アインズは第五階層に作った、氷山をくり抜いた錬成室を訪れていた。
そこには魔法の膜に包まれた、拳程の大きさの素材の塊――いつか限界突破の指輪になる物が二つ浮いていた。後ろにはツアーの鎧を抱えるコキュートスと、
「よし、そこら辺で良いだろう。」
コキュートスがアインズの声に従い鎧を下ろすと、イツァムナーは本を開いた。
「………じゃあ、ツァインドルクス=ヴァイシオンの鎧の製作方法を調べる。」
嫌そうだった。
「ふふ。ツアーのオリジナル魔法なんて楽しみだな。」
アインズは愉快そうにイツァムナーの様子を見た。イツァムナーの手の中で自動的にバラバラとページがめくれて行くと、ピタリとあるところでそれは止まった。
「………あった。これが、ツァインドルクス=ヴァイシオンの鎧を作った魔法。」
イツァムナーはアインズに向けて開いたページを見せた。
「どれどれ。」
受け取りもせずに目を通していく。アインズではこのアイテムを扱う事はできないからだ。
位階魔法と違い一ページ程度では終わらず、アインズは次へ、次へ、とそれをただ一人めくることができるイツァムナーに指示を出す。
そして五ページにも及ぶ魔法の解説を読み終わると、アインズの骨の背には幻の冷や汗が流れた。
「…これは安請け合いだったか。」
複雑怪奇な力の組み合わせと手順により生み出されたその鎧の製作方法は想像を軽く超えていた。
何よりも特筆すべきはその素材だ。
五百年前、八欲王に殺された大量の竜王達の亡骸から試作品と完成品の併せて二つを生み出したらしく、素材も今あるものでは足りる気がしない。
頭のてっぺんから爪先まで鎧の中を一分の隙もなく、竜王達の神経が大量に縒られたものが凝縮されて巡っている。
この作り込みこそがツアーが始原の魔法を失った今でも自在に鎧を動かせる秘密だろう。
すでに失われた鎧こそ完成品で、今ここにある鎧は試作品だ。
この鎧はかつて十三英雄の一人に渡し、墓に安置していたものだとツアーは言っていたし、旧竜王国でフラミーに「今の僕の鎧は正直言って弱い」と言っている。
そんな試作品でこの完成度だ。
アインズはエ・ランテルで砂にした鎧は勿体無い事をしたなと、ツアーの短慮に骨の身には不要なため息をついた。
肺の――存在していればだが――全ての空気を吐き出し切ると、まずはどうしたものかと悩み、最後のページを開いて見せ続けているイツァムナーに次の指示を出す。
「ツアーが鎧を動かすのに使っていた魔法を調べてくれ。今の使用感を確かめる。」
「………かしこまりました。ツァインドルクス=ヴァイシオンはもっと御身に感謝すべき。」
ぶちぶちと文句を言いながらもきちんとページの検索を始め、再びアインズに一つのページを見せた。
赤く灯る眼窩の光を滑らせるように読み込んでいくと、アインズは置きっ放しのロッキングチェアに腰掛け、楽な体勢になり目を閉じた。
真っ暗な視界の中で、鎧を見つけ、それに手を伸ばす。
接続しようとした瞬間、鎧は巨大な
「ッハァ!?」
アインズは悪夢から覚めるように椅子から身を起こすと、今は存在しない心臓がバクバクと鳴っているのを感じ、ギュッと肋骨を掴んだ。
「アインズ様!如何ナサイマシタカ!」
肩を大きく揺らすように骨には不要な呼吸をしていると、コキュートスが不安げにアインズの足元に膝を付いた。
「大丈夫だ…少し驚いたがなんともない…。」
骨の眉間を摘むようにしていると、ツアーの鎧はガチャガチャと音を立てた。
「アインズ、僕のこれに繋ごうとしたのかい?」
「あ、ツアー。すまん。使用感が違わないように事前チェックをしようと思ったんだが、まさか防壁がかかっているとは思わなかった。」
「そうかい。こっちこそ悪かったね。それで、どのくらいかかりそうだい?」
「…直ぐにでも返してやりたいが素材が足りない。特に神経が。」
いや、神経を縒る魔法も複雑で失敗しそうなのだが。
ロッキングチェアに座るアインズと、床で崩れたまま立とうともしない鎧はうーんと少し悩むと、直ぐに二人で声を合わせた。
「とにかく常闇のところに行くか。」「じゃあ常闇からいただこう。」
二人は便利だなと笑い、アインズはツアーを引っ張り立たせ、肩を貸した。
「コキュートス、イツァムナー。私たちは少し常闇の所に行ってくる。お前達はここで待っていてくれ。」
「カシコマリタシタ。オ気ヲ付ケテ。」
「………ツァインドルクス=ヴァイシオンにお気を付けて。」
二人に見送られながらアインズはちらほらと舞う雪の中氷結牢獄を目指し歩いた。
ツアーの鎧は凍りついたように冷え切っていて、常人が生身で触れれば皮膚が張り付き剥がれてしまうだろう。
二人の後には大量の
「アインズ、子供の事はいつ公表するんだい。」
ツアーは自分の鎧を支えて歩く骨を見た。
「本当は無事に大人になるまで外の者には教えたくないんだがな…。」
この広くも小さなナザリックの中で、何者にも害されないほどの力を手に入れられるまで――。
「…そういう訳にも行かないだろう。」
「分かっているさ…。それ以上に美しい世界の中で大人になってほしいと思っている…。」
アインズはメルヘンチックな可愛らしい洋館の扉をギギ…と押し開けた。
「…僕は公表する事で守られる場合もあると思うよ。そろそろフラミーの腹も大きくなり始めた頃だろう。」
「……一応大聖堂完成式典が近々あるから、そこで公表する予定ではいるんだ。」
二人が式を挙げた神都大聖堂は建物そのものは完成しているが、外部に配置する彫刻はまだ揃いきっていなかった為、実は竣工を迎えていない。
建物を建てるような単純作業はスケルトン達で十分行えるが、彫刻などの繊細な作業はアンデッド達には難しいし、現地の者に任せるには荷が重いため、鍛冶長が一体一体命を懸けて作成している。
近々最後のペロロンチーノ像が風見鶏のように大聖堂の屋根に設置され、完工だ。
「しかし竜王達に知られるのがな…。フラミーさんや子にちょっかいを出さないか怖いんだよ…。」
「…そうだね。必要があれば僕が首を取ってこよう。あまり悪い方にばかり考えてはいけない。」
ツアーは安心しろとでも言うようにアインズの肩を数度叩いた。
ありがとう…と小さく礼が届くとツアーは自分より長生きしている筈のアインズをまるで弟のようだと思った。
「なぁツアー。」
「なんだい。」
洋館の廊下を二つの足音が響く。
ツアーは骨のアインズも悪くない気がした。
「せっかく常闇に会うんだ。お前も真っ二つにされた恨みがあるだろう?死なない程度にお前も痛ぶって良いぞ。」
剥き出しの神経をじっくり焼いても良いし、目を開かせてその中に手を突っ込んでも良いし、尻尾から少しづつミンチにしても良いし、と様々なプランを提案して行く姿は楽しげだ。
そして子を共に守ると言うような雰囲気のツアーへの感謝や労いのような心遣いすら感じる。
――が、
「………それはありがとう。ところでアインズ、そろそろ人になれ。」
ツアーは引いた。そしてやっぱり骨は駄目だと確信したのだ。
二人はニューロニストにあれやこれやと注文を付け、氷山の錬成室に戻った。
コキュートスがロッキングチェアを揺らしているのを見るとアインズは小走りでそれに近付いた。
「フラミーさん!こんな寒いところに来ちゃダメじゃないですか。」
ヴィクティムを腹に乗せたフラミーが椅子で揺れていた。
「おかえりなさぁい。あ、ツアーさんも!どうですか?鎧、直りそうですか?」
過保護なアインズは上着のように着ていたローブを脱いでフラミーに掛け、寒くないのに、と笑うフラミーの手を何度も撫でた。
「やぁ、フラミー。目星は付いたよ。ただ、素材が集まるまでしばらくは掛かりそうだね。」
「あれ?常闇の鱗、結構増えてませんでした?」
「いや、神経が足りないんです。神経は無理に剥ぐと常闇がショックで死にかねないからニューロニストも慎重にやるって言ってました。」
かと言ってあまり回復を掛けるのが早すぎるとせっかく剥ぎ取った神経も消える為中々加減が難しい。
「簡単にはいかないものですねぇ。」
ツアーもフラミーの隣に来るとその腹に人差し指でちょんと触れた。
「…あれからもう一月か。また力が大きくなっているね。」
「お腹も少し重たくなってきましたよ!」
フラミーがふーと腰をさするとヴィクティムが回復魔法を掛けるが、良くなっている様子はない。
春に行った海上都市で超初期だったフラミーの腹は秋を目前とし、ぽこりと小さく膨らんでいた。
順調に行けば冬が深まる頃には出てくるだろう。
「おい、お前の手は冷たいんだ。あんまり触るんじゃない。」
「ん、すまないね。」
ツアーの手をしっしと払っていると、フラミーがアインズのローブを引っ張った。
「アインズさん。それはそうと、ガゼフさんがエ・ランテルの闇の神殿にアインズさんを訪ねて来てるそうですよ。」
「え?戦士長ですか?」
フラミーはそれを伝えに来ましたと頷いた。
ガゼフは最初に勧誘したが、自分は王の剣だとはっきり断られた。しかし、その後支配者のお茶会の時にザナック王子の護衛としてナザリックを訪れていたり、結婚式の時には祝いを述べに来てくれたりしている為年に一度程度は会っている。
個人的に会いに来ている様子の彼の用事など、気が変わったから仲間にして下さいくらいしか思い浮かばない。
そうだと良いなとアインズは少しワクワクした。
「はい。出来れば直接話したいって――セバスさんが言われたそうですよ。」
アインズがツアーに振り返るとツアーは床に座った。
「じゃあ僕はこれで。」
「悪いな。鎧は任せてくれ。時間はかかるかも知れんがなんとかしよう。」
「あぁ。頼む。――フラミー、体に気をつけるんだよ。」
「はーい!また遊びに来てくださいね!」
フラミーと仲睦まじく手を振り合うと、ツアーの鎧は支える力を失いガランと軽く崩れた。
「じゃあエ・ランテルに行くか。コキュートス、護衛はお前が来なさい。イツァムナーは――無いとは思うがツアーの鎧が勝手にうろつかないようにここで
護衛を選ぶのが面倒なのでいる者で済ませる。
「アインズさん、アインズさん。私も行っていいですか?」
「え…?またお出かけですか…?」
と言ってもこの一月で海とセバスの式しか出掛けていないが。フラミーを連れて行くなら全守護者を掻き集めなければ気が休まらない。
悩んでいると、コキュートスが霜を吐き、ドンっと胸を叩いた。
「爺ガオ守リシマスノデゴ安心下サイ!」
近頃のコキュートスは爺病だ。向こうにはセバスもいるだろうし、街には盾となる
「そうだな…。じゃあ、フラミーさんも行きましょう。でも、絶対に俺達から離れないでください。」
はーいと嬉しそうに笑うフラミーを見るとそれだけで良かったと思ってしまう自分の単純さに苦笑した。
三度目の秋が来ますねぇ!
ツアー、フラミーさんに優しい!
次回 #3 閑話 崩御