ガゼフは聖堂内に置かれている闇の神の像をぼんやりと眺めた。
(…今日来て直ぐにお会いしたい等と…無理な話だな…。)
今日のガゼフはただのメッセンジャーだ。
伝言を守護神――セバス・チャンに伝えて帰るだけでいい。
だというのに無理を言ってしまった。
本当は早く帰らなければいけないと言うのに、ガゼフの体にはまるで根が生えてしまったようにその場から離れられなかった。
会えるはずがないと解っているが、ガゼフは何故かこうして待つ事こそが正解のような気がしてならなかった。
膝をつきながら、ゆっくり手を胸の前で組む。
目を閉じ視界を闇でいっぱいにすると、祈りを捧げた。
じっと待ち、降臨を願い続ける。
すると、カツンと床の鳴らされる音が響き、ガゼフはフッと顔を綻ばせた。
やはりこうする事が――信じて待つ事が正解だった。
力の渦に巻き込まれてしまうのではないかと思わせるほどの圧倒的すぎる強者の気配に、ガゼフはゆっくりと顔を上げた。
「ゴウン陛下。」
「ガゼフ・ストロノーフ戦士長殿。久しいな。」
そう言う神は人の身で優しげに笑んでいた。
初めて人の姿を見た時はその若さや美しさも含め、心底驚いたがもう慣れたものだ。
世の人々も初めてオシャシンでその姿を見た時に、これが本当にあの闇の神かと一瞬疑ったようだが、文字通り神の造形を前にすぐに納得したらしい。
今日も神は壊れ物を運ぶように女神を抱え、女神は胎児の様なものを抱えていた。
周りの参拝客が騒めきながら、慌てて胸の前で手を組む姿が視界の端に映る。
「陛下方、ご無沙汰しております。お呼び立てしてしまい申し訳ありませんでした。今日は私の口から直接どうしてもお聞かせしたい事が。」
変わらぬ微笑みで頷く神は、もしかしたらもう何を言われるのか解っているのかも知れない。
手で優しく先を促される。
「我が王、ランポッサ三世が崩御いたしました。今日の日までの生と、慈悲深き死に感謝し、数時間前に眠る様に息を引き取りました。」
王は愛らしいラナーの子を抱く度に本当に良かったと何度も言っていた。
あの想いを真っ直ぐに伝えなければいけないと、馬を変え続け、ガゼフは驚異的な速さでここまで来た。
馬が倒れれば次の都市を目指して途中走り、何も振り返らずに一心不乱にここを目指した。
神は何も言わずにガゼフをじっと見つめた後、絞り出すように声を漏らした。
「………そうか。」
心底残念そうな響きにガゼフだけではなく周りの人々も胸を締め付けられる。
ガゼフはたまに思う。
何故これほど慈悲深い存在が死の神なのだろうかと。
もっと非情で冷酷な神なら、神の負担はもっと少なかっただろうに。
(…いや、それではこの世には耐え難く厳しい死が溢れてしまうか…。)
聖王国にあると言う生と死の神殿に安置されているらしい聖書には神の痛みという項があるらしい。
(本当にこの方々が降臨されて良かった…。)
少し前に神聖魔導国建国記念日があったが、この王が立ち既に三年。
属国になったリ・エスティーゼ王国は日々良い方へ良い方へと変わって行っている。
「――明後日葬儀が執り行われます。朝には葬列が出、王都を回った後に霊廟へ移される予定です。どうかご参列の栄を賜りますようお願い申しげます。」
首が落ちるほどに深く頭を下げると、解った、とすぐに返事が返った。
「フラミーさんが行けるかは解らないが、私は参列しよう。」
安堵と感謝にガゼフはホッと息をついた。
そして生を司る女神には死の場所への参列は難しいのかもしれない。
「――セバス、
「かしこまりました。では、ストロノーフ様、こちらへ。」
セバスがガゼフを先導しようと動き始めるとガゼフは慌てて首を振った。
「あ、いや!そこまで甘えるわけには!」
「何。大したことじゃない。さぁ、行きたまえ。」
ガゼフは躊躇うように振り返りながら王都へ帰った。
翌々日、葬儀は神と各重鎮が参列する中粛々と執り行われ、激動の時代を生きた王は見送られた。
アインズはナザリック、第九階層に戻ると呟いた。
「実験が必要だ…。」
「何をご用意いたしましょう。」
隣で喪服姿のデミウルゴスが眼鏡を押し上げる。
供はデミウルゴスのみだったが、十分感謝された。
「若返りの実験を行う。寿命を固定する魔法をフールーダが完成させていない以上、常闇にぶつけた物と同じ若返りの魔法をいつかお前達が老いた時には浴びて貰わなければならない。」
しかし、あの時は数百年と言う時間を奪った。
同じ様にして胎児に――果ては細胞になられては困る。
見知った者の死を目の当たりにしたアインズは、いずれ自分の家族にも訪れるであろう寿命という制限に抗う事を決めた。
「ある程度の時間を生きている生物が必要だ。七十年や八十年以上だと良い。」
老人の回収だ。
姥捨山だなとアインズが笑うと、デミウルゴスは頭を下げ口元をニヤリと歪めた。
「それでしたら――トロールは如何でしょうか?人や他の亜人達よりも体が大きい分、寿命も長いかと思われます。都市国家連合とミノタウロスの国の間にトロールの国があるそうです。」
「近場だし手に入れやすそうだな。それで検討しよう。」
ナザリックの中で一番最初に老いるのは恐らく他でもない我が子だろう。
ヴィクティムとソリュシャンの話では耳はほんの少し尖っているようだが、皮膚は肌色で、羽もない普通の人間のようなのだ。
いや、サタンと人間――体だけだが――のハーフなのだから、やはり悪魔だろうか。
それともフラミーのサタンと言うのはクラスに過ぎず、肉体は天使だとしたら、天使と人間のハーフ――。
ともかく、悪魔か天使に近い存在ならば、長い寿命の中でゆっくり方法を見つけていけば良かったが、人間成分が多ければ多いほどそう猶予はないだろう。
産まれる前から寿命の心配をする事になるとは。
(…クラスの確認が必要だな…。そもそも人間種なのか亜人種なのか異形種なのかもまるでわからん…。)
言い方は悪いが、何が生まれてくるのか、正直アインズにもわからなかった。
しかし、クラスや種族の確認など一体どうすれば。
勝手にジャイアントハムスターと呼んでいるが、ハムスケの正しい種族名すら判明していないような有様なのだ。
精神系の第三位階魔法に、対象がタレントを持つか持たないかを確認できるものがあると、以前
クラスの確認ができる魔法があってもおかしくはなさそうだが、少なくとも聞いた事は無い。
今後の課題だと心のメモに書き残しておく。
難しい顔をしながら二人で九階層の廊下を行くと、アインズの部屋の扉の傍に置かれるようになったベンチにフラミーが腰掛けていた。
その隣には立って控えるアルベドと浮いているヴィクティム。
今ナザリックの至る所にはこうしてフラミーが休む為のベンチが置かれている。
「あ、アインズさん。おかえりなさい!」
「ただいま。ここで待ってたんですか?」
頷くフラミーを立たせると、手を引いて部屋に入った。
「ラナーちゃん、大丈夫でしょうか。ザナックさんも…。」
「…心配ですね…。」
アインズは今日のラナーの涙を思い出し、静かに目を閉じた。
母を、父を喪った時の日の自分に少し重ねてしまう。
フラミーもそうするアインズの向こうにラナーの悲しみを感じたような気がした。
「アルベドさん、デミウルゴスさん。ラナーちゃんが帰って来たら色々お話聞いてあげたり相談に乗ってあげて下さいね。」
知恵者二名はラナーと大変仲が良くたまに三人で遊んでいる様子なので、慰めるには絶好の二人のような気がする。
アルベドは優しげな顔をすると深々と頭を下げた。
「かしこまりました。お任せください。」
「御方々のお望み通りに。」
デミウルゴスもアルベドに続く。
悪魔二人に、アインズは何か微妙にボタンが掛け違っているような気分を抱きながらも「うむ」と返事をするのだった。
数日後アルベドとデミウルゴスはラナーの下を訪れていた。
「ラナー、御方々がご心配なさっていたわ。ちゃんと王国の併呑をあなたで出来るのかと。」
「フラミー様から相談に乗るように勧められたよ。うまく進んでいるんだろうね。」
ラナーは窓辺に立ち、遠く見えもしない王都を眺めると口を開いた。
「ふふ。万端にございます。ご期待に添える結果をお見せできるかと。」
「それなら良いのだけれど。あなたのあの兄は使い物になるの?」
「駒として扱うには十分かと。今年中にでも王国は神聖魔導国へとその名を変えさせますわ。陛下方にはどうぞお任せくださいとお伝えください。」
悪魔達が愉快げな笑い声を上げると、これまで眠っていた赤ん坊の泣く声が響いた。
「まぁ、クラリスが呼んで。」
「気にしないであやして良いのよ。」
頭を下げたラナーは急ぎ新しい子犬の下へ行き、それを抱き上げた。
そして耳元で愛しげに――優しく囁く。
「――静かにしなさい。」
まだハイハイを始めたばかりの赤ん坊はふぅ、と静まり幸せそうな寝息を立てた。
「…それが人間のあやし方なの?全く恐ろしい教育をしそうね。」
「陛下方のお役に立つように育てますので、どうぞこれもお引き立てをよろしくお願いいたします。」
悪魔が呆れ混じりに笑うと、ラナーも花のように微笑んだ。
御身、ガゼフが仲間にしてくれって言いにきたんじゃなくて残念でしたね。
次回#4 閑話 男児は女児の格好を
よおし!お馴染みの勢力図確認だ!
【挿絵表示】
ユズリハ様よりです!
かつて#39 新知事の就任で書いた所に追い付きました…!
後にほにゃららに追いつく日が来るとは。
王位を返上したかつて王女だった州知事は、わずか三年後――神都大聖堂完成と時を同じくして崩御する父ランポッサの下属国だったリ・エスティーゼ王国をリ・エスティーゼ州になるよう政策を推し進め、新たに魔導国に加わったリ・エスティーゼ州知事には自らの兄ザナックを推薦した。
ザナックの元にはレエブンと言う子煩悩が都市長を務め、繁栄の時を迎える。