#1 閑話 セバスの結婚式
「やっぱりこれは地味だったんじゃないか。」
随分と派手な黒いローブに身を包むアインズは新郎の様子を見に来ていた。
「いえ、私には派手すぎたくらいかと。」
何とも聞き覚えのあるそのセリフを新郎――セバスは今日まで何度も繰り返し続けた。
陰険な支配者は半年前の鬱憤を晴らし損ねた。
セバスの纏う、シングルボタンのフロックコートは実に常識的だった。
白と銀の間のような光沢のある生地は全体に地紋が入り、上品な中にも落ち着いた華やかさがある。
いつもモーニングスタイルのセバスは見事にそれを着こなしていた。
それに白銀の衣装はロマンスグレーの頭によく似合っている。
「…仕方ないやつだ。主役だと言うのに。――それじゃあ、私は先に行っているぞ。」
アインズがその場を立ち去るとセバスは深く頭を下げた。
控え室の外では黒いシャツに黒いスーツ、黒いネクタイを締める黒ずくめのデミウルゴスと、深緑の半ズボンに白いジレ、蝶ネクタイのマーレ、――全裸のコキュートスがアインズを迎えた。
四人で歩き出すと、ちょうど準備が終わった様子のフラミー達女性陣も現れた。
腹が楽なように胸下に切り替えがあるグレーのエンパイア型のドレスローブを纏うフラミー、深緑のスカートにリボンタイを着けたアウラ、深紅のボウルガウンに身を包むシャルティア、黄金のマーメイドドレスを颯爽と着こなすアルベド。
アインズは二人掛かりで幻術を掛けたフラミーの腹を撫でながら女性陣を見ると呟いた。
「――新婦より目立ちそうで怖いな…。」
「お姉ちゃん!!早く!!」
「解ってるから!それよりンフィーの準備が済んでるか聞いてきて!」
その日カルネ区の族長――いや、区長エンリ・バレアレは二年前に作って、二度だけ着た黄色のドレスワンピースに身を包んでいた。
一度目はエンリ達の両親とンフィーレア・バレアレの祖母、区民とゴブリン達と共に盛大に行われた自分の結婚式で。
二度目は神都で行われた神々の結婚式で。
そして三度目の今日は、エ・ランテル市の闇の聖堂で行われる守護神の結婚式に向かうため。
区長として給料は神聖魔導国から出ているが、貴族でもないエンリにはそう何度もドレスを仕立てる習慣はない為、一度作った一張羅をこうして大切な場面では何度も使っているのだ。
「ンフィーさんももう行けるって!」
昔神に救われた時にはたった十歳だったネムももう十三歳だ。当然それに合わせ、十六歳だったエンリも十九歳になった。
ネムは今も復活した両親と暮らしているが、エンリはンフィーレアと二人暮らしだ。一階がバレアレ薬品カルネ店の店舗になっている三階建ての小さな新居でおままごとのように順調で幸せな毎日を過ごしている。
余談だが、ンフィーレアは週に一度はエ・ランテル市の魔道省に出掛け、尋常ならざる額の予算の組まれている――神の血を真似た赤いポーション作りの研究に参加している。
二人の家の隣には区庁舎があり、その先にはゴブリン街が広がっていて、カルネ区は区の外の人々にはゴブリン区と呼ばれていた。総勢五千人を超えるゴブリン達は今でも代わる代わるエンリに甲斐甲斐しく世話を焼いている。特にゴブリン軍師などは優秀な頭脳を持つため区庁舎で一緒に働いていて毎日顔を合わせていた。しかし、今ではすっかりそれぞれの暮らしや家庭もでき、昔のように十九人のゴブリンと食卓を囲む事はなくなった。
余談だがエンリは外部の者に区長だと名乗り、「こんなに人間種に似ているゴブリンは初めて見ました」と本気で驚かれたこともある。
エンリは鏡の前で自分の姿が今日の場に相応しいか――ゴブリンに見えないか――再三確認し、よしっと声を上げるとバッグをひっ掴み、ネムと共に階段を駆け降りた。
「エンリ!遅いよ!」
エンリはンフィーレアの焦ったような声を聞き流し、その身に急接近するとすんすん鼻を鳴らした。
「……ど、どう?」
「――セーフ!」
ビッと親指を立て、真夏の日差しにお似合いな笑顔を作った。ンフィーレアは薬や草の匂いにまみれていることが多い。偉大なる闇の神である神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、光の神で魔導王妃であるフラミーの吸う空気を汚す事は許されないだろう。
「お姉ちゃん、ンフィーさん!早く行こう!」
ネムは神々の結婚式には行けなかった為、その興奮は並のものではない。
以前神々の結婚式に区長だからと呼ばれたエンリは配偶者であるンフィーレアと二人でガチガチに緊張して出かけ、空気に散々飲まれ、披露の宴で出された美食の数々にすっかり圧倒されて帰ってきた。帰って来てから数週間二人は偉大な神々の話しかしなかった。話を聞かされたネムをはじめとした区民はその時の光景を想像してはうっとりと夢見心地な顔をした。そして約束の地に建つ神殿で式のオシャシンの販売が始まると区民が殺到したらしいが――それはまた別のお話。
「ネム、お願いだから式の間は静かにしてね。」
ネムは任せてくれと何度も被りを縦に振った。
今回の招待状の返信には、妹も参加していいかとンフィーレアに書いてもらった所、守護神の相手であるツアレニーニャ・ベイロンから直々に是非どうぞと寛大な返事を貰った。
三人は三号川の
ンフィーレアの祖母であるリイジー・バレアレは今もエ・ランテルに暮らし、バレアレ薬品エ・ランテル店をエ・ランテルの東に構えていた。バハルス州に続く道が近く、エ・ランテルで最も賑わう一大商業地域だ。今も冒険者達はそこでポーションや薬品を購入して出掛けるのが大抵だった。
週に一度はそこに顔を出している為、エンリもエ・ランテルにはすっかり慣れた物だ。
「お、お姉ちゃん…私大丈夫…?」
それは前回エンリも思った事だ。自分なりの一張羅だが、とてもこの場に自分が相応しいとは思えなかった。
「大丈夫………多分。」
何とも心許ない返事だ。
「大丈夫だよ。ほら。」
ンフィーレアの声に誘われて顎をしゃくる方を見ると、実に平凡そうな、自分達と大差ないか少し身奇麗程度の若い集団を見付けた。キョロキョロしていて、それこそ自分達が場違いじゃないのかと震えている様だった。その点エンリ達は一度場違い満点の場所を体験している為あれ程挙動不審ではないだろう。裏を返せば以前あれ程挙動不審だったのだろうが。
エンリは少しだけ胸を張り、三人は聖堂へ踏み入れた。
厳かな雰囲気の聖堂は神都大神殿と合体している大聖堂程大きくはないが数百人と言う国中の重鎮が入ったとしても狭苦しさを感じさせない余裕がある。
美しいメイドに案内されて席に着くと、外で見かけた若者達は一番前に案内されて行った。
「俺達のせいでツアレさん、嫁入り後に怒られたりしないよな…?」
普段は不真面目なルクルットも流石に今日の聖堂の雰囲気には真面目にならざるを得ない。
「そうならないように、気を付けなければいけないのである。」
落ち着いたふりをしているダインもソワソワと髭を触っていた。
「はは、さっき普通そうな人達もいたから大丈夫だよ。それにニニャはツアレさんのたった一人の家族で――…ニニャ?」
「っあ、ごめんペテル。何か言った?」
ニニャの目からは涙が落ち続けていた。
「…ううん。良かったね。」
静かに頷くニニャは震える胸に手を当てた。
「………うん。」
良かった。良かったはずだと言うのに――。
ツアレはこれからセバスの出入りが楽なように闇の神殿の近くに設けられた屋敷に暮らすことになる。守護神はナザリックに生きる場所があるが、ツアレはナザリックで暮らすことを許されない。いや、ナザリックに入る事も提案されたが、ナザリックに入り内部を詳しく知れば二度と生きては出られないと言われたらしく、ツアレはそれを断った。半身を置いてはいけないと。
当然ニニャにナザリックで暮らす資格はない。防衛点検の荷物番の報酬を受け取る際に入った玉座の間と前室を思えば当然のことだろう。あれほどの場所、そうそう人間の出入りを許せるはずが無い。
(これじゃ…まるで…。)
ニニャは自分の身が再び姉の枷になっている事に胸を痛めた。
ニニャという存在のせいでツアレが貴族から逃げられなかったように、ニニャという存在のせいでツアレがナザリックに行けないなんて。
(ツアレが幸せならニニャだって幸せなのに…。二人でツアレニーニャだって言ったのに…。)
最後まで首を縦に振らなかった姉の姿を思い出すと、なぜ自分達はいつもこうなんだと、ニニャは悔しそうに手を握った。
聖堂内はすでに静まり返っていた。
立つように促されると、聖堂正面に置かれている鏡から続々と守護神が現れ、最後には神々も現れた。偉大な神に手を引かれて現れた女神の手には胎児のような不思議な生き物、そして後ろにはモモン。以前は闇の神の方が圧倒的上位者なのではないかと噂されていたが、今ではこの二柱が平等な存在だと言われて疑問を持つ者も随分と減った。
女神は漆黒の剣と目が合うと軽く手を振った。
「あっ、あぁ。」
ペテルとルクルットから喘ぐような声が漏れ出る。手を振り返すために上げ掛けた手を下ろし、二人は冒険時もそんなに素早くは動かないのでは無いかと思えるほどのスピードで頭を下げた。モモンは兜の中からチラリと漆黒の剣を見たようだった。
(モモンさん…プラムさ――光神陛下…。)
神々の着席を合図にツアレの同僚達によって聖歌が歌われ始めると、扉が開き、セバスが姿を見せた。
セバスは涼しい顔をして進んでいくと、神々に深々と頭を下げた。
(セバス様も本当は姉さんと暮らしたいよね…。)
ままならない自分という存在にニニャはふぅとため息をついた。
「ニニャさん。」
セバスが自分を呼ぶ声にニニャはハッと顔を上げた。
「貴女の幸せはツアレを幸せにします。私もツアレを幸せにするように努力しますが、貴女もツアレニーニャの幸せの為に笑っていて下さい。」
「セバス様…。でも…私の存在は……。姉さんはきっとセバス様と――。」
「私達は共に暮らします。毎日ツアレの下に帰ってみせますので。そうしなければ、私が至高の御方々に叱られてしまいますよ。」
そう言って微笑むセバスを見ると、ニニャは顔をくしゃくしゃにし、口を押さえて感情を溢れさせた。
そしていつも自分達を救ってくれる守護神と神に深く頭を下げ、嗚咽混じりの声を出した。
「お願いしますっ…。どうか、姉を…。」
二人のやり取りが終わった様子を確認すると再び扉は開かれた。
一人しずしずと進むツアレは、平民だと言うのにどこの王侯貴族よりも美しく飾られ、まるで天使のようだった。
セバスはそれを見ると眩しそうに目を細めた。
(宝石は傷付かない方が価値は高く綺麗とされます。ですが、人間は宝石ではない。人間の綺麗さは内面にあります。ツアレ、あなたは本当に綺麗です――。)
どんなに美しい絵の具を使って彼女を描いたとしても、彼女の本当の美しさは描ききれないだろう。
彼女の重みはどうしたって表現できない。
セバスはツアレに向かって手を伸ばした。
二人の式は多くの祝福と幸福の中進み――セバスとツアレは最後にアインズとフラミーの前に膝をついた。
アインズはリハーサルと違う行動に大丈夫かと内心首をひねる。
「アインズ様、フラミー様。この度は並々ならぬご温情をお掛け頂き、ありがとうございました。私達はこの日を生涯忘れないでしょう。今後とも御方々のため、大いに奮励する覚悟であります。どうぞ末永くお見守り下さい。」
セバスの言葉に合わせてツアレが頭を下げるとアインズはやれやれと手を振った。
「セバス、ツアレ。そう言う真似をする必要はない。立ちなさい。」
「私達は
二人の支配者は穏やかな笑顔を浮かべた。
「お前達は我々の子供なのだから。」
若い男の姿のアインズと、同じく若い姿のフラミーにそう言われ、喉から感情がこみ上げて居る様子の初老のセバスとツアレの姿は、ともすれば奇妙だったかもしれないが、来賓の者達も守護者達も皆目頭が熱くなるのを止められなかった。
ツアレはその後、アインズの持つ若返りの魔法を受け入れることなく七十五歳と言う若さで人間としてこの世を去る。
「やっとあなたに追いつけたから」とセバスに並んで違和感のない容姿になった彼女はセバスを容易に追い越して逝ってしまった。
セバスとツアレは最期の時まで互いを深く愛したそうだ。
わずか五十年程度の時を共にしただけだったが――セバスは決して次の妻を迎えることはなかった。
「すごかったねぇ…お姉ちゃん。」
宴も終わり、聖堂を出ると夢見心地のネムは足元がふわふわしているような気がした。
エンリとンフィーレアが全くその通りと頷くのを見ながら、ネムはあの美しい神々の姿を思い出した。
何と言っても初めて人の身のアインズ・ウール・ゴウンを生で見たのだ。
オシャシンは姉に買ってもらった事があったが――「ゴウン様って…本当にカッコいい…。」
ネムはハァ〜〜と魂を吸い出されたようなため息を吐いた。
夢見心地の三人はその後、持たされたヒキデモノと言う名の土産をバレアレ新宅で確認した。
神々の結婚式では守護神の結婚式の倍以上の土産を受け取っておきながら、バレアレ夫婦は隠すように酒や菓子、果物を食べてはくすくすと笑いあったものだが――。
今回は中身を確認すると三人は楽しげに目を見合わせ、そっとそれらを袋に戻した。
翌日、エンリ達は十九人のゴブリンと、エンリとネムの両親、ンフィーレアの祖母であるリイジーを呼び出し、皆で幸せを分け合ったとか。
ツアレ、五十年後に死んじゃうんですねぇ( ;∀;)
ちなみに引き出物は全部食べ物みたいですよ!
分かりやすくナザリックの威ですねぇ!
次回 #2 閑話 ツアーの鎧