眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#52 第二階層 黒棺

 ――強い浮遊感。

 面々の視界は真っ黒に染まっていた。

 ズブズブと身が闇に沈んでいく感覚に襲われる。

 イビルアイは飲み込まれまいと急いで浮かび上がった。

「お、おい!誰かいるか!!」

「いるわ!イビルアイ!」「いるぞ!明かりをくれ!」「いる。」「やばい。」

 どうやら全員で飛んできているようで、次々に返事が返ってくる。

「溺れるなよ!今明かりをつけてやる。<永続光(コンティニュアルライト)>!」

 漆黒の空間に光が灯る。そして辺りにはそれを照り返すつるりとした輝き。

 沼かと思ったが、タイル張りの部屋のよう――だが、違う。

 ブレインの落ち着いた声が響いた。

「あぁあ。ゴキブリじゃねーか。」

 脳が理解することを拒絶していたというのに――無理やり現実を認識させられた瞬間、女子の悲鳴が上がった。

 浮いているイビルアイですら辺りを見渡し叫んだ。

 沼だと思ったのは大量のゴキブリ。

 耳をすましてみればカサカサカサカサと虫達が鳴らす特有の音と、パキッパキッと誰かの足元から硬質な物を踏み潰す高音が鳴り続けている。

 

「が、ガガーラン!!肩車!!」「ひいい!腹を這ってる!!」

 双子は露出が多いため背筋を震わせながら、ガガーランと言う名の巨木に登った。

「わ、私も!!私も!!イビルアイ!引き上げてぇ!」

 ラキュースのヘルプコールが響くが構っていられない。

「今すぐ出口を探すから自分でなんとかしろ!<蟲殺し(ヴァーミンペイン)>!!」

 イビルアイが両手を正面に掲げると、そこからは白い靄が大量に噴き出した。

 放出された靄に触れたゴキブリは途端に絶命し――天井や壁から大量のゴキブリがバラバラと降り注ぐ。

 ゴキ沼の深さが増していく。

「いやーーー!!」

「生きてる奴らに触れるよりマシだろう!!」

 ニンブルは降り注ぐゴキブリの中絶句していたが、近くにいたラキュースに向かって死した黒い海をザラザラとかき分けながら歩き出す。

「アインドラさん、とにかくこちらへ!」

 ニンブルは何とか縮こまるラキュースを正面から抱っこするように抱きかかえると、何でもなさそうにゴキブリを搔きわけて出口を探すブレインのそばに寄った。

「アングラウスさん、どうですか?っうわ…。」

 ポツポツといつまでも死したゴキブリが降り注ぐ。

「あそこだ。あそこのゴキブリの――」

 ぎょぎぶり!!とラキュースが言葉を反芻し、コアラのようにニンブルの腹に縋ると、ニンブルはこの娘を拾った事を少し後悔した。

「……んん、あそこのゴキブリの山の向こうにどうやらドアらしい物がある。見えるか?」

 ゴキブリの雨の中二人で希望へ向けて視線を送る。

「…あれですね。見えました。行きましょう。」

 

「――それは我輩が困りますな。」

 突如知らない者の声が響く。

「ふ、今度はどんな化け物かな!」

 ブレインは何だかんだ楽しんでいる。

 もこもこと黒い山が蠢くと、下からゴキブリが跳ね除けられ始め、下の方で生きていたらしいゴキブリ達が、何者かに道を譲るかのように飛び立った。

「キャーー!!あなた騎士ならゴキブリくらいなんとかしてー!!」

「…そう言われましても…。」

 ニンブルはこんな地獄のような場所に送られるくらいなら死の大魔法使い(エルダーリッチ)と戦えばよかったと思う。

 元同僚のレイナースはどこまで行っただろうか。

 ――聖典達がここに降って湧いてこない以上良いところまで行っているかもしれない。

 ニンブルがいいなぁと現実逃避を始めていると、ゴキブリの飛翔は止まり、ポコン!と三十センチ程度の者が現れた。

 二足歩行のゴキブリだ。

 

「我輩はこの地をアインズ様より賜り守護する者。名を恐怖公。どうぞお見知り置きを。」

 恐怖公はまるで貴族がそうするかのように丁寧に頭を下げた。

 名乗ってくる以上これまでのアンデッドとは違い正々堂々と戦うタイプだろう。

 ブレインは胸を高鳴らせながら刀を抜いた。

 ニンブルも剣を抜くと、ブレインはそれを手で押し留めた。

「俺はブレイン・アングラウス。あんた、俺と一対一で戦わないかい。」

「ふふ。良いですが、その前に、我が眷属達に少し味見させてはいただけないですかな。」

「…これだけ小さな生き物相手にゃ刀は振れねぇ。最初からあんたとのやり合いを俺は望みたいところだ。」

 どう言う体の作りかは謎だが、恐怖公は顔を左右に振った。

「アングラウス殿。我が眷属は共食いに飽き飽きしておりましてね。今は腹を空かせておりますから、眷属達の食事を止める気はないので、あなたと一騎打ちとは行きません。」

「味見――そのままの意味か!?」

 その言葉の意味が脳髄に染み込むと同時に、ザワザワと黒い津波が起こる。

「さぁ!我が領域を越えられる者はおりますかな!<眷属召喚>!!」

 黒い濁流が津波のように押し寄せると、点検者達の全身にはチクチクと痛みが走り出した。

「アングラウス!!激風アノック!!やるぞ!!」

 それはイビルアイの声だった。

「…貴女様は些か危険ですな。来なさい!シルバーゴーレム・コックローチ!!」

 恐怖公が小さな足をピコリと挙げると、ゴキブリの中から更にゴキブリが――体長百センチ以上の光り輝く銀色のゴキブリが現れた。

「さぁ!始めましょうぞ!!」

「<重力反転(リヴァースグラビティー)>!!」

 開戦一発目のイビルアイの魔法はまるで部屋を真っ逆さまにしたかのようにザラリとシルバーゴーレム・コックローチ以外の全てのものを天井に押し上げた。

 天井のゴキブリにドサドサと仲間達が落ちて(・・・)いく。

  天井でゴキブリの上に立ったブレインとニンブルは恐怖公に斬りかかった。

 イビルアイは仲間達が出口に向かって必死に天井のゴキブリの上を這うのを見送る。

「<水晶騎士槍(クリスタルランス)>!!」

 扉をあけてやろうと輝く槍を放つが、魔法はまるで初めから存在しなかったかのように扉直前で消失した。

「ッチ!お前達、自力で開けろ!!」

「任せろ!!」

 ガガーランの肩車に双子達が乗り、扉を開く。

 イビルアイはニヤリと笑った。――瞬間、目の前を銀色の閃光が走る。銀色のゴキブリの頭突きだ。

 

 間に合わない。

 

 イビルアイは本能で回避不可能と悟ると防御魔法を発動させた。

「<損傷移行(トランスロケーション・ダメージ)>!!」

 ガツンッという激しい衝撃とともに目の前が真っ白に染まる。

 ゴキブリのいなくなった壁に思い切り叩き付けられかけると飛行(フライ )でキキッと空中に急停止した。

 肉体ダメージを魔力によって肩代わりする魔法を使っていなければ今の一撃で瀕死だっただろう。

「…強い…!!」

「イビルアイ!!」

 部屋の外から蒼の薔薇の全員が手招いていた。

 そしてそれを見た恐怖公と戦う二人が一瞬振り返る。

「行け!!俺たちはここで恐怖公さんと戦う!!」

「行って下さい!!」

 イビルアイは悩んだが、恐怖公とかなり良い勝負を繰り広げる男子を見捨て、仲間の元へ飛ぶ。

「すまん!!埋め合わせは必ず!!」

 銀色のゴキブリが行かせまいとイビルアイに向かう。

「っち!!<魔法抵抗突破最強化(ペネトレイトマキシマイズマジック)>・<水晶の短剣(クリスタルダガー)>!!」

 通常よりも巨大にした水晶の短剣を思い切り射出する。

 ただ、目の前の銀色の存在にはどこに打ち込んでも止まるとは思えない。

 ――故に、対象は恐怖公。

 イビルアイに向かって高速で近付いて来ていた銀色の存在は恐怖公を守るように短剣を止めに飛び立った。

 イビルアイはその瞬間を見逃さずに部屋の外に飛び出し、バンっと扉を閉めた。

 部屋の中では重力がひっくり返っていたが、外は正しい重力が待っている。

 一瞬だけ目が回るような感覚に襲われるが、蒼の薔薇は一目散に駆け出した。

 

 薄暗く、青白い氷に覆われた廊下を進む。

 あの銀色の存在もいては残った二人は勝てない。

 今頃きっと彼らは帰還書を燃やしているか――恐怖公の眷属の味見(・・)に付き合わされている頃だろう。

 共に走る双子の腹は血まみれだった。

「おい!大丈夫かティア、ティナ!」

 一番露出が多かった二人はたっぷり食い付かれていた。

「…汚されちゃった…。」「もうお嫁にいけない…。」

 双子は軽くふざけていた。

 しかし、それどころではない。

 イビルアイ以外の全員がガチガチと歯を鳴らし、唇を青くしていた。

「生身にここは寒すぎる…!兎に角出口だ!」

「どこかで暖を取った方がいいんじゃない!?」

「いや!下手に部屋に入ったら恐怖公さんの親戚がいるかも知れねぇ!」

 ラキュースはそれの方が怖いとブルリと背を震わせた。

 バタバタと駆け抜けて行くと、バンっと突然扉が開いた。

「あらぁ?やだぁ!煩いと思ったらぁ!今回は出番は無いって聞いてたけど、来てくれたのぉん?」

 その者の見た目はまるでリトルの溺死体だった。

 ぶよぶよと膨れ上がった体と頭部を持ち、ボンテージファッションに身を包んでいた。

 

 今にも悪臭が漂って来そうだが――その体からは優しく甘いフローラルな香りが漂っていた。

 

「…こいつなら勝てる。」

「こわいわねぇん。」

 ウフフッと可愛らしく笑うと、水死体はパンパンっと両手を叩いた。

 それに呼ばれ、開いている扉から続々とエプロンを掛けた悪魔のような者達が出て来る。

 そして天井や壁、方々から異形が滲み出て来はじめ――ガガーランが叫んだ。

「無理だ!!イビルアイ!!」

「いや、相手の難度は大した――」事はないと言おうとしたが、仲間達の鎧は凍りつき、武器を持つその手すらビキビキと凍りつき始めていた。

「ッチ!!ここまでか…!!」

「お前だけでも進め!俺たちにはもう無理だ!!」

「応援してるわよ!」

 ラキュースとガガーランはいつの間にか寒さに気を失っていた薄着の双子を抱え、帰還書を燃やした。

 

 ――ひとりぼっちになってしまった。

 気を抜いている暇はない。

 イビルアイはすぐさま魔法を唱えた。

「<砂の領域・全域(サンドフィールド・オール)>!!」

 辺りが砂に覆われると、視界を奪われた者の混乱の声が響く。

 イビルアイは懸命に飛んだ。

 そして、館の出口を見つけバンッとそれを開いた瞬間、パラパラと雪の降りそそぐ一面の美しい銀色の世界に一瞬目を奪われた。

 しかし、惚けたのも一瞬。そこには――「ホウ。良ク来タナ。」と白い息を吐き出すコバルトブルーの守護神。

 そして佇む白い肌を持つ美女達。

「ここまでですわ。」

「…強い……。」

 一目見ただけでわかる。圧倒的強者達の感覚に喉がヒリヒリする。

(――別格だ。この方達は…あまりにも…。)

 イビルアイはここまでかと帰還書を取り出す。

「待テ。今回我等守護者ハ手ヲ出ス事ヲ禁ジラレテイル。相手ヲスルノハコノ雪女郎(フロスト・ヴァージン)達ダケダ。」

 そうは言っても雪女郎(フロスト・ヴァージン)から叩きつけられて来るオーラも凄まじいの一言に尽きる。

 先程の銀色のゴキブリよりも強いだろう。

「…コキュートス様…申し訳ありません…。私では…。」

「ヤッテミモセズ、諦メルノカ。」

 その言葉にイビルアイは顔を上げた。

「……では――<部位石化(リージョン・ペトリフィケーション)>!!」

 相手の機動性を落とす魔法を断りなく雪女郎(フロスト・ヴァージン)に送る。

 しかし――まるで流星が流れたかのような一瞬の出来事。

 イビルアイの目の前に雪女郎(フロスト・ヴァージン)の尖った美しい爪が肉薄し、ドサリと雪に肘を付いた。

「……ありがとうございました。」

「ソノ心意気ヤ良シ。アインズ様ニ良イ御報告ガデキル。」

 イビルアイはそれを聞くと清々しく笑い、一瞬襲い掛かってきた――まるで針が突き刺さるような殺気に震える手で帰還書を燃やした。

 

+

 

「「「「イビルアイ!!」」」」

 地上に戻ると仲間たちがイビルアイを迎えた。

「なんだよ、早かったじゃねーか!」

「聞いた話だと死んでしまった人も結構いるみたいで心配してたのよ!」

 バンバンとガガーランとラキュースに背を叩かれながらイビルアイはへへ、と頬をかいた。

「あぁ。確実に受けたら死ぬ攻撃を寸止めしてもらって見逃していただいたよ。でも、コキュートス様にお会いした。」

「すごい!まだ守護神様にお会いできた者は一人もいなかったのよ!」

 ラキュースの興奮する声が響くと、ボロボロの冒険者達からは拍手が上がった。

 英雄の帰還のような扱いにイビルアイは照れ臭そうに笑った。

 そして、自分があそこまでに行くために地獄に残ってくれた者を思い出す。

「そういえばあの二人は!?」

「あそこ。」「やっぱり死ぬ前に見逃してもらったらしい。」

 双子の指し示す先に、意気投合した様子のブレインとニンブルはいた。

 

 二人は随分と楽しげにゴキブリとの戦いについて、荷物番をしていた冒険者チーム二組と死の大魔法使い(エルダーリッチ)との戦いに身を投じた二人の騎士に語っていた。

「…はは。あんなの聞かされる方もたまったもんじゃないな!」

「あとでお礼を言いに行きましょう。でも、あの話が終わったらね。」

 ラキュースの呆れたような声音に蒼の薔薇はそうだなと全員が頷いた。

 

+

 

「隊長!アンデッド掃討完了です!!」

「よし、よくやった!」

 ニグンは自分の隊員達の見事な働きに喝采を送る。

 漆黒聖典と紫黒聖典は適材適所という事で陽光聖典とその天使に前方を任せ、順調に進んでいた。

 下の階層へ続くような階段を見付け、一行は踏み込んだ。

 

 フラミーはその様子を鏡ごしにじっと見ていた。

「うーん。ほんとに皆すごい…。」

 冒険者は蒼の薔薇一行で最後だった。

 あとは聖典にも期待できる。これだけ力が集まればどこまでも進めるものだ。

「はい、冒険者達は実にいい記録を残しました。」

 どこでどんな風に退避したのか、または死んだのかをデミウルゴスは細かくメモにとっている。あとでアインズに見せる為だ。

「人間が本能的に逃げ込みたくなる場所も分かりましたし、今後はそう言うところに多く罠を張っておくとより良さそうですね。それに、こちらは罠を解除しようとして、罠にかかった形跡がありますし――こちらは我々の思惑通りの動きをしましたし――こちらは御方々の肝いりの装置に突っ込みましたし――こちらは…まぁ、全員死にましたが、良いでしょう。兎に角動物実験の重要性を痛感いたします。」

「本当に…まさかこんなに進んでくるなんて思いもしなかったです。」

「誠にその通りでございます。最初冒険者を入れると聞いたときはどれほどの意味がと思いましたが――あらゆる力という物がここまでとは。」

「さすがアインズさんですね。」

 デミウルゴスは心底嬉しそうに頷いた。

 賢い人だ。フラミーは、ツアーと知らない人と共にどんどん進むアインズを見た。

 魔法職のまま鎧を作って過ごしているので大した力は持たないはずだが――

 

「アインズさんはきっとここまで来ますね。」

「ふふ。道を知っているというのはずるい事です。」

 

 ワザとここへの転移トラップを踏んで、最短で最奥を目指すはずだ。

 デミウルゴスは愉快そうに笑うとフラミーの髪を撫で、耳から蕾を抜いた。

「さぁ、フラミー様はアインズ様がいらっしゃるまで少しお休み下さい。御身は少しお疲れのようです。」

 元気のおまじないをするとまた耳に返す。

 翼が増えてからと言うもの、フラミーはぼんやりと不調のような気がする。

 旅の疲れが抜けないと遊びまわってしまった一週間を恥じているが、旅から帰ってもう三日だ。

 

 デミウルゴスは目を細めた。

 一つの想像が浮かぶが、それを訪ねるのは不敬な気がする。

 勝手な想像をし、もし違っていれば支配者達は傷付くだろう。

「ありがとうございます。はぁ、ここで少し寝ようかなー!」

「どうぞお眠りください。」

 フラミーはパタリとその場に転がると目を閉じた。

 疲労は無効にしたはずだと言うのにすぐ様寝息が上がる。

 デミウルゴスはジャケットを脱ぎフラミーに掛け――そっと腹に向かって手を伸ばす。

「不敬よ。」「不敬ですね。」

 ピタリと手は止まった。アルベドとパンドラズ・アクターが戻って来たのだ。

 アルベドは一度玉座の間へ行き、自動湧き(POP)の僕達の死亡数の確認を行なってきた。

 自動湧き(POP)の者共はいくら死んでもナザリックに何の影響も与えないが、何事もデータは大切だ。

 パンドラズ・アクターは宝物殿で金貨消費量の動きを確認していたが、全冒険者が脱落した今、情報共有のため一時報告に来たのだろう。

 しかし、聖典も支配者組も残っている以上またすぐに戻らなければ。

「あなた、あまりフラミー様にベタベタしないでくれるかしら。」

「君には言われたくないですね。」

 アルベドとの間にバチリと一瞬火花が散る。

「では私が。デミウルゴス様、あまりフラミー様にベタベタしないで下さい。」

「…君に言われると痛いね。」

 パンドラズ・アクターの顔は変わらないが、不機嫌そうだった。




黒棺なしにナザリックは語れない……!!

次回 #53 第三階層 玄室

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