目覚めた。
此処は何処だろう。
自分は――誰だろう。
「えーっと、名前は…パンドラズ・アクター。」
優しい手だ。
体が構築されていく。
自分の存在が生まれていく。
だと言うのに――
何を怒っているんだろう。
何を悲しんでいるんだろう。
この身にはこんなにも生まれる喜びが溢れているのに。
「お前は
自分ではない者のカタチを覚えていく。
「今日、一人引退した。いつか…他の皆もやめちゃう日が来るのかな…。」
此処は少し――寂しい場所のようだ。
アインズが立ち去るや否や、フラミーはパンドラズ・アクターに連れられ宝物殿に来た。
いつもと殆ど変わらないその場所だが、一点だけあまりにもおかしい場所がある。
フラミーは自分を先導するように歩くパンドラズ・アクターの肩をちょいちょいとつついた。
「あの、ズアちゃん。あれは…?」
フラミーの指差した方には大量のフラミーの像が置かれていた。
「あれは国中の神殿から回収されてきた物です。割ったり破棄したりするのも不敬かと思いまして。」
神殿には既に新しい翼の増えたフラミー像が配られている。
「わぁ…捨てて貰っていいのにぃ…。」
「そのような真似はできません!」
パンドラズ・アクターは何を当然のことをとでも言うような雰囲気だ。
なんとも相変わらず守護者とはこういう話が噛み合わないと苦笑を零しながら、自分の像の様子をよく見た。等身大だ。
まだどの像もお団子頭に四対の翼で、翼が一対多いことを除いて殆どまるっきり転移当時そのままだ。
どの像も微妙にポーズや表情、着ている物が違う。そしてどれも今にも動き出しそうなほど細緻な作りで、鍛冶長の妙技には恐れ入る。
「そう言えばアインズさんって、ギルメンの
「え?えぇ。そうですが?」
「私の所、これ置いてもらおうかな?一人だけリアルすぎます?」
フラミーは引退していなかったし、装備も渡していないため未だアバターラはない。
当然モモンガの分もなく、数度
パンドラズ・アクターはフラミーの歩幅に合わせて歩いていたと言うのに突如ピタリと止まった。
それはまるで彫像になったようで、一切の呼吸も身じろぎもしない完璧な静止だった。
像の方へ余所見をしていたフラミーはドンっと「りある…」と呟く背中にぶつかり、尻餅をつき掛けると腕と腰を引っ張られた。
「わ、すみません…。」
パンドラズ・アクターは二つの黒い穴でまじまじとフラミーを覗き込んだ。
「そう言うことですか…父上…。」
「…ん?」
フラミーはいつもの守護者の"そう言うことですか"と言うセリフの中身が相変わらずよくわからずに首を傾げた。
そのままパンドラズ・アクターはフラミーを抱き締め、震えたようだった。
「フラミー
「ズアちゃん…?」
辛そうな雰囲気に背をトントン叩いているとパンドラズ・アクターは体を離した。
「失礼いたしました。さぁ、こちらです。」
パンドラズ・アクターはフラミーの手を掴むように握ると、これまで向かっていた応接間とは違う方へ向かって再び歩き始めた。
心なしか先程よりも早い足取りで金貨の山の間を避けるように進んでいく。
こんなに宝物殿は広かったのかと思いながら進むと、巨大な、まるで鳥籠のような檻が置かれていた。
「わぁ、これなんですか?」
パンドラズ・アクターは無言で檻の扉を開けるとフラミーを連れ中に入っていった。
檻の中には芝生が生えていて、二人の足元からは草を踏むサクサクと言う小気味良い音が鳴った。
室内をイメージしているのか屋外をイメージしているのかよくわからないその場所には芝生の他に一本の木が生えているというのに、可愛らしい天蓋のついたベッドや、アンティーク風のカフェテーブル、それを左右から囲む一人掛けソファも二脚置かれている。
他にもミニキッチンがあったり、猫足のバスタブが端に置かれていたり、まるでお人形遊びをするためのようなその場所は、女の子の夢がぎっしり詰め込まれたような空間だった。
「これは、私がこの約三年間作り続けて来た場所です。如何ですか?」
三年間。フラミーはそう聞くと締め付けるような遣る瀬無さを感じて胸に手を当てた。
あの殺風景な管理者用の応接間だけでは無人島に取り残されたように孤独だっただろう。
ここはそんなパンドラズ・アクターの秘密の箱庭なのだと、そう思った。
「とっても素敵だと思います!」
それは何よりとパンドラズ・アクターは笑ったようだった。
「さて、お茶をお出ししますので、こちらで暫しお待ちください。」
パンドラズ・アクターは優雅に頭を下げると、ガチャンと扉を閉めて立ち去っていった。
フラミーはパンドラズ・アクターの背が見えなくなると、うろうろと檻の箱庭を歩いた。
「ズアちゃんって乙女趣味だったんだなぁ。」
小さく咲く花の前にしゃがみ眺めつつ、それならアインズも実はそうなのかなと想像し――それはなさそうだと苦笑した。
ガチャガチャと扉が開かれる音が鳴ると、高級そうなティーセットを持ったパンドラズ・アクターが戻って来た。
「お待たせいたしました!フラミー様は座ってお待ちを!」
ウキウキと楽しげにミニキッチンで準備を始める姿に微笑ましくなる。
フラミーはおままごとに付き合ってあげようと大人しく座り様子を見た。
すっかり準備が済んだかと思いきや、テーブルにはティーポットと一つのカップ、揃いのデザインの砂糖ツボにミルクピッチャー、美しい銀の茶漉し。
パンドラズ・アクターの分は無いのだろうかと、揺れて立ち昇る湯気から視線を上げるとパンドラズ・アクターは膝をつき帽子を脱いで胸にあてた。
「フラミー様、何か他に欲しいものは御座いますか?」
フラミーはゆっくり顔を左右に振り、自分の前を示した。
「いいえ、何も。それより一緒にどうぞ。座って下さい!」
僅かに迷った後パンドラズ・アクターはミニキッチンに置いたままだったカップを手に取り、フラミーの前の席に座った。
フラミーは自分で注ごうとするパンドラズ・アクターを押しとどめ、アンティークらしい茶漉しをカップに掛けるとメイドやパンドラズ・アクターを真似して注ぐ。
芋を蒸しただけの料理が出ないナザリックにおいて、ティーバッグ入りの紅茶なんてものは出ない。
「こんな感じですか?」
「お上手です。」
パチパチと節くれだった指のついた手をゆっくり叩くとパンドラズ・アクターは嬉しそうに――した気がした。
動かない顔なのだから本当にそうなのかなんて分からないが、フラミーにはそう見えた。
「ふふ、良かった。」
フラミーも笑うと、パンドラズ・アクターは胸に手を当て少し震えたようだった。
もう少しこのNPCにも気を使ってあげるべきだったなと反省する。
金貨の山の中に隠されるように存在する箱庭で、二人は楽しげにカップに口を付けた。
「フラミー様は疲労、睡眠、飲食を無効化されていないようですが、毒や麻痺などの抵抗は付けておいでですか?」
唐突な質問にカップから視線を挙げる。
ここに充満するブラッド・オブ・ヨルムンガンドに侵されていないかの確認だろうか。
「毒と麻痺は付けてますよ!大丈夫です!」
「なるほどなるほど。」
ふと、フラミーはぐらりと視界が歪んだ気がした。
「っあ…。」
都市国家連合の時と同じだ。
眩暈。いや、これはなんだろう。
強烈な眠気にフラミーはカップを落としかけ、割れてしまうと慌てるが、体が言う事を聞かない。
しかし、パンドラズ・アクターの手にカップは受け止められソーサーに戻された。
「ご、ごめんね…少し待ってね…。」
パンドラズ・アクターは無言で様子を眺め、フラミーは眠りに落ちた。
「毒無効でも上手くいって良かったですね。さて、強力すぎる装備はこちらでお預かりいたしましょう。」
パンドラズ・アクターは立ち上がるとテーブルに突っ伏すフラミーを抱え上げ、ベッドに座った。
自分に寄りかからせると背のリボンを二本引き、二枚のローブを丁寧に脱がせた。
柔らかく吸い付く様な肌に触れながら、脳内では不敬だ不敬だと言う言葉が繰り返される。
このままではいけないと、急ぎアイテムを取り出した。
カルマ値がマイナスの者の力を落とし、カルマ値がプラスの者の力を上げる――天使の為の装備としてユグドラシルでは割と流通していたドレスだ。
白いチュールが幾重にも重なるスカートには、蔦のような刺繍が金糸で施されている。
運営の年齢制限に引っかからない程度に所々薄く紫色の肌が透けていた。
いつ
(――やっぱりあなたにも
パンドラズ・アクターは着せた改造済みのドレスの背に垂れるリボンを結んで留め、念の為毒を無効化する額飾りを着けさせた。
アクセサリーは外させて居ない為大丈夫だろうが、万一ブラッド・オブ・ヨルムンガンドに侵され始めていてはいけない。
何の対策もしていない低レベルの存在であれば三秒と保たない程の猛毒だ。
もしレベルダウンをさせる為に殺すことになったとしても、もっと尊厳のある、美しい死が似合うだろう。
パンドラズ・アクターは慎重にフラミーを寝かせ、さらりと髪を撫でた。
「フラミー
毎日飽く事なく眺めてきた秘密の
「なのに…フラミー
悲鳴染みた声が宝物殿に響くと
動かない顔からは涙ひとつこぼれることは無かった。
「…でも、これでやっと安心できる…。」
パンドラズ・アクターはようやく仕舞うべき場所に仕舞うべきモノ――ナザリックの最秘宝を仕舞えたと思うと、フッと笑いを漏らし、軽く脱力してから立ち上がった。
至高の四十一人のうちの一柱であるチグリス・ユーフラテスの姿になると、パンドラズ・アクターは盗賊としての能力を全て駆使していく。
すると、フラミーの胸の上にはフラミーの
指をなんとか入れられる程度の黒い闇がぽつりと浮かんだのだ。
ベッドに膝をつくと、その穴に無理矢理指をいれ、ギチギチとこじ開けていく。
両手で左右へ引っ張り開けると、二本の腕を突っ込み穴を押し広げながら中身を確認する。
ポーション、ユグドラシル金貨、よくわからない消費アイテム――こういう物は持たせていてもいい。
問題は装備と砂時計だ。
最大火力で超位魔法を使われれば流石に檻は破壊されてしまう。
綺麗に整頓されているその中をさらに探っていくと、以前一度没収し返却された砂時計を見つけた。
自分の
そして
「…結構ありますね…。」
必死になって中身の回収を進めていくと、ふと
「パンドラズ・アクターです。」
『セバスでございます。フラミー様のお食事の時間なのですが、
「これはセバス様。フラミー様はこちらでお休みです。お食事はすぐに私が回収に行きますのでそのように手配をお願いいたします。」
『かしこまりました。ではワゴンごとお持ちください。』
気の利く執事に礼を言いながら、装備の回収を済ませた。
仕上げに両腕と両足に金色の枷――腕輪を嵌める。
どこと繋いでおくわけでも無いが、万一目覚めここから出ようとしたりすれば痛みが走るだろう。
「ふぅ…。さて、では食事を――」
が、この箱庭の中では一切の転移が阻害されている事を思い出し、パンドラズ・アクターは立ち上がった。
檻の一部のようになっている扉から外に出ると、厳重に締め直し転移して行った。
宝物殿には穏やかな寝息が響き続けた。