巨大な薔薇窓から微かに朝日が差し込み始めた神都大聖堂。
神官達は夜明けと共に歌い、祈り、掃除をしていた。
ステンドグラスから漏れ落ちる光に照らされる中、神々は降臨した。
最も降臨頻度が高いここの神官達はエ・ランテルの神官達のように騒めいたりはしない。
皆が静かに、全ての挙動に注意しながらゆっくりと頭を下げると、神が口を開くまでジッと待った。
「面を上げよ。」
その声はどこか怒りが滲んでいるようだった。
畏れずにはいられない神官達の頭を上げるスピードはいつもよりも更に遅く、まるでコマ送りの映像のようだ。
「ここに全神官を呼べ。休日の者もだ。一切の例外は認めん。」
誰が行くのかと目を見合わせる中、かつて火の神官長を名乗っていたベレニス・ナグア・サンティニが一歩前へ出、頭を下げてから大神殿へ向けて歩み出した。
足音を立てないよう、早すぎないよう、遅すぎないよう気を付ける後ろ姿は誰が見ても緊張の真っ只中だ。
重厚な大扉がバタン…と閉まる音が大聖堂中に深く響き渡った。
神々は手を取り合い向かい合うと、何かを小声で話し始めた。
神官達は身じろぎひとつせず、他の神官や神官長達が来る事をただただ待つ。
皆が掃除途中の為掃除用具を抱えている。
一体どれほど時間が経っただろうか。
十分。三十分。一時間。
神官達は時間の感覚を失い始めていた。
神々の声だけが僅かに響く静寂の大聖堂で、自分の呼吸が妙にうるさく聞こえる。
あの会話を聞く事ができれば世界の根幹と神秘に触れる事ができるだろう――。
「最初の頃、人の身で食事した直後に骨に戻るとザラッと漏れ出ちゃうんじゃないかハラハラしたもんですよ。」
「そう言えばどうなってるんですか?消えちゃうんですか?」
「消えちゃってます。食欲や満腹感と合わせて。もったいないよなぁ。」
「でもトイレに行きたいのに行けない時は便利じゃないですか!」
「あ、本当ですね!通勤してた時にこの体欲しかったなぁ。」
「「はははは。」」
確かに神秘だった。
ごちゃごちゃと下らない話をして時間を潰していると、大扉に付いている小さなドアが細く開き、サンティニが戻る。
「全神官を集めて参りました。」
アインズは途端に真面目な顔をした。
いや、表情を読ませない為に骨で来たので何も変わらないが。
「入れろ。」
サンティニの入った扉ではない、大神殿と大聖堂を繋ぐ巨大な観音開きの扉が開いて行く。
総勢数百名の神官達が綺麗な列をなして入ってくる。
軍隊やそれ用の訓練を受けていない為歩調は合っていない。
足音が揃う事がない為衣擦れの音がザワザワと響く様子はむしろこの場に相応しい。
掃除用具を手にしたままだった神官達も動き出し、それぞれ自分が行くべき場所へ向かう。
並び切ると、神官達は一斉に跪拝した。
アインズはこれだけの人数が集まったと言うのに随分早かったと感心する。
「よく来たな。今日はお前達に二点話がある。」
心酔する神官達は耳を澄ませた。
「まず一点目だ。竜王国のドラウディロン・オーリウクルスが私の下に嫁ぐという話だが――」
話かけだと言うのに、神官達は僅かに騒めいた。
「――騒々しいぞ。後で質疑応答の時間を設けてやるから今は聞け。」
途端に静寂が戻る。
神官達は何かを考えるような顔をしているが、感情は読み取れない。
「よし。竜王国のドラウディロン・オーリウクルスが私の下に嫁ぐという話だが、あれは破棄して来た。以上が一点目だ。」
神官の瞳に理解の色がある事を確認する。
皆顔を上気させていて、これは後で相当な猛反対を受ける事を覚悟する。
フラミーと来たのは間違いだったか。
隣のフラミーをチラリと見ると、緊張したように強張っていた。
「続いて二点目だ。私はフラミーさんのみを妃として、それ以外は一切受け入れるつもりはないので今後――」
途端にワッと歓声が上がった。
掃除用具を持っていた者達はそれを放り上げ、ある者は万歳万歳と手を挙げ、ある者は近くの神官と抱き合い、ある者は目に腕を当て涙を流した。
想像もしなかった反応にアインズもフラミーも呆然とした。
「お、お前達…一体…。」
アインズの声が響くと神官達はやってしまったとばかりに再び居住まいを正した。
聖堂内には途端に静寂が戻ったが、確かに熱気が渦巻いていた。
「あー、今後、一切の縁談は断れ。以上だ。言いたいことがある者は――いや、全員が何か言いたげだな。代表者を決めろ。」
アインズの指示に神官長達と最神官長、元神官長達がごにょごにょと相談し合い、最神官長が立ち前へ出た。
最神官長は深く息を吸うと、長く吐き出す。
「僭越ながら…お話しさせていただきます。」
アインズは顎をしゃくった。
「神々の尊き血は、薄め、無尽蔵に増やされるべきではないと…我々はずっと考えておりました。」
遡る事一年。
今日も神は平然と奇跡を起こし、竜王国に出張した神官達は転げるように鏡をくぐって帰都した。
その者達は高位の神官達を呼び出し大神殿のある一室に集まった。
「陛下が人の身を手に入れられました!あの身であれば間違いなくお子を成せます!」
集まった神官は喜びに声を上げた。
これで六大神のように、神に万が一の事が起こっても神の子がいてくれる。
「これでようやく神聖魔導国の不安はなくなりますね!」
「神魔国万歳!万歳!」
――しかし、戻った神官達はわずかに暗い顔をした。
「…何か…?」
「それが…何でも我が国に相応しくなったら、オーリウクルス女王を娶ると。」
神官達は目を見合わせ、光の神官長のイヴォン・ジャスナ・ドラクロワは心底意味がわからないと言うような顔をしていた。
「な、何故?光神陛下とお子を持って頂けるのでは…?血が混ざれば神人になってしまう。」
神人の番外席次も、隊長も、決して
神人は表面上の強大な力のみを引き継ぎ、世界を形成させる神としての力や叡智は決して引き継がないのだ。
つまり神人は力を持つだけのただの人。
言葉を変えればそんなものは
「光神陛下とのお子を持つと言う様な話は一度もお聞きしませんでした…。」
「…何故竜王国の女王と…。」
「分かりません…。神々の深きお考えに、私達では…。」
神官達が唸り声を上げる中、闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエはハッと気が付いた。
「いや、皆待つのです。陛下は相応しくなったら、と仰ったのだから、神人止まりではない命を、あの女王なら宿すのかもしれません。」
なるほどと全員が納得していく。
「竜の血を引く女王ならば、これまでと違う何かが起こるかもしれない…か。」
「しかし、そうでなければ?」
「そうでなければあの叡智の神が女王を迎える筈がありません。」
「では神が決断を下すまでは陛下の妃になる方として扱いましょう。」
「…その物言いはまるでオーリウクルス女王陛下が神人しか産めなないとでも言うようだ。今後は敬意を払わなければ。」
初めて神官達は神々以外に陛下を付けた。
その後、神聖魔導国を支えている司法機関長、立法機関長、行政機関長、研究機関長、そして大元帥が呼び出された。
今やどの機関も神殿機関の下に吸収されているため直ぐに長達は集まり、竜王国の女王は今後神に連なる可能性がある者として通達された。
最神官長は幸せそうな顔をしていた。
「敬愛してやまない御二柱が、未来永劫寄り添われ、我らと共に在って下さる事を心よりお祈りいたします。我らが戴くのは御二柱と、神の子のみでございます。光と闇が遍く全ての生を照らし続けますように。」
神官達は清々しい顔をすると膝をついたまま一斉に頭を下げた。
波のようだった。
美しい波は一つしぶきを上げる。
光の神官長ドラクロワは一人立つと、フラミーを見た。
「光神陛下。畏れ多くはありますが、我々は御身が宿される命だけをいつも楽しみにし続けておりました。どうか、世界にご祝福を。」
フラミーは顔に手を当て肩を震わせた。
「お前達は…。」
アインズはもっと子供を作れと怒られるかと思っていた。
何なら千人娶って二千人産ませろと言われると思っていた。
一家に一神様と言い出し兼ねない狂信集団だと思っていた。
全ての思い込みをそっと破棄する。
「私は、法国に来られて良かったよ。ありがとう…。」
呟くような声だったが、その声は大聖堂の隅々まで届いた。
ドラクロワが跪き直し、共に頭を下げる。
アインズは誰の視線もなくなったその場所で人の身になると、声を押し殺して震えるフラミーを抱き締めた。
アインズとフラミーは大神殿で行ったのと同様の説明を国中の神殿で行い、真夜中に第九階層に戻って来た。どの神官達も文句を言わず、大喜びでその報告を受け入れた。
アインズは幸せそうな顔をするフラミーをちらりと伺う。
「フラミーさん、やっぱり少し歩きましょうか。」
昨晩一睡もしていない為早く寝かせてあげようと思い第九階層に戻ったが、もう少し話したくなった。
フラミーが頷くのを見ると二人で第六階層の湖畔に飛んだ。
どう感知しているのか、双子達がこちらへ向かって来ようとしていた。
アインズは被りを振ってそれを制すると、双子は遠巻きに主人達を眺めた。
しばらくフラミーを連れて偽物の空の下を歩く。
素晴らしい作り込みだが、ナザリックの外の本物の空と比べると少しだけ――命のようなものが足りないような気がした。
本物の空の向こうには確かに宇宙を感じるのだ。
「アインズさん。」
フラミーの呟きに優しい顔を向ける。
「二人の時はアインズじゃなくて良いんだよ。」
草を踏みしめる音と青い匂いが生まれては消えていく。
フラミーの胸はドキリと音を立てると、顔が熱く痛くなるほどに血が駆け巡り出す。
深呼吸するとアインズの匂いがした。
「……さ…さとる…さん…?」
アインズはピタリと立ち止まるとフラミーでその視界をいっぱいにした。
二人は互いの瞳の向こうに宇宙のような広がりを見た気がした。
「これで今度こそ本当に手に入ったのかな。俺の宝物、俺の人生…。長かったな…。」
「人生…。」
「最初に言ったでしょ。あなたは俺の人生だって。すごく、かっこ悪かったですけど…。」
フラミーは首を左右に振った。
「いっつもカッコいいですよ。」
アインズはそれは絶対にないと複雑に笑いながら首の後ろを軽く掻いた。
「文香さん。あなたの事も、あなたの友達の事も、傷付けてすみませんでした。ドラウディロンはかなり不愉快なやつですけど、ちゃんと俺もケアしますから。」
フラミーはドラウディロンを振ったからと言ってアインズが冷たくする様子でもない事に安堵した。
あの女王の気持ちは本物だった。
「お手数おかけします。それから、今日も一日本当にありがとうございました。」
フラミーがぺこりと頭を下げるとアインズはフラミーの両手をとった。
「お安い御用ですよ。俺のためでもありましたしね。」
この景色のためなら何だってできる。
アインズはふーと息を吐くとフラミーから回収したままだった杖をその手に返した。
「文香さん、どうか、もう二度と黙って何処かに行ったりしないって、誓ってください。俺、本当に怖いんだ。貴女がどこかに連れ攫われたり、誰かに傷付けられるんじゃないかと思うと…怖くて、怖くて、もう俺――」
「あ……。」
フラミーはアインズの顔を見ると、杖を捨てるように落としてアインズを抱き締めた。
「誓います。二度と黙って離れません。だから悟さん…――もう泣かないで。」
アインズはハッと自分の顔に触れた。
自分がどう言う顔をしているのか理解するとフラミーの腕の中でゆっくりとその場に膝をついた。
フラミーも動きを合わせるように膝をつくと、アインズは肩を震わせていた。
「どうか……自分を大切にして下さい…。俺は…俺は本当に…貴女だけが…貴女だけを……。」
「悟さん、私、貴方を大切にするために、自分の事もちゃんと大切にします。」
「ありがとう……。」
第六階層の湖畔はただただ静かだった。
アインズはフラミーを抱えるようにして芝生に転がると、これでようやく安心して眠れると目を閉じた。
翌朝アインズは自分の耳にかかるフンフンと言う荒い鼻息に少し笑った。
「はは、くすぐったいですよぉ。」
腕の中の宝物を撫でようと手を伸ばす。
しかし、手は空を切った。
「――ふら!?」
一瞬で脳は冴え渡り、飛び上がるように起き上がり――ボフッと柔らかい何かに顔を突っ込んだ。
「殿!生きてたでござるかぁ!」
「は、はむすけ!退け!!」
ハムスケの顎を突き飛ばすようにして今度こそ起き上がり軽く辺りを見渡そうとすると、自分の隣にはフラミーの杖があり、アインズにはアインズが贈った白い透けたようなレースのローブが掛けられていた。
「な、なんで…杖…。いや、そんなことより何でいないんですか……フラミーさん…!」
アインズは自分に掛かるローブを掴むと
これでまた繋がらなかったりしたら――。
杖を持たないフラミーがどこへ行ったのかと思うと、不安から荒れ狂うように打つ鼓動に吐き気を覚える。
杖を奪われ撃たれてボロボロになっていた姿が何度も過ぎる。
「アインズさーん!」
聞こえた声に急ぎ顔を上げると双子と手を繋いでこちらに向かってくるフラミーがいた。
「アインズ様ー!おはようございまーす!」
「あ、アインズ様!あの、ご朝食です!」
三人の周りには小さな仔山羊達が四匹メェメェと歩いていて、その頭に生える触手の上にはお盆に載せられた食事があった。
アインズはフラミーのローブを掴んだままフラフラと立ち上がりフラミーに向かって歩いた。
「ふらみーさん…。」
「ふふ、おはようございます。朝の子山羊のお散歩済ませてきました!」
「あ――おはよう、はは。良かった。」
「良かった?」
首をかしげるフラミーに、首を振った。杖はすぐに戻ると言う目印だったようだ。
「いえ、こっちの話ですよ。」
アインズはフラミーと共に地面に座り、ハムスケに背を預けた。
「ふー、たまには外で朝食取るのも良いな。お前達もおはよう。」
「「おはようございまーす!」」
双子と子山羊も嬉しそうに二人の前に座った。