
「どういう事なの!?他の十五人は、まだ生きてるのよね?」
「あぁ、生きてる。何の連絡もないが確かにギルドコンソールの一覧に名前がある…。でも、でもククルカンだけはどこにも見当たらない…。」
NPC達は絶句していた。
「………計画にはまだ問題はない。」
「…ククルカンの事は後で考えましょう。イツァムナーの言う通り、計画にはまだ支障はないもの。私は――絶対にスルシャーナを許さない。」
サナの瞳は後悔と憎しみに濁っていた。
竜王討伐の映像が流れた日から、生きながらに死んでいたNPC達の時間は再び動き出した。
「あのツァインドルクス=ヴァイシオンが引き裂かれた!!」
五百年の長きに渡って望み続けたその時に全員が歓声を上げた。
「武器を!ギルド武器を取り返しに行きましょう!」
人間の青年の見た目をした、着流し姿のキイチが声を上げるとNPC達は続々と立ち上がる。
するとテスカは苦しそうに声を絞り出した。
「ダメだ……いけない…。」
「何でですか!五百年も待ったのに!!」
「キイチ…落ち着いてくれ…。ツァインドルクス=ヴァイシオンはどうせすぐに蘇る。それにツァインドルクス=ヴァイシオンより弱いとはいえ、向こうにも竜王はいるんだぞ。」
謎の光に撃たれた者も多くいるのだ。この状態は圧倒的に戦力不足だった。
全員が沈痛な顔をする中、サナだけは納得できないと言わんばかりだった。
「…テスカはこのままでいいと思っているの…。」
「そんな事あるわけないだろう。今は兎に角、流星に撃たれた者の回復だ。そのあとツァインドルクス=ヴァイシオンが復活したかを確認、そして――何より一番大切なのはスルシャーナが復活を受け入れた理由だ。さぁ、皆はじめよう。」
NPC達は行動を開始した。
それから数日が経つと、イツァムナーは動ける全NPCを招集した。
守護領域によっては動けなかったり、その場を離れられない者もいるため、そこには二十人程度が集まった。
「………法国はどうやっても覗けなかったけど………見て。評議国。」
全員が
「やっぱり復活したのね…。ツァインドルクス=ヴァイシオン…!」
サナからは色を持つような憎悪が溢れ出し、瞳は誰よりも鋭かった。
「………力の喪失を感じさせない。始原の魔法で復活してる。」
「あの時評議国へ行かなかったのが正解なのか僕にはわかりません…。」
イツァムナーの漏らした竜王の情報にキイチはがっくりと肩を落とした。
「待て皆!何かが来た!」
テスカの叫びに話し合いを始めて騒ついていた全員が鏡へ視線を向けなおす。
「スルシャーナ!」「スルシャーナだよ!」
二足歩行の猫のような姿の双子がぴょんぴょんと跳ねた。
――次の瞬間、空中に深淵が出来る。
ぽっかりとした黒い穴は何もかもを吸い込みそうな、漆黒の色をたたえていた。
「な、なに…?」
瞬間、サナの呟きに呼ばれたかのようにそれは爆発した。
激しい闇の力の応酬を前に拠点の一部が吹き飛び、NPC達は皆が重傷を負った。
特に鏡の近くにいた者達は瀕死だ。
「………う……うぅ……。」
痛みに這いつくばる者や動くことすらできない者。死屍累々だった。
「な、なんてこと!?だめよ!!目を覚ましてイツァムナー!!」
「天使の皆さん、お願いします!!」
慌てて天使達が仲間を回復すると、空間には日本語が浮かんだ。
『監視魔法の発動を確認。この場の者を敵対者と見なし反撃を行う。』
「スルシャーナがくる!!全員備えろ!!」
テスカの叫びに全員が身構え、防御力の低いものを庇うように戦士職のサナは一歩前へ出た。
「………」
部屋には重たい沈黙が流れる。
「な…何も起こらない…?」
サナが盾を下ろすと、それに倣うように次々と防御は解除されて行った。
「すごすぎますね…。」
「………でも、マスター達はあれを一度は葬ってる。」
「きっとスルシャーナは再びここに戦いを挑みに来るわ。絶対に…もう一度殺してやる…!」
「サナ、そう怖い顔をするな。皆、スルシャーナが来たら捕らえるんだ。復活を受け入れた過程を吐かせる。そうしたら――――俺達はきっとマスター達と再び出会えるよ。」
テスカの言葉にNPC達の瞳は強く輝いた。