海からは体を左右に揺らしながら、顔を上下にヒョコヒョコと動かすガニ股の、人間の体を持つヒキガエルの様な生き物が次々と上がってきていた。
半悪魔形態のデミウルゴスを極限まで醜悪にしたような存在だ。
首はなく、肩から直接頭が生えているように見えるが、顔と肉体の間には垂れ下がった肉が深いシワを作っている。
眼窩より飛び出すように隆起した眼球を瞼が覆い切れないため、瞬き一つせずに、アインズ達を捉え続けていた。
おぞましき、深き場所より這い上がるものどもをアインズは睨みつけた。
「…ツヴェーク族か!」
ユグドラシルに於いてツヴェーク族は、相手にするときに周囲にいる全てのツヴェークを相手にする覚悟を必要とする厄介なモンスターだった。
大体レベルは七十から九十。
彼らの鳴き声は
アインズは、目を開いているというのに何かに怯え、リーダー…と言い続け未だ夢を見続けるフラミーを抱えたまま、相手を刺激しないように下がる。
馬車を降り、背後でアルベドがバルディッシュを構えたのがちらりと見えた。
「アルベド。こいつらは間違いなくプレイヤーが召喚している。どうやってかは知らんが…リトルは私達の接近にすでに気が付いている。」
「アインズ様、このアルベドに掃討の御許可を!」
「やれ。一匹残らず殲滅しろ。」
アルベドは脱いだままだった兜を被ると突撃を開始した。
暴風のようにヒキガエルのような者共を薙ぎ払っていく姿はどこか演武のようだ。
「アインズ!フラミーはどうだ!」
ツアーも慌てて濡れたフラミーを抱えるアインズに駆け寄った。
フラミーは再び眠り始め、アインズは抱えたフラミーからポタポタと水が垂れる様から強烈にトラウマを刺激された。
「っあ……あぁっくそ!!どうもこうもあるか!私が教えて欲しいくらいだ!なんなんだこのスキルは!精神攻撃に何故抵抗できないんだ!!」
「ク・リトル・リトルは昔から接近して来た敵を狂わせて来た。自分の見た一番恐ろしい夢を見せたり、本人の絶望の記憶を見せる!」
「夢や記憶を見せる…?」
アインズは自分の中のユグドラシルの情報をかき集め、該当情報を検索する。
「――そういうことか…!これは精神攻撃ではなく幻術、相手は幻術使いか!!ではこれは
高位の幻術使いは危険だ。
極限まで幻術を極めた者が使える技の中には、数日に一度、世界に対して幻術をかけることができるという物がある。
それはあらゆる系統の魔法と置き換えることすら可能で、死者の蘇生も行える。
世界そのものが騙されれば、それは真実となるのだ。
「すまない、名前はわからない。とにかく起こさなければ!」
「わかっている!!お前はアルベドと共にツヴェークを止めろ!私は対抗手段を持つ者と連絡を取る!!」
一も二もなくツアーもツヴェークの群れへ飛び出していくと、いつの間にかツヴェークは百を超えるような数にまで増えていた。
白金の鎧と漆黒の鎧は踊るようにツヴェークの命を奪いゆく。
アインズは急ぎこめかみに手を当て、目的の人物を探った。
「……――エントマ!!フラミーさんが幻術の攻撃を受けている!!
こちらからナザリックへ戻っては万一追跡されている場合ナザリックが危険だ。
「ウゥッ……リーダー…。」
フラミーの呻きにアインズは頭が真っ白になっていく。
抱きしめてその肩に顔を埋めると、アインズは一層トラウマを想起させられた。
「フラミーさん…フラミーさん帰ってきてくれ!」
すると、折り返しの感覚にすぐさま応答した。
「――エントマ!よし、開いた瞬間に飛び込め、すぐに閉じる!<
開いた闇からは両膝を抱いたエントマがクルリと飛び出し、アインズはエントマの足が切れてしまうのではないかと言うほどに早く
エントマはズサッと草の生えた浜に着地すると、着物のようなメイド服の袂をふわりと靡かせ行儀よく頭を下げた。
「アインズさまぁ!エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。御身のまえにぃ!――フラミーさまをお見せくださぁい!」
「エントマ!よく来た、任せられるな!」
小さなエントマの前にフラミーをそっと下ろすと、アインズは杖を構えた。
「もちろんお任せくださぁい!触らせません!攫わせません!襲わせません!」
「良い子だ!!」
アインズはアルベドとツアーを避けるように海からこちらへヨダヨダと向かってくる不気味な生き物達へ向き直る。
アインズが腕輪を輝かせると、ツヴェーク達は一斉にアインズを見た。
月の光に照らされた巨大な瞳がこちらへ向けられると、大量の光の点に囲まれたようだった。
しかし、美しさはまるで感じない。
全員が唸るような醜い鳴き声をあげ、波の音すら邪悪に聞こえる。
アインズの後ろでは、エントマがバッと腕を開き、その手に大量の符を握っていた。
「フラミーさまぁ!お目覚めくださいぃ!」
幻術を打ち消す符をその身に向かって大量に送り出す。
符はビビビビビッと身体中に張り付くと、一瞬輝き、眠っていたフラミーは悪夢から覚めるように慌てて起き上がった。
体の上からは効果を発動させた符が燃え尽きては落ちた。
「ッこ、ここは!?エントマ!?」
「フラミーさまぁ!ここからは危のうございますのでこちらをお使いくださいぃ!」
フラミーの額にピッと一枚、目玉が書かれたような赤い符が張り付くと、それは燃え上がって消えた。
「アインズさまぁ!フラミーさまがお目覚めですぅ!アインズさまとアルベドさまも念の為に幻術抵抗の符をお受け取りくださぁい!」
エントマは跳ね上がると二人に向かって赤い符を飛ばした。
ピッと二人の後頭部にそれぞれ符が張り付くと、燃え上がり、僅かな灰を残した。
「切りがない!アルベド、ツアー、下がれ!!海にいるものも片付ける!!」
アインズが杖を掲げると、二人は即座に撤退を始め――「<
海の端に激熱を帯びた星が落ちた。
大量の海水が蒸発し、高温の蒸気によって視界が不明瞭になる。
アインズは撤退して来たツアー、アルベドと共に、追撃が来ないかを伺い続けた。
徐々に視界が晴れていくと、夜明けが訪れ始め、日の光の中に毒々しい色の海上都市が映し出されていた。
「… とんだ夜明けだな…。」
追撃が来ない様子に安堵すると、アインズはフラミーに振り返り顎を掴んで顔を左右に振らせた。
無言であちらこちらを確認していく。
「アインズさん…ごめんなさい…。」
事態をエントマに聞いたフラミーは気まずそうだ。
「良いんですよ。俺だって人の身で寝てたら確実に食らってましたから。それより、どこか異常は?痛いところやおかしいところは?」
髪を避けて首の後ろまで確認する様子は徹底していた。
「平気です。でもなんだか酷く怖い夢を見ました…。」
「良かった…怖かったなら、何も思い出さないで良いんですよ…。」
確認が済み満足したアインズはフラミーをギゥと抱き締めると、自分の後ろに立つ、今回敵だか味方だか解らない者を睨んだ。
「ツアー、お前が私達の来訪を伝えたのか。」
幻術使いに広範囲を探知するような能力は無いはずだし、これは先手を打って伏兵を置かれていたとしか思えない攻撃だ。
あれはこの世界の者達を相手にしようと用意していたにしては過剰戦力にも程がある。
恐らく夢の世界で苦しむうちにツヴェーク達に襲わせる予定だったのだろう。
アルベドは鎧にバルディッシュを向け、その場の温度は氷点下まで下がったようだ。
「そんな事をするはずが無いだろう…。来訪を伝える必要があるなら君がそうするだろうし、君が戦闘になる可能性を危惧している以上僕はリトルに君の情報を与えたりはしない。」
「信じられないわね。」
共に常闇との死闘を繰り広げたがアルベドのツアー嫌いは大して直っていない。
普段は割り切っているだけだ。
「僕はアインズを説得はするけれど、襲わせるような真似はしない。リトルよりも君が大事なんだから。」
思い掛けない告白のような言葉にアインズは一瞬ゲッと思ったが、確かに世界のためにツアーはアインズに危害を加えないだろう。
「あなた、内通していない証拠を出せるの。」
「出せない。僕には手段がない。」
「そう。それならいつ殺されても文句はないわね。」
フラミーはアインズの肋骨に掴まり黙って様子を伺っていたが、
「アインズさん、ツアーさんは内通なんて…。」
「解ってます。俺も一応聞いただけですから。………ツアー、ク・リトル・リトルは私に服従する気は無さそうだ。お前には悪いが、やはり殺害だ。」
ツアーは残念そうにしたが、仕方がない事だと受け入れたような空気を出していた。
「この感じではそうした方が良いだろうね。必要なら竜の身で僕が行って片付けてくるよ。」
「いや。プレイヤーとの戦闘は常に自分で行うべきだと私は思っている。お前は友人を殺されるのが辛いならもう帰って良いぞ。家まで
「そうかい。でも、その必要は無いよ。」
エリュエンティウ組の記憶から言っても、ユグドラシルでの経験から言っても、高レベルのプレイヤー殺害経験値は美味しい。
ツヴェーク達は命を媒介にせず呼び出されたようで、
復活を拒否しても始原の力による蘇生と殺害を繰り返せば、将来百レベルの次のステップへの糧になるだろう。
街ごと吹き飛ばしてはいけない。
きちんと本人を前にし、確かに殺して連れ帰る。
同じ人間だったプレイヤーを前に、この魔王は慈悲を持たない。
「アインズ様、後ろから撃たれるかもしれません!」
アルベドはツアーへの警戒を露わに――いや、不快感を露わにしていた。
「アルベド。そうするなら常闇の時にとっくにそうされている。信頼する必要はないが信用はしてやれ。」
「…かしこまりました。」
アインズは渋々下げられたアルベドの頭をぽんぽん撫でてやり、フラミーを離した。
「エントマ、お前の力はこの先も必要になる。相手は百レベルに到達していないようだが、ツヴェークをあれだけ出していた以上お前より強いだろう。ツアーに守られながらうまく戦いなさい。ツアー、うちの娘を頼む。」
エントマはうちの娘と言われ嬉しそうだ。
「畏まりましたぁ!ゔぁいしおんん、よろしくねぇ!」
「よろしく。」
「その鎧の下ってお肉ぅ?」
「…いいや。空だよ。」
「ふぅん!」
エントマが鎧の下の肉体を夢想して涎を垂らすのを、ツアーは何故こうも邪悪な者ばかりが生み出されているんだろうと辟易しながら眺めた。
「仲良くできそうだな。さぁ、売られた喧嘩だ。楽しませてもらおうじゃ無いか。」
アインズは眼窩の赤い揺らめきを燃え上がらせると、前方の都市を睨みつけた。