アインズ達は特別あれから襲われることもなく進んだ。
警戒を続け、巨大な暗緑色の橋の前にたどり着いた。
橋は長く、馬車なら十五分、歩いて渡れば三十分はかかるだろう。
橋が繋ぐ先は円形の島のようになっている海上の都市だ。
「ここからしか入れんのか?」
「僕の知る限りではね。」
数組の行商人のような、顔が魚、体が人間の半人半魚の亜人が冒険者の様な出で立ちの亜人を連れて涼しい顔で渡っていく。
神聖魔導国とは行き来がないため、まるで知らない都市を行き来しているのだろう。
「この人達の波に乗ってもう一気に渡っちゃいますか?」
フラミーはエントマを膝に乗せて外を眺めていた。
「そうですね。既に襲いかかって来てますけど、ツアーの話じゃ一応優しい奴らしいですし、その商人達を盾にしていきましょうか。」
橋ではない場所から
「わぁ肉の盾ぇ!さすが御方々ぁ!」
「捨て駒ということですね!まさに下賎な者共の正しき使い方かと。」
アルベドとエントマの声に含まれた感情は花畑のような明るさ、或いは散歩にでも行くような気軽さに包まれていた。
半魚人の一行に付かず離れず馬車を進めていき、都市が近付いてくるとフラミーは言い知れぬ不安感に襲われた。
「この町…一体なんなんですか…?」
町は不自然な角度の石造の建物で構築されており、生物として忌避感を持たずにはいられない。
つい今まで鋭角に見えていた筈の建物は、少し見る面が変わると途端に鈍角に見え、何度も自分の目を疑った。
どの建物も緑色で、青色で、黒色で、常に歪に毒々しく色を変化させている。
「ここは昔から狂ったような見た目だよ。ただ、住んでいる者は普通だから心配しないで良い。」
ツアーの言はアインズを苦笑させるには十分すぎる。
「こんな町で普通に暮らせる奴がまともとは思えんがな…。」
気色が悪い事以外問題なく町に侵入すると、一行は馬車を降りた。
馬車の中で油断している内に叩かれては一手出遅れるし、馬車やゴーレムの馬を破壊されては面白くない。
アインズとフラミーは互いにバフを掛け、エントマ、アルベド、ツアーにもごっそりとバフを送った。
「君達はいつもこんな事をしていたんだね。実にずるい。」
「敵でなければ良いものだろう。」
「全くもってその通りだね。」
アインズは素直なツアーに軽く笑うと、馬車をアイテムボックスに詰め込んだ。闇の空間の中が少し心配だ。幾らでも入れられるが、何かが割れたり壊れたりしていないだろうか。
アインズのアイテムボックスの中身はいつも整理整頓されている。内部を探らなければいけないのが嫌なので、必要な物を必要な数だけ持ち歩く。ただ、備えあれば憂いなしの根性で、女子のポーチやカバンのように
ここから先はツアーの案内に従う。
「出発して良いかい?」
「あぁ。頼むよ。…フラミーさん大丈夫ですか?」
フラミーはおぞましい町に軽く酔いを感じ顔を青くしていた。
「調子悪くなりましたぁ。どこ見てもうねうね見た目が変わるから…。」
まるで非ユークリッド幾何学のようだ。
アインズが手を伸ばすとフラミーはすぐさま腕にすがった。
「そうですよね…。こんな町、どんな趣味の奴が作ったんだよ…。」
「僕達も初めて来たときは捉えどころのないこの町に酔ったものだよ。ここは半魚の者が多いだろう。彼らは水の中でも暮らすから、こうして視界に入る物が揺らめいている事に違和感を感じないようだね。普通の人間は少ない。」
ツアーはどこか懐かしむように街を見渡した。
そして、「まぁ、君たちが普通のヒトだと僕は思わないけど。」と、若干一言多くこぼすとエントマに手を伸ばした。
エントマも守られろと指示を受けているため大人しくその手を取る。
「さぁ、今度こそ行こう。フラミー、気分が悪くなったら休憩するからいつでも言うんだよ。」
「はーい、ありがとうございます。」
一行は歩き出すと、町の中央に聳える小さな山へ向かった。
一つの山すら内包する海上都市はかつての王国エ・ランテルよりも大きいかもしれない。
アルベドは狂気の街を見渡すと、フラミーの手を引くアインズの腕を取った。
くふふと笑う可愛らしい娘は本当はアインズとフラミーの間に入りたい。
「アインズ様、この街は今後如何致しましょう?」
「コンプリートしようと思えばやはりここも手に入れるべきだが…ここのギルド武器を破壊しても町が残れば、だな。残らなければいらん。再建する程ではないし――この世界の力で同じものを作れるとも思えん。」
エントマの手を引いて先頭を歩くツアーは視線を後ろに送ることもせずに呟いた。
「これでこの街も見納めだね。暮らす者達は東に逃げるだろうか。」
ギルド武器があることを否定しない様子にアインズは来た甲斐があると思った。
本当はこんな所ではなく新婚旅行に行きたかったが、フラミーがギルド武器があるならギルド武器の破壊が先決と譲らなかったため、渋々海上都市に来たのだ。
「東ぃ?なんでぇ?アインズさまとフラミーさまの国にくればいいのにぃ。」
「ここからさらに東に行くと三つの大国がある。僕達から見たら東にあるが西方三大国と呼ばれている国々があるんだけれど、そこは亜人と少数の人間、異形が暮らす国なんだよ。ル・リエーの者達はそっちの方が馴染み深いだろうし、事実馴染むだろうからね。」
「ふぅん。」
エントマは聞いておきながらもう興味をなくしていた。
神聖魔導国に来ないならどうでもいいのだ。
「西方三大国か。アルベド、デミウルゴスに連絡しておけ。そこに住まう者の力量と文明レベルの確認だ。」
「かしこまりました。」
アルベドはスクロールを燃やした。
街は賑やかだった。
確かに建物の見た目は狂っているが、そこに暮らす半魚の住民達は穏やかで優しい雰囲気を纏っている。
中には頭部が巨大なヒトデで出来た者が、複数の目や口の付いたスライムのような粘体を散歩している姿も見られた。
ただ、アンデッド、紫の天使、黒い翼の天使、謎の亜人、全身鎧のパーティーはあまりに異質で、皆道を行く五人を避けるように歩いていた。
「この奇妙な街ではこちらの方が奇妙か。」
「神様って囲われないだけもしかしたら良い所なのかも。」
支配者達は笑った。
フラミーも町に慣れて来たのか顔色が良くなり始め、アインズは安堵の息を漏らした。
「珍しい所だから何か買い食いしますか?今朝食事してないですし。」
「わ、良いですね!」
これから街を破壊し、
「アインズ。楽しむことは勝手だが毒には気をつけてくれよ。」
「大丈夫だ。私達は毒に完全耐性を持っている。」
不気味な形状の屋台に近付いて行くと、イカがそのままの姿で焼かれた物や刺身のような物が色々並んでいて――店主の半魚人はアンデッドのアインズに引いていた。
アインズ達はリアルでは液状食料が多かった為、こちらに来て食事らしい食事を行い基本的に何でも美味に感じていたし、何でも食べてみようと食事には前のめりだ。
「そうかい。一応言っておくけどナマモノは寄生虫にも気をつけてくれ。」
「むしぃ?たべてみたぁい!」
エントマの幸せそうな声が響いた。
「アインズ様、お食事は今は控えられては?虫ケラがフラミー様の体内に巣食う事は容認できかねます。」
フラミーの顔は再び青くなった。
「「やめました。」」
二人はそそくさとその場を離れた。
一時間程度歩くと、小さな山の頂きにある館の前でツアーは立ち止まった。
「本当に来てしまった。リーダーにもク・リトル・リトルにも謝らなければ…。」
柄にもなく暗い声を出すツアーの肩にアインズは手を置いた。
いつも飄々としている竜王だが――
「お前が何を犠牲にしようとしているのか分からない私じゃない。友を失う痛みは誰よりも良くわかる。すまないな。」
「いいや。君だって服従する気があるなら生かそうとしてくれていたと言うのにね。…死神と友人になってしまったのが運の尽きだと思う事にするよ。」
自嘲するような笑いだ。
「…私はただの人間だ。」
「そうかい。この世界では君みたいな存在を神、乃至は創造主と呼ぶんだよ。」
昔も言われた言葉にアインズが笑うと、ツアーも笑った。
ツアーはやはりアインズは悪くない存在だと思う。
神だと己を称する神はロクなものにならない。
この神は謙虚なのだと、本当にただ美しいものを守りたいだけなのだと、もうよく分かっている。
ただ、手段には問題があるし、荒ぶる一面に触れると世界は終わる。
「ツアー、お前は確かに変わらんな。」
「そうだろう。なんて言ったって、僕は今も君達の世界征服には懐疑的なんだから。」
「分からず屋め。」
二人は信頼を形にした丸い笑い声を上げた。
「ツアー、始めるぞ。」
「あぁ。エントマ君は任せてくれ。」
アインズは扉に手を掛け、グッと押し開けて行く。
館の内部は煤が舞っているかのように薄暗く、時が止まったような雰囲気で、地下へと続く巨大な階段がこちらへ向けて口を開いている。
それを左右から囲むように二階へ上がる階段が二本。
辺りには焦点の合っていないツヴェーク達が所々で呆然と天井を眺めていた。
異様な空間だ。
踏み入れると内部は魚の死体を放置したような、生卵を塗りたくったような強烈な悪臭が漂い、扉は一行の背後でギィィ……と不安を煽るような音を立て自動的に閉じた。
腐敗したような激臭が流れる先を失うとフラミーとアルベドが二人でえずく。
「うわっ!確かにこの臭気…生身には堪えるな。」
慌てて二人を抱き寄せて背をさすっていると、ツアーはエントマの手を引いて歩き出した。
フラミーの怯えた様な浅い呼吸が聞こえる。
「フラミーさん、怖くないですよ。コイツらに負ける俺たちじゃないです。」
言っておきながら、そう言う観点でフラミーが怯えているわけではない事は分かっている。
「あのカエル達、何見てるんですかぁ。」
「…何となく視線の先は追いたく無いな…。」
まるでタブラ・スマラグディナが作ったニグレドの部屋の様だ。
フラミーはぷるぷる震えながらアインズのローブに顔を押し付け――べったりとくっ付いているアルベドの呼吸は荒かった。
「アルベド、大丈夫か?扉を破壊してやろう。」
「いえ!!むしろご褒美ですわ!!」
アルベドのギラリと輝く瞳に宿る物の正体に気が付くと、アインズはその顔をぎゅうぎゅう押した。
「お前!もう良いなら離れろ!全く緊張感がないな!!」
「アインズ様!!もう少し!!まだ私も気分が悪ぅござ――何者!!」
瞬時に統括の顔を取り戻したアルベドは手の中のバルディッシュに力を込めた。
「アインズ…。アインズ・ウール・ゴウン。生キテ辿リ着クトハネ。」
知らない女の声が響く。
いや――女のような声だ。
「<
オーボエのようにくぐもった、聞き取りづらい詠唱だった。
既に全員に抵抗する術を掛けている為、問題はない――が、これまで我を失っていたようなツヴェーク達は突如ガクガクと揺れ出し、狂ったように侵入者達目掛けて疾走する。
左右に身体をゆすりながら走る姿はまるきり呪われていた。
フラミーはそれをチラリと見るとアインズに顔を擦り付け小さな声で来るな来るなと漏らし続けていた。
「あ、あららら…。」
縋る相手は骸骨なのだからこちらの方が余程ホラーだろう。
アルベドが殺意の風を吹かせるようにバルディッシュを横に薙ぐと一気にツヴェーク達の首は落ち、最後にガラーンと金属製の物が床に落ちる大きな音が鳴った。
ツヴェーク達はインクを水に落としたようにふわりと黒い靄になって消えた。
エントマはアルベドに刎ねられた可哀想なツアーの兜を拾うと、倒れる事なく立ったままでいるツアーに渡す。
受け取ったツアーはやれやれとでも言うように落とされた自分の兜を着け直した。
やはりツアーはアルベドが苦手だ。
「イ、一撃…!」
二階へ続く階段の手すりの陰から、タコのような頭部に無数の触腕を生やした醜く奇怪な者がこちらを覗いていた。
アインズがちらりとツアーへ視線を送ると、兜の調子を確認していたツアーは頷いた。
「ク・リトル・リトルだ。アインズ、悪いがどうか一思いに頼む。」
「…ツアー。本当ニ貴方ガ一緒ニイルナンテ…。」
タコ頭は時たまゴプリと喉から音を鳴らしながら喋った。
階段を下ってくると、全容が見えた。
鉤爪のある手には蛙のような水掻きを持ち、ゴム状の皮膚はぬらぬらと粘液で光っていて、背には飛膜を持つコウモリのような歪な翼が生えている。
「なんて醜悪な…。」
アルベドの漏らした声に強い殺気を帯びた視線が送られ、そのままフラミー、アインズへと滑る。
「――モモンガ!!」
アインズはほう?と興味深そうな声を漏らした。
モモンガさまぁ!
次回 #39 探索者