日が昇ると支配者達は要塞を出て再び山を登り、一日かけて頂上に着いた。
誰にも踏まれたことの無い真っ白な雪は風に舞い上げられ、フラミーの銀色の髪もふわりと青い空に向かって靡く。
アインズはその様子に一時見惚れ、はぁ、と溜息をこぼした。
「どうかしました?」
言葉を発するのももったいない。
アインズはゆっくりと顔を左右に振った。
いたずらそうな顔をして瞳を覗き込んでくるフラミーの頭をぐしぐしと撫で付けた。
「んもう。子供じゃないですよ!」
変わらない言葉が無性に可愛くて抱き締める。
「――俺の奥さんが子供な訳、ないじゃないですか。」
何度も滑らかな髪に指を通すとふと指先に蕾がぶつかった。
デミウルゴスには悪いがこれはいつか家に飾って装備をやめさせよう。
腕の力を弱めて体を離すと、フラミーは顔をホオズキのように赤くしていた。
「あ、あの…さ…さとるさん…。」
胸を叩かれたかと思うほどに心臓が跳ねた。
「は、はい…。」
「私達、夫婦なんですね…。」
頷きながら何か、兎に角何かを言わなければと思うが、気の利いた言葉が思い付かず、アインズはただただ首を縦に振った。
すると、フラミーは消え入りそうな声で――あなた、と一言呟いた。
ボフンッと新雪が舞う。
アインズは思わずフラミーを雪に押し倒していた。
「うぅ文香さん…好きだぁ…。」
時間が止まったような雪の中で、この星の上にはもうたった二人しか生き物はいないんじゃないかと思う。
互いの鼓動が聞こえる。
アインズが唇を寄せるとフラミーは息を止めてギュッと目を閉じた。
「…フラミー様…。」
デミウルゴスがダメージを食らっていそうな声を上げると、全員が鏡から目を離した。
羨ましい…という呟きが静かな室内に響く。
「前にコキュートスが言ってたように、デミウルゴスももっと男を磨かなくちゃ!」
アウラの茶化すような声に、じっとりとした視線を向ける。
「…常に磨いているとも。」
「アインズ様の足下にも及んどりんせん。」
横槍だ。清浄投擲槍だ。
「ソウハ言ウガ、デミウルゴスニ足リナイ物ハ何ダ。」
「全て、でしょうね。アインズ様の全てを見習うべきよ。」
「分かっています…。」
眉間に寄せた皺を摘むように抑えるデミウルゴスを、マーレは正面から一切邪気のない瞳で捉えた。
「あ、あの、僕、デミウルゴスさんに何が足りないのか分かります!」
あまり期待していないけど、とでも言うような視線でマーレに先を促す。
「ぼ、僕、男らしくなったら将来の話をしよう、ってフラミー様に期待して貰ってるんですけど――」
「「「なんですって?」」」
ヌッと現れた知恵者三名を前にマーレはアワワと動じたふりはするが、動じない。
「や、やっぱり、男性である前に、スカートを履く気持ちが分かる人じゃないと、だ、ダメなんだと思います。」
アインズ様はローブをお召しになるからよくお分かりでしょうし――と続けるマーレを前に知恵者達は一瞬硬直し、約ニ名は吹き出しそうになる物をプクッと膨らませた頬の中に溜めて堪えた。
「デミウルゴス、あなたもスカートを履かなければね。っぷくく。」
「ッブ――失礼しました。フラミー様にぜひお見せになって下さい。」
小馬鹿にしたような視線を向けられるが、デミウルゴスは物凄いことに気付いた。
「――私はフラミー様より一番の理解者とご評価いただいているのですが――」
「あ"ぁ?」
すぐに人の話を遮る統括と、埴輪から怒りの波動を向けられるが、無視し、むしろ幾ばくかの優越すら感じさせる表情を作る。
「んん。事実私は一番の理解者ですが、さらに言えば
「オォ…ナルホド…。」
アルベドはガタンと立ち上がった。
「そういう事。私はおズボンを履いてくるわ。フラミー様がお戻りになる時にお見せするの。」
「…私も宝物殿に少しばかり用を思い出しましたので、これで失礼させて頂きます。御方々は仔山羊を振り払う素ぶりも
パンドラズ・アクターがいそいそと鏡を仕舞うと美しき光景を奪われた守護者達はエェーとつまらなげな声を上げた。
「仕方ありんせん。妾もズボンを履きに帰りんす。」
「じゃあ、あたしはスカート履いてみようかな!」
「え、あ、ぼ、僕もズボン履いてみる!!」
「私もウルベルト様が残して下さったローブを出してみましょう。」
途端に蜘蛛の子を散らすように守護者達は解散した。
しかし、その場に残る者も一人――。
「私ハ…何ヲ着ルノガ正解ナンダ…。」
「あぁ!やめてぇ!」
湯気が立たんばかりに汗をかき、白く染まったフラミーは音を上げた。
「まだまだこれからですよ!」
二人は雪合戦に勤しんでいた。
「もー!<
「っあ、ずるい!<
フラミーも魔力が随分増えたので魔法を使った無慈悲な雪合戦だ。
戦う支配者達の横で仔山羊達が触腕を使い器用に雪玉を作っていく。
たまに作った雪玉を食べては嬉しそうにぴょいこら跳ねていた。
「むむ!これでどうだ!<
相手の敵対値を下げる魔法だ。
フラミーがくるりと回って尻を突き出し尻尾を振ると、今まさに雪を投げようとしていたアインズはぴたりと止まった。
「隙あり!」
フラミーは丸々とした雪玉をアインズの顔面目がけて投げ付けた。
バフっと雪が直撃すると、アインズはその場に倒れた。
「っ…はぁ、や、やられた…。ずるい…。」
「キャー!やったー!!」
初めての勝利におにぎり君とハイファイブを交わす。
まん丸ふわふわ尻尾を生やしたフラミーを眺めながらアインズはハッと鼻を抑えた。
「ん?あ!!大丈夫ですか!?」
鼻血が出た。
「わわ、ごめんなさい。痛かったですね?<
「え、あ、ありがとうございます。」
なんて情けないとアインズは己のふやけた脳みそを叱責した。
頭を優しく撫でられながら、また鼻血が出そうになるのを堪え、視線をフラミーから外す。
気付けば辺りはもう夜の帳が下り始めていた。
「今日はこの辺にしましょうか。晩御飯食べて、汗流して寝ましょう。」
「はーい!」
アインズが要塞を出す横で、フラミーは楽しかったなぁとリ・エスティーゼ王国方面に落ちていく日を眺める。
「…ね、アインズさん。来て。」
要塞の扉に手を掛けていたアインズは手を伸ばすフラミーに微笑んだ。
「なんですか?」
「見て。とっても綺麗だから。」
太陽が沈み行く様を二人はしばらく黙って眺めた。
刻一刻と世界の色が変わり、月が登る。
「…アインズさんが守る世界…。」
「うん。守ります。あなたのために。」
握り合った手はあたたかかった。
アインズは蕾が開いた事を教えるために、若干忌々しい花にちょんと触れた。
翌日、アインズとフラミーは山を越え、海が見える所まで行くと海に向かって下山し始めた。
どんどん海に近づき、麓に差し掛かると、雪解け水に咲く不思議な緑の花を見つけた。
「こ、これ!フキノトウですよ!!」
フラミーが興奮気味にそれを摘み始めるとよくわからなかったがアインズもそれを手伝った。
「っあ、こら!おにぎり君!食べるんじゃない!」
「あ、はは。恥ずかしい。私が食べようとしてるから食べ始めちゃったのかな。」
フラミーはぽりぽりと頬をかいた。
アインズはこれを食べるのかと摘んだ花に視線を落とし、昼には再び要塞を出した。
「…ふーむ。なるほど。天ぷらか。」
いそいそとキッチンに向かうフラミーを追い、二人で料理する。
二人で作ると言うのも、作りながら食べると言うのも、何もかもはじめての体験だった。
フラミーの口に物を入れてはそれを追って口付けたり――二人はとろけていた。
そしてフキノトウの天ぷらは美味だった。
フラミーに、母の味ってこれであってるのかなと不安そうに聞かれ、アインズは満面の笑みで頷いた。
「俺も液体食料が多かったんで、フラミーさんの作る全てが俺にとっての母の味で家庭の味ですよ。これが鈴木家の味です。」
フラミーはまた癒された。
料理と言う名の食事と言う名のじゃれ合いはしばらく続いた。
さらに後日、海のすぐ手前まで来ると海の上には揺らめく都市が見え、再び海上都市かと二人は目をこすった。
幻術やかつての何者かのギルドホームの防衛機能かとじっくり眺める。
アインズが仔山羊とフラミーを置いて様子を見に行くと、どこまで行っても幻には追いつけなかった。
「逃げ水…。」
アインズはフラミーの下に戻り、蜃気楼だったと話した。
生まれて初めて見る蜃気楼を二人は肩を寄せ合って、消えてしまう迄眺め続けた。
またさらに後日、海に沿って歩けば崖の上にはどこまでも無限に続くように見える花畑が広がっていた。
「わぁ!春ですねぇ!」
フラミーはくるくる回るとバタリと倒れた。
「本当ですねぇ。こんな所があったなんて知りませんでしたね。」
すぐそばでアインズも座ると二人で花に身を沈め、いつまでも空を眺めた。
どこからともなくぷぃ〜んと気の抜けた高音が聞こえる。
「あ、蜂。」
「パトラッシュ!!」
ビジッという音を立てたパトラッシュの触手によってミツバチは粉々に消えた。
「えっ!ダメですよ!可哀想なことしないで下さい!」
「あ、す、すみません。フラミーさんが刺されるかと…。」
しょんぼりするアインズにフラミーは吹き出すと愛らしくも頼もしい支配者を撫で付けた。
「やっぱり、大切に思ってくれて、ありがとうございます…。」
「…俺の一番の宝物ですから…。」
二人は飽かず花に埋もれて優しく穏やかな口付けを交わした。
周りでは仔山羊達が昔教えられた早口言葉を言い合い――といってもメェェェだが――実に平和だった。
翌日、南北への縦断は済んだので今度は王国の方角、西に向かって伸びる峰を行った。
再びの雪景色だ。二人が巨大雪だるまを作っていると、ズン…ズン…と巨大な足音が響いた。
目を凝らすと青白い肌に白い髭と髪、何かの動物の皮をナメした物を見に纏う巨人がパトラッシュ達を追いかけ回していた。
その者は
「ここはもううちの領土だ。従えんと言うなら死あるのみだ。」
慈悲深い王はオフの為、YESかNOでしか会話をする気はない。
まごまごといつまでも返事をしない
その後フラミーに回復させられると
天敵の
変化は出稼ぎに出る者ができたこと、食事に困らなくなったこと、集落に
そのお陰で夜間に子供が雪山から転落して死ぬ事がなくなったこと。
最初にアインズ達と出くわした者は不幸だったが、部族全体としての暮らしは格段に良くなった。
食料も出稼ぎに出ている者が帰りに神聖魔導国羊をいっぱいに抱えて帰ってくる。
支配者達が翌日立ち去る頃にはまだ怯えられていたが、後には深く感謝されるようになったらしい。
夜が明け
二人はすぐさま大量のバフを唱え、仔山羊達を盾とする事を決めた――が、竜王はそのまま二人を無視して飛び去っていった。
二人は少し発想が過激だったねと笑いあい、竜王がどこへ向かうのか追いかけて行った。
山の終わりに着いてしまうと深追いはやめたが――行き先は評議国のようだった。
「あいつもツアーの親戚かな?」
ツアーに親戚はいないが、アインズは評議国の竜王は皆ツアーの親戚と呼んでいる。
「前に行った時いなかったんですか?」
「うーん、いなかったと思うんですけど、もう忘れちゃいました。」
興味なしとでも言うようなセリフにフラミーは可笑しそうに笑った。
竜王を夢中で追いかけて来たが、辺りは夜が訪れ始めていた。
二人は最後の夜だからと要塞を出しもせず、雪山のてっぺんに転がる巨大な岩から澄み切って冴え渡る星空を眺めた。
「ねぇ…きれいだよ…。」
フラミーの呟きは誰に聞かせたものか分からなかったが、アインズはそうだねと応えた。
「あんまり綺麗で苦しいよ…。」
手を繋ぐ先のフラミーは泣いていた。
二人は降り注ぐような星空の下、寒さも暑さも感じない身を寄せ合って眠りについた。
フラミーの翼はあたたかかった。
翌朝――アインズは何気なく触れた腹の中に
居ても立っても居られないとばかりに起き上がるとむにゃむにゃ言うフラミーを起こし、折れる程キツく抱きしめた。
気付いていない様子のフラミーに興奮しながら腹の中の力を――子供が出来ているかも知れない事を伝えた。
それを聞いたフラミーはバレちゃったと笑った。
「教えてくれたらよかったのに!こんな…出掛けたりしちゃダメじゃないですか!!」
「はは、言われると思いましたぁ。でもせっかく二人でお出かけするって約束したから。」
フラミーは首を振った。
困った人だなと笑いながらため息を吐くと――「それにこれでまたダメだったら、もうあなたも皆ももたないから」とフラミーは蕾を弄びはじめた手元に視線を落とした。
知られたくなかったと困ったように笑う姿はトラウマに震えているようだった。
昨日の夜話しかけていた相手が誰だか悟り抱き締める。
「…俺はあなたが居てくれれば大丈夫です。」
強張っていた体が少しほぐれた気がした。
「あの、子供達には…まだ…。」
「わかってます。子供達にはまだ伏せておきましょう。」
それがフラミーの気持ちの為にもなるような気がする。
子供達の喜び方はきっと強いプレッシャーを与えるだろう。
それに――外部の者には産まれるまで知られたくない。
いつ誰にどこで危害を加えられるか分かったものじゃない。
主に竜王にだが。
フラミーはアインズの胸で少し泣いた。
その後、夕暮れが訪れるまで多少歩くくらいで特に何もしなかった。
フラミーはやっぱり共有できて良かったと、たくさん笑い、ただ、幸せを期待して二人で震えた。
旅の終わりに滲む景色をアインズはただ眺める。
「さて、そろそろ帰りますか。」
やはりフラミーは困ったように目尻を下げて笑った。
「また出掛けましょう。次はもっともっと遠くに。」
名残惜しげに頷く人を抱き寄せる。
ただの人間でいられる時間の終わりに、少しだけどこかへ逃げ出したくなる。
しかし――それ以上に家と家族が恋しくなっていたし、あそこ以上に何かを守るのに適した場所もない。
二人の時間を愛しむように支配者達は強く抱きしめあった。
「絶対にまた、お出かけしましょうね。」
春の風が立つ。
「次はどこに行きますかね。」
「どこまでもついて行きますよ。」
あてのない旅だ。
気の向くままに行って帰ってくればいい。
二人は二匹を連れて
「なんだなんだ、イメチェンか?」
出迎えるは――パンツスタイルのアルベドとシャルティア、互いの服を交換した双子、ローブ姿の息子二名、小さな花を頭にちょこりと着けたコキュートス。
「あー!かわいい!皆とっても似合ってますよ!」
フラミーの嬉しそうな声に、守護者達は顔の筋肉を緩めると――
「「「おかえりなさいませ!アインズ様、フラミー様!!」」」
とびきりの笑顔で支配者達に抱き着いた。
しばらく守護者や僕の間でイメチェンは流行したらしい。
その夜――。
「俺は今から
「アインズさん。」
「あ、何かあったかい飲み物もらってきましょうか。そうだ、食事も俺が運びますから心配しないで下さい。後は何か欲しいものあります?一晩外なんかで寝ちゃってますしよく休んで――」
「はは、アインズさん。落ち着いてください。」
アインズはフラミーに数度引っ張られ、やってしまったと口に手を当てた。
「す、すみません。」
「ううん。良いんですよ。でも、こんな風にしてたらすぐ子供達にバレちゃいます。」
「た、たしかに…。」
「私、変わりなく過ごしますから!」
頭をわしわしかきながら、もうここを出したく無いと何度も何度も思う。
「ね。」
「そう…ですね…。」
アインズは渋々頷くと、人体と妊娠について書かれている本を借りにこっそり
いつもビジネス書を拝借するのと同じ調子だ。
当然気付かれていない事はないが、司書達は
またお出かけしましょう!
次回 #47 アーウィンタール冒険者組合
お嫁のあんよが可愛い御身頂きました!ユズリハ様よりです!
【挿絵表示】
最初はスーパーダイジェストでした↓
なのにめちゃ長になっただよ
>海が見える所まで行き、遠くに蜃気楼を見たり、雪解け水に咲くフキノトウを摘んで食べてみたり、途中で出くわした