ドレスルームには大量の服が出され、フラミーは鏡の中の自分と睨み合っていた。
煌びやかな物から素朴な物、着て出かけてはアインズが激怒しそうな物まで多岐に渡るラインナップだ。
「大変お似合いかと思います!」
「うぅ〜ん…。これで良いのかなぁ…。」
かれこれ二時間だ。
普通ならメイドも飽きてくるだろうが、ことこのナザリックに於いて、それはご褒美だ。
フラミーは手首でキュッとしまるパフスリーブが特徴的なオフホワイトのブラウスに、正面は膝丈でバックスタイルは足首まである赤のフィッシュテールスカートに身を包んでいた。
「大変お可愛らしくいらっしゃいます!アインズ様もきっとお喜びになるかと!」
アインズ様も――その言葉だけでフラミーはへらりと相貌を崩した。
「じゃあ、これにします。ふふ。」
長い耳に蔦が這うようなイヤーカフを着けると鏡の前でくるりと一回りし、フラミーは自室を後にした。
約束の時間にはまだ早いが、第九階層の白亜の廊下を行く。
途中エクレアや猫達、男性使用人とすれ違い、BARナザリックを通り過ぎ、小さな公園に向かう。
誰もいない公園はブループラネットとベルリバーの手掛けた空が広がっていて、数人のギルドメンバーの私室の窓から空が見えるようにされている。
第九階層には他にもいくつか小規模な公園があるが、フラミーが訪れたここは噴水公園と呼ばれている公園だ。
ベンチしかないような公園や、遊歩道のような公園もある。
ただ、やはり第六階層程の雄大さがない為あまり訪れることはない。
十五歳の少女のようにそわそわと落ち着かない様子でうろつき、まだまだ来ない人を想う。
はたと気付くとフラミーは浮かんでいた。
「あっ、いけないいけない。」
足首に無駄に増えてしまった翼は小さく存在感が薄い為、気付くとその身を浮かばせる。
地に足をつき、その身と共にふわりと浮かび上がりかけていたスカートを撫で付けた。
夢中でそんな事をしていると、ポンと頭に手が乗せられる。
振り返ると、当然――「アインズさん!」
「すみません、何だかお待たせしちゃいました?」
「いえ!今来たばっかりです!」
既に来て三十分が経過していたがこの人を待つ時間は呼吸一つで過ぎ去る。
それに約束の時間まではまだ三十分はあるはずだ。
約束の時間を起点に考えるなら、まだ一秒も待っていない。
身体ごと振り返り、人懐こい瞳をきらきらさせて、幸せを絵にしたような顔をした。
アインズも更に目を細くして、その柔らかい絹糸のような髪を手の中で流すと顔同士を寄せた。
静かな公園で二人の胸は痛いほど高鳴った。
照れ臭そうに笑うと、生まれて初めて唇を重ねましたとでも言うような顔をした夫婦は地表部へ転移した。
ごそごそと茂みが揺れる。
「お出掛けされたわよ。」
「されんしたね。」
「ねぇ、本当にこんな事してて良いの?」
海上都市で程々に美味しい思いをした統括、失敗なしの無敵の吸血鬼、守護者の中で一番愛されている双子の片割れはそれぞれ自分達の上に積もった葉を払った。
地表部までだから護衛は要らないと千回言われ、果ては「私より強い者のみの護衛を許す」と言われてしまったのだ。
そんな者がこの世にいるだろうか。いや、いない。
「だって、たったお二人でお過ごしになるなんて危ないじゃないの。」
「それはそうだけどさぁ…。きっと、アインズ様はあたし達がこうしてることにお気付きだと思うよ。」
「だとしたら、咎められてない以上セーフという事でありんす。」
「それは――そっか?」
アウラが納得行くような行かないような顔をすると、転移の指輪を持つアルベドはガシリと二人の手を取った。
「兎に角行くわよ!あなたも来てくれないと私達は身を隠せないんだから!!」
ナザリック最強戦力のシャルティアを連れ、隠密隠蔽能力に長けたアウラを連れ、ナザリック最強の盾が見守る。
尾行と警護にこれ以上のチームがあるだろうか。
指輪を輝かせて地表部に出ると、支配者達は墓地で何やら楽しげに話しをしていた。
「…掃除は行き届いているかしら。」
「墓石に苔一つ生えとりんせんよ。」
「こんな所で何してらっしゃるんだろう?」
三人は一番大きな霊廟の屋根から伏せて様子を伺った。
「そりゃあ――何か深遠なるお考えがおありなんでしょう。」
「おんしにも解りんせんの?」
「デミウルゴスに聞いたら解るんじゃない?」
「あ!!危ない!!」
アルベドがガバリと身を起こすとシャルティアとアウラはそれを思い切り引っ張った。
「それはこっちのセリフでありんす!フラミー様に見つかりんす!」
「アルベド、本当に隠密行動する気あるの?」
「あ、あるわよ。だって…――」
春の風に誘われ、沢山の蕾を膨らませた木を指差すフラミーがその木の根に押し上げられた地面に躓く。
フラミーはアインズに引き寄せられていた。
二人からはぴぴぴと照れ臭さの汗が飛ぶようだ。
「わ、ご、ごめんなさい。」
「良いんですよ。それにしても木も根も随分成長して来てるな…。」
これまで盛り上がりなど無かったはずの所に小さな山が出来ていた。
「本当ですね。前より随分高さもある気がします。」
二人は春の風に撫でられるように揺れる木を見上げた。
生まれてはじめて寝室以外で二人きりの状況――。
暖かくなり始めた空気は澄んで、胸を叩く鼓動は二つ分。
アインズはフラミーの背をそっと木に付け、しばしあてなくキスをした。
今日を穏やかに何事もなく過ごせたら、二人で短い旅に行く事も許して貰うのだ。
今日はひたすらに静かに過ごして――などと考えていると、もふっと足に何かが当たった。
赤くした顔を離し、視線を下ろすと足下では毛玉がもっふりと丸まっていた。
こりゃなんでしょうと視線を交わしてから餅のような存在を持ち上げると、高速で鼻をヒクつかせていた。
「何だ?…うさぎ?」
「野うさぎ?」
第六階層に七十レベル手前のスピアニードルと言う魔獣はいるが、二人は生まれて初めて生で見るうさぎという生き物をまじまじと観察した。
「そう言えばセバスさんも初めて地表部周囲一キロ確認に行った時に見たらしいですね。」
「そうか。これがセバスの言っていた"戦闘能力がない小動物"か。」
「かわいい。どうやって潜り込んだんでしょうね。住み着いてるのかな?」
ナザリックの壁には土がかけられ、入るとしたら正面玄関だ。
しかしその正面の入り口も幻術で外からは見えなくなっている。
「離して行き先確認しましょうか。」
アインズはそっとウサギを解放してやると、のっちのっちと進み始めた。
かわいいかわいいとウサギを追うフラミーをかわいいかわいいとアインズも追った。
もちもちとナザリックに咲く花を一通りはみ、しばし進むと、ウサギは玄関ではなくすぐそばの墳墓を囲む壁を目指した。
「きっとそろそろお家ですね!」
「ふふ。子供とか居るかもしれませんよ。」
二人が和んでいるのとは裏腹に――「なんなの!?あの生き物は!!」
「このナザリックに侵入するなんて信じられんせん!!」
「全然掃除行き届いてないじゃん!!」
「下等生物が!あぁ!あんな所に!!」
兎は壁にある装飾の穴に頭を突っ込むと、しばし後ろ足をわたわたと動かしナザリックから姿を消した。
支配者達は目を見合わせ、フワリと浮かぶとナザリック外部を見渡した。
「<
「どうです?」
アインズはナザリックを囲む壁に向かうマーレの積んだ緩やかな坂のような丘を隅々まで確認すると、指差した。
「あ、あそこです。」
「ふふ、秘密の侵入経路発見ですね!」
近寄ればマーレの丘には小さな穴が開いていた。
覗き込んで様子を見ていると、中からぴこりと兎が頭を出し、逃げるように駆けて行った。
その先には数匹の兎が草をはんでいて、ナザリックに侵入した兎は一匹の兎とふむふむ鼻を動かしながら顔を寄せ合った。
「家族かな?」
「そうかもしれませんね。」
二人も楽しげに笑うと壁の丘に座りふむふむと顔を寄せ合った。
そのまま夕暮れが訪れるまで肩を寄せ合い野生のウサギたちを眺めた。
「さて、そろそろ帰りますか。」
アインズの言葉に返事はなかった。
寝ているのかと寄りかかるフラミーを見ると、目尻を下げ困ったように笑って草原を見ていた。
その顔の理由に思い至るとアインズは頭をぽんぽん叩いた。
「また出掛けましょう。次はもっと遠くに。」
名残惜しげに頷く人を立たせるとアインズは杖を引き出した。
腕輪を輝かせながら大きく円を描くように杖を振り、魔法を唱える。
「<
ナザリック全体に生命を通さない守りを張る。
本来は三メートル程度しか効果はないが、充分に墳墓全体に行き届いていく。
薄暗くなり始めた世界で、輝く膜が墳墓を包み込んで行く様はどこか幻想的だった。
「綺麗。」
「ん?ふふ。そうですね。」
アインズとフラミーは魔法の膜がすっかりナザリックを覆った事を確認すると、兎が出入りしていた穴を埋めた。
「せっかく美味しいお花食べられてたのに可哀想かな?」
「じゃあ――」
アインズはフラミーと共に墳墓から二株だけ外に花を植えた。
植えられた花は翌年には増え、春には毎年たった一週間程度、付近を花畑にした。
その花はまるでブループラネットの意志を引き継ぐかのように既存の植物や生命を駆逐しない程度の生命力で世界に馴染んだ。
アインズはその花が咲くたびにこの日の赤いスカートを花のように靡かせて笑うフラミーを思い出し、一輪摘んでは持ち帰ってその耳に掛けた。
「そうですか…。申し訳ありませんでした。」
「私に謝っても仕方のないことよ。それから、アインズ様が直々に守りの魔法を唱えて下さったのだからよくお礼を言うことね。」
「なんという…。」
「デミウルゴス。私達はアインズ様のご慈悲にお応えするように行動しなくてはならないわ。」
「もちろんです、アルベド。」
デミウルゴスは奮起する。
「アインズ様の信頼にお応え出来るような防衛プランを、侵攻訓練までに作って見せます。」
「そうね。アインズ様にご満足いただけるものにしましょう。それにしても――まさか防衛の穴にお気づきでお出かけされるなんて…。だからお二人で…。」
「なぜ?お二人でお出かけになる理由がわかりません。」
「決まっているじゃない。これらの管理はあなたの仕事よ。だけれど、あなたは忙しくしているから、アインズ様はあなたを傷付けないように秘密裏に問題解決を行なってくださったのよ。」
恥ずかしい。
「無能だと不快感を抱かれるより…恥ずかしいですね…。」
同時に歓喜に包まれる。
自らの主人がそれほどまでに自分を思っていたと知って。
「…私はやりますよ。」
「当然よ。」
近々この世界の腕の立つものを呼び出した防衛侵攻訓練が行われる。
そこで行われた訓練が思った通りに行けば今後の普段の防衛指針になる。
きっと支配者達の気にいる物を――。
悪魔達はやる気に溢れた。