「二人ともやめて!!」
珍しいフラミーの大きな声にピタリと二人は止まった。
「ツアーさん…うちの子と喧嘩しないで…」
再びエントマを抱き寄せていたフラミーの体はわずかに強張り、その声は弦を震わせるようだった。
当然アルベドを傷付けられるのは我慢ならないが――フラミーはアインズの友達であるツアーが傷付く様を見るのも嫌だった。
アインズは頭にポンと手を乗せながら、早く止めなかったことを反省した。
「……フラミーさんの前で醜い真似はやめろ。アルベドよ、強欲と無欲を見せろ。」
アルベドはガツンと地面にバルディッシュを突き立てると両手のガントレットを外し、それはそれは恭しくアインズに渡した。
どれ…と呟きながらアインズは受け取り、手にはめる。
その様子を見るとアルベドはゾクリと身を震わせ、間接握手…と呟いた。
「何か言ったか?取り敢えず経験値の増加量の確認だ」
真剣に手の平に視線を注ぐアインズを見ながらアルベドは両手の平を合わせてくふふっと笑った。
(これでアインズ様と手を繋いでいると言っても過言ではないわっ。)
過言だ。
「――なるほどな。アルベド、そいつは七十五レベル程度で大した価値はないようだ。一郎と二郎の方がまだましだな。起こす度に幻覚を見せられても不愉快だしリトルの亡骸はここで拠点と共に沈める事にする」
アインズは一気に言い切ると、未だ剣を構えている鎧を見た。
「それなら文句はないな、ツアー」
「あぁ。もちろん。むしろありがたく思うよ」
ツアーは世界の命運を握るフラミーを見ると竜の顔を綻ばせた。
世界を守る為に、フラミーは孤独を癒す以上にもっと重要なキーパーソンだと、もうツアーはよくわかっている。
話の決着は付いたとばかりにツアーが腰に剣を戻し始めると、ドタドタとものすごい足音が聞こえ、階段の上からイビルアイが顔をのぞかせた。
「ツアー!!またお前陛下方に何かしただろ!!いい加減にしろ!!」
「…僕は何も――」
「何もしていないわけないだろ!!陛下方、アルベド様、申し訳ありません。ックソ、早く来い!!」
「……あぁ。」
ツアーはイビルアイに引っ張られるように階段を登っていった。
「アインズ様、本当にこちらで沈めますか?」
「あぁ。本当にそいつに価値はなかった。このまま海底で永遠の眠りにつかせろ」
それにツアーの前で嘘をつけば見破られる。
アインズは本当にここにリトルを捨てていく事に決めた。
「畏まりました。御心のままに」
アルベドとエントマが頭を下げると、アインズは階段を数歩上がり――祭壇の上で眠るリトルへ指を向けた。
「…<
当然何も起こらない。
確かに経験値も吸い上げたのだ。
しかし、何と無く不気味なこの場所にアインズの警戒心は刺激されてしまい、もう一度即死魔法を送った。
「…幻覚じゃ…ないよな…」
アインズは階段の数段上にいるフラミーに頭を撫でられると今度こそ階段を上がった。
誰もいなくなった地下室――。
静かにトーチは燃えてパチパチと音を立て続け――横たわり続けるリトルの遺骸はひたすら炎に照らされた。
ク・リトル・リトルは夢を見る。
二度と覚めない夢を見る。
これから沈む海上都市で――海底に沈んだ石造都市で――。
館の外は相変わらず青々とした空が無限に広がり、優しい潮風が吹き付けていた。
「本当にこれでお別れなんだな…」
イビルアイは神々の後ろをツアーとともに歩きながら仮面の破片を手にもう一度館を振り返った。
「また一人仲間が減ってしまった」
その呟きは前方を歩いていたアインズの胸の奥をギュっと締め付けた。
「減ったけれど、増えてもいるはずだよ。僕たちは一人じゃない」
ツアーの言葉にイビルアイは溢れるような笑顔を作った。
イビルアイにはツアーもリグリットも、蒼の薔薇もいるし――好きな人もできた。
減るばかりが人生じゃない。
「ふふ、そうだな。ツアー、精々長生きしてくれよ!」
「できる限りね」
二人の和やかな会話が続く中、小さな山を下り、揺らめく街に差し掛かる。
相変わらず魚人達はアインズを避けて歩いた。
アインズはずっとエントマが食べたがっていた刺身――いや、エントマが食べたいのは付着しているであろう寄生虫だが――を買ってやり、橋を目指す。
橋を渡ったら早速ギルド武器を叩きたい。
このギルドホームは半魚人の貢物によって維持されているようでろくな資産もないのだ。
罠も僕の召喚も全てが切られている。
街がある。それだけだ。
百レベルに満たないプレイヤー達のギルドホームなのだから仕方のないことだろう。
「あ!あたりぃ!」
エントマは魚の筋肉の中に潜り込んでいた白く細い虫を数匹見つけると瞳を輝かせた。
「…そうか。よかったな」
「はぁい!アインズさまもフラミーさまも良かったら一匹いかがですかぁ!」
アインズが可愛らしい娘に若干引きつると、フラミーはぴたりと立ち止まり顔を青くした。
「うわぁ…。」
「っうわ!エントマ!全てお前のものだ!こちらに気を使わず食べなさい!」
想像したであろうフラミーが気分を悪くし始めると慌ててその身を抱え上げ、一行は進んだ。
橋を渡りきると、上機嫌なエントマは無限のエネルギーが泡立つような不思議な絵の描かれた盾を浜に置いた。
神々に捧げるように丁寧にだ。
イビルアイは都市の者達の避難を行わずに良いのだろうかと思ったが、元から海に暮らしていた者達なのだから問題ないという事にすぐに気が付き静かに控えた。
「今度はどうだろうかな…」
旅行返上で働きに来たのだ。
これで力を得られなかったらアインズは不貞腐れる。
フラミーにたっぷりと攻撃力が上がるバフを掛けるとアインズは暫しフラミーが自分で更にバフを掛けて行くのを眺めた。
「陛下。これは破壊しなければならないのですか?」
イビルアイの素朴な疑問が聞こえ重々しく頷く。
「そうだ。まぁ、見ていなさい」
アインズは<不死の祝福>と言うアンデッド感知の特殊能力に、人質に取られたイビルアイから中位アンデッドの気配を感じた。
人質に取ると言うことはリトルのギルドに関わる者や召喚した者ではないと言うこと。
この世界で、フールーダが大切に仕舞っていた
しかも初めての吸血鬼。
是非このレアな存在を神聖魔導国へ連れ帰りたいとワクワクしていたら、話を聞けば高額納税者のイビルアイではないか。
素晴らしい国民も居たものだとアインズはすっかりこの冒険者を気に入ってしまった。
「そう言えば、お前はエ・ランテルでの暮らしで何か困ったことはないか?」
「え?えっと、仮面が…探知阻害の仮面が壊れてしまって…。このままじゃ、エ・ランテルでは暮らせないのが、今は一番困ってます。はは」
イビルアイは心底残念そうに仮面の破片に視線を落とした。
「何?それは私も困る。貸しなさい」
アインズはフラミーのそばを離れ床に座っているイビルアイの前に膝をつかないようにしゃがんだ。
膝をつくと守護者が狂乱するので近頃は気を付けている。
「え?こ、こまる?へいかが…?」
この冒険者達は国益になると思っているアインズとは対照的に、少女の胸は飛び跳ねていた。
イビルアイがエ・ランテルに暮らし始めたとさっき知ったばかりの筈のアインズが、まさか自分を高額納税者だと認識しているとは思いもしない。
自分を失いたくないとでも言うように差し出した手に震えながら仮面の破片を渡した。
「全て出すんだ」
「は、はい!」
いそいそとイビルアイはポシェットから残りの残骸を取り出し、星の輝きを宿しているかのような白磁の手の上に置いていった。
これで全てです、と言うとその腕に通されている腕輪は輝いた。
「<
バラバラだった破片は自動で集まり、溶接されるかのように張り付いて行った。
「す、すごい…!」
「アインズ、君はそんなことの為に腕輪を使って…。まぁ、位階魔法を増幅する程度なら問題はないか」
ツアーの言葉にイビルアイはムッとした。
「そんな事って!ツアー!!これがないと私はエ・ランテルに帰れないんだぞ!」
「私もイビルアイは手元に置きたいからな。さぁ、これでいいだろう。耐久限界が多少下がって居るだろうが、以前と遜色ないはずだ」
コレクターの血が騒ぐ。
「へ、へ、へ、へいか…!」
イビルアイは仮面が直ったことが余程嬉しいのか涙目になり口をワナワナと震わせていた。
「それに、今度のイベントにはお前の所にも――」
ほいっと顔に仮面を掛けてやると、アインズの背筋はゾクリと震えた。
「な、なんだ?」
ギルド武器に向かって
「アインズさん…」
「ふ、フラミーさん?」
「魔力ください…」
「は、はい!!」
アインズは慌てて立ち上がり手を差し出すと、魔力を吸われて手は離された。
「あ、あの…直に使った方が…?」
フラミーは無視して腕輪を回収し――最大出力で
全ての魔力を一滴残らず吐き出し切ると、盾にはピシリ亀裂が入り真っ二つに割れた。
フラミーは体からエネルギーを失い地に膝をつくと、ぐらりと視線が歪んだ。
「っあぁ…や、やりすぎたぁ…」
「だから直接使った方がって――これは!」
フラミーの身は光に包まれると軽く浮かび上がり――光が弾けるとクテリとその場に転がった。
「フラミーさん!」
その足首には小さな羽が増えていた。
「アインズ!?フラミーは大丈夫なのか!?」
「あ、あぁ。恐らくは魔力の欠乏だが――」
突如暴力的な音量でビキッと巨大なものにヒビが入った音が響いた。
陸と都市を繋いでいた橋に亀裂が入ったのだ。
ビキビキと同じ音がまるでコダマのように幾度も響いて行くと、橋は折れ、魔法の浮力を失った海上都市は首の皮一枚繋がっていた支えからも見放されて大波を起こしながら沈んで行った。
そこで過ごしていた半魚人やヒトデ頭達は皆突然の出来事に逃げそびれたが、荒波の中で上手く泳ぎ、負傷者のみで済んだ。
しかし、わずかに暮らしていた人間や海の中で生きられない者達は皆死に、魚に啄ばまれすぐに骨になった。
半魚人達はそのまま海底石造都市で暮らす者と、西方三大国のある一国に向かう者とに別れた。
時が経つと近くにある神聖魔導国の黒き湖に素晴らしい水上都市があると聞きつけ、西方三大国に渡った半数程度の者が再びの移住を始める。
海底石造都市に暮らす者は、信奉する神――ク・リトル・リトルの側で仕え、その尊き館を守ると言う者が多くいた。
白く薄い布の掛けられた神の身体は損傷こそしていたが腐り落ちることはなく、いつまでも美しかった。
太古の昔に突如現れた海上都市は必ず再浮上する筈だと、そこに仕えて暮らす者達は固く信じた。
後にたった一度だけ、潮の流れや、星の並びによって、僅かに海面に都市が浮上すると――子供や女性が同じ悪夢を見たらしい。
舞台は荒野。
世界中の誰もが知る神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王が、腹の中に収める紅玉から放った光によって、神話のような装備に身を包む大量の者が殺されるという不可解な夢。
ク・リトル・リトルは今日も海底で覚めない夢を見る。