「――そういう訳で、特進科に一週間留学させて頂く鈴木悟です。よろしくお願い致します。」
「村瀬文香です!よろしくお願いします!」
以前訪れた教室よりも小さな階段教室で、見たことがある気がする面々の中、二人が頭を下げる。
フールーダは長い髭をしごきながら二人を繁々と眺めていた。
「…君達は魔力系の力を感じさせないが信仰系の
「…そんな所です。」
「なるほど。それでは好きな所に掛けたまえ。席に決まりはない。」
特別嫉妬マスクについて突っ込まれることも無く、アインズはフラミーの手を引いて適当な所に座った。
「フールーダさんって、あんな感じなんですね!」
「ふふ、本当ですね。」
初めて見るハッスルタイムではないフールーダは新鮮だった。非常に真面目な顔をしていて、威厳や生きてきた時間の重みを感じさせる。確かに帝国最強と呼ばれるだけはある雰囲気だ。
フラミーがクスクス笑っていると、隣からぽんっと優しく教科書で頭を叩かれた。
「フールーダ様、だろう。留学生。師に教えを請うために来たなら相応の態度を取らないと。」
生徒として当たり前の心得を述べた隣の青年は怒っているというよりも苦笑しているというような雰囲気だ。
フラミーはすぐに頭を下げた。
「あ、ごめんなさい。本当ですね。」
「おい、お前不敬だろう。」
アインズの口からは思わず馴染み深くなっていた不敬という言葉が漏れていた。
「…王国貴族の出かな?私はジーダ・クレント・ニス・ティアレフ、元帝国貴族――アーウィンタールの出身だ。実を言うと私も少し前まではエ・ランテルの帝国街に暮らして、エ・ランテル魔導学院に通っていたんだ。でもフールーダ様に付いてここまで来てしまったよ。ふふ、実は似たような身の上なんだ、よろしく。」
「わぁ素敵!村瀬文香です。よろしくお願いします!」
手を握って挨拶をするとジーダはフラミーの前を通過するようにアインズにも手を伸ばした。
アインズは若干自分の狭量を恥じた。
「あ、これは。ティアレフさん、私は鈴木悟です、よろしく。」
「敬称は不要だよ。フミカもティアレフと気軽に呼んでくれ。」
フラミーは「はーい」といい返事をしたが、アインズはエッと声を上げてジーダを見た。
「ふ、文香って…。」
この世界は"姓・名"の順では無く"名・姓"が基本なのでジーダに悪気は一つもない。
なので当然――
「どうした、サトル。」
「うわっ、びっくりするな…。私の事は鈴木と呼んでほしい…。」
「何?そ、そうか?じゃあ、私もジーダで構わないよ。」
ジーダはそんなに馴れ馴れしくていいのかと軽く首をかしげた。
午前中は座学が進み、分かるような分からないような話をとりあえずノートに取った。
リーンゴーンと午前中の授業の終わりを告げる鐘が鳴るとジーダは立ち上がった。
「スズキ、フミカ。私は学食に行くけど、一緒に行くかい?」
「わぁ!行きたい!」「案内助かるよ。」
二人は学生生活を満喫し始めた。
学食で適当な物を頼んで席に着くと、アインズは自分のとったノートを眺めた。
「ふーむ。午前中は分かったような分からなかったようなだな。」
「はは。二人はエ・ランテルの魔導学院では信仰科にいたのかい?」
「あ、あぁ。そう、だな。」
「良いね。信仰系魔法も魔力系魔法もどちらも使える存在になれたら、きっと神聖魔導国の為になる
第二位階が関の山のこの世界でどっち付かずな真似をすると大抵第一位階止まりになりがちだが、需要がない訳ではない。
器用貧乏という言葉の通りにはなるが、そういう人材は非常に少ない為、逆に重宝される場面がある。
「ティアレフは国の為に魔導学院に来てるの?」
呼び捨てを勧められたフラミーは珍しくタメ口だ。
「国のためといえばそうだけど…。私は魔導省に勤めて、フールーダ様のお側で生涯学びながら…いつかはフールーダ様みたいに神王陛下に直接教えを請うのが夢なんだ…。」
「ああー…。神王陛下にね…。」
「頑張って下さいね。」
フラミーはジーダではなく遠い目をしているアインズの肩を叩いた。
「…ジーダ、光神陛下にも教えを請うのはどうだ。あの女神は慈悲深いからきっとなんでも教えてくれる。」
「えぇ!?」
若干大きな声が出てしまったフラミーはハッと口を押さえた。
「スズキはもしかして、両陛下に教えを請う為に信仰系と魔力系を習得しようとしてるのかい?」
アインズが何かを答える間も無く、成る程成る程とジーダは一人納得していた。
その後教室に戻ろうとすると校内には漆黒聖典がうろついていた。
「ん?魔導学院には聖典が来るのか?」
「いや、初めて見た。あれは何聖典なんだろうね?」
一般の者も今では特殊部隊である三色聖典の存在を知っているが、実際に手を差し伸べられた国や地域以外で聖典を詳しく知る者は少ない。
アインズは嫌な予感を覚えると、「授業の一環かな?」と推理を始めたジーダを残し、フラミーの手を掴んでそそくさと教室に入って行った。
授業が始まるまでアインズが息を殺していると、ジーダは二人の様子を見て微笑んだ。
「君達はやっぱり付き合ってるのかい?」
「…そうだが、そう見えるか?」
アインズは付き合うという初めての言葉に少し恥ずかしくなった。
「見えるよ。ふふ。でも、スズキはフミカの家のお付きだったんだろ?」
「え?なんでですか?」
「最初に不敬だって言っていたじゃないか。フミカは綺麗だから身分の差なんて乗り越えたくなるのも分かるよ。神聖魔導国民になって良かったね、身分制度がないんだから。」
良い話だなぁと呟くジーダにアインズは苦笑した。
下らない話をしているとフールーダが現れ、騒めいていた教室はピタリと静まり返った。
午後は第三位階の生活魔法、<
魔力系も信仰系も関係なく誰でも扱える生活魔法は全ての魔法の基礎だ。
ただ、当然第三位階の高みに登れる者はそういない。このクラスにも第三位階に到達しているのはたった一人だけだ。
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この授業は週に一度は行われていた。
アインズ達は普段
配られたコップに皆手を掲げ、水を生んでいく。
しかし当然中には特性がうまくはまらない者もいて、生める者と生めない者は半々だ。
「…やっぱり途中入学じゃ手取り足取りは教えてもらえんか。」
「本当ですね。ねぇ、ティアレフはどうやってるの?」
フラミーは隣で自分が生んだ水を飲み始めていたジーダに振り向いた。
ジーダは帝国魔法学院では上位四名に入るほどの優秀者で、特進科にも楽々入学した。
「ん?そうか、信仰科にいたからこの授業が初めてなんだね。ほら、手を伸ばして。」
二人はジーダを真似て手を伸ばす。
「目を閉じて。水は絶えず流れる。大地を潤す。世界の多くを満たす光の存在だ。イメージした?」
うんうんと頷く。
「コップを思い出して。丁度いい量だ。空気中や世界に溢れる水分を優しく束ねてそこへ注いであげるんだよ。唱えてごらん。」
「「<
二つの声が響いた瞬間教室は水中になった。まるで水槽だ。
誰もが何が起きたのか分からず、ゴボゴボと溺れた。
水圧に負けた窓と扉は破壊され、廊下やグラウンドに向かって水が吐き出されて行く。
「何事!!これ程の水の量!!」
水が流れ出て行くとフールーダが顔を真っ赤にして犯人探しを始めた。
隣の教室やグラウンドから水だ水だと悲鳴じみた状況報告が聞こえる。
咳き込む生徒達の中、アインズはフラミーをじっとりと見ていた。
「…文香さん……だから言ったのに…。」
「ん?私じゃないですよ?」
「でも俺制御の腕輪してますし…。ちゃんと力加減考えました?」
「えぇっ、ちゃんと一杯のお水イメージしましたもん。」
「一杯じゃなくてこれじゃ
二人の落ち着き払った様子とは裏腹に、教室はパニックだった。
外からはバシャバシャと大量の人が水溜まりを走ってくる音がする。
足音の主は破壊された扉の上に乗り、滑り込むように教室を覗き込んだ。
「やーっぱりやらかしたな!!仮面の
クレマンティーヌだった。いや、それどころか紫黒聖典に漆黒聖典、レイモンもいる。
「げっ、やっぱりってなんでだ!?本当に俺じゃないのに!」
「ティアレフ大丈夫?ごめんね、やったのは私じゃないけど…。」
支配者達は罪をなすりつけあっていた。
「大丈夫だよ、ありがとう…。全く誰だよこんな悪質な…。」
アインズはフラミーに背をさすられながら軽く咳き込む可哀想な同級生を気にかける余裕もない。
「仮面の
フールーダがアインズを手招く中、どうしたもんかとフラミーと聖典を交互に見る。
「先祖返り!あんたはこんな所で授業受けてる場合じゃねーんだよ!」
「大人しく聖典の訓練所に来るのね。私がボコボコにしてあげる。」
クレマンティーヌと番外席次はアインズに近寄ると腕を掴んだ。
「うわ!私は先祖返りじゃない!落ち着け、私に触れるんじゃ無い!あまりこんな風にしていると――」
番外席次が引っ張っても動かない様子を見ると漆黒聖典隊長もアインズの腕を取った。番外席次に動かせない人間などこの世にはいないはずなのに。
「話は大神殿で聞きます。貴方の力は陛下方の為に必要です。」
突然始まったお縄に付けモードに、ジーダもフラミーも、いや、教室中の者達が目を白黒させていた。
――(それこそ一発でも魔法使ったらえらい騒ぎになっちゃいますよ。)
アインズは自分の読み通りの展開に大いに嘆いた。
「離しなさい、私は聖典で働くつもりなんかない!」
隊長の手も番外席次の手も振り払うと、いよいよもって聖典達とレイモンがアインズを見る目つきが獣じみた。
「スズキ、聖典で働けるならそれはすごく名誉な事だよ!それに聖典に入れば両陛下にだってお会いできる!君の夢だろ!」
「陛下方と旅だってできるわよ。あなたはゴミじゃないみたいだから、私が教育してもいいわ。」
そんな夢を持ったことはないが、番外席次は得意げだ。
「…断る。」
これ以上モモンのような存在を増やしても意味がないし、共に旅に出る聖典に入るなんて無理だ。一々パンドラズ・アクターを呼び出したり辻褄合わせに苦労する。
「そう。じゃあ、あなたにはこの汚した床の水を全部飲ませてやるわ!!」
アインズは番外席次の教育は成功かと思っていたが、大して成功していない様子を感じ顔に手を当てた。この娘は相変わらずめちゃくちゃだ。
漆黒聖典隊長は何か嫌な思い出があるのか心底嫌そうに顔を歪めた。
番外席次が
「あ!!やめて下さい!!そんな不敬なことしたら――!!」
フラミーが叫ぶもその甲斐虚しく、教室には
「ムシケラ風情がいと高き御方に向かって刃を向けるなんて不敬にも程があるわ。」
美しく細身な身体に不釣り合いなバルディッシュを軽々と手の中で回しながら、アルベドは現れた。
「あ、アルベド様…。」
番外席次はパシャリと水浸しの床に尻餅をついた。
「ま、待てアルベド!!番外席次はわかっていないだけだ!!」
殺したら――レベルダウンは美味しいかもしれない。
一瞬浮かんでしまった邪念を即座に振り払う。
「アインズ様。お戯れも程々に。」
教室中の視線が集まる。
「ス、スズキ…?」
アインズの服が濡れているのはフラミーのせいではない。
冷や汗だ。
「わかった、わかったから物騒な物はしまえ!大体監視は許したが
アインズは仮面を外すと放り投げた。
常に控え続けた
「「「「「陛下!!」」」」」
幼い顔付きだがアインズの顔はいつもの人の身のアインズだった。
絶叫にも似た聖典の声が響く。
「や、やべ…私陛下にぶつかったの…。」
クレマンティーヌが退散しようとするとクアイエッセが首根っこを掴んだ。
「クレマンティーヌ…!!!」
「わかるわけないでしょーが!!!」
聖典も教室もしっちゃかめっちゃかだ。
「はぁ…。フラミーさん、もう帰りましょう。兎に角生活魔法を使える事は分かりました。後はイツァムナーに聞きながら端から習得していけば良いだけです。」
アインズがフラミーに手を伸ばすと、ジーダは自分の肩を抱く人を見た。
「フ、フミカ…。君も…?」
「むぅ…。私は魔法を教えてあげられないけど、良かったらまた生活魔法教えてくださいね。」
フラミーは
その身はベールを脱ぎ去るように紫色へと変わり、水に濡れて輝く髪も漆黒から銀色へと変化してわずかに靡いた。
「な、なんて……美しさ……。」
言葉を失うジーダにアインズは正面から向き直った。
「ジーダ、お前は確かにフールーダの下に付くに相応しいかもしれん。――おい!フールーダ!」
「は、はい!!陛下!!」
フールーダはあれだけの水を生み出す者が生徒じゃなかったことにがっかりしながら神の下に駆け付けた。
「ジーダ・クレント・ニス・ティアレフの面倒をよく見てやれ。」
「畏まりました。さすが陛下、お目が高い…。最初からお分かりでティアレフ君の隣に…。」
「神王陛下…。」
このクラスでただ一人、既に第三位階を扱えるジーダはその後第五位階と言う高みにまで到達し、フールーダの未完成だった不老の術を共に完全なるものとする研究に携わる。
そして末永く神々に仕えることになるが、今はまだその事を誰も知らない。
いや、全知全能の神々はおそらく分かっていたのだろう。さすがだ。
アインズはフラミーを抱き寄せると、やはりじっとりとした目でフラミーを見ていた。
「限界突破の指輪ができる前に制御の腕輪も作らなきゃいけなそうですね。」
「ご、ごめんなさい…。」
「そう思うなら今から後片付けを始める未来の旦那にご褒美下さいよ。」
「むぅ。後でね。」
「先払いが良いんですけど…。」
微妙に支配者がいちゃつき始めるとアルベドはしっしと人間達に手を振った。
皆が視線をそらすと、フラミーは少しだけ背伸びをして、いつもより視線の高さが近いアインズに唇を寄せ――語るまでもない。
「じゃ、やるか。」
満足いったアインズは教室中を魔法で直し、濡れた生徒達に
あまりの見事な魔法にフールーダも生徒も興奮しきりだったが、聖典達とレイモンは居心地悪そうにし――紫黒聖典はやっぱり聖典の中の厄介な妹達だと残念な烙印を再び押された。