数日前の氷結牢獄。
「…キイチ、ごめん。俺は先に出る。」
廃人のようになった仲間はチラリとテスカを見ると可笑しそうに笑った。
「行くぞ。キイチは後で初期化できるか試す。」
「かしこまりました。」
殺さずにいてくれるのだから慈悲深い。テスカは新しい主人二名に深々と頭を下げた。
するとガシャン!ガシャン!と牢に何かがぶつかる音がし、主人達とともに音の方へ視線をやった。
「テスカ行くの!」「テスカも行っちゃうの!」
「あぁ。ケットシー、ニッセ。向こうで落ち着いたらイツァムナーと同じように少し顔を出させて貰えるか聞いてみるから。」
イツァムナーは見たこともない装備に身を包んで、上司になったと言う
恐らく図書館にテスカが行く事はそうないだろうが、どこで働くか知っているのといないのでは、何となく安心感が違う。
新天地は未知に溢れている。
「テスカ。この猫達はフラミーさんを傷付けたからこれが最期の別れだ。お前を送ったら消去する。」
「「え!?」」
テスカは慈悲深い神の言葉に思わず大きな声を出した。そしてすぐに不敬だと口を押さえた。
神の決定に口を出すなんて――
「アインズさん待ってください!」
間違っていると思ったが、この主人だけは許される。
「どうしました?拷問してから消去がいいですか?」
「わわわ、ふらみーさま!」「ふらみーさま!!」
猫達は怯えたように牢から小さな肉球のついた手を伸ばしフラミーのローブを触ろうと何度も手を動かした。
「大丈夫だよ。私がお願いしてあげるからね。」
フラミーはその手を握り牢の前に座ると格子越しに二匹を抱き寄せた。
「おい!ケットシー、ニッセ。お前達不敬だぞ!!」
すっかり不敬警察として出来上がったテスカは格子の中に手を入れ一匹の首根っこを掴み引き剥がそうとするが――八十レベルまで下がったその身に、未だ百レベルの猫を引き剥がす事はできなかった。
「セバス様!ご助力願います!」
控えているセバスを呼ぶと、セバスはどうしたものかとアインズとフラミーを交互に見た。
「フラミーさん、こいつらのやった事は常闇程ではないですけど、それに準じますよ。」
「でも、この子達は…私…私――」
アインズは忌々しそうにフラミーに縋り付く猫達を見た。
「わ!!フラミー様逃げて下さい!」「フラミー様まであいんずさんに殺されちゃう!」
二匹は見当違いな心配を始めると今度はフニフニとフラミーを押し始めた。
絶対支配者の"あいんずさん"に逆らったのだ。早く逃げてもらわなければ。
「えぇ?殺されないよ。」
「ちょ!お前達どこ押してんだ!!フラミーさんも早く離れなさい!」
フラミーがアインズに引っ張られて立ち上がると牢から短すぎる腕の猫パンチが繰り出され、氷結牢獄の騒がしさは過去最高だった。
「逃げて!フラミー様!!」「早く早く!!」
当たるような位置にいないが当たれば恐らく相当痛いだろう。
下手なものが食らえば死ぬほどに。なんと言っても百レベルの猫パンチだ。
この猫達もギルド武器をアインズが持っていると知っているのにこの騒ぎようだ。
「ふふ、可愛いなぁ。お手してるみたい。」
フラミーが猫を真似てアインズの胸に手首だけを動かす獣のような手付きでパンチをすると、アインズは顔にパチンと手を当て「ッウ…」と謎の声を漏らした。
「…フラミーさん、ペットにしますか?」
セバスはペットと言うナザリックで最も尊き地位に不敬を働いた猫達が付くのかと驚きながら様子を眺めた。
「はい!私が責任持ってお世話しますから!」
「…飽きたらデミウルゴスに皮として提供するか。」
「でみうるごす!!!」「でみうるごす!!!」
相変わらず騒がしい猫達の記憶を開こうとフラミーから離れると、猫達は目にも止まらぬ速さで牢の端に逃げていった。
「…お前達フラミーさんと暮らしたいならこっちに来い。」
「おいでおいで!怖くないからおいで!」
来い来いするフラミーはまた牢の前に座ると格子から手を伸ばした。
アインズを視界に入れたまま猫達は戻ってくるとフラミーに縋った。
「…まぁ、可愛いっちゃ可愛いか…。<
腕輪を輝かせて記憶を開くと、二匹は目を見開いて呆然と口を開けた。
テスカへ行ったように二十レベル分奪い、忠誠を書き込んでいく。
イツァムナーになぜ最初ああもうまく行かなかったのか謎だ。
テスカは祈るようにその様子を見ていた。
フラミーは空いてる猫の口の中に指を入れて面白そうにザラザラした舌を触っていた。
「…何やってんですか?」
「私猫って本物初めて見たんですけど、こんなベロなんだなぁって思って。」
「ははは。そうですか。」
アインズは記憶を閉じた。
その瞬間我に返った猫の口はしまり、フラミーの指はカプリと噛まれた。
「あぅっ。」
「んぁ!ふらみーはま!
すぐ様開けられた口からフラミーは噛まれた指を抜いた。
「……やっぱりこいつら殺すか。」
「僕たち殺されてもいい!」「死ぬために生きてるの!」
突然始まった殉職モードに支配者たちは目を見合わせた。
「え!アインズさん!何書き込んだんですか!!」
「うわ、だめだこいつら!忠誠の捧げ方が間違ってる!!」
アインズは慌ててもう一度記憶を開くが、プレイヤーに殺されて以来、五百年死ぬために生きてきたと言う記憶を奪えば今の猫達と違う猫になってしまう気がした。
「…や、やっぱり…やめておくか…。」
触らずそのまま記憶を閉じる。
「フラミー様の力になる!」「僕たちの命をあげます!」
「えぇ、あ、あの…どうしましょう…。」
「あー…お前達。フラミーさんのペットになるんだからフラミーさんが飽きるまで長生きしろよ。」
アインズがもふもふの塊を撫でるともふもふ達は驚きに目を見開いた。
「あいんずさん様…!」「僕たちが生きる事を望むの…!」
少しおつむの足りない猫達に眩暈を覚えるとセバスを手招く。
「こいつらを教育しろ。セバス。お前の采配に任せる…。」
「かしこまりました。でしたら、仕事を覚えさせる為にも執事助手の下にさらなる助手として付けましょう。」
「助手助手ですね!」
猫達も冷たく寂しいその場所を後にした。
「にゃんちゃんにゃんちゃん。可愛いねぇ。」
フラミーは第九階層の廊下で掃除をしていた猫達を見つけると手招いた。
ちゃんとお世話すると言っておきながら、すっかりエクレア任せだった。
聖王国羊の赤ん坊も飽きればスクロールにすればいいと言う程度のレベルの生き物への興味なのだ。
「フラミー様!!」「フラミー様!!」
猫達は近くで自分に仕事を教えていたエクレアに毛ばたきを叩きつけるように渡すとフラミーに寄ってきた。
エクレアは弱いため痛みに悶えている。
「あ!またエクレア君虐めたの!メッ!!」
「ごめんなさい。」「でもあいつはちょっとおかしいです。」
猫達にあいつ呼ばわりされる上司を回復すると二匹と手をつないだ。
二匹の背丈はフラミーが真っ直ぐ立った時、下ろした手に頭がギリギリ触れるか触れないかくらいの背丈だ。
「エクレア君、ちょっと二匹借りていきますね。」
「畏まりました。その者達は私のナザリック簒奪計画に必要不可欠な者ですのでお手柔らかに。」
毛を逆立てている猫達の手を引いてフラミーは宝物殿に飛んだ。
眩いまでの金貨の山に迎えられる。
「ズアちゃーん。ちょっとお邪魔していいですかー?」
ここの所パンドラズ・アクターはエリュエンティウの宝物殿から回収した宝の整理をしていることが多く、ズボッとすぐさま宝から顔を出した。
「これはフラミー様!いらっしゃいま――せ。その猫達は本当に生き延びているんですねぇ。」
不愉快そうに猫達を眺めると、フラミーは怯えたような猫を一匹抱き上げた。
「よいしょっ。可愛いでしょう。ふふふ。」
顔をニッセにグリグリ埋めるとパンドラズ・アクターはじっとその様子を見た。
「この猫達は不敬でございます。御身を傷付けたことがある者など。」
フラミーに抱っこされているニッセの首根っこを掴み、借りてきた猫状態になったそれを黒い穴で睨んだ。
「次にあんなことをしたら、流石の私でも殺しますよ。」
「「ご、ごめんなさい…。」」
フラミーはケットシーと繋いでいた手を離すとどこだっけなぁと呟きながら宝物殿をうろつき始めた。
「何かお探しですか?」
「はひ。水鉄砲がどこかにあったんですよねぇ。」
「お待ち下さい。」
パンドラズ・アクターは心得たとばかりにすぐ様イベントアイテムの水鉄砲を取りに行った。
イベント時には色のついた水を入れて至高の四十一人総出のサバゲー大会をしたらしい。
少し待つとパンドラズ・アクターは水鉄砲を数丁持って戻ってきた。
「お待たせいたしました!ご説明いたします!こちらのコンパクトな物はLugerと言いフラミー様の小さな手にぴったりかと。こちらのFR-F2は遠くにいる者にも――」
「はい、じゃあこれとこれ貸してあげるね。」
「えっ!!」
説明もそこそこにフラミーは水鉄砲を猫達に与えてしまった。
猫達はフラミーを傷つけた事もあり武器を取り上げられているというのに。
「良いんですか!」「すごいすごい!!」
「…フラミー様。この者達は御身を撃ち抜いたのですよ。」
パンドラズ・アクターは四本の指を銃のような形にするとフラミーの傷付いた頬をツツ…と撫でた後に穴の空いていた耳に触れた。
「ん…ズアちゃん、怖い思いさせてごめんなさい。」
フラミーは顔の横の手を包むと少し顔を擦りつけた。
パンドラズ・アクターはエリュエンティウの宝物殿の時のように暫くその様子を見つめ――こめかみに触れた。
「父上。パンドラズ・アクターでございます。今フラミー様が猫達にアイテムをお与えになりました。宝物殿でございます。」
息子の連絡を受けたアインズはキリのいい所まで執務を行うと猫に甘いフラミーを注意する言葉を考えつつ、パンドラズ・アクターのいる応接セットが置かれている部屋へ向かって宝物殿にある薄暗い廊下を歩いていた。
今ではすっかりパンドラズ・アクターの自室となった場所が目前になると、奥から騒がしい声が聞こえ、少しだけ足取りが早くなる。
「キャー!!」「やりましたね!!」「これでトドメです!」「命乞いをしろ!」
さらに近付くとそこからは物騒すぎる声が聞こえ、アインズは慌てて杖を引き抜き走り出す。
「――嘘だろ!嘘だろ!!嘘だろ!!!」
記憶の書き換えなどしても、所詮はアインズ・ウール・ゴウンの者によって生み出されたNPCではなかったのだ。アインズの骨の身には起こらないはずの嫌な動悸が走り、その足取りを早める。
もつれそうになる足を前へ前へと進め、暗く長い廊下が終わる頃――真っ白な壁の待合室に視界が一瞬ホワイトアウトしかけるが、骨の身がそれを許さない。
「フラミーさん!!」
飛び込むように中を覗くと――猫の姿になったパンドラズ・アクター、スモールライトで小さくなった様子のフラミー、猫達が呆然とこちらへ視線を送っていた。
全員びしょびしょで、その手には水鉄砲が握られていた。
アインズはあまりの安堵に腰が抜けかけ――
「いや、もっと早く呼べよ!!」
ちびっ子軍団に突撃した。